ハンミョウ
あれは、私が8歳の時の出来事です。
ハンミョウはとても綺麗な虫で、捕まえたくてよく追いかけるのですが、いつも逃げられてしまい、まだ捕まえたことがありませんでした。
追いついたと思ったらちょっと先へ行ってしまい、追いついたと思ったらまたちょっと先へ行ってしまい、それを何度も繰り返すうちに、いつも最後には逃げられてしまうのです。
その日も私は、ハンミョウを追いかけていました。
そうこうしているうちに、いつの間にか見知らぬところまで来てしまっていたようです。
ここはどこだろうと辺りを見渡しましたが、まったく見覚えのない風景で、来た道がどこなのかもわからなくなっていました。
そして思い出したように、ここへ来た原因のハンミョウを探すのですが、もう目の届くところにはいませんでした。
ハンミョウもいない。見も知らぬ街にひとりぼっち。暗くなっていく空……。
私はたまらなく
「お母さん、怖いよ。助けてよう」
その泣き声を聞きつけたのか、白いヒゲのおじいさんが私に声をかけてくれました。
「お
おじいさんは
私はそれに驚いたのかほっとしたのかは覚えてはいないのですが、さらに大きな声をあげて泣き出したのは記憶に残っています。
おじいさんは優しく私の頭をなでながら、泣き止むまでずっとついていてくれました。
私が少し落ち着いた頃に、おじいさんはまた話しかけてくれました。
「お嬢ちゃん、どうして泣いているんだい?」
私はしゃくりあげながら、ハンミョウを追いかけていたこと、夢中になって追いかけていたら見知らぬ場所まで来ていたことを伝えました。
おじいさんはちょっと困ったように眉をひそめて苦笑いをしながら話してくれました。
「ハンミョウにも困ったもんだね。あの虫は『道教え』とも言うんだけど、今日はお嬢ちゃんを迷子にしてしまったみたいだね。とんでもない案内人だ」
私はおじいさんの言葉にこくりとうなずきました。
「お嬢ちゃん、お名前と住所はわかるかな?」
おじいさんにたずねられて、私は母が手首につけてくれている腕輪を差し出しました。
それには何かあっても大丈夫なように、名前と連絡先が書いてあるのです。
それを見るとおじいさんは、ゆっくり立ち上がって、私の頭をくしゃくしゃにしました。
「いい子だね。それにしてもこんな遠くまでよく来たね。電話番号も書いてあるからお家に連絡してみよう。きっとお母さんも心配しているよ」
私はその言葉に何度もうなずきました。
しばらく、おじいさんとふたりで待っていると、母が車で迎えに来てくれました。
まだ夏なので日が長いはずなのですが、その時には完全に日が落ちて真っ暗になっていました。
「しょーこ。心配したじゃない!」
怒った声で車から飛び降りて来た母に、おじいさんは理由を話してなだめてくれました。
「そうなんですか。ご迷惑おかけしてすみません。遅くになっても帰って来ないから心配して、警察に電話しようかって話していたんです。本当に無事でよかった。ありがとうございます」
母はそう言って私の頭をおさえておじぎさせました。
「よかった。本当によかった」
母は私を抱きしめて何度もそう言いながら、ふたりで大泣きしたのでした
「ありがとうございます。今日はもう遅いので明日あらためてお礼にうかがいたいのですが、お名前と連絡先を教えて頂いてもいいですか?」
おじいさんは遠慮しながらも、連絡先を丁寧にメモに書き込んでくれました。
「ありがとうございました」
「おじいちゃんありがとう。またね」
メモを受け取ると、ふたりでお礼を言って家に帰ったのでした。
明日はおじいさんにお礼に何を持って行こうかと話しながら……。
怖かったけれども、今となってはいい思い出です。
そうして、月日が経ち、私は娘の手を取ってお墓まいりに行く道をのんびりと歩いていました。
「あ。むし!」
娘がハンミョウを見つけて嬉しそうに指さしました。
「あれはね、ハンミョウという虫で、別名『道教え』っていうんだよ」
私はそう言って、あの日の出来事を話して聞かせました。
「あのむしおいかけたら、まいごになるの? わるいむしなの?」
首を傾げる娘に私は首を横に振って答えました。
「ううん違うよ。あの虫はお母さんをおじいちゃんのところに連れていってくれた素敵な虫なんだよ。ほら、今日もおじいちゃんのお墓の方へ飛んでいって道を教えてくれてるでしょう?」
「いいむしなの?」
「うん。そうだよ」
おじいさんのお墓にお供え物をし、お参りしました。
『今日もハンミョウがおじいちゃんのところにつれてきてくれましたよ』
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