第188話 きみの隣にいるために⑦


「……だいじょうぶそう?」


 お姫様抱っこされた陽菜乃が、他のみんなには聞こえないくらいの小声で俺の様子を尋ねてきた。


 手も足も、さっきとは別の意味で思いっきり震えている。


「……大丈夫、だよ」


「もうちょっとだいじょうぶな感じを出してほしいかな」


 そんなに大丈夫じゃない感じが出ているのだろうか。確かに、めちゃくちゃギリギリの状態だけども。


 ギリッと歯を食いしばる。


 そして、俺は一歩目を踏み出した。


 ここで俺が陽菜乃を落としでもしたら演劇は終わりだし、俺は男として終わる。


 好きな女の子を床に落とすとかナンセンスだろ。まあ、苦しい顔しながら抱きかかえられても、十分冷めかねないけど。


 ごめんなさい。

 もっと日頃から筋トレとかしとけば良かったと心底後悔しています。


「……ッ」


 幸いなのは、階段を上る間は俺にセリフがないことだ。さすがにこの状態で演技をしろというのは難しい。


 一歩、また一歩。


 時間をかけてゆっくりと上っていく。もちろんこれは演技ではなく、マジに時間がかかっているだけなんだけど。


「……演技、迫真だね」

「すげえ。本気で苦しんでるみたいだ」

「演技とは思えないぜ」


 どうやら俺がぜえぜえひいひい言っているのを演技だと思ってくれているらしい。

 迫真だって? そりゃそうだよ。マジなんだもの。本気で苦しいし、そもそも演技じゃないからね。


「……もっと痩せておけばよかった」


 ぼそ、と陽菜乃が呟いた。


 それに反応することはできなかったけれど、その代わりに俺は最後の力を振り絞って階段を全て上り切る。


「う、おおおおおおおお!」


 やり切った。


 やり切ったぞ!!!!


 俺は心の中で自分に拍手喝采を送りつつ、演技に戻る。ここが最後の難関だった。

 ここを終えれば、あとはクライマックスのシーンを演じて物語は幕を閉じる。


 こうして、二年三組の舞台は無事に終わった。


 成功という、最高の形で。



 *



「お疲れウェーイ!」


 出番を終えて、大道具などを片付けた俺たちは教室に戻ってくる。いつの間に準備していたのか、どこかしこから出してきたジュースを片手にみんなが乾杯をした。


「「「「「ウェーイ!!!」」」」」


 打ち上げというにはまだ早い。なんといっても、まだ祭りの最中なのだから。

 けれど、騒ぎたい気持ちも少しは分かる。そういうのが苦手な俺でさえ、そう思っているのだからみんなはもっとだろう。


「本当にやり切ったな、お前」


 バシッと背中を叩いてきたのは樋渡だ。その表情は清々しく、どこまでも爽やかだ。

 演劇の仕切りとしてクラスをまとめてきたこいつも、ようやく肩の荷が下りたことだろう。


「最初はどうなることかと思ったけどね」


 その隣で、あははと笑うのは柚木だ。彼女もまた、クラスをまとめてきた一人なので達成感も大きいだろう。


 力になれて良かったと本当に思う。


「あれは焦ったよねー」

「マジで終わったと思ったわ」

「あそこからよく最後までいけたよね」


 思い思いの言葉を口にするクラスメイトは、まるで俺の心の中を代弁しているようだった。


 あのときはどうしようかと焦りに焦った一大事だったけれど、終わってみればこうして笑い話になっている。


 それくらいの方が、こちらとしても助かるんだけど。


「志摩」


 名前を呼ばれ、振り返る。

 そこには伊吹を始めとした男子が並んでいた。今回、伊吹を怪我へと追いやったメンバーだ。


「本当にありがとう」


「ありがとう」

「ありがとう」

「ありがとう」


 伊吹に続いて、他の奴らも頭を下げる。何度されてもこれは本当に慣れないな。


「いや、まあ、無事に終わってよかったよ。頭を上げてくれ」


 そう言うと、真っ先に頭を上げたのは木吉大吾だった。こちらを見た彼はズズッと距離を詰めてくる。


「志摩、オレに出来ることがあったらなんでもするからな! なんかお礼させてくれ!」


「そう言われても」


「頼むよ! ちゃんとお礼がしたいんだよ!」


「急に思いついたりしないって」


 言うと、木吉はハッとなにかを思いついたように目を見開いた。こういうタイプのこういう顔はあんまりいいことにはならなさそうなんだけど。


「日向坂とのこと、協力しようか?」


「今思いついた。二度とそのイジリしてくんじゃねえ」


 こんなところでそんなこと言うんじゃねえよ。案の定、ろくなこと言わなかったじゃないか。


 俺が食い気味に言うと木吉は驚いたような顔をして、他の男子は伊吹を含めてみんな吹き出した。


「もうやめとけ、大吾」


 そして、伊吹によるレフェリーストップが入ったところで木吉も落ち着いた。


「とはいえ、なにかお礼がしたいのは事実なんだ。後日、またなにかさせてくれよ」


「……まあ、そういうことなら」


 この話はここまでにしよう、という伊吹の仕切りに従い男子連中もどこかへ行ってしまう。


 それから少しの間、まるで祭りの最後のような空気のまま、俺たちは成功の余韻に浸り続けた。


 一日目も残すところ、あと一時間といったところだろうか。クラスメイトたちはようやく落ち着いてきた。

 しかし、もうどこかへ行く力もないのか教室で最後まで過ごすっぽい。


 中にはちょっと出てこようというクラスメイトもいた中、俺も少し外の空気が吸いたいと思って教室を出る。


 結局、朝からずっと演劇のことでいっぱいいっぱいだったから文化祭を全然楽しめていない。


 演劇が終わったら終わったで、体の力が抜けて、今の今まで出歩く気分にならなかった。


「……文化祭だなあ」


 朝も思ったけど、こうも賑わう校内を見るとしみじみと呟いてしまう。どこを見ても楽しそうな人たちばかりだ。


 去年はこんな景色を見ることもなかった。


 本当にいろいろ変わったな。


「だーれだ」


 後ろから両手で目を塞がれる。

 俺の目を塞ぐために後ろから抱きついているせいで、背中に柔らかいものが当たってるんですけどこれは気のせいですよねそうに決まってる。


 

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