第197話 あなたの隣にいるために⑧


 窓から見下ろすと行き交う人の中に彼の姿を見つけた。しかし、見たところ一人のようだけど。


「一人で来たのかな?」


「いや、樋渡はデートだって言ってたけど。ほら、例の」


「あー、あの」


 沢渡くんはいい感じの相手と一緒に来ているはずだ。トイレとかで席を外しているのか、あるいは何かしらの理由で帰ったのか。


 そういえば。


「なんか、告白するとか言ってた気がするな」


「沢渡くんが?」


「ああ」


「もしかして振られちゃったとか? それで女の子が帰ったから今は一人みたいな」


 思い至るのはその考えだけど、でも樋渡の話を聞いてる限りでは成功確率が高いとのことだったはずだけど。


「いや、どうなんだろ」


 どうとも言えず俺は言葉を濁すことしかできなかった。陽菜乃は心配するようにきょろきょろと周囲を見渡している。


「あ、見て見て! 戻ってきたんじゃない?」


 興奮したような声を上げる陽菜乃。彼女が指差す方を見てみる。確かに沢渡くんの方へ歩いていく女の子がいた。


 ていうか……。

 

「あれって……」


 こくり、と気づけば喉が鳴っていた。

 最初はそれが自分のものではないような気がするくらいには動揺していたんだと思う。


 忘れたくても忘れられない顔がそこにあった。長い髪もスレンダーな体も、男子から好かれそうな雰囲気も、全部ぜんぶ記憶にこびりついている。


「……隆之くん?」


 沢渡くんの好きな相手ってあいつだったのか?


 沢渡くんの学校の文化祭に行ったときに話しかけてきた謎のギャル。あのとき、すぐには思い出せなかったけど、あのギャルは榎坂の後ろにいた奴だった。


 それを思い出した時点でもしかしたら同じ学校なのかも、とは思っていた。


 けれど、まさか。


 沢渡くんが好きな相手が榎坂だったなんて。


 だとしたら、彼の恋は――。


「隆之くん?」


 肩を叩かれ、耳に俺の名前を呼ぶ声が入ってきて、俺はハッと我に返る。


 隣を見ると、心配そうな陽菜乃の顔があった。


「どうしたの? すごい顔してたよ?」


「……えっと」


 落ち着け。


 俺はもう一度、下の方を見る。

 まだいる。

 今から行けば間に合うか?


「ごめん。ちょっとだけ行ってくる」


 言ってから、俺はすぐに走り出した。


 だから。


「隆之くん!? どこに――」


 陽菜乃の言葉は最後まで聞き取ることができなかった。



 *



 俺はどうしたいんだろう。

 走りながら考える。


 別に榎坂に復讐がしたいわけじゃない。


 あの一件は、確かに彼女の悪意があって起こったことだ。それは揺るぎない事実なんだけど、でも最終的なことを言うならばそれを見破ることのできなかった俺が悪い。


 イジメは虐められる奴が悪いのではなく、虐めるやつが悪い。それは至極ご尤もだ。虐める奴がいなければそもそも起こり得ないのだから。


 でも。


 だからといって。


 虐められる奴が一切悪くないのかと言われると、俺はそうは思わない。


 虐める奴も、虐められる奴も、それを見て楽しんでる奴も、それを見て見ぬふりをする奴も、大なり小なりみんな悪い。


 だから、それはいいんだ。


「……ッ」


 じゃあ、なんなんだろう。


 改心してほしいのか?


 あの女がそう簡単に自分の過去の罪を認めるとは思えないし、反省するなんて考えられない。


 俺のような被害者をこれ以上増やしたくないのか?


 それはその通りだ。


 けど、そのためには結局、榎坂自身が変わるしかない。


 自分の中の考えはぐちゃぐちゃのまま。けれど俺は走り出していた。


「……くそ」

 

 さっきまで二人がいたところまで来たけれど、もうそこにはいなかった。俺がここに来るまでに移動したようだ。


 どこに行ったんだ?


 ここからならどこにでも行ける。

 これからまだ文化祭を楽しもうというのなら校舎に向かうだろうし、グラウンドにも催しはある。


 文化祭終了まで残り一時間と少し。


 もし。


 樋渡が言っていたように、沢渡くんが榎坂に告白をするつもりならば。


 人気のないところへ行くのではないだろうか。ここを離れてからそこまで時間は経っていないはずだ。


 つまり、そう遠くへは行ってない。


 その範囲内で、告白に適している場所はどこだ? 告白とかしたことないし、考えてなかったから思いつかないぞくそ。


「ねえねえ、さっきの二人やっぱ告白かな?」

「わざわざ人のいないとこに行ってるんだしそうじゃない?」


 たまたま後ろを通りがかった生徒の会話が聞こえてくる。


「あの、それってどっちに行きました?」


 俺は躊躇う間もなく尋ねていた。


 女子生徒二人は最初こそ戸惑ったリアクションを見せたけど、すぐに「校舎裏の方に」と教えてくれた。


 俺は頭を下げてすぐに走り出す。


 十中八九、これから彼は告白をする。


 そして、それは恐らく失敗で終わる。


 沢渡くんに魅力がないと言うつもりはない。


 そうじゃなくて。


 きっと、榎坂の方にそもそも付き合うつもりがないんだ。


 間に合うか?


 でも、そもそも告白前に辿り着いたとしてどう説明すればいいんだろう。


 そいつに告白しても振られるだけだ、とか言えばいいのか?

 そんなこと言っても多分信じてもらえない。恋は盲目というように、他のことが見えなくなるから。きっと何を言っても彼は止まらない。


 どうすればいいか分からないまま、校舎裏に辿り着いてしまう。俺は意を決して角を曲がって二人の様子を確認しようとして慌てて戻る。


「……」


「……ごめんなさい。あなたとは付き合えないの」


 恐らく。


 告白は終わってる。


 出ていくタイミングを逃してしまった。

 

「なんで、どうして」


 沢渡くんはこみ上げる思いを必死に抑えながら言葉を吐き出していた。


「好きな人ができたのよ」


「おれのことは好きじゃなかったのか?」


「……どうかしら」


 榎坂は俯く。

 真実を濁すように。


「好きじゃないのに、あんなことを?」


「……悪いと思っているわ」


「……ぐぐ」


 歯を食いしばり、込み上げてくる悔しさをこぼす沢渡くん。

 ここまで来たけど、俺はどうしたらいいんだろうかと悩んでいると、ザリッと砂が鳴った。


 それで榎坂がこちらを振り返った。


「……なんで志摩がここにいるわけ?」


 不愉快そうな顔は見慣れたものだった。


 この顔で睨まれると、いつも体が動かなかった。けど、今は不思議と大丈夫だった。


「俺の学校だからな」


「そーなんだ。見たくないもん見ちゃったわ。せっかくの楽しい気分が台無し」


「俺も同じ気持ちだよ」


 見たくないものを見てしまった。

 嫌でも思い出したくもない記憶が蘇る。


「言うじゃない。それで? なんか用?」


「お前がまだそんなことを続けてるから、止めようと……」


「止める? なんの権利があって、あんたが彼の告白を止めるっていうのよ?」


 そう言われると答えが出ない。

 確かに俺にはそんな権利なんてない。

 事実がどうあれ、告白するかしないか、それを決めるのは沢渡くんだから。


「榎坂さん、彼と知り合いなのか?」


「……ええ。同じ中学出身なのよ」


「それだけ? そうとは思えないけど」


「どうかしらね」


 誤魔化すように榎坂は笑った。

 そして、ちらと俺の方を見る。


「志摩くん、だったね。きみは彼女とどういう関係なんだ?」


「同じ中学出身っていうので概ね間違いないよ。ただ、沢渡くんの言う通り、ちょっといろいろあったってだけでね」


「いろいろって言うのは?」


 恐る恐るといった調子で沢渡くんが尋ねてくる。俺は榎坂の方に視線を移したが、彼女は澄ました顔を一切歪ませない。


「それは、俺の口からは言えない。ごめん」


「言わないんだ?」


 挑発するような言い方だった。

 榎坂に焦りは見えない。自分の過去が明かされれば確実にダメージを負うはずなのに。


 俺がそんなことしないと思ってるのか?


「一つだけ答えてくれ」


「なに?」


 樋渡が言っていたことを思い出す。

 あいつが悩んでいたのは、榎坂の行動についてだったんだ。

 沢渡くんに気のある素振りを見せていた榎坂が、樋渡に好意があるような行動を取ってきた。


 榎坂はなにを考えてるんだ?


「お前の目的はなんだ?」


 鋭い目つきで俺を睨んでいた榎坂が、沢渡くんの方に視線を移す。そして、諦めたように息を吐いて肩を落とした。



 

「彼の友達、樋渡優作くんのことを好きになったの。私の目的は、樋渡優作くんの彼女になることよ」


「彼に近づいたのはそのためか?」


 俺が言うと、榎坂は口角を上げて笑う。それはまるで、白雪姫に毒りんごを渡した魔女のようだった。


 ぞわっと背筋が凍ったように思えた。



「それは違うわ。樋渡くんと出会ったのは彼に近づいた後のことだもの」


「……じゃあ、やっぱり」



「そうよ。あんたのときと一緒。ストレス解消にの」

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