第255話 今日の京都の恋模様㉓


「お、おお。奇遇だな?」


 俺はゆっくりと立ち上がり、服についた砂をパンパンと払いながら、できるだけ自然な感じで言った。


「志摩はこれを奇遇と言えてしまうんだ?」


 あくまでも普通の返しだ。

 けれど、その言葉の裏側には『すべてお見通し』のような意味合いが含まれているように感じた。


「いや、まあ、な?」


「志摩はホントにアドリブに弱いねえ」


 やれやれ、とやっぱり呆れられてしまう。

 自分でも分かっているさ。

 咄嗟の反応が上手くできないってことは。


「それで?」


 秋名はついてきな、というように歩き出す。俺はそれについていき、さっきまで木吉がいた川辺に移動した。


 その道中。


「どこまで気づいてた?」


「んー? なんのことかな?」


 これがとぼけているのか、素なのかは分からない。秋名梓の本心というものが覗けないから。


 そもそも。


 別に悪いことをしていたつもりはない。一人の人間の恋をただ応援しただけなのだ。


 だから俺は話すことにした。


「いろいろあってな、木吉に協力してた」


「そう。志摩は木吉と私が付き合えばいいって思ったんだ?」


 いつもの調子はどこへやったのか、そう口にした秋名はいつにも増して大人しかった。


「そうは言ってない」


「というと?」


「俺たちが何をしようと決めるのは秋名だろ。もしかしたら馬が合う可能性だってあった。だから、する前から否定っていうのも違うと思ったんだ」


 そか、と秋名が小さく言う。

 そのとき、風が吹いた。

 秋の夜は少し冷える。朝もそうだったけど、ずっとこうしていると体が冷えそうだ。


 しかし、秋名はまだ帰る素振りを見せない。


 だから俺は問うた。


「何で断ったんだ? 木吉はうるさいけど、悪い奴じゃないと思うけど」


「悪い奴じゃないことが、イコールで良い奴になるわけじゃないでしょ?」


 しかし、秋名はそう即答した。

 良い奴というほど良い奴ではなくて、悪い奴というほど悪い奴でもない。

 だから、良い奴という言い方はせずに悪い奴ではないという言い方をした。


 それは事実だ。


 別に木吉がそうだと言っているわけではなくて、ただ無責任に良い奴と言えるほど俺はあいつのことを知らないだけ。


「まあ、そんなこと関係なく断っていただろうけどね?」


 言いながら、秋名は空を見上げた。

 憂いを帯びた表情はなにを見ているのかと、俺も同じように空を見た。

 雲一つない満天の星空だ。望遠鏡でもあれば天体観測ができたかもしれない。


「どうして?」


 まるで誘導されたように、俺はその言葉を口にした。


「私が人を本気で好きになれないから」


 ちら、とこちらを見た秋名と目が合った。冗談を言っているようには見えない。いつもの調子はそこになかった。


「よく分からん」


 別にそんなの分からないじゃないか、と思う。


 俺は榎坂との一件があって、異性に対して苦手意識を持っていた。そんな俺が誰かを好きになるなんて有り得ないだろうとさえ思っていた。

 にも関わらず、いつしか一緒にいた陽菜乃のことを好きになっていた。


 つまり恋心なんて、どうなるか分からない。


 なのに。


 どうして彼女はそんなことを言うんだろう。


 そう思うことは仕方ない。

 俺だってそうだったから。


 そうではなくて。


 秋名梓はのか。


 それが分からないのだ。


「話してあげよっか。少しだけ、昔話」


「秋名の?」


「そう」


 俺は一瞬だけ、動揺して言葉を詰まらせた。


 だって、秋名がそんなことを言うとは思ってなかったから。


 思い返してみると、秋名は自分のことを語ったことなんてほとんどなかった。

 もしかしたら、一度もなかったかもしれない。


 自分に向いた質問の矛先はするりと躱し。あるいはその矢印を別の誰かに向けていた。


 彼女はとにかく、自分のことを話さなかった。だからこそ俺は秋名梓という人間の本心を覗き見ることができなかったのだ。


 そんな秋名が。


「なんで急に?」


「気まぐれだよ。修学旅行の夜の雰囲気に当てられただけ。嫌なら話さなくてもいいんだよ? 陽菜乃でさえも、誰も知らない私の話」


 ごくり、と俺は生唾を飲み込んだ。


「いや、聞かせてくれよ」


 俺が言うと、秋名が僅かに口元に笑みを浮かべて、そして話し出す。

 

「あのね」


 俺をまっすぐ見つめるその瞳は、けれど俺を通してなにか別のものを見ているようにも思えた。


「自分で言うのもなんだけどさ、私って結構冷めた性格してると思うんだよね」


「まあ、そうなのかもな」


 中学生の俺も似たようなものだった。

 周りの温度についていけず、一人でいることが多かったのだ。


 その頃の俺と秋名の違うところは、彼女は別の自分になるのが上手かったというところだ。


 多分、根っこの温度は変わらない。

 けど、そう見せない術を彼女は持っていた。


「だから、同じクラスのバカな男子を好きになるってことはなかったのよ。よくあるじゃん? 大人な男性に憧れるみたいな」


「よくあるのかは知らないけど、聞くことはあるな」


 特に女子に。


「中学生にもなると恋愛ってものにより一層興味を持つし、事実周りではそういう話題が増えた。あの子のことが好きとか、あいつと付き合うことになったとか」


 すう、と息を吸って秋名はさらに続ける。


「なんであんなやつのことが好きなんだろうって思ってた。運動はできるけど勉強はできないし、面白いけどうるさいし、勉強はできるけどつまらないし。そうは思っても口にはしなかったけどね」


「それを口にできる奴はそうはいないだろうな」


 今の秋名なら、あるいはそれさえも可能かもしれないけど。


「それは中学二年生になっても変わらなかった。私は相変わらずそういう話に上辺だけ乗っかって、上手く輪に溶け込んでいたんだけどね。クラスメイトの男子は全然好きになれなかったけど」


 一度言葉を切って、川に向いていた視線を俺の方に戻して、彼女は寂しそうな顔をして言葉を紡いだ。


「そんな私に好きな人ができた」

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