第110話 夏の日のエンカウント③


「……」


「……」


 陽菜乃の顔はみるみるうちに赤くなっていき、口角は引きつられるように上がっていく。

 ばしゃばしゃと目を泳がせながら、必死になにか話そうと口をぱくぱくさせている彼女を見ると、俺がなにか話さねばと思わされる。


 でも、俺もどうしていいか分からない。


 こんなときこそ出番だぞ、助けてリコえもん!


「なにしてんの、お兄……お兄?」


 俺の様子がおかしいことに気づいた梨子が呆れた声を漏らしながらこちらにやってくる。


 そして、現状を目にしたとき当たり前だけど疑問を浮かべた。


 お兄ちゃんがランジェリーショップで知らない女の人と気まずげに向き合ってたらそんなリアクションになるよね。


「えっと」


 必死になにか言わねばと考えているっぽいけど、さすが俺の妹、こういうときにしっかりテンパってやがる。


「この人、変質者とかじゃなくて、あたしの兄なので、その、通報とかは」


「おい」


「だって! このままじゃお兄、警察のお世話になっちゃうんだよ! あたしがちゃんと証明しないと!」


「落ち着け梨子! そこまでの事態じゃない!」


 あわあわしている梨子の肩を持ってぐわんぐわん揺らすと、梨子は目を回したように頭をくらくらさせる。


 そんな俺たちの様子を見て、陽菜乃がくすりと笑った。


「だいじょうぶだよ。お兄ちゃんを通報したりしないから」


「……ほんとに?」


「うん。だって、わたしと隆之くんは友達だもん」


「とも、だち?」


 友達というワードに怪訝な顔をする梨子は、眉をしかめて陽菜乃の顔をまじまじと見た。


 そんなに俺に友達がいることが信じられないのだろうか。


「あ、もしかして、あなたが姫子ちゃん?」


「陽菜乃だけど?」



 *



 とりあえずランジェリーショップから出た俺たちは、買い物を続けるのも違うと思い、喫茶店に入ることにした。


 こうして遭遇してしまった以上、お互いに紹介しておかないといけないだろう。


 陽菜乃は紹介してという顔をこちらに向けていたし、梨子は紹介しろやぼけこらという顔をこちらに向けていた。


「こちら、妹の梨子です」


 俺が紹介すると、「はじめまして」と小さく言いながらぺこりと頭を下げる。


 あまり歳上の人と関わることがないのか、それとも俺の前だからか、あるいは俺の友達だからか、梨子の調子はいつもと違った。


 きっとクラスで見せているようなフランクさはなくて、けど家にいるような気を抜ききった感じもない。

 絶妙にどっちにも振り切っていない中途半端な状態だ。


「こちら、クラスメイトの日向坂陽菜乃さん」


「はじめまして、梨子ちゃん」


 さっそく梨子のことを名前で呼ぶところ、さすがは陽菜乃といったところか。


「こんなきれいな人が、お兄のお友達だなんて。信じられない……」


「失礼だな」


「だって、お兄だよ? 万年ぼっちのあのお兄に友達ができただけでも驚きなのに、その上こんなきれいな人だなんて。詐欺を疑うよ」


 訝しむ視線を向ける梨子に、陽菜乃は困ったような表情を浮かべる。

 どう助け舟を出そうかと考えていると、先ほど注文していたものが運ばれてきた。


 梨子の前にはチョコレートパフェ。

 陽菜乃の前にはバナナクレープ。

 俺の前にはバニラアイスとコーヒー。


「詐欺じゃないから安心して」


「美人局とかじゃない?」


「お前どこでそんな言葉覚えたんだよ」


 俺が言うと、梨子は「ドラマ」と冷たく答える。最近のドラマって美人局とか出てくんの?


 なにそれこわい。


 ともあれ、ようやく陽菜乃が詐欺師である疑惑が晴れたところで溶ける前に目の前のアイスを食べることにした。


「けどあれだね、こんなにきれいなお友達がいるなら、そりゃお兄もあんなどや顔するね」


「どや顔?」


 チョコレートパフェのアイスクリームをスプーンで掬って口に運びながら言う。


 それに反応したのは陽菜乃だ。


「うん。お兄ね、去年の年末に友達と初詣に行くんだーってはしゃぎながらどや顔で自慢してきたんですよ」


「梨子? あんまり余計なこと言わないで?」


「そういえば、ホワイトデーもずいぶん悩んでたね。相談してきたし。あれも陽菜乃さんのことだったのか」


「そうなの?」


 梨子の言葉を聞き、にやにやしながら俺の方を向いてくる陽菜乃から俺は視線を逸らす。


「一応異性の意見を訊いただけであって悩んでたわけではないよ」


「あ、クリスマスのときも」


「梨子ちゃん? もうやめよ?」


 それ以上はお兄ちゃん恥ずか死んじゃうからもうやめよ。


「じゃあパフェもう一つ食べていい?」


「晩飯食えなくなるぞ?」


 もうお昼も回っておやつの時間になっている。ここでパフェ二つも食べると確実に晩ご飯に響く。

 まして、甘いものは別腹システムを採用している梨子だけど、そもそもが少食だし。


「そっか。じゃあ後日改めてってことで?」


「致し方ない」


「えー、わたしはもっと聞きたいなぁ」


「勘弁してください」


 からかうように言ってくる陽菜乃に頭を下げる。さすがに本気ではなかったようで、すぐに引き下がってくれた。


 それぞれが食べ終えたところで店を出る。言わずもがなここも俺の奢りだったのだがこれはもう仕方ない。


 梨子と陽菜乃がそこそこ意気投合したのか、その後も梨子の買い物に付き合ってくれた陽菜乃。


 いよいよ荷物持ち以外の役割を失った俺は二人の後ろをついていくだけの存在となった。


 日も沈もうとしている時間になったことで、解散することになり、陽菜乃と別れた俺たちは二人並んできこきこ自転車を漕いで家に帰る。


「陽菜乃さん、いい人だね」


「だろ」


「お兄にはもったいないくらい」


「俺もそう思う」


 同意すると、梨子からのリプライが一瞬途絶えた。どうしたのかと見てみると、梨子は考え込むように俯いていた。


「自転車乗りながら考え事は危ないぞ」


 そう言ってみるが、

 

「……付き合ったりしないの?」


 返ってきたのは、そんな言葉だった。


「付き合う?」


「陽菜乃さんと」


 付き合う、ね。


 好きな人に告白をして、彼氏彼女になる。


「いい人だし、きれいだし、陽菜乃さんならあたしは許すよ」


「なんで恋人作るのに妹の許可がいるんだよ」


「妹だからだよ」


 よく分からないことを言ってくるが、もちろん納得はできない。


 まあ。


 そもそも、告白しようとも付き合えるとも思っていないから不毛な話し合いなんだけど。


 高校に入って友達ができた。

 友達と過ごす時間はこれまでになく楽しくて、ずっとこんな日々が続けばいいのにと思わせる。


 そして、そんな時間が続くと、中学のときにあったあの事件が俺の中で薄れていくように感じる。


 消えてなくなるわけではないけれど。


 でも、誰もがそうではないんだと思わせてくれる。


 だからもし。


 本当に、どうしようもなく誰かを愛おしいと思うときがきたのなら。


 そのときは……。


「あーあ、お兄がきれいな彼女連れてたら学校で自慢できるのにな!」


 とりあえず、梨子に許可でももらうとするか。

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