第63話 あなたに会いたい⑤


「私を秋名さんと呼べないっていうから、公平にするにはそうするしかないでしょ」


「その理論が分からん」


 無理だよ。

 それこそ日向坂さんはさんを付けずに呼んでいいような相手ではないのだ。


「わたしはいいよ? 日向坂って呼ばれても」


「ほら、本人の許可もでたことだし」


「いや、無理だから」


 俺が頑として呼ぼうとしないところを見て、二人は諦めたように「ええー」とつまらなさそうに呟く。


「じゃあ隆之くん、あたしのことは柚木でいいよ。なんならくるみでも可」


「初対面の人を呼び捨てにできるような人間じゃないんだよ」


「私は初対面で呼び捨てだったんだが?」


「……隆之、くん?」


 柚木さんの発言に各々が続く。


「確かに日向坂さんは高嶺の花感強いからね、ちょっとかしこまっちゃうのも分かるよ。それに比べてあたしの庶民感といったら親近感湧かない?」


「庶民感、ねえ」


 まあ。


 たしかに日向坂さんは少しそういうイメージはある。みんなの憧れで、誰からも好かれて、だからこそ俺のような人間がフレンドリーに呼ぶなんて恐れ多いとさえ思う。


 しかし。


 これは決して貶しているわけではなく、むしろポジティブな意味に捉えてほしいのだけれど、どこにでもいる女の子という雰囲気がある。


 それを庶民感というのであれば、たしかに彼女にはそれがある。それは秋名にも言えることだけど、この雰囲気は接するに当たって妙な壁を感じさせない。


「そーそー。あたしだって敬語やめたんだから、隆之くんもさん付けはやめてほしいかな」


「そう言われると言い返せないな」


 同年代の敬語はどうにも違和感がある。遣う分には問題ないけど、遣われる側に立つと背中の辺りがむず痒い。


 彼女がさん付けをされることで、少なからずそういう感覚を覚えるというのであれば、そういう意味での提案であるのならば俺はそれを受け入れるべきなのではなかろうか。


「柚木、か」


「なんならくるみでもいいよ?」


「柚木で」


「そっか」


 くるみと呼ぶなんて、それこそ庶民感溢れる相手であっても恐れ多い。さすがに秋名を梓と呼ぶことは躊躇われる。


「はいはーい」


 俺と柚木がそんなやり取りをしたとき、間に割って入るように挙手したのは日向坂さんだ。


「それは不公平だと思います」


「……というと?」


「梓はともかく」


「私はともかく!?」


「くるみちゃんのことをそう呼ぶのならわたしのことも呼び方を変えるべきだと思います」


「いや、でも」


「なに?」


「呼び慣れたし」


 今さら日向坂さんの呼び方を変えるのはなんか違和感が勝ってしまうような気がする。


 日向坂、と呼び捨てにするのはどうも変な感じがする。俺はそれを拭い切れない。


「一回呼んでみなよ」


 そう提案したのは秋名だ。


「なんだそれ」


「呼んでみたら存外しっくりくるかもしれないじゃん」


 そんなことあるはずないだろ。

 これまでと別の呼び方をするんだから違和感しかないに決まっている。


 が。


 ここで一度呼んでみて、やっぱりダメだなとなれば日向坂さんも諦めてくれるかもしれない。


「じゃあ、一度だけ」


 こほん、とわざとらしく咳払いしてみせてから、俺は全員の視線を浴びながら口を開く。


「ひ、日向坂」


「……うん」


 妙な間が起こる。


 やっぱり、日向坂さんを呼び捨てにするのはなんか違った。

 これは呼びたくないからの言い訳ではなく、口にしてみて改めてハッキリと違和感を覚えたのだ。


「やっぱりなんか違うと思う」


「……なんかわたしもちょっと違うと思っちゃった」


 思っちゃったんかい、と俺は心の中でツッコミを入れた。

 日向坂さんが諦めてくれたのならこの問題はもう解決だろう。


 と。


 俺はそう思ったのだけれど。


「あだ名とかで呼ぶのは?」


 秋名が余計な提案をぶち込んできた。


「あだ名?」


「そーそー。友達ならフレンドリーにあだ名とかで呼び合うのも悪くないと思わない?」


「別に。呼び方なんかなんでもいいだろ。友達だからあだ名で呼ぶというのは安直な考えだぞ」


「なんでもいいならあだ名でもいいでしょ。ねえ、陽菜乃?」


「そうだそうだ」


「ぐぬぬ」


 自分の発言を逆手に取られてしまった。

 呼び方を変えるとか、そりゃ友達なんだしそういうこともするもんなのかもしれないけど、やっぱり普通に照れるし。


「今は柚木もいるんだし、そういう話で盛り上がるべきじゃないと思うぞ」


「あたしは別にいいけど」


「俺がよくないからここはそういうことにしておいてくれ」


「そう言われても」


 ちらと柚木が日向坂さんと秋名の方を見る。板挟みにしてしまって申し訳ないけど、ここは全力で利用させてください。


「たしかにそうかもね。せっかくだし楽しい話しようか」


「志摩をいじるのも十分楽しかったけどね」


「俺は楽しくなかったが」


 ともあれ。


 俺の機転というか、それぞれの気遣いの結果、呼び方云々の話題はここで打ち止めとして、話は別のものに切り替わっていく。


 そんな感じで一時間ほど駄弁った俺たちは店をあとにした。

 日向坂さんと秋名は電車なので二人を駅まで見送る。柚木はどうやら徒歩らしい。


「家、近いのか?」


 二人が改札を通っていくのを見届けてから、歩き出す前に柚木に尋ねる。


「うん。家から近いからっていうのが、高校の志望動機だし」


「それは気が合いそうだ」


 俺が冗談めかして言うと、柚木はふひひとはにかむように小さく笑った。


「送ろうか?」


「いいの?」


「ああ」


「紳士だね、隆之くんは」


「そういうんじゃないけど。ちょっと暗くなってきたし、一応ね」


 言って、二人で歩き出す。

 クリスマスに一度顔を合わせたとはいえ、ほぼ今日が初対面のようなものだけど、それを感じさせない気さくさが彼女にはあった。


「連絡先、交換してくれない?」


「どうして?」


 言ってからハッとする。

 今の自分の返事は適当ではなかった。連絡先を交換するのにそもそも理由なんか必要ないのに。

 どうして連絡先を知りたがるのか、と変に考えてしまった。


「あ、いや、さっきのは違くて」


「どうしてって、隆之くんともっと仲良くなりたいからだけど」


 俺が訂正しようとテンパっていたら、柚木は俺の目をまっすぐ見ながらそんなことを言った。


 そして、頬をわずかに染めてさっと目を逸らす。


「だめ?」


「いや、なんの問題もない」


 そうして、俺と彼女は連絡先の交換をする。もちろん、やり慣れていない俺は彼女にすべてを任せた。


「スマホを躊躇いなく人に渡せるのすごいね」


「見られて困るものはないからな」


「そうなんだ」


 驚いたというよりは感心したように呟きながら、柚木がスマホを返してくれる。


 すぐにヴヴヴとスマホが震えて、ラインのメッセージ通知が届いた。ページを開くと柚木からのものだった。


 よろしくね、というネコのスタンプが送られてきていた。


「暇なときとか、ライン送ってもいい?」


「いいけど」


「ちゃんと返してね?」


「……気づいたら」


 こうして俺にまた一人、友達が増えたのだった。

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