第339話 番外編⑬『きみが隣にいる未来』
陽菜乃が志摩家を訪れてから二日後のこと。
シャアシャアシャアと耳障りなセミの大合唱をBGMにうんざりした気持ちになりながら、俺は自転車で陽菜乃の家に行き、彼女と合流して最寄りの駅へ向かい電車に乗り、三十分ほどガタンゴトンと揺られながら目的地を目指した。
母さんから聞いた住所を地図アプリで検索し、現在地からのルートを検索する。
オフィス街なのか高い建物が並ぶ中をあっちこっちと歩き続けると、派手目な外装の建物が見えてくる。
建物の前に到着して、『Wedding Garden』という名前を確認する。どうやらここらしい。
隣にいる陽菜乃の様子を見てみると、少し緊張しているようだ。まあ、無理もないけど。
「大丈夫?」
俺はただの付き添いだから気が楽だけど、陽菜乃はこれから写真を撮られるわけだしな。
アルバイトではあるけど、責任重大だ。
「……う、うん」
顔が強張っているな。
一応笑顔を向けてくれているけど、引きつった笑い方してる。
「とりあえず入ろうか」
「そう、だね」
俺にできるのは、せいぜい手を繋いで引っ張ってあげることくらいだ。
俺が軽く手に触れると、陽菜乃の方から力強く握っていた。
それを合図にしたわけでもないが、建物の中に入る。
入口から中に入るとすぐにあったのは大きなエントランスだ。ホテルなんかと同じような感じで、奥の方に受付が見えた。
俺は陽菜乃と顔を合わせてから、その受付へと向かうことにした。
高校生二人が手を繋いで歩いてくるものだから、受付にいた二十代くらいのお姉さんは不思議そうな笑顔を浮かべて俺たちを迎えてくれた。
「本日はどのようなご要件ですか?」
横目で陽菜乃を見ると、まだ緊張している感じだったので、ここは代わりに俺が答えることにした。
「えっと、ブライダルモデルのアルバイトで来ました、日向坂といいます」
事前に話は聞いていたようで、ブライダルモデルというワードでピンときたようだ。
「お伺いしております。担当の者をお呼びしますので少々お待ち下さい」
丁寧で落ち着いた声色は、自然とこっちの緊張を解いてくれる。陽菜乃もさっきまでに比べると幾分かマシになっていた。
少し待っていると奥の方から女性がやって来た。
あの人が恐らく母さんの友達だという清水さんだろう。同い年のはずだけど、少し若く見える。
「隆之くん、大きくなったわね」
短めの黒髪、ピシッと着こなしたスーツが印象的だった。スレンダーな体型で身長は俺くらいある。
フレンドリーに俺の名前を呼んできているところ、どうやらあちらは俺のことを知っているっぽい。
「あ、えっと、どうも」
どちら様ですか、と訊くのも憚られたのでとりあえずそれっぽく返してみたのだが。
「あっはは、全然覚えてないわ誰だこのおばさんって顔してるわよ」
「すみません」
俺の考えが筒抜けだったらしいので、ここは素直に謝っておこう。
「まあ、会ったのは随分と前のことだから無理もないけどね。改めて自己紹介しておくわ、私は清水薫子。隆之くんのお母さんの高校時代の同級生よ」
「俺は志摩隆之です。こちらが日向坂陽菜乃」
俺が流れで紹介すると、陽菜乃はぺこりと頭を下げた。
清水さんは陽菜乃を見て難しい顔をした。そのままじいっと見つめながらぐるりと陽菜乃の周りを歩く。
一応、母さんが陽菜乃の写真は送っているはずだけれど。
「あの」
俺が声を掛けると、清水さんはうんと満足げに頷いた。
「文句なし! これ以上ないモデルだわ。彩子のやつ、こんな子よく見つけたわね」
彩子というのは俺の母のことだ。
何事かと思ったけど、どうやら気に入っていただけたようだ。
見られているときは強張っていた陽菜乃の口元には、わずかに緩みが見えた。
「とりあえず場所を変えるから、ついてきて」
いつまでも受付前で喋っているわけにもいかないということで、歩き出した清水さんに続く。
去り際に受付の女性に話しかけて、数回の言葉のやり取りで盛り上がっていた。周りからの信頼も厚そうだ。
受付の奥にある通路をまっすぐ進んでいく。
「もしかして、陽菜乃ちゃんは隆之くんの彼女かな?」
前を歩く清水さんが顔だけをこちらに向けて楽しそうに訊いてきた。
「はい」
誤魔化すのも変だし、そもそも誤魔化す理由もない。こんなところに同行している時点でお察しだろうし。
「隆之くん、可愛い彼女捕まえたわね」
母さんと同じようなこと言うなあ、なんてことを思っているとどうやら目的地に到着したらしい。
足を止めた清水さんが近くの部屋のドアを開けて、中に入るよう促してくる。
シックな雰囲気の部屋の中にはあまりものがなく、資料が並んでいる本棚にテーブルとソファ、それから観葉植物が置かれている程度だった。
ぼふっとソファに腰を下ろした清水さんが座るよう言ってきたので、向かいのソファに二人並んで腰を下ろす。
ふかふかだ。
「それじゃあ早速、今日のバイトの内容について説明するわ」
*
ウェディングドレスを着て何枚かの写真を撮るというだけ。
母さんからはそれくらいの説明しかされなかったけれど、実際に清水さんから聞けば、他にもいろんな写真を撮るらしい。
例えば、新婦役として陽菜乃が選ばれたが、新郎役もいて二人で雰囲気のある写真を撮るんだとか。
とにかく、この式場ではこんな素敵な結婚式ができますよというアピールの目的があるそうだ。
俺はあくまでも付き添いで、ただ撮影しているところを見学するくらいの気持ちで来ていたんだけど。
「せっかくだし、隆之くん新郎の役する? 陽菜乃ちゃんもそっちのが自然体でいられるでしょ?」
清水さんが突然そんな提案をしてきたものだから、もちろん俺はたじろいでしまう。
「い、いや俺はいいですよ。もう新郎役の人もいるんでしょ?」
「いるけど。うちのメンバーから適当にイケメン選んだだけだし。隆之くんが引き受けてくれるなら、その子には別の仕事を回せるから問題ないわよ? むしろ助かる」
「イケメンの方が宣伝効果強いと思いますよ?」
「大丈夫。隆之くんもイケメンよ」
「清水さんくらいの年代の人はとりあえずイケメンとかカッコいいとか言ってくるので信用できません」
「だいじょうぶだよ。隆之くんカッコいいよ!」
「陽菜乃のカッコいいも贔屓目入ってるから信用できません」
写真撮られるとか聞いてない。
しかもブライダルモデルなんて俺にはハードルが高すぎる。ここだけは絶対に引けないと、俺は頑として断る意志を持つ。
が。
「お願い隆之くん。わたし、隆之くんと一緒がいいの。ね?」
隣にいる陽菜乃が手をぎゅっと握り、うるうるした瞳で上目遣いを向けてくる。
そんなことしてもダメなもんはダメだ。いくら可愛くてもこっちにだって意志がある。
「……分かったよ。やるよ」
俺の意志が弱すぎる。
「わーい」
「バイト代は弾むから、頑張って」
途端に緊張がピークにまで跳ね上がってきた。やばいな、吐きそうだ。
*
モデルになるということはつまり俺も正装に着替えることになったわけで、男性スタッフに更衣室へ案内される。
白色のタキシード。
俺はまだ結婚式に参加したことがないので、こうして見るのは初めてだった。
まさか、こんなに早く着る機会が訪れるとは思わなかったな。
なんてことを思いながら袖を通す。
全体的に引き締まったシルエットに見えて、こんな俺でもイケてるんじゃないかと錯覚させられる力があった。
「うん。いいね」
男性スタッフも親指を立ててくれた。着替え終えたら次は髪のセットもついでにしてくれて、それが済んだところで別室に案内された。
どうやら新婦側の更衣室らしく、大きなカーテンによって部屋が二つに区切られている。恐らく、このカーテンの先に陽菜乃がいるのだろう。
待っている間、暇を持て余していたので近くにあった姿見で改めて自分の姿を確認する。
自分ではしたことがないスタイルに、やはり感心させられる。髪もなんかいい感じにセットされてるし。
つい触れてしまいそうになったけど、万が一崩れたりしたら大変だから間際で止まる。
「お、様になってるね」
そんなことをしていると、カーテンの向こう側から清水さんが顔を覗かせた。ひょいとこちら側に出てきて三百六十度から俺をじろじろと眺めてくる。
「うん。似合ってるよ。私の目に狂いはなかった」
「どうでしょうね」
俺はそう返すが、しかし清水さんのにやにやは止まらない。
「だったら証明してあげよう。おねがいしまーす」
したり顔で言ってから、清水さんはカーテンの向こう側に呼びかける。するとあちらから「はーい」と返事があって、カーテンがゆっくりと開けられた。
「……」
言葉を失うという表現がある。
それは、それくらいに驚いたり感動したりするという、いわゆる比喩的なものだと思っていた。
けど、人は本当に言葉を失うことがあるようだ。
「どう、かな?」
純白というに相応しい白のウェディングドレス。
テレビや雑誌でウェディングドレスを着ている人を見ることはあるけれど、知っている人……それも自分の彼女が着ているとなると受ける印象は全然違う。
綺麗、という言葉が一番しっくりくる。
「隆之くん?」
俺があまりにも反応しないものだから、陽菜乃は不安げな表情を浮かべた。
そこでようやく我に返る。
「あ、ごめん。凄く似合ってるよ。綺麗だ」
稚拙な言葉しか出てこないが、本当にそれ以外に言葉が見つからない。
そんな俺を見て、陽菜乃についてくれていた係の女性がうふふと笑う。
「彼氏さん、きっとあなたに見惚れてたのよ」
「み、みとれ……」
陽菜乃はかああっと顔を赤くして俺の方を改めて見てくる。
いつもならばもっときゃいきゃい騒ぎそうなものだけど、そういうしおらしいリアクションがさらに陽菜乃の可愛さを助長する。
「ありがと。隆之くんも似合ってるよ」
「馬子にも衣装かな」
普段とは何もかもが違うせいか、褒められるとどうしてか照れてしまう。
俺は照れ隠しのように呟き、頬をかく。その仕草を見てか、陽菜乃はおかしそうに笑った。
しかし、と俺は改めて陽菜乃の姿を見た。
本当によく似合っている。
高校生なんてまだまだ子供で、だからウェディングドレスなんて似合わないとばかり思っていたけど、そんなことないんだな。
人生に一度の晴れ舞台を彩るものなんだから、美しくないはずはないんだけど、それを分かっていても想像を軽く超えてくる。
「それじゃあ、準備もできたことだし早速始めようか」
清水さんの一声でスタッフが移動していく。そのうちの一人に俺と陽菜乃も案内される。
カメラマンの指示に従いながら、いろいろな写真を撮っていく。プロだからか、こちらを乗せるのも上手い。最初こそ緊張していた俺たちだけど気づけば楽しんでいて、自然な笑顔を浮かべるようになっていた。
「それじゃあ最後にバージンロードを歩いて、祭壇のところで一枚撮って終わりにしましょう」
清水さんの指示に従い、俺たちはバージンロードを歩くために入口前まで移動する。
「これって、父親と歩くものでは?」
「細かいことは気にしないの。雰囲気が伝わればいいんだから」
あなたがそう言うなら別にいいんですけどね、と思いながら俺たちはゆっくりと歩き始める。
陽菜乃はいつもと変わらないのに、今日はいつもよりドキドキしてしまう。
腕を組んで歩いているだけで、どうしてか緊張する。
バージンロードを歩き、祭壇に上る。こっちを向いて、とか、向かい合って、とか、カメラマンの指示に従って数枚の写真を撮る。
「最後に一枚、これは記念に渡すものだから好きにポーズ撮ってくれていいよ。それじゃあ五秒前……」
「は? いや、そんな突然」
急に好きなポーズと言われても。
せっかくこんな綺麗な格好してるのにピースとかは違うし、じゃあなにが正しいんだって話だし。
もともと写真を撮るのは得意じゃないのだ。どうしてみんな、あんなすいすいとポーズが取れるのか常々疑問に思っている。
「三秒前……」
そうこう考えている間にカウントダウンは進んでいく。俺は隣にいる陽菜乃にヘルプサインの如く視線を向けた。
「どうしよう?」
「じゃあ、とりあえず腕でも組もっか?」
「あ、ああ。じゃあ」
落ち着いた様子の陽菜乃に言われて、俺たちは腕を組んで一枚写真を撮ってもらった。
終わった、と思ったんだけど。
「すみません。もう一枚だけいいですかー?」
陽菜乃がリクエストを口にする。
感じの良いカメラマンは「いいよー」と手で大きな丸を作って応えてくれる。
「もう一枚って、同じポーズでいいのか?」
「んー、いや、せっかくだし変えようかな」
「変えるって言っても」
俺はポーズの候補なんて一つもないぞ。陽菜乃が指示してくれれば別になんでもいいんだけど。
「隆之くんはいい感じに前向いててくれてたらいいから」
「そう?」
なんて会話をしている間にカメラマンのカウントダウンは進んでいく。
「三秒前……」
俺はどうしていいか分からず、とりあえずさっきと同じ感じで前を向いておくことにした。
これでいいのかな、と考えていると肩にぐんと体重がかかる。
次の瞬間。
ぱしゃり、と。
シャッターが切られ、俺たちの記念撮影が終わった。
*
アルバイトを終えた俺たちは式場を出て駅まで歩く。
外に出ると世界は茜色に染まっていた。どうやら想像以上に時間が経過していたらしい。
「どうする? せっかく外に出てるし、晩ご飯くらい食べて帰る?」
「そうだね。隆之くんはそれでも大丈夫?」
「もちろん。むしろそっちの方が嬉しいくらい」
俺がそう言うと、陽菜乃はあははと笑い「わたしもだよ」とはにかんだ。
恋なんて、と思っていたことがある。
そんな気持ちを変えてくれた人がいた。
その人が今、俺の隣で笑っていて。
それだけで、俺はすごく幸せで。
こんな時間が、これから先もずっと続けばいいのにと思う。
「……」
「あ、それさっきの写真?」
ふと、俺はカバンの中に入れていた写真を取り出した。撮影の最後に、今日の記念にとカメラマンが撮ってくれたものだ。
一枚は俺と陽菜乃が腕を組んでいるもの。こういうのを咄嗟に思いつけるのはさすがだなと思う。
問題はもう一枚。
陽菜乃のリクエストによって追加されたものだ。後ろにあったその写真を前に持ってきて眺める。
「よくこんなことできたな?」
「えへへ、まあね」
「……褒め言葉じゃないんだけど?」
「ちがうの!?」
「普通は恥ずかしくないか?」
「まあ、少しも恥ずかしい気持ちがなかったかと言われると、そうでもないんだけどね」
陽菜乃は照れながら親指同士を合わせ、ごにょごにょと呟く。けど、やっぱり楽しそうに笑ってさらにこう続けた。
「なんか、特別なものを残したかったの」
「特別なもの、か」
そう呟きながら、俺はもう一度写真を見下ろす。
そこには俺と、俺の肩に手を添えて頬にキスする陽菜乃が写っていた。突然のことに慌てて驚いてとリアクションが混雑している俺と、してやったりという感じの顔をした陽菜乃。
「永遠の愛を誓うのは、本当の結婚式がいいから」
陽菜乃は優しい笑みを浮かべながら、まるで子守唄を歌うような柔らかい声色で呟いた。
だから、と続けながら俺の顔を見る。
「もう一度ふたりでこの場所に立とうねっていう、願いのキスなの」
きっと。
陽菜乃も俺と同じ気持ちなんだ。
今こうしている時間が大切で。
これからもずっと一緒にいたいと思っていて。
それが幸せなんだと知っている。
だったら。
「大丈夫だよ。俺はそれを願っているし、陽菜乃がそう願ってくれるなら、そんな未来がやってくるさ」
たぶん。
楽しいことだけじゃないんだと思う。
辛いことや、悲しいこと。
躓くことや、俯くこと。
倒れることや、涙を流すこと。
これから大人になるにつれて、そんなときだってある。
それは今の俺には想像もできないことだろうし、どれだけ構えていても、そんなもの簡単に超えてくるような厳しい現実だってあるだろう。
一人だったら諦めてしまうかもしれないけれど。
誰かと一緒ならそんな壁も乗り越えられる。
秋名に。
柚木に。
樋渡に。
雨野さんに。
堤さんに。
不破さんに。
財津に。
榎坂に。
伊吹に。
木吉に。
広海さんに。
晴乃さんに。
和重さんに。
父さんに。
母さんに。
梨子に。
陽菜乃に。
それを教えてもらった。
「そうかな。そうだといいなぁ」
「今はまだそれしか言えないけど。俺がちゃんと大人になったら、自分の言葉に責任を持てる日が来たら」
今の俺の言葉には力がない。
高校を出て。
大学で勉強して。
就職をして。
誰かを支えることができるくらいに大人になれたら。
「そのとき、もう一度伝えるよ。大切な言葉を、君に」
だから、そのときは。
今の願いを実現させよう、と約束するように。
俺は言葉を紡いだ。
「うん。待ってるね」
にこりと笑った彼女は、「あ、でも」と思い出したように付け足した。
「あんまり遅いと、わたしが先に言っちゃうかも」
「……そうならないように頑張るよ」
これから先がどうなるかなんて分からないけど。
陽菜乃が隣にいてくれるのなら、なんだってできるような気がする。
だから、大丈夫だ。
「そういえば、晩ご飯どうしようか?」
「あ、そだね。えっとね、今日の気分はね――」
一歩ずつ。
一日ずつ。
前に進めばきっと。
そんな未来は訪れるだろう。
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