迷子の女の子を助けたら待っていたのは彼女にしたい女子ランキング第一位の女の子でした

白玉ぜんざい

第1話 迷子の女の子を助けたら美少女と出会った


 行き交う雑踏の中、しくしくと涙を流す女の子に見向きもせずにただ何事もないように歩く人々を見たとき、ひどくうんざりした。


 スマホに視線を落として気づかない人がいれば、友達と話すのに夢中で視界に入らない人もいて、中には見て見ぬふりする人さえいる。


「大丈夫?」


 俺は少女の前にしゃがみ、視線を合わせる。


 幼稚園児くらいだろうか。少なくとも小学生には満たないように見える。

 背中辺りまで伸びた黒髪をハーフツインテールに括っている。

 長袖シャツの上から紺のワンピースを着た少女が肩にかけているカバンからはくまのぬいぐるみが顔を出していた。


「……」


 返事はなかった。

 ただ、しくしくと肩を揺らすだけ。小さな子供だというのに、ここでわんわんと泣き声を出さないのはかしこいのかどうなのか。


「お父さんかお母さんは?」


 そこでようやくちらと顔を上げてくれた。

 さっきの言葉だけだと自分に言っているものだと思わなかったのかもしれない。


 少女はふるふると首を振る。


「ひとりでここにきたの?」


 ここは近所のイオンモール。こんな小さな女の子が一人で来るとは思えないのだが、一応訊いてみた。


 が、もちろん。


 ふるふる、と再び首を振った。


 はてさて、どういうことだろう。俺の質問を理解せずに答えているのか。

 でも質問に対してリアクションをしているから、そうでもなさそうだ。


 喋ってくれるのが一番助かるのだが。


「誰と来たの?」


 訊いてみる。


「……おねーちゃん」


 話してくれた。


 俺は驚く。


 お姉ちゃんと一緒に来ているのであれば、今頃いないことに気づいているだろう。


「一緒にお姉ちゃんを探そうか」


 言って、俺は立ち上がった。

 すると少女は俺の顔をじじーっと不思議そうに見上げてくる。

 手を伸ばすと小さな手がきゅっと俺の手を握った。


 かわええ。


「きみのお名前はなんて言うのかな?」


「……なな」


「ななちゃんか。それじゃあ行こっか」


 言うと、ななちゃんはこくりと頷いた。


 こぼれていた涙はいつの間にか止まっていた。

 俺が声をかけたことで、少女の中にあった不安が少しでも解消できたのならばよかった。


『困っている人を見捨てるような男にはなっちゃいけないよ。隆之、あんたは困っている人に手を差し伸べられる人間になりなさい』


 そのとき、どうしてか祖母の言葉を思い出した。


 まだ俺が小学生だった頃。

 そのときから何度も何度も言われた言葉だ。

 祖母のことが大好きだった俺はその言葉を守り続けた。それは今でも変わらない。


 全員が全員そうではないのは分かっているけれど、それでも他人に干渉しない人は確実に増えた。


 面倒事になりかねないのは事実だし、触れなければ面倒事に関わることがないのも確かだ。


 かしこい生き方というのは、そういうことなのかもしれない。


 目の前で困っている人に自らのことを顧みずに手を差し伸べようとする俺の生き方はもしかしたらバカバカしいのかもしれない。


 それでも俺は祖母の言葉を守ろうと思う。


 それはただ祖母に言われたからではない。


 ましてや、約束をしたわけでもない。


 最後の最後まで、自分の行動に誇りを持って生き続けた祖母を、心の底から尊敬しているからだ。


「おねーちゃん!」


 しばらく、イオンモールの中をうろうろしていると、ななちゃんがなにかを見つけ反応した。


 ななちゃんの声が聞こえたのか、お姉ちゃんと呼ばれた彼女がこちらを振り返る。


 拭い切れない不安げな顔は、ななちゃんの顔を見た瞬間にぱあっと晴れる。


 目元にはわずかに涙が浮かんでいるように見える。


 ななちゃんが姉とはぐれて不安だったように、お姉ちゃんもななちゃんがいなくなったことに気づいて不安だったのだろう。


 というか、あれ、あの人。


「おねーちゃん!」


「なな!」


 姉にぎゅうっと抱きついたななちゃんは安心したのか再びわんわんと泣き始める。

 それをなだめるように頭を撫でながら「ごめんね、ごめんね」と謝り続けた。


 どうしていいのか分からず、そんな二人の様子を暫し眺めていた俺だったが、ようやくそのお姉ちゃんがこちらを見てくれた。


 別にお礼が欲しかったわけではないのだが、無言で立ち去るのはどうなのかと思い待っていたのだが、どう捉えられただろう。


「……志摩くん?」


 本当に下心なんてものは微塵もない。


「……どうも。日向坂さん」


 ななちゃんのお姉ちゃんがだなんて、そんなこと思いもしなかったのだから。



 *



 四月。

 その春、俺こと志摩隆之は鳴木高校に入学した。

 もしかしたらだめかもしれないと不安を抱くような入試の出来だったが、なんとか合格することができた。


 別にこの学校にどうしても来たかった理由はなく、ただ家から自転車通学の圏内でそれなりの偏差値だったから選んだだけだ。


 教室は期待と不安に溢れた空気が満たしていた。同じ中学の友達はいないので、当たり前のように席に座って一人でぼうっとしていた。


 スタートダッシュを失敗しまいと波長が合いそうなクラスメイトに声をかける者、そもそも友達だったやつと談笑する者、俺のように知り合いがいなくてどうしようもなく一人でそわそわする者。


 見渡すとクラスメイトの様子は様々だった。

 

 そんなときだ。

 

 教室の中がざわついた。


 あるいは、誰もが言葉を失ったと言ってもいい。


 息を呑むようにして、教室の中に入ってきたその女子生徒を見た。

 ほとんどは男子生徒だが、中には女子生徒でさえその美しさに固唾を飲み込む。


 俺でさえ、スマホをいじっていた手が止まっていた。


 それくらい、その女子生徒は可愛かった。


 ブラウンの長い髪。

 大きな瞳と長いまつ毛。

 すっと整った鼻筋にさくら色の小さな唇。


 華奢な体をしているのに女の子としての膨らみはしっかりと自らを主張しており、にも関わらず引き締まるところはしっかりと引き締まっている。


 制服のボタンはしっかりと上まで留めてあり、赤色のリボンをきゅっと結んでいる。

 キャメル色のブレザーは当然だが新しく、緑色のチェックスカートが歩く度にひらひらと揺れている。


 スカートから伸びる太ももはハイソックスに包まれており、ぴんと伸びた背筋は彼女の育ちの良さを思わせた。


 芸能人にも引けを取らない顔、モデルと言われても疑う余地のないスタイルの良さ。

 女性として誰もが憧れるような、男性の妄想をそのまま具現化したような容姿に誰もが視線を奪われた。


 その女子生徒こそが、日向坂陽菜乃だった。



 *



「どうして志摩くんがここに?」


 俺は別に構わないと言ったんだけど、このまま返すのは悪いと日向坂さんが強く言うものだから、俺たちはフードコートに移動した。


 奢ってもらったサーティーワンのアイスクリームをつつきながら、日向坂さんの質問に答える。

 

「俺は休日に近所のイオンモールに買い物に来るのに理由を求められるの?」


「あ、いや、そうじゃなくて」


 俺が捻くれた返しをすると、日向坂さんはあわあわと取り乱す。

 もちろん、彼女の言わんとしていることは分かっているので、冗談もほどほどにきちんと説明する。


「たまたま通りがかったんだよ。その子が一人でうつむいてるところにさ」


「そうなんだ。ほんとうにありがとう。ちょっと友達と電話してたらいなくなっちゃって」


 自分を責めるように乾いた笑いを見せる日向坂さん。


「子供なんてそんなもんでしょ。元気な証拠だよ」


「……うん」


 泣き疲れたのか、ななちゃんは日向坂さんに抱かれて眠っている。この光景を目の当たりにすれば世の中の全男子がこの幼女に嫉妬の炎を燃やすことだろう。


 ということは俺もだろって?

 もちろんメラメラだ。


「でも、志摩くんの姿を見たときは驚いたよ。まさかすぎて」


「驚いたという点で言えば俺も驚いたよ」


「あ、ななの姉がわたしだってこと?」


「いや、日向坂さんが俺の名前を覚えていたこと」


 すすっと視線を逸らしながら言ったので彼女の表情は見えない。ただ、数秒の間返事がなかった。


 日向坂陽菜乃は入学してから間もなくしてほとんどの男子生徒から憧れというか好意の視線を向けられることになった。


 それだけ人気者ということだ。


 そして、それから半年経った今では知らない人はいないくらいで、友達も多いカーストトップのキラキラ女子である。


 対する俺はというと、ろくに友達も作れないまま半年間のうのうと生活していたカースト底辺の陰キャ男子。


 月とスッポン。

 提灯に釣鐘。

 あるいは天と地ほども違うとでも言おうか。


 とにかく、住む世界が違うわけで。


 俺が彼女を知っているのと、彼女が俺を知っているのとでは雲泥の差がある。


「……そりゃ、覚えてるよ」


 しばらくの沈黙を破り、日向坂さんはようやく一言だけ吐き出した。


「話したことのない男子の名前さえも覚えてるとか、完璧以外のなんでもないな」


「やめてよ。そんなんじゃない。それを言うなら志摩くんだってわたしのこと覚えてるじゃん」


「日向坂さんを知らない男子はうちの学校にはいないんじゃないかな」


 俺が言うと、彼女は自嘲するように笑う。


 これまで何度も告白だってされたことだろう。今なお、アプローチを受けているかもしれない。


 さすがに自分がモテるという自覚はあるようだ。


「そんな日向坂さんにアイスクリームを奢ってもらえるなんて幸せだなー」


「……」


 俺が冗談めかして言うと、大きく笑うわけでもなく日向坂さんは微笑んだ。


 その顔はなるほど、誰もが見惚れるのも無理はないと思った。


「な、なに?」


「んーん」


 彼女はゆっくりと首を振る。


 そしてこんなことを言った。


「きっと、アイスクリームを奢ってもらったことに幸せを抱いてるんだろうなって思って」


「……いやいや、という言葉を付け足してもらわないと」


「ほんとうにそう思ってくれてると嬉しいけどね」


 そんなある日の休日の出来事。

 些細で、ありふれた、どこにでもありそうな、けれど中々巡り合うことのないような一日。


 これから俺の学校生活に変化が訪れるのだとするならば、きっかけはこういう日だったりするんだろうなと思った。


 もちろん変わればの話だし、そうそう変わらないことを俺は知っている。


 まして。


 こんなことで夢のような未来を期待するほど、俺はロマンチストではない。

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