第329話 番外編③『三年生』
桜舞う季節。
春が来た。
今日から新学期。
つまり俺、志摩隆之は高校三年生になった。
そして、俺の妹である志摩梨子は高校一年生になったのだけれど。
「お兄はもうちょっとあとで家を出て。先にあたしが行くから」
「なんでだよ。そんな悠長なことしてたら遅刻するだろ。一緒に行く」
「兄妹で仲良く登校してるところ誰かに見られたら笑われるじゃん。絶対にいや!」
「別に悪いことしてるわけじゃないんだからいいだろ。一緒に行くぞ」
「悪いことはしてないけど恥ずかしいことはしてるから。だから別々に行くの!」
「じゃあ梨子があとに出ろ」
「あたしが遅刻するじゃん。初日から遅刻とか印象悪すぎだから」
「お前は俺にそれを強要してるんだが!?」
朝食を食べ終えたにも関わらず、俺たちが出発に至っていないのは梨子が言い出した我儘が原因だった。
お互いがお互いの言い分を主張し合い、このままだと埒が明かない。そんな俺たちを見兼ねてか、優雅な朝を過ごす母が一言。
「さっさと出ないと、二人揃って遅刻になるわよ」
結局。
兄妹仲良く登校することになった。
*
思い返すと高校二年生は本当に楽しい一年間だった。きっと、俺の人生の中で一番楽しい一年だった。そう言い切ってもいい。
いろいろなことがあったな。
そう振り返りだすと、多分時間がどれだけあっても足りないので割愛するとして。
新学期恒例のクラス替えの時間が近づいている。
「じゃあね、お兄。校内で兄貴面しないでよ?」
「なんでだよ。するよ。めちゃくちゃするっつーの」
「いや、ほんとにやめて」
梨子と学校に到着したときには時間に少し余裕ができていた。急ぐというのは素晴らしいことだけど、急がなくても余裕があるのが一番素晴らしいことではある。
ピシャリと冷たく言い放った梨子はそのままスタコラサッサと行ってしまった。
お兄ちゃんと二人でいるところを見られるのは恥ずかしいのか。思春期ってやつかな。俺もお母さんと二人でいるところを見られるのは恥ずかしいし、それと同じだろう。
そんなことはさて置き。
新しいクラスを確認しに行くか。
一年生も二年生も三年生も、クラスが発表される場所はそれぞれ異なっている。
三年生はグラウンド横のスペースに張り出されているらしく、俺は一人でそっちに向かった。
ゆっくり確認したかったけど、案の定その場所にはわらわらと人が集まっていた。
見終わったのなら退いてくれればいいのに、いつまでも友達と喜びを分かち合っていたりして非常に迷惑である。
しかしそんな彼ら彼女らに『そこ邪魔だから退いてくれ』と言えるような人間ではないので、俺は言葉を飲み込み後ろの方から確認することにした。
一組の方から順に見ていくのがセオリーみたいな風潮はあるけど、そっちの方は人が多かったので七組から見ていくことにした。
「わっ」
「うおッ」
七組をちょうど見終えたタイミングで後ろから悪意たっぷりに声をかけられる。
驚き、振り返るとそこにはしてやったという感じで笑う柚木がいた。
「なにするんだ」
「あはは、ごめんごめん。なんか真剣な顔してたからついね。自分のクラスは分かった?」
「いや、まだ。柚木は?」
「あたしはもう見たよ。ついでに言うと、隆之くんのクラスも把握してます」
「同じクラスだったり?」
「だよ」
まじか。
これで最悪の事態を回避したかと思うと、心の底からほっとする。
これで陽菜乃を含めて秋名や樋渡とも同じクラスだったら言うことないんだけど。
「六組だけど。もう行く?」
「いや、一応見とく」
去年はそれをせずにヒヤヒヤさせられたからな。だからというわけではないけれど、今の俺には確認したい人の名前が何人もいるんだ。
去年のように自分だけ分かればいい、というわけではない。
俺は六組の生徒の名前を上から見ていく。
出席番号順に並んでいるので名前は見つけやすい。けれど、どんなクラスメイトがいるのか気になるので上から見ていくことにした。
見てすぐに『秋名梓』と『雨野瑞菜』の名前を見つけた。まさか三年連続で同じクラスになれるとは。
三年連続同じクラスもあり得るということが証明された。
「あ」
柚木の言うように『志摩隆之』の名前はあった。思わず反応してしまったのはその上にあった『財津翔真』という名前を見つけてしまったからだ。
同じクラスかぁ。
気まずいなぁ。
まあ、いいけど。
どうせ関わることもないだろうし。
なにを言っても仕方ないからな。気を取り直して続きを見ていこう。
サ行が終わり、タ行に突入する。
そのままナ行に入り、ついにハ行へとたどり着く。
日向坂陽菜乃。
樋渡優作。
二人ともハ行だ。
ここに二人とも同じクラスならば言うことはないんだけど。
「……」
そこに、彼女たちの名前はなかった。
*
見慣れない景色に、見慣れない人たち。自分の学校のはずなのに、不思議と感じるアウェイ感。
少なからず知っている顔があるのが幸いだけど。
「残念だね、陽菜乃ちゃんと別々になっちゃって」
「まあ、そうだな」
「あれ、意外とそうでもない?」
俺のリアクションが予想外だったのか、柚木が首を傾げた。
もちろん残念だとは思っているし、名前がなかったときは絶望のようなものを目の前に感じた。
できることなら同じクラスが良かったと思うけれど。
「いや、残念は残念だよ。ただ、まあ、こういうこともあり得るとは思ってたし、クラスが離れても会えるから」
去年はそうじゃなかった。
俺と陽菜乃の関係性は限りなく不安定で、なにか一つのことをきっかけにどうにでもなってしまうような気がしていた。
だから違うクラスになることを恐れたし、同じクラスだったときには心底安堵した。
けど今はそうじゃない。
俺と陽菜乃の間には確かな絆がある。
「言うようになったねぇ」
このこの、と柚木が肘で攻撃してくる。それ意外と痛いんでやめてもらってもいいですかね?
そんな俺たちの様子を見ていた秋名がやれやれと溜息をつく。
「そんな悠長に構えてていいのかな?」
「どういう意味だ?」
「考えてみなよ。陽菜乃は誰もが見惚れる容姿をしていて、さらに文句なしに性格もいい。そして誰とでも話せるコミュ力もある」
「それが?」
そんなの今さらだ。
「陽菜乃ってモテるんだよ」
それこそ今さらだ。
彼女はモテモテランキングの一位を見事に獲得するような女の子だ。そんなの最初から分かっている。
「去年はみんな、志摩と陽菜乃のことを応援してたよね。それは二人の関係を周りが理解してたから。まどろっこしいやり取りに、はよ付き合えやって思ってたからだよ」
「そんなこと思ってたのか」
「けど今年はそうじゃない。陽菜乃に彼氏がいることを知らない人の方が多い可能性もあるんだよ?」
「……」
秋名の言いたいことを何となく理解した。
つまり彼女は陽菜乃のことを狙ってアプローチをしてくる男子が現れるかもしれないと言っているわけだ。
そう言われると不安になるな。
「悠長にって言うけど、じゃあどうしたらいいんだよ?」
「さあね。逃さないよう、首輪でもつけとけば?」
「……」
首輪とか、そんなの絵面的にアウトだろ。
けど、まあ、そういうのも悪くないゲフンゲフン。その光景を想像してしまい、俺の中のいけない感情が暴れそうになる。
お願いしたら陽菜乃は断らないんだろうなぁ。
「最近志摩も冗談通じないんだよね」
「ラブラブな証拠だよ」
二人してそんなに呆れなくてもいいのに、と俺は我に返る。危うく妄想の世界へ旅立ってしまうところだった。
「相変わらず三人は仲良いね。私、友達とクラス離れちゃって困ってるんだよ」
そんな俺たちのところへやってくる女子がいた。
長い黒髪の先はピンク色のメッシュが入っており、ウェーブがかかっていてうねうねしている。
つり上がった目と小さな鼻、唇はぷくりとしていて色っぽい。化粧は自分の良さを理解した施し方をしている。
髪に隠れている耳がちらと見えるとピアスがきらりと光る。シャツのボタンは大胆に開けられていて、スカートは必要以上に短い。
なんというか、ギャルって感じ。
去年同じクラスだったのは覚えているけれど、関わりがなかったから名前が出てこない。
なんだっけな、と悩んでいると柚木が彼女の言葉に反応する。
「夢梨ちゃん。同じクラスなんだね、よろしく」
夢梨……。
分からん。
「柚木ちゃんも秋名ちゃんも、仲良くしてね」
困っている、と言うわりにはそうは見えない雰囲気がある。友達がいなくて困っているやつはもっと焦るんだぜ。ソースは俺。
彼女の言葉に柚木と秋名は「もちろんだよ」「よろしくー」と軽い調子で返している。
女の子同士ってすぐ仲良くなるよな、などと考えているとその女子生徒がこちらを向く。
「話したことなかったよね? 私、霧崎夢梨。よろしくね、志摩くん」
霧崎、夢梨か。
「よ、よろしく」
俺を見ながら、ぺろりと唇を湿らせた彼女の妖艶な表情が強く印象に残った。
そんなことより、男友達作らなきゃまずいなこりゃ。
*
その日の放課後。
俺は陽菜乃と一緒に帰宅する。
クラスが離れてもこういう時間は変わらない。むしろ、一緒にいられる時間が減ってしまった分、大事にしないとと思わされる。
「一緒のクラスが良かったよぉ」
ううう、とごねる子どものように体を揺らしながら、何度目かも分からなくなった言葉を繰り返す。
「仕方ないから諦めよう。クラスが離れても、こうして会えるわけだし」
「隆之くんが大人だよ……。理解のある人になっちゃった」
「俺だって同じクラスが良かったとは思ってるよ。でも、こればっかりはな」
たわいない話。
陽菜乃といる時間は楽しくて、心地よくて、気づけばあっという間に終わりの時間が訪れてしまう。
一緒に帰る、と言っても俺は自転車で彼女は電車。ゆっくり歩いても十五分程度しかないのだ。
これは本格的に電車通学を考えたけど、定期代のことを考慮すると親の説得が難しそうだ。毎日雨が降ればいいのに。
陽菜乃は駅の到着に残念そうな顔をする。そして僅かな時間、なにかを考えたのちに顔を上げる。
笑顔だった。
「寄り道しよ?」
「寄り道?」
「そう。ケーキ食べに行こうよ! さすがにこれじゃあ隆之くん成分を補充できないよ」
「なにその成分」
もしかして俺が陽菜乃といることで補充している陽菜乃成分と似たようなものなのだろうか。
それがつまり何なのかというと、明日を生きる活力である。なんだそれ。
「ね? いいでしょ? 行こうよ! 美味しいよ? 絶対美味しいよ! 隆之くんともっと一緒にいたいなぁ。あーんってしてほしいなぁ。美味しいケーキ食べたいなぁ? 隆之くんも食べたいと思うんだけどなぁ?」
ちら、ちら、と俺の顔を見ながら陽菜乃は楽しそうに言葉を紡ぐ。別にそこまで言われなくても寄り道くらい全然するのに。
「俺も同じ気持ちなんだし、断ったりしないよ。行こうか」
「うんっ」
クラスは離れてしまったけれど、俺たちは何も変わらない。
むしろ、離れてしまったことで二人の時間をもっと大切に感じるようになった。
だからきっと、大丈夫だ。
「あーんはしないけどな」
「ええー」
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