第301話 兄妹の時間は変わらない①


 大事なことを忘れていたことに気づいた翌日のこと。

 いつものように学校を終えた俺は帰宅して自分に課したノルマをこなす。


 午後六時。

 俺は自分の部屋を出てリビングへと向かう。テーブルの上には一枚の紙が置かれていた。

 

『今日は遅くなるから二人でご飯食べといて』


 手に取り再びそれを読み上げる。

 目立つように置いてあったので梨子もさすがに目にしただろう。

 

 共働きである志摩家では時折、こういうシチュエーションが訪れる。

 梨子は基本的に料理NGなので俺が適当に作るか、コンビニやスーパーで適当に買ってくるか、デリバリーを頼むか、だいたいいつもその三択だ。


 デリバリーは一番高くつくが楽だ。

 適当に買ってくるというのはデリバリーに比べるとコストを抑えることができるが、買いに行く手間がある。悪天候だったりすると妥協してデリバリーに走るが、だいたいがこのパターンに落ち着く。


 梨子はほとんど料理をしない。なので俺が作ることが多い。まあ作ってもいいかという気分の日は適当に買い物に行って簡単なものを作る。

 これが一番コストがかからない。余った分はデザートに使うなり、二人で分けるなりをする。


 なので、実は二人でご飯を食べに行くという機会はあまりない。


「おい、梨子。入るぞー」


 今日は外食という方向に持っていきたい。なぜかと言うと、陽菜乃へのプレゼントを購入する時間が欲しいからだ。


 いつもの仕返しではないけれど、たまにはこっちからしてやろうと返事を待たずに入室してやる。


「……」


「……」


 俺の想定では梨子は勉強机に向き合い、絶賛勉強中で『もうお兄、ちゃんとノックしてよー』みたいな感じで言われるから『お前がいつもこうしてるんだろ』と言い返してやるつもりだった。


 が。


「なんでこんな時間に着替えてんの?」


 梨子が帰ってきたのは随分前だ。

 そこから騒がしいこともなく姿も見えなかったので部屋で勉強しているものだとばかり思っていた。


 俺が部屋に入ると、ちょうど梨子は制服を脱ぎ捨て下着姿で着替えを手にしていた。


 中学三年生らしいスタイルなのだろうか、スレンダーな体型をしている。白色の下着にはフリルがついていて、可愛い感じになっていた。


「おい、ちょっと下着派手じゃないか?」


「は?」


「この前までもっと飾りのないやつだったじゃないか」


「なんで妹の下着把握してんの!? キモいよ!」


「そんなもんベランダに干してんだから視界に入るだろ!」


「ていうか詰め寄ってこないで! さっさと出てってよ!」


「そんなこと今はどうでもいいだろ!」


「よくないわっ」


 ぺちん。


 ビンタされた。


「……ごめん。ちょっとおかしくなってた」


「だいぶおかしくなってたの間違いでしょ? もういいからさっさと出てって」


「ああ」


 梨子も見えないところにまで気を遣うような歳になったのか。

 俺からしたらいつまで経っても子どもだけれど、あれでももう来年からは高校生だもんな。


 さすがに子どもパンツじゃ友達に馬鹿にされるか。


 俺は妹の成長を感じ、部屋を出てしんみりとしてしまう。嬉しいような寂しいような、不思議な感覚だ。


「なんで部屋の前で立ってるの?」


 グレーのニットにショートパンツ、それとタイツだろうか。服を着替えた梨子が部屋から出てきて、すぐそばに立っていた俺に訝しむ視線を向けてきた。

 

「それはいいじゃないか」


「いや、良くないんだけど……キモいし」


「そんないつでもどこでもキモいとか言うなよ。友達なくすぞ」


「お兄以外には言ってないから大丈夫」


「お兄にも言うな」


 なんでお兄には何でも言っていいシステムなんだよ。家族にももうちょっと優しくしたほうがいいと思います。


「それで、なにか用だった?」


「ああ、そうそう。今日の晩飯の話見たか?」


「うん、見たよ。お兄作ってくれるの?」


「いやお兄今日は気分じゃないんだよ」


 俺が答えると梨子はぶうと不満げに唇を尖らせた。どうやら梨子的には今日はお兄の手料理を所望していたらしい。さては金欠だな?


「じゃあどうするの? まさか買いに行けなんて言わないよね?」


「言わないよ。今日は外に食べに行こうと思うんだけど」


「はあ? お兄と外食とか恥ずかしいんだけど」


「お前たまに買い物付き合わせるじゃないか。恥ずかしいとは何事だ」


「友達に会ったりしたらどうするの?」


「それは買い物のときにも言えることだろ。買いたいものがあるんだよ。だから、ついでに外で食べようと思って」


「じゃあその帰りに何か適当に買ってきてくれればいいよ」


 どうやら本当に面倒な様子だ。

 まあ別に無理にとは思わないし、梨子がそれでいいと言うのなら俺だってそれで構わない。


 一人のほうがゆっくり考えれるしな。


「陽菜乃へのクリスマスプレゼント買う予定だから、帰りが何時になるか分からんぞ」


 梨子に隠すことではないので、俺は今日の予定を口にしておいた。迷いに迷えば帰りの時間は八時を過ぎる可能性だってゼロではない。


 遅くなることも覚悟しとけよ、という意味で言ったんだけど梨子はやれやれという感じの溜息をついた。


「仕方ないなあ。ほら、さっさと行こ」


「なんで急に乗り気?」


「お兄が変なもの買って陽菜乃さんに幻滅されないようにしないと」


「別に変なもの買う予定とかないんだけど」


「お兄の感性は信用できないから」


 どうやら梨子さんついて来てくれるらしい。


 ぶっちゃけ一人で買うのは大変だと思っていた。

 女の子へのプレゼントを買うことがこれまでにほとんどなかったし、二人きりにはなれないから秋名や柚木を頼ることもできない。


 その結果、梨子に白羽の矢が立ったわけだ。


「言っとくけど、あたしへのクリスマスプレゼントも弾んでよね?」


「有意義なアドバイスができればな」


「なんでお兄の方が偉そうなの!?」


 そんなわけで、梨子とイオンモールへと向かうことになった。

 一度準備してくると部屋に戻った梨子はもこもこの上着を羽織り、マフラーと手袋を装着して再登場する。


「それ、もう古くなってきたんじゃないか?」


「ん?」


 水色のマフラーと手袋は随分前からつけている。いつからだったかは覚えていないけど、梨子か小学生だったのは確かだ。


「そうだね」


「買い替えたら方がいいんじゃないか?」


「……別にいいの。まだ使えるもん」


 古いものを嫌がるというか、新しいものを欲しがる梨子にしては珍しい発言だなと思った。


 まあ、梨子には梨子の考えがあるのだろうし、俺がとやかく言うことはないんだろうけど。

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