第332話 番外編⑥『憎悪と嫉妬』
可愛いねって言われて生きてきた。
自分でも可愛いことは自覚していたし、それを最大限活かす生き方をしてきたつもり。
ずっと一番だった。
私は確かに、誰よりも可愛かった。
なのに。
『この学校面白いことしてるよね』
『夢梨なら一位確定じゃない?』
『そんなことないよ。私より可愛い子、いっぱいいるもん』
『ええー絶対一位だよ!』
『あーしもそう思う!』
言いながら、私もそう思っていた。
結果は二位だった。
僅差とかではなく、圧倒的得票差で彼女は一位の座を勝ち取った。
『日向坂、陽菜乃……?』
私はその名前を忘れることはないだろう。
*
「……暇だ」
図書委員になった。
何かしら委員には属さなければならないので、ならばせめてマシなものがいいと思って、自らこの道を選んだ。
読書は嫌いじゃないから。
図書委員は月に二度から三度、昼休みまたは放課後の図書室当番をさせられる。
それ自体は面倒だけれど、図書委員の仕事さえしていれば他の時間は程度を弁えれば何をしていてもいいのでそこまで苦痛ではない。
俺の場合は主に読書だけど、最近は勉強もする。受験生だしな。
図書委員の仕事は貸出返却の対応と部屋の施錠。あとは定期巡回くらいで、ほとんどが空き時間なのだ。
「そうね。じゃあ、私とお話してくれる?」
「それは構わないけど」
図書委員は一クラス男女一名ずつ選ぶ必要があり、そのペアで当番を回していく。
三年六組からは男子が俺、女子は霧崎夢梨が立候補した。
「何か話題はないの?」
猫目、というべきかつり上がった瞳は第一印象では怖さを覚えるけれど話してみると彼女が放つ雰囲気は非常に柔らかい。
親しみやすいギャルとでも表現すべきか。
「そう言われてもなあ」
とはいえ、何か一つくらいは考えたほうがいいだろうと俺は頭を動かす。
そして、ふと思った疑問を口にする。
「霧崎さんはなんで図書委員に立候補したんだ?」
見た目だけで考えれば確実に図書委員というタイプではない。じゃあどういうタイプなんだよと言われると困るけれど、少なくとも図書委員ではない。
「そんなに不思議?」
「ぶっちゃけ」
「まあ、見た目だけで言えばそう思うのも無理はないのかな」
くすり、と霧崎さんは人懐っこい笑顔を見せた。
「なんでだと思う?」
問われて、俺は考えた。
わざわざ問題にしてくるということは答えは想像通りではないということか。
うん。
思いつかないな。
「その見た目で実はめちゃくちゃ読書家だったり?」
「はずれ。申し訳ないけれど、本は人並み程度にしか読まないの」
「人並み程度には読むのか」
その時点で十分に驚きだ。
しかし、だとしたらなんだと言うのだろう。もう少し考えてみたけれど、結局これといったアンサーは思いつかなかった。
「降参だ。正解を教えてくれ」
「志摩君と仲良くなりたかったのよ」
「はえ?」
彼女の予想外のアンサーに俺は一瞬思考が停止した。我ながら馬鹿みたいな声を出したものだ。
「な、な、なんで?」
動揺のあまり声が上ずってしまう。
まさかそんなことを言われるとは思っていなかったので、頭が全然上手く回ってくれない。
そんな俺の姿を見て、霧崎さんはくすくすと笑う。
「去年同じクラスだったのに、あんまりお話していなかったから。柚木ちゃんや秋名ちゃんとは話すのに、君と話さないとはおかしいかなって」
ああ、そういうことか。
三人の中に一人、あまり話さない奴がいると輪の中に入りづらいもんな。ましてそれが男子なら尚か。
けどそれでわざわざ同じ図書委員を選ぶかね。よほどのもの好きと見た。
「なるほど。確かに、同じ委員ならこうして話す機会が増えるわけだもんな」
「そういうこと。だから、仲良くしてね?」
「あ、ああ……」
考えろ、隆之。
これはアウトか? セーフか?
以前、榎坂に注意されてからは異性との接し方について考えるようになった。
まさか俺がそんなことについて考える日がくるとは思わなかったけど、そうなった以上は頭を悩ませるしかない。
既に友達である女子を露骨に避けるのは良くないという結論に至り、それは陽菜乃にも話して許可を貰っている。
けど、これから新しく仲良くなるのはどうなんだろう。
あ、あれか。
彼女がいると伝えておけばいいのか。
いいのか?
「あのさ、霧崎さん……」
俺がそのことについて話そうとしたときだった。図書室のドアが開いて中に生徒が入ってきた。
それもよく知った顔だ。
「に、兄さん!?」
鳴木高校の制服に身を包んだ我が妹、梨子だった。校内で顔を合わせることは珍しい。
高校でも俺のことは兄さんと呼んでいるようだ。
「梨子か」
友達二人を連れて梨子がやってきた。
制服姿は毎日見ているのでもはや新鮮さはないけど、こうして校内でエンカウントすると同じ学校なんだなーと改めて実感する。
連れている友達が女子であることに安堵した。もしこれで男がいたら俺の精神はどうなっていたことか。
「これが梨子のお兄さん?」
「へえー、思ってたよりずっとイケメンですね!」
梨子の友達AとBがカウンターの前までやってきて、俺の顔をまじまじと見てくる。
さすがに照れるんだが。
「あ、赤くなってるかわいいー」
「あたしお兄さんタイプかもー」
きゃっきゃと楽しそうにはしゃぐ友達に俺はどうしていいか分からずたじろいでしまう。
俺は今、歳下の女の子二人に弄ばれている。うう、こんなときに上手く返せない自分が憎い。
「こらこらっ、離れて! 兄さん彼女いるから! それもめちゃくちゃ可愛い人だから!」
梨子が二人をカウンターから引き剥がす。友達二人は楽しそうに「ざんねーん」と言いながら、梨子に引っ張られていた。
「兄さんも陽菜乃さん以外の女の子にデレデレしないの。報告するよ?」
「うす」
それだけ言って、梨子は図書室の奥の方へと行ってしまった。あいつ、本とか読むんだな。家ではあんまり読んでるとこ見ないから意外だ。
しかし、怖いなあ最近の若者は。
距離の詰め方おかしいんだもの。彼女がいてもあの勢いで来られたら何も言えないよ。
「あれ、妹さん?」
「ああ」
霧崎さんの問いに俺は頷く。
ふうん、と呟いたきりその話題についてはそれ以上続けることはなく、沈黙が続くかと思えば彼女は再び口を開いた。
「そういえば、日向坂ちゃんと付き合ってるのよね?」
「え、ああ、そうなんだよ。そっか、同じクラスだったし知ってるか」
わざわざ言う手間が省けて良かった。
そもそもを言えば少し躊躇っていたのだ。
こちらから『俺、彼女いるんだよ』と言えば、それは『だからお前とは付き合えないから』みたいな意味に捉えられかねないのではないだろうか。
どんだけ驕ってんだよってなる。
俺ごときの男にそんなこと言われるなんて、女子からしたら屈辱だろうしな。
「もちろんよ。あれだけ周りがはしゃいでいればね。こうして話していると、日向坂ちゃんが君を選んだ理由も少し分かるような気がするわ」
「そう?」
今までのやり取りに俺の良さ出てただろうか。そもそも俺の良さってなに?
霧崎さんなりの冗談とかかな、くらいに受け止めて俺は軽く流すことにした。
俺は冗談を冗談として捉えられる人間なのだ。
「ええ。少しだけれど、志摩君のことを理解できた気がする」
ふふ、と笑い霧崎さんは楽しそうに目を細める。
「ほんとう、仲良くなれると思う」
*
委員がある日はさすがに待ってもらうのも悪いので別々に帰ることにしているんだけど、今日は陽菜乃の方も別に用事があって残っていたらしく待ってくれていた。
今日は一緒に帰れないと思っていたので嬉しい限りだ。
が。
「そういえば、後輩の女の子にデレデレしてたんだって?」
校門を出たところで陽菜乃が満面の笑顔で言ってくる。わたしは全然怒ってないよというアピールが逆に怖い。
梨子ちゃんってば情報漏洩の速さが凄まじいよ。
「いや、別にデレデレしてたわけではなくて」
すっと視線を逸らす。
すると陽菜乃は、逃がすものかと俺の顔を両手で掴んで自分の方に向ける。
自然と足は止まり、俺と陽菜乃の顔の距離は触れ合う寸前にまで近づく。
「ほんとうにぃ?」
「ふぉんとぉうれふ」
頬を抑えられているので上手く発音できなかったけど、ちゃんと言葉は陽菜乃に届いたらしい。
言葉と一緒に誠意も届いたのか、陽菜乃は手を放してくれる。
「まあ、それはいいや。梨子ちゃんのお友達が隆之くんになにかをするとは思えないし。梨子ちゃんもついてるからね」
「うす」
なんとか助かったらしい。
梨子が陽菜乃の信頼を得ていてくれたおかげだな。いやよくよく考えたらこの原因あいつだわ。
「じゃあ次の質問だけど、霧崎さんと楽しそぉーにお話してたらしいね?」
助かってなかった。
梨子ちゃんってばホウレンソウをちゃんとできる子。ここまで迅速に且つ的確に報告できるなら、社会に出てもやっていけるね。
「なんでそれを……あと一応言っておくと、別に楽しく話をしていたつもりはないよ。あくまでもクラスメイトという距離感を保って節度ある会話をしていました」
「隆之くんが饒舌になるのは後ろめたい気持ちがあるとき……」
「そんなことない」
じとーと陽菜乃が半眼を向けてくる。
確かに普通に話してはいた。けどそれだけであって、本当に後ろめたいことは一つもない。
「というか、どうして相手が霧崎さんだと?」
梨子は霧崎さんのことは知らないはずだけど。
だから、女子生徒と一緒にいたというならともかく、霧崎さんの名前が出てくることには違和感を覚える。
「わたしの隆之くんに関する情報収集力を舐めないでほしいね」
「そんなどや顔されても」
陽菜乃はふふんと誇らしげに胸を張る。
おおかた、秋名や柚木辺りからいろいろと聞いているんだろう。
「言い訳になるけど、一応俺なりに気をつけてはいるつもりなんだよ。もちろん、不安を与えたんならまだまだ足りないことになるけど」
異性と二人きりにはならないようにしているけれど、それでもどうしようもないタイミングはある。
例えばそれが、図書委員の仕事のときとかだ。
「けど、図書委員の仕事の最中に終始無言ってわけにもいかないし、クラスメイトだからある程度の交流はやむを得ないというか」
言うの恥ずかしいけどなあ。
でもこれ言わないと多分終わらないし納得してもらえないし、許してもらえないかもしれないしなあ。
「これだけは言っておくけど、陽菜乃と話してるときの方が一〇〇倍は楽しいと思ってる。そこは信じてください」
俺は照れ隠しのように頭を掻きながら視線を逸らした。
さっきまで不機嫌そうな顔を作っていた陽菜乃だけど、俺がそう言うと満足げににんまりと笑った。
そもそも。
そんなに怒ってなかったんだろうけど。
「じゃあじゃあ、そんな楽しい時間をもっと堪能するために、このまま放課後デートしちゃいますか。映画とか行っちゃう?」
鼻歌でもハミングしそうな上機嫌な具合に俺は安堵した。こうして笑顔でいてくれるのなら、いくらでも付き合おう。
「仰せのままに」
どうやら今日は帰りが遅くなりそうだ。
俺は梨子にそう連絡しておいた。
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