5

 その一時間後、優希は研究所のバンの中で待機をしていた。後部座席は取り払われ、ベッドが備え付けられている。検査着一枚になった彼女はそこに横たわり、心拍や血圧を測定されていた。頭の上の方では無線でのやり取りがノイズ混じりでかすかに聞こえているが、どうやらまもなく羽化しそうだと男性の声が言っていた。


「やや興奮気味のようだね。しかし大丈夫だ。この程度なら問題ない」


 折原博士はゴム手袋をした手に注射器を持ち、対策委員会からの合図を待っている。

 この三十分前、優希は博士から全ての説明を受けた。


「では改めて説明する。君がヒーローでいられるのは三分間だ。ここで重要なのがXの特性だ。Xは羽化して成体になると三分しか地球環境では持たない。未だに仕組みは解明できていないが、ともかく百八十秒が経過すると細胞の自己破壊が始まる。即ち、君がやるべきことはXの自然崩壊が始まる三分が経過するまでXの動きを封じ込め、都市の被害を最小限に抑えることだ。つまり三分間、全力で耐えてもらいたい。我々はそれ以上望まない。分かるね?」


 つまり優希の父はヒーローと呼ばれていたが、戦っていた訳じゃなかった。それを知らされて少しだけ気持ちが楽になった反面、どんな気持ちでヒーローをやっていたのだろうと考えると、複雑な心境だった。


「ゴーサインが出ました」


 所員の声に博士はほくそ笑む。


「では始めようか。十年ぶりの、ヒーローのお目見えだ」


 待って、と声を掛ける暇もなかった。左上腕にチクリと痛みが走り、すぐに体が熱くなる。


「変身まではおよそ一分ほどだ。目覚めたらすぐXに向かってくれ」


 その博士の声もどこか上の空で周囲が真っ白なもやおおわれた。自分の手足の感覚がなく、水中深くに沈められたみたいにどこか遠くで博士たちの話す声が響いていた。だがそれもすぐ消えてしまう。



 気づくと優希は原っぱに横たわっていた。どこかの公園だろう。見ると巨大な体になっている。全長三十か四十メートルはあるだろうか。全身銀色の鱗に包まれていて、幼少期に見ていた父と同じ姿形をしているようだ。

 そんな自分の上方にドローンが飛んでいて、スピーカーから声が響いた。


「こちらX対策本部司令官の津嶋つしまだ。君に指示するのでそちらに移動してもらいたい」

「急に言われても」

「大丈夫だ。君は既にヒーローになった。Xの攻撃に対しても傷つけられることはない」


 ――そういう問題じゃない。


 文句を言いたかったが黙ったまま上半身を起こすと、ゆっくりと右膝を突いて立ちがる。大きくなったとはいえ自分の体だ。それほど違和感はなかった。

 ドローンはスピーカーの付いたものの他にもう一体飛んでいて、それには電光掲示板がぶら下がっている。デジタル時計が二分五十秒を差す。もうカウントダウンは始まっていた。

 羽化したXは品川方面に上陸したそうだ。指示されるまでもなく、そちらで音がした。博物館のミニチュアに展示されていた蜘蛛のようなタイプではなく、二足で立ち上がる大型爬虫類はちゅうるいに似たXだった。


 ――あ。


 開いた口が光る。優希は慌てて自分の前に腕を交差して出したが、光の束はぐるりと周辺を回り、やや遅れて爆風が来た。立っていられず、優希は背中から倒れる。


「どこが大丈夫なのよ!」


 痛みと熱。それが優希の神経を逆撫さかなでする。

 怒り。悲しみ。

 苦痛と苦悶くもんに、意識が一瞬遠のく。

 その意識が目の前の爆発音で引き戻された。自衛隊だ。Xに対してミサイルを打ち込んでいる。土煙が上がり、反応が消えた。ように思った次の瞬間、再び光が襲った。蹲った優希の背後で火の柱が何本も上がり、戦車も装甲車もそれに幾つかの人影も、それに伴って空へと舞い上がった。

 誰かが犠牲になった。

 それを目にした刹那せつな、優希は強烈な歯ぎしりをした。右足に、左足に、力を入れる。立ち上がる。

 眼前百メートルほどのところにその怪獣はいる。再び口を開き、次なる攻撃を仕掛けようとしていた。優希は地面をった。地響きがしたが気にしない。思い切り右拳に力を入れ僅かに引くと、踏み出した右足と共に腰から広背筋へとダイナミックな筋肉の動きが連動し、強烈なフックをその巨大な爬虫類の左頬へとお見舞いした。口から漏れた光は真っ直ぐ天へと伸び、空にドーナツ状の雲の輪が幾つも生まれた。だが倒れたXはそんなものでは怯まないようで、立ち上がろうともがいている。優希はその上に飛び乗り、馬乗りの形になってXの口を押さえつける。


 ――三分間、耐えてくれ。


 Xは暴れ、何度か優希の顔やのど、胸部に鋭い爪の付いた手が伸びてくるが、銀色の表皮は金属音をさせて跳ね返す。

 大丈夫だ。やれる。

 痛みに耐え、もがき続けるXを押さえ続ける。格好悪くたっていい。これが今の自分に出来る全力だった。

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