第334話 番外編⑧『陽菜乃と梓』
三年生になって隆之くんとクラスが離れてからは、放課後にちょっとだけでも寄り道をすることが増えた。
喫茶店でお茶することもあるし。
近くの公園でお喋りする日もあるし。
学校に残って二人の時間を過ごすこともある。
今日はゆっくり歩いて帰る日。
いつもはわたしは電車、隆之くんが自転車なので駅でバイバイなんだけど、今日は隆之くんの家までをゆっくり散歩するように歩く日。
一人だとちょっと長い道も、隆之くんと二人ならむしろ足りないくらいなのだ。
話す内容は日による。
その日あった楽しかったことや辛かった話をどちらかがしたり、何となく思いついた疑問について話し合ったり、とにかくたわいない話をしたり。
今日は何を話そうかなと考えるのが楽しかったりするんだよね。
「今日、秋名と話してたんだけどさ」
学校を出て、少し歩く。
どんな話をしようかなと考えていると、隆之くんが先に口を開いた。
「うん」
隆之くんはいつもわたしが話し出すかを様子見する。けれど今日はすぐに話し出したので、よほど話したいことがあったんだろうな。
そう思いながら、わたしは隆之くんの言葉の続きを待つ。
「いや、内容自体は全然大したことないんだよ。苦手な人とかいるの、くらいの話なんだ」
「梓の苦手な人かぁ。確かにあんまり想像つかないよね。誰とでも普通に話すし」
「そう。その質問に対しても、秋名はちょっと考えて、思いつかないかなって言ってたんだけど」
「うん」
「あいつってさ、誰とでも話すじゃん。そこだけ見たら柚木と似た感じだけど」
「梓は距離感を気にしてるよね」
梓もくるみちゃんも、いろんな人と話すという点では似ている。友達も多いんだと思う。
けど、くるみちゃんに比べて梓は接しながらも一定の距離を保っているような感じがあることには隆之くんも気づいているらしい。もう結構長い付き合いだもんね。
「柚木は友達を作ろうとしてるって感じだけど、秋名は何ていうか、上手くやろうとしてるって感じ?」
「ああうん、言いたいことはわかるよ」
「陽菜乃はさ、その二人とも違うタイプだろ?」
「そう?」
あんまり自分のことを考えたことはないから、そこはよくわからないなとわたしは首を傾げた。
「陽菜乃は二人ほど積極的じゃないと思うんだよ。誰とでも話すし仲良くなれる点は一緒だけど」
「あー」
そう言われれば、そうなのかな?
考えてみたけれど、あんまり意識してないからやっぱりわからなかった。
「ここまでは前置きなんだよ。俺が話したいこと……ていうか、訊きたいことはここから」
「うん」
なんなんだろう。
隆之くんにしては珍しい話し方に、わたしは少し緊張してしまう。
梓の話なのかな。
くるみちゃんの話?
わたしの話かもしれない。
「陽菜乃と秋名って、どういう流れで友達になったんだ?」
「へ?」
わたしは隆之くんの思いもよらぬ疑問に間抜けな声を漏らしてしまう。それを見た隆之くんはさらに言葉を続けた。
「いや、なんか想像つかなくてさ。教室の中で会話をするのは分かるんだよ。ただ、そこから仲良くなって今みたいな関係になったのは、なんでなんだろって思ったんだ」
「それは梓にも訊いたの?」
「まあ、一応。答えはだいたい予想できてたけど」
「なんて?」
わたしが訊くと、隆之くんは呆れたように息を吐いてから口を開いた。
「忘れちゃったって。絶対忘れてない顔で言ってきた」
あはは。
梓らしいというか、なんというか。
けど、そうか。
梓との出会いか。
「別に面白い話でもないと思うけど?」
「いいよ。話してくれるなら」
今日の帰り道デートのトピックはこれで決まりかな。
わたしはそう思いながら、どこから話そうかと考える。
「えっとね」
*
新しい環境に足を踏み入れる瞬間というのは、何度目であってもすごく緊張するもので。
同じ中学出身の子はいたけど、そこまで話す人じゃなかったから実質一人みたいなものだったから、新しい学校生活にこれからやっていけるかという不安を抱いていた。
新しいクラスに馴染めるかも。
新しい友達ができるかも。
勉強についていけるかも。
いろいろ不安だった。
けど。
その中で一つだけ期待していたこともあった。
『あ』
教室に入って、ぐるりと中を見渡した。これから一年間、一緒に過ごす人たちの顔を眺めてみたのだ。
その中に彼はいた。
入試の日に出会った名前も知らない男の子。
そう。
つまり、隆之くんだ。
あのときは本当に感動したというか、興奮したというか、感情がぶわーってなったなぁ。
なんて。
そのときのことを話し出すとキリがないので残念だけど割愛させていただきまして。
なんだったっけ。
えっと。
そう。
友達ができるかどうかという不安を抱いていたわたしだけれど、それはすぐになくなった。
普通に話しかけてくれたクラスメイトがいて、その子たちと仲良くなったから。
そこから、さらに交友関係は広がっていって、困らないくらいには友達ができた。
わたしが梓と初めて話したのはそのあとのこと。
友達といるときもそうだし、一人のときはなおのことだったけど、わたしはその頃から隆之くんのことを目で追っていた。
今ほどあからさまにじゃなくて、あくまでもちらちらと、振り返る風を装ったりして彼の姿を視界に入れていた。
話すタイミングを伺っていたと言ってもいい。
あれは五月くらいだったかな。
放課後にたまたま教室に忘れ物をして、それを取りに戻ったとき。
『……』
教室の中には生徒が一人。
隆之くんだけが残っていた。
自分の机に座って、気だるげに何かを書き込んでいた。日誌かなにかかな、と思いながら、わたしはドアのところから彼を眺めていた。
何だか、入っていく勇気が沸かなかったのだ。
そのとき。
『何してるの?』
後ろから声をかけられた。
振り返ると肩辺りまで黒髪を伸ばしたメガネの女子生徒がいた。
その女子生徒こそ、秋名梓だ。
『え、あ、や』
わたしは突然声をかけられたことに動揺して、言葉を上手く出せなかった。
梓は、何動揺してんだ? みたいな感じで教室の中を覗き見た。
『あれって、誰だっけ』
当時からいろんな生徒と交流していた梓だけれど、隆之くんとはまだ会話をしていなかったらしく、名前を覚えてすらいなかった。
そもそも、わたしともこれがファーストコンタクトみたいなものだったけれど。
『日向坂さん、なんで入らないの?』
『えっと、なんとなくー?』
すすす、と視線を逸らす。
たぶんわたしは嘘をつくのが得意ではない。というか、嘘を隠すのがとにかく下手くそだ。
そんなわたしの反応を見た梓は怪訝そうに眉をひそめた。
『これだけ可愛い日向坂さんがあの地味な男子生徒を……?』
わたしのたった一回のリアクションを見ただけで、梓はおおよそを察してしまったようで。
『あ、あの』
『心配しないで。余計なことはしないからさ』
とても余計なことをしそうな顔で、梓はそんなことを言った。
そんなことがあった翌日には、当たり前のように話しかけてくるようになって。
『ねえ、日向坂さん。昨日のドラマ観た?』
気づけば、距離が近くなって。
『陽菜乃。志摩とは話せたの?』
いつの間にか、隣にいるのが当たり前になった。
『良かったじゃん。それは妹ちゃんに感謝だね』
特別なことは何もなかったけれど。
一つ、きっかけを見つけるとしたら。
それはきっと。
*
「それって」
「うん、そう。わたしが隆之くんを見ていたから、梓は話しかけてきた。だから、あえて何がきっかけだったかというと、隆之くんなのかもね」
わたしの話を聞いて、隆之くんは納得したような顔をしていた。
彼の中で何と何が繋がったのかは分からないけれど。
「けど、それだけで今みたいな関係になるか?」
そう言って、隆之くんは眉をひそめた。
友達なんて気づけばなっているものだと思う。大半はそんな感じで、気づけば仲良くなっている。
わたしと梓もそんな感じだとは思うんだけど、でも、何もなかったかと言われるとそんなことはなくて。
「んー、まあ、一回だけケンカ……というか言い合い? でもなくて、わたしが一方的に怒ったことはあったかも」
「陽菜乃が?」
「うん」
隆之くんは驚いたように目を丸くしていた。そんな隆之くんも可愛いから好きだ。
まあ、わたしはあんまり怒ることがないから、驚くのも無理はないかな。
「梓は勘がいいから、わたしの気持ちなんてすぐ気づいちゃって。それからは事あるごとにいろいろと訊いてきたの」
「秋名が?」
「うん、まあ」
へえ、と隆之くんは意外そうな声を漏らした。
梓は人との距離をすごく測ろうとするから、そんなことを気にせずにズケズケと話しかけてきたというのがイメージと合わなかったんだろうな。
「あんまりね、面白がられるのをよく思わなくて、それで言ったの。からからわないでって」
男の子も女の子も、中学生くらいから恋愛沙汰には興味を持つし、人の恋愛事情となるとなお面白く感じる。それはそういうものだから、無理もないことなんだろうけど。
けど、やっぱりそれを良く思わない人のほうが多いような気がする。
隆之くんへの気持ちは大切なものだったから大事にしたくて、誰かの笑いのネタにされると気分が悪いし、変に触れてほしくなかった。
その感情には、まだ名前がついていなかったけれど、それでも大切な気持ちであることは確かだったから。
「でもね、そのときに梓が、からかってないよって言ってきたの」
今でも忘れないなあ。
頭の中にぷかぷかとあのときの記憶が蘇る。
『からかってるんじゃないよ。本当に素敵だと思ったから、だから知りたいと思ったの。けど、それで不快な思いをさせたのなら、ごめん』
真剣な眼差しで。
まっすぐにわたしを見ながら。
だから、梓の気持ちが伝わってきた。
『日向坂さんみたいな恋愛してる人、なかなかいないんだもん』
『そうかな?』
『うん。少なくとも私には無理。だから凄いと思ったし、応援したいと思ったの。こんなこと思ったの、初めてなんだよ?』
ほんとにそうなんだって思ったから。
この子になら、話してもいいかなって不思議と思えた。
「たしかその日じゃないかな、わたしたちが名前で呼び合うようになったのは」
つまり。
わたしと梓が友達になった日だ。
話し終えると、隆之くんは「ふうん」と小さな相槌を打った。その声色からは彼の考えは伺えない。
「あんまり面白い話じゃなかったでしょ?」
「いや、そうでもないよ。有意義な話だった」
別に自分自身が面白くもないたわいもない話だと思っているから、隆之くんのリアクションは意外だった。
気を遣った反応にも見えなかったから、たぶん本音だろうし。
「陽菜乃の知らないことを知れる話は、俺にとって大抵有意義だよ」
そう言って、隆之くんはにこりと笑う。
そんな話をしている間にこの帰り道デートもいよいよ終わりがちらついてしまう。
惜しいなあと思うけれど、それはいつも思っていることだから。
もうちょっと話したいなと思いながらさよならすると、次に会ったときの喜びが大きくなるのだ。
だから今日のところはここまでだ。
「今度は隆之くんの、わたしの知らない話を教えてね?」
「だいたいのことは知ってると思うし、もし知らないことがあったとしたら、それこそどうでもよすぎる話だと思うけど?」
「それでもいいよ」
だって、とわたしは続ける。
もう言葉にしなくても隆之くんはわたしが何を言うのか分かっているだろうけど。
それでもわたしは言葉にして届ける。
「その話はきっと、わたしにとって有意義なものだから」
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