第61話 あなたに会いたい③


 俺がその女子生徒を見て最初に抱いた感想は、小さい子だな、だった。

 うちの学校の制服を着ているから高校生なんだと認識できるけど、これが例えば私服だったりしたとき中学生と間違えかねない。


 地毛か毛染めか分からないけどブラウンの髪は肩辺りまで伸びていて、毛先にはウェーブがかかっている。そこはちょっと大人っぽい。


 彼女が俺にお礼をしたいと言っていた女子生徒ということなんだろうけど、果たして俺は一体なにをしたのだろうか。


「ごめんね、待った?」


「んーん、全然」


 秋名は随分とフランクに接しているが、どういう仲なんだろう。まあ、あいつは誰に対してもああいう感じだから仲の良さの判断基準にはならないか。


 なにせ、初対面の俺に対しても秋名梓はあんな調子だったのだから。


「とりあえず志摩を連れてきたんだけど」


「あ、うん」


 言われて、その女子生徒が俺の方を見た。その表情はどこか緊張したように強張っていて、頬はわずかに朱色に染まっている。


「あの」


「は、はい」


 面と向かって言われて、俺は一度姿勢を正す。どうやら相手の緊張が感染ってしまったらしい。


 ててて、と俺の前にまで駆け寄ってきたその女子生徒がじいっと見つめてくるので俺は気まずさで目を逸らす。


 なんでそんなに見てくるの。


「この前はありがとうございました」


「……この前っていうのは」


「クリスマスの」


 言われて、俺は頭の引き出しの奥に閉まっていたような微かな記憶を思い出す。


 クリスマス、というワードを聞いてようやく俺は彼女のことを思い出した。


 昨年の十二月二十五日。

 クラスのクリスマス会へ参加する前に梨子へのクリスマスプレゼントを買った俺は集合場所へ向かう途中に財布を拾った。


 それを交番に届けようとしていた際にイケイケのメンズにナンパされる女の子を助けた。さらにその助けた女の子が財布の持ち主だった。


「財布の」


「はい」


 にこ、と無垢な笑みを浮かべる。


「志摩のやつ、覚えてなかったんだよ」


「そうなんですか?」


 秋名に言われてこちらを向き直る女子生徒に俺は気まずさを隠した顔を見せる。


「……いや、忘れてたというか」


 現にきっかけ一つで蘇ったわけだし、忘れていたという言葉は語弊を生むような気がする。


 そうではなくて、記憶と記憶が結びつかなかったというか。

 お礼を言われるようなこと、とそのクリスマスの一件が俺の中では重ならなかったのだ。


「志摩くんにとっては、それが当たり前のことだったんだよね?」


 俺が弁明の言葉を探していると、日向坂さんが庇うように言ってくれる。


「……そう、だね」


「たしかにクリスマスって聞いて思い出してくれたもんね」


 彼女か納得してくれたことで俺もほっと胸を撫で下ろす。どうやら助かったらしい。


「こんなとこでいつまでも立ち話もなんだし、どっか移動しようよ」


 そう提案したのは秋名だ。

 それには一理あるので誰も反対案を出すようなことはしなかった。みなそれぞれ靴を履き替え一緒に学校を出る。


「まだ紹介できてなかったよね」


 思い出したのは秋名だ。

 たしかに俺は彼女の名前を知らないし、彼女だって俺のことを知らないはず。


「彼女は柚木くるみ。私の中学時代からの友達で、今は同じ漫研に所属してるの」


「よろしくお願いします」


 紹介された女子生徒――柚木くるみはぺこりと頭を下げる。小さい容姿とは裏腹に礼儀正しい所作が伺える。

 

「こちらはご存知の通り、志摩だよ。下の名前はなんだっけ?」


「知らないのかよ」


「忘れた」


「隆之くん、だよね?」


 とぼける秋名にそう言ったのは柚木さんだった。


「ありゃ、知ってるの?」


「うん。名前だけは別れる前に聞いておいたから」


「それを覚えてるっていうのが凄いよね」


「た、たまたまよ」


 かあっと顔を赤くしながら柚木さんは視線を逸らす。


「一度聞いただけの彼女でも俺の名前は覚えてたんだぞ。お前が覚えてなくてどうする?」


「そう言われても。地味だし」


「うるさい」


 地味とはなんだ、地味とは。真実なだけに否定できないじゃないか。


「陽菜乃だって覚えてなかったよね?」


 秋名が日向坂さんに振ったところで、俺と、なぜか柚木さんまで緊張した顔を彼女に向けた。


「お、覚えてたよ。梓と一緒にしないで」


「お、なんだなんだ。じゃあ言ってみなよ?」


「さっきくるみちゃんが言ったでしょ」


 くるみちゃん呼びだ。日向坂さんは柚木さんと面識があったのだろうか。あんまりそういうふうには見えなかったけど。


「私はもう忘れちゃったからもう一回教えて?」


 ニタニタと込み上げてくるいたずら心を隠すことなく表情に出し切る秋名。

 それに対して、日向坂さんはむむむと眉をしかめる。ちらと俺を見た日向坂さんはふいと視線を逸らして、そして一言。


「隆之、くん」


 ぽそり、と少しの風でかき消えるような小さな声で日向坂さんが俺の名を言う。


「そーだった、そーだった。隆之だったね」


「楽しそうだな、お前」


「楽しまなきゃ損じゃない?」


「なにを」


 いい性格してるなと思いながら俺は尋ねる。


「かわいい陽菜乃の反応を?」


 秋名がそう言うと、日向坂さんはポカポカと怒ったように秋名を叩いた。


 そんな様子を見ながら、柚木さんが俺の隣に移動してきてこんなことを言う。


「日向坂さんって、イメージよりずっと子供っぽいんですね」


 普段落ち着いた雰囲気のある日向坂さんを見慣れている人からすると、たしかにそういうことを思うのかもしれないな。

 

「あー、まあ、たしかに」

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