第38話 聖なる日の祈り⑤


 俺は用を足し終え、手を洗ってさっさと出ようとしたのだけど、同じタイミングで終わったらしい財津と手洗い場で並んでしまう。


「お前さ」


 みんなと話す爽やかな声色ではなく、恐らく敵意を向ける相手にのみ見せるドスの効いた低い声。


 最初こそ驚いたものの、この感じにもだいぶ慣れたようだ。


「なに?」


 バシャバシャと、いつもはあまりやらない石鹸をつけて念入りに手を洗うのは手持ち無沙汰になるのを避けるため。


 手を洗い終えたのに俺はどうしてここにいるの? と思いたくないのでキレイ好きにも負けないくらいにキレイキレイしてやる。


「陽菜乃のこと好きだろ」


 思っていたより単刀直入な物言いに、俺はついピクリと体を反応させてしまう。


「そりゃ、あんないい人のこと嫌いなやついないだろ」


「そういう意味じゃねえよ」


 もちろんそういう意味ではないことくらい分かっている。

 財津翔真に対し、どう出るべきか様子を伺っている……というか、決めかねているから時間を稼いでいるのだ。


「なんでそう思うんだ?」


「いや、お前最近陽菜乃にかまってもらってるだろ」


「そうだな。ありがたいことに」


「だから勘違いしちゃってんじゃないかと思って。お前らみたいな陰キャはちょっと優しくされただけですぐ勘違いするだろ?」


 財津の言葉に、俺は挑発するように乾いた笑いをこぼしてみせた。

 そんなことをすれば、当然財津はお怒りになることだろう。


 決めた。


 この男の思い通りにはさせないでやろう。


 思いっきり嫌われて、思いっきり対立してやる。


「なにがおかしいんだよ?」


「いや、甘いなと思って。俺らレベルの陰キャになると挨拶されるだけで惚れるまであるわ」


「はァ? なに言ってんの。キモ」


「あともう一つ。日向坂さんレベルの相手だともう雲の上の存在どころか次元が違う人だから、勘違いなんかしない」


「あァなるほど、ちゃんと弁えてるんだ」


「まあな。みたいな男には日向坂さんは釣り合わないよ。勇気を振り絞って告白しても、振られるのが関の山さ」


 俺が言うと、財津はくくっとおかしそうに含み笑いをみせる。


「そりゃそうだよ。分かってんじゃん。陽菜乃の相手はもっとイケてる男じゃないとな。例えば、オレとかな」


「いやいや」


 言いながら、蛇口を捻って水を止める。パッパッと手を払って軽く水気を飛ばした俺はポケットからハンカチを取り出し手を拭く。


「さっき俺が言った俺らって俺やお前ってことだぞ。なに自分ならいけると思ってんだ? 勘違いしちゃってんじゃん恥ずかしい」


 わざと煽るように言うと、財津は頭に血を昇らせたように顔を赤くし額に血管を浮かせる。


 人って本気で怒るとこんな顔になるんだ。

 なんてことを考えるくらいには、俺は冷静だった。


「は? なに言ってんのお前」


「通じなかったか? 俺やお前みたいな男には日向坂さんはもったいないって言ったんだよ。告白したって振られるのがオチだって」


「馬鹿にしてンのか! オレをお前みたいな陰キャと一緒にすんな! みんなオレを慕ってる。オレはクラスの人気者で、お前は今日参加してることさえ気づかれないような陰キャだぞ!」


「そりゃ本質的には違うよ。俺だってお前みたいなクズ野郎と一緒にされたくはないからな。ただ、告白しても無駄ってところは一緒なだけ」


 言いたいことは言ってやったしそろそろ戻るか。ここにいても財津にキレられそうだし。


 なにか言いたげな財津翔真を置いて、俺はトイレのドアを開く。そこで一度足を止めた。


 考えて。


「あ、日向坂さん。どうしたのこんなところで」


「なッ」


 あれだけ大きな声を出したんだ。当然、トイレの外にまで声は届いていただろう。そして、それを分からないほど馬鹿ではないらしい。


 そこを考慮して声を絞るということを忘れるくらいには馬鹿野郎のようだが。


 そんな中、トイレの前に日向坂さんがいるなんてことが分かれば動揺もするだろう。

 それこそ、これまで積み重ねてきたものが瓦解する瞬間とも言えるのだから。


「冗談だよ」


 からかうように笑って、俺は今度こそトイレを出た。

 すぐあとに財津がやってこないところ、トイレで少し頭を冷やしているのかも。


 部屋に戻りながらもう一度考えを整理していく。


 財津翔真は日向坂陽菜乃のことが好きだ。

 

 その財津翔真はクラスの誰からも好かれ、信頼される爽やかイケメン。女子からの人気も計り知れないリア充陽キャ。


 しかし、その蓋を開けてみるとなんということでしょう、爽やかイケメン財津翔真は実は爽やかクズイケメン野郎だったのでした。


 人前で見せるあの姿は、財津翔真が今の立場を確立させるために被った仮面でしかなく、彼の本質はイメージとは真逆のものだ。


 現状、その事実を知るのは俺だけっぽい。


 妙に俺にだけ当たりが強いのは、恐らく日向坂陽菜乃にかまってもらっているからだ。


 他の生徒だって優しくしてもらっているだろうに、どうして俺にだけ執拗に絡んでくるのかは分からないけど、本性を見せたりするところ本気で嫌われているに違いない。


 財津翔真がどこの誰と仲良くなっても構わない。

 本性を隠して、いいヤツの仮面を被った彼に惹かれ、選んだ相手に同情もしない。


 だが。


 しかし。


 日向坂さんは別だ。


 そう思うくらいには、俺にとって日向坂陽菜乃は特別な存在になりつつある。


 薄々感じていたけど、それを認めるのが怖くて見て見ぬふりをしていた。


 けど、それにこそなんの意味もないことに気づいた。人を特別に思うことは悪いことではない。


 つまり、日向坂さんが財津翔真の毒牙にかかるようなことにだけはなってほしくない。


 だから。


 俺は財津翔真に挑発するようなことを言った。


 すべては、そんな未来に向かわせないために。

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