第200話 あなたの隣にいるために⑪


 ビックリした。


 思わず言葉を失った。


 突然、いつでも隣にいるよなんてことを言ってくるのだから、そりゃこっちは動揺する。


 もちろん、そんな意味ではないだろう。もし、告白的な意味だったら、あんな平然と言えるはずがない。


 困ってたら助けるよ、くらいの気持ちなんだろうけど、それでも本当に驚いた。


 俺と陽菜乃は二人で樋渡たちのところに戻っていた。その間、俺たちが交わしたのはたわいない会話だ。


 今日の文化祭のことについてとか、思いついたことをただ話すだけ。その時間でさえも楽しく感じる。


 けれど。

 

 ふと、会話が切れたときに陽菜乃がこんなことを言ってきた。


「榎坂さんに隆之くんの気持ち伝わったかな?」


 視線は前に向いたまま、もうどこかへ行ってしまった榎坂のことを思いながら陽菜乃は口を開く。


「どうだろう。これまでのあいつとは違うように見えたから、大丈夫じゃないかな」


 実際のところ、彼女が変わったかどうかは俺には分からない。それをわざわざ確認しようとも思わない。


 いつかどこかで顔を合わせたときにそのまま変わっていなかったら、多分なにを言ってももう無駄だろう。


 けど。


 言ったように多分大丈夫だ。


 最後に言葉を交わした榎坂絵梨花は、これまでの彼女とは違った。もしかしたら演技という可能性もゼロではないけど、そこも問題ないように感じた。


 事実がどうあれ。


 俺の中で気持ちは整理されたような気がする。だって、これまでとは違う晴れ晴れとした気分だから。


「隆之くんも、なんかスッキリした顔してるね?」


「そうか?」


「うん。夏休みの宿題が全部終わったときみたいな顔してる」


「いやスッキリするけど」


 俺がツッコミを入れると、陽菜乃はおかしそうにくすくすと笑った。


 夏休みの宿題、とは違うけれど。

 ずっと胸につっかかっていたものがようやく取れたのは確かだ。

 俺の中で無意識のうちに課題にしていたものが終わったから、だからスッキリしているのかも。


「文化祭ももう終わりだね」


 陽菜乃が空を見上げる。

 夕陽が世界を茜色に染めていた。秋になって、どんどん日が短くなっている。

 一日があっという間に過ぎていくのは、そのせいだけじゃないんだろうけれど。


「ごめん。俺の勝手な行動のせいで時間なくなっちゃって」


 俺が榎坂を追いかけたから、陽菜乃との時間がなくなってしまった。それを追いかけてきた彼女の時間を奪ってしまったと言ってもいい。


「んーん。気にしないで」


 陽菜乃は優しくかぶりを振った。


「まあ、せっかくの隆之くんとの時間が終わっちゃったのは残念だけどね?」


 とぼとぼと歩きながら、陽菜乃はちらと俺の方を見た。試すような、いやあるいは甘えるような、揺れる瞳に俺の顔が映る。


 陽菜乃は俺との時間を大事に思ってくれていた。

 俺との時間の終わりを惜しいと感じてくれている。


「……今日は終わっちゃうけど、それで全部が終わるわけじゃないよ」


「……」


 陽菜乃はなにも言わない。


 俺の次の言葉を待っているようだ。

 だから俺も勇気を出さなければならない。


 陽菜乃がいてくれたから、俺は榎坂と向き合うことができた。


 そして自分の中で納得のいく終わりを迎えることもできた。


 俺はようやく陽菜乃と向き合える。


 俺も一歩踏み出すんだ。


「また今度、出掛けようよ」


 これからもずっと、彼女の隣にいられるように。


 陽菜乃に相応しい男にならないと。

 陽菜乃の隣にいても恥ずかしくない男でいないと。


 陽菜乃に隣にいてほしいと思ってもらえるように、これからはもっと頑張るんだ。


「それって、ふたりで?」


 ゆらゆらと揺れる瞳。

 彼女の頬が赤く染まっているのは、もしかしたら夕陽に照らされているからかもしれないけど。

 そうじゃなければいいなと思う。


「二人で。デートをしよう」


 今すぐ告白は無理だけれど。


 それほどの勇気は持ち合わせていないし、覚悟も準備もできていないけれど。


 いつか来るその日のために、一歩ずつ前に進んで行こう。


「はい。喜んで」


 朱色に染まる陽菜乃の笑顔を見ながら、俺はそんな決意を胸に抱いた。



 *



「お疲れウェーイ!」


 文化祭が終わった。

 俺たち学生には後片付けという最後の一仕事が残っている。催しが演劇なのでそこまで大層なことではないと思っていたけど、普通に校内の掃除とかさせられた。


 それが終わり、帰りのホームルーム的な目的でクラスメイトは教室に集まる。


 ムードメーカーの木吉大吾を筆頭に陽キャ共が盛り上がる。あいつ、自分らのしたこともう忘れたのかな?


 なんてことは特に思わない。


 いろいろあったけど、結果として良い思い出になったのは確かだし。

 あいつらが、ああやって盛り上げてくれるから教室の中は今日も賑やかなのだ。


 担任が来るまでの隙間時間。

 隣に樋渡がやってくる。


「いろいろとお疲れさん」


「ああ。そういや、沢渡くんは大丈夫だったのか?」


 あのあと、樋渡たちのところに戻る前に連絡があって、沢渡くんを送るから先に戻っててくれと言われたのだ。


 だから、あのあと沢渡くんがどうなったのかは聞きそびれていた。


「なんとかな。落ち込んでたけど、まあ大丈夫だろ」


「大丈夫なのか?」


「だって、志摩も今は大丈夫だろ?」


「……そうだけど。それは」


 陽菜乃がいてくれたからだ。

 秋名が、柚木が、樋渡が、他にもいろんな人がいたから立ち直れた。


「お前の言いたいことは分かるよ。だから大丈夫なんだって」


 ああ、そうか。

 沢渡くんだって一人じゃないもんな。


「とりあえず今度、僕とくるみで慰め会を開いてあげることになった。暇なら志摩も来てやってくれ」


「……ああ」


 樋渡との会話も一段落したところでガラガラと教室のドアを開いて担任が入ってきた。


 全員いるかの確認を行い、軽く話をしてホームルームは終わった。

 各々、荷物をまとめて帰ろうとしていたときのこと。


「明日、みんなで打ち上げしようぜ」


 木吉含めた陽キャグループが教卓で仕切り始める。去年もいたけど、ああいうタイプの生徒って一つのクラスに一人は少なくともいるよな。


 ああいう存在は大事なんだろうけど。


 クラスメイトは乗り気なようでみんなが賛同する。ノリの良い生徒が多いな。


「志摩と日向坂は強制参加だからシクヨロ!」


「なんで」


「主役がいなくて打ち上げができるかよ!」


 木吉に言われて、俺はぐぬぬと唸る。いや、別に参加するのが嫌なわけではないんだけど。


「強制参加は言い過ぎだけど、予定が空いてるなら是非とも参加してくれ」


 イケメン、伊吹がフォローするように甘いスマイルを向けてくる。俺にそんな顔見せてもなにもないぞ。


「そういうことなら、ぜひ」


 俺も。


 俺の周りも。


 少しずつ変わっているんだな。


 去年の文化祭は一人で過ごしていた。まさか一年でここまで変わるなんて思いもしなかった。


 だったら、今年から来年の一年でなにが変わっていくんだろう。

 

「日向坂も来れそう?」


「うん。だいじょうぶ」


 教室の中は一気に打ち上げムードに突入した。仕切るやつがいると、こういうイベントはサクサク進んでいくな。


 俺にはできないことだから本当に感心する。


「楽しみだね、打ち上げ」


 陽菜乃がててっと隣にやってきて微笑んだ。俺は顔が赤くなりそうなのでそっと顔を逸らす。


「そうだな。文化祭が終わっても、まだいろんなことが待ってるんだ」


「うん。楽しみ……だけど」


 曇る陽菜乃の声色にどうしたのかと彼女の方を見やると、揺れる瞳をこちらに向けていた。


 声色とは裏腹に、その目に不安や恐怖のような感情は見えず、逆に何かに期待するような、輝かしい未来を見るようなものだった。


「どうかした?」


「ううん。なんでも」


 なにか言いたげだった陽菜乃はにこりと笑って、その言葉を飲み込んだ。



 

 だけど、か。


 その言葉の続きが、俺の考えていることと同じならいいなと思う。


 そして、そうなるように頑張るんだ。

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