第199話 あなたの隣にいるために⑩
わたし、日向坂陽菜乃は息を切らしながら走る。
あの二人、どこまで行ったんだろう。そこまで時間は経ってないから遠くへは行ってないはずだし、複雑な道でもないから違う方向へ進んでるってこともないはずなんだけど。
そう考えながらひたすら走り続け、ようやく二人の姿を見つける。
隆之くんは、必死に榎坂さんに何かを訴えかけていた。
そもそも、よくよく考えるとわたしがあの二人の間に割って入ってもいいのかな。
割って入ったとして、なにを言えばいいんだろう。
そう思うと、足が前に進まなかった。
「……」
榎坂絵梨花さん。
隆之くんと同じ中学校で、隆之くんの初恋の人。
その初恋は彼女の悪意によって創られた幻想で、そのせいで隆之くんは大きなショックを受けた。
それ以来、隆之くんは女の子に対して苦手意識を持つようになった。
もし榎坂さんが隆之くんにあんなことをしなければ、わたしと隆之くんの恋はもっとスムーズに進んでいたのかな。
いやいや。
きっと、その前に誰かしらのことを好きになったり、誰かしらに好かれたりして、どこかの誰かとお付き合いをしていたのかも。
くるみちゃんとかね。
だとしたら、わたしは榎坂さんに感謝するべきとか? なんて、隆之くんの気持ちを考えたらそんなことは毛ほども思えない。
そもそも、わたしが榎坂さんに言えることなんて一つもないよ。だって、わたしたちは赤の他人なんだから。なんの関係もない人同士でしかないんだもん。
なら、わたしにできることなんて……。
なにもないよ。
「これまで弄んだ奴らに謝れなんて言わない。けどせめて、これからは自分のためにもバカなことはもうやめろ」
隆之くんの声が聞こえてきて、わたしはハッと顔を上げる。
「……あんた、変わったわね」
榎坂さんのしみじみとした声も届いてくる。きっと、周りが静かになったから、声が聞こえるようになったんだ。
「中学のときはもっと陰キャだったのに」
「別に今も陽キャになったつもりはないぞ」
隆之くんが言うと、榎坂さんはつまらなさそうにチッと舌打ちをした。けど、さっきみたいな不快感とかは薄れてるように感じる。
「当たり前でしょ。あんたみたいな男が陽キャなわけない。けど、前のあんたならそんなこと言ってくることもなかった」
「かもな」
「地味でつまらなくてキモくてウザくて。教室の隅で一人でいるようなモブ。からかうにはもってこいの標的だったわ。案の定、ちょっと優しくしたら主に懐く子犬みたいにはしゃいでた」
「……そうだったか?」
「さっきからずっとこっち見てる、あの子のおかげだったりするのかしら?」
言われて、わたしはビクッと体を震わせてしまう。
しまった。
周りの人が少なくなればなるだけ、わたしの存在は浮いたものになる。その結果、ずっと見ていればそりゃ変に思われるよ。
隆之くんも榎坂さんに言われて、ようやくこちらを振り返る。そこにわたしがいるものだから、目を丸くして驚いていた。
「あ、えっと」
全然なにも考えなかったから、わたしはしどろもどろになる。なにか言おうとするけど、なにも出てこない。
「陽菜乃……」
「女子を名前で呼ぶなんて生意気ね」
結局、どうしていいかわからないけど、ここにいつまでも立っているのもどうかと思って、わたしはとぼとぼと隆之くんの隣に移動する。
「彼女?」
榎坂さんの鋭い目がわたしを捉える。
怖いって言うのとは違うのかもしれないけど、迫力のある目だと思う。
もちろん彼女ではないんだけど、隆之くんが答えるのを待つ。ちらと彼の方を見ると困った顔をしていた。
え、わたしが彼女だと困る感じ?
「……そういうのでは、ない。友達だよ」
「ふぅん。友達、ねえ」
ただ、と隆之くんは言葉を続ける。
そこにさっきのような困った表情はなかった。
「特別な友達だ。さっきお前が言ったように、俺が変われたのは友達のおかげなんだよ。中でも、彼女は特別なんだ」
「隆之くん……」
彼の言葉があたたかい。
告白されたわけじゃないのに、心がぽかぽかした。
「俺に変わるきっかけをくれた。だから俺は変われた。そして、そのおかげで俺は今ここにいる」
隆之くんの真剣な眼差しはまっすぐ榎坂さんに向いている。彼女は彼女で、決して隆之くんから目を逸らさなかった。
「人ってのは一つのきっかけで変われるんだよ。だから、お前もきっと変われる」
じいっと。
それはもう羨ましさを覚えるくらいに二人は見つめ合う。いや、この場合はにらみ合うのほうが正確かな。うん、にらみ合うでいいな。
榎坂さんふっと顔を伏せ、小さく息を吐く。そして、けろっとした顔を見せた。
「うっざ」
短い言葉に隣にいる隆之くんの体がこわばったのがわかった。
隆之くんは彼女を変えようとしている。
自分にひどいことをした榎坂さんに、どうしてそこまでするんだろう。
普通なら放っておくはずなのに。
自分の過去の恨みを晴らすため?
ううん、ちがう。
もしかしたら、誰かのためにがんばっているのかもしれないけれど。
『多分、あいつはその過去と決別しようとしてるんだ。前に進むために』
やっぱり、樋渡くんの言うとおり、前に進むためだったりするのかも。
なら。
わたしにできることは。
「けど、まあ、そろそろ遊んでばかりじゃなくて彼氏の一人でも作ってみようかしら」
すっと視線を逸らしながら榎坂さんが続けた。それを聞いた隆之くんは口をぽかんと開けて驚いていた。
「せっかくの女子高生だしね」
榎坂さんは小さく笑った。
きっと。
隆之くんの言葉が彼女に届いたんだ。
「……榎坂」
「今のあんたなら、相手してあげてもいいけど?」
からかうような、挑発するような表情を作って榎坂さんは隆之くんを見る。
すごく綺麗だった。
美しいと表現するのが正しい顔立ち。妖艶さを纏った彼女は魅力的で、わたしでさえも見惚れるほどで。
わたしはとっさに隣の隆之くんの腕を掴んでしまった。
「陽菜乃?」
「あ、や、えっと、その」
とっさに動きに理由があるはずもなく、いやないことはないんだけど、そんなこと言えるはずないし。
今日こんなのばっかりだ。
「冗談よ」
くす、と榎坂さんが笑う。
今度はわたしがぽかんとしてしまった。
「最後に志摩をからかおうとしたんだけど、全然響いてないし。別の人が引っかかっちゃったみたい」
彼女の言っていることを理解して、わたしは慌てて隆之くんの腕を放す。
隆之くん、笑ってないよね?
ちらと見ると、隆之くんはまっすぐ榎坂さんの方を見ていた。
「そんな分かりきった冗談に引っかかるか。まあ、もし仮に本気だって言われてもお断りだけどな」
言ってから、隆之くんも笑った。
いろんなことがあったはずで。
いろんなことを考えたはずで。
そのせいで辛い思いだってしたはずだけど。
きっと、もうだいじょうぶだよね。
だってこうして笑えたんだもん。
「……志摩のくせに生意気」
おかしそうに笑って、そして榎坂さんは行ってしまった。
隆之くん、今度は追わなかったな。その理由は聞くまでもないけどね。
「ありがとう」
榎坂さんの後ろ姿が見えなくなるまでじっと見ていた隆之くんが、ようやく口を開いた。
わたしはお礼を言われるようなことをなにもしていなくて、頭の上にはてなをゆらゆら浮かべてしまう。
「わたし、なにもしてないよ?」
けれど。
隆之くんはゆっくり首を横に振る。
「隣にいてくれて、心強かった。それだけで十分だったよ」
優しい微笑みに、わたしの胸は高鳴る。なにその顔かっこよすぎるんだけど。
「……力になれたんならよかった」
そっか。
なにもできなくても。
なにも言えなくても。
隣にいるだけでも、力になれるんだ。
「そんなのでいいんなら、わたしはいつでも隆之くんの隣にいるよ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます