天に弓引く国の物語 赤髪の優しき姫は流転する

白鷺雨月

第1話火の巫女

 日の出よりほんのわすかに早い時間に目を覚ました。

 そのすぐあとに侍女の摩耶まやが私の部屋に入ってきた。


「おはようございます、紅音あかね様」

 摩耶は言い、顔を洗うためのお湯が入った桶を私に手渡す。その温かな湯で顔を洗う。


 顔を洗ったあと、私は摩耶とともに自室をでる。

 廊下にでると陽の光がじんわりと降り注いでいた。

 どうやら、完全に夜があけたようだ。

 それほど長くはない廊下を歩き、私は礼拝室に入る前に木浴をするために風呂場に行く。

 次に体を水で清める。

 三月とはいえ、まだまだ水は冷たい。

 摩耶が手際よく、体をふいてくれる。

 そして礼拝用の着物に着替えさせてくれる。

「あら紅音様、またお胸が大きくなられましたね」

 摩耶が軽口をたたく。

「摩耶ほどじゃないわ」

 私は苦笑する。

 着物の上からでもわかるほど、摩耶の体は豊かで魅力的だ。たぶんだけど私よりもひとまわりほど大きいだろう。

 戯れにさわってみたら驚くほどの柔らかさだった。


「まあ、紅音さまったら」

 微笑みながら、慣れた手つきで摩耶は私に白い着物をきせる。

 胸の形をよくするためだときゅっとさらしをまきつける。

 これは摩耶独特の手法だ。

 不思議と胸のかたちがうまくたもたれるのだ。

 これをつけるとひきしまった気分になり、完全に目が覚める。


 このあと、私は礼拝室で太陽の女神芽流めるに祈りをささげる。それが天弓国の盟主である大君としての日々のつとめの一つだ。

 一時間ほど礼拝室で祈りをささげたあと、私は摩耶の用意した朝食をとる。

 沐浴で冷え切った体に温かな味噌汁は心地よいほどのうまさだ。

 具は甘藷と玉ねぎのようだ。

 それをもう一口すすり、私はふっとため息をつく。

 味噌汁と焼き魚、玄米の飯と形式上ではあるが国の頂点にいる大君としては質素すぎる朝食だ。

 私が大君になる前は、一日の食事は庶民の一月分の食費を使うとされていた。

 そんな無駄は大君となった七年前にすぐにやめさせた。


 私が大君となったのは七年前の十歳のときだ。

 それまでは市井で暮らしていた。

 実の父母はすでに亡く、父の友人であった行商人の家で育った。

 その家の一人息子である木蓮もくれんと街の悪童たちと毎日泥だらけになって遊んだものだ。

 大人になったら、木蓮と結婚して行商を継ぐものだと思っていた。だけどそうはならなかった。


 私が十歳の誕生日を迎えたすぐあと、桜都おうとの役人が家にやってきた。

 大君家であるさくら家の跡取りになる姫たちが流行り病で全員亡くなったという。

 大君家のことなど平民の私には関係ないと思っていた。

 だけど関係なくはなかったのだ。

 私の祖母がその時の大君の叔母の娘だったのだ。祖母は大君の従姉妹だったのだ。

 祖母の母、すなわち私の曾祖母はかなり自由気ままな人だったようだ。

 身分の低い男性と恋に落ち、その男とのあいだに娘をもうけた。

 父親の身分が低するので大君家に迎えられなかった祖母は市井でくらすことになった。


 そう、私は大君家に連なるものだったのだ。


 大君家に連なるものの証がもうひとつある。

 大君家である桜家の女性は皆燃えるような赤髪で産まれる。

 祖母も母も私も真っ赤の炎のような髪の色をしていた。


 跡取りをすべて亡くしたそのときの大君に私は養女として迎え入れられた。そしてほどなくして大君は病死し、私があとを継いだ。


「木蓮どうしているのかしら……」

 一人私は言う。

 左手首にある三線3センチほどの古傷を見る。

 それは木蓮の真似をして木登りをして、落ちたときに負ったものだ。

 義母にはひどく怒られたものだ。

 女の身に傷をつくってと。

 そうしたら木蓮が俺の嫁にするから怒らないでくれと言ってくれた。


 優しい摩耶は私のひとりごとを聞いても聞こえないふりをしてくれる。

 王宮につれてくられてから、私は木蓮に会っていない。

 幼なじみの彼に会いたい。

 でもそれはかなわない。

 私には大君としての職務と責任があるからだ。

 私は自分自身に誓った。

 決して木蓮にたいして恥ずかしくないような政務をとろうと。

 今のところは各諸侯と同盟を結び、どうにかして平和と均衡を保っている。だがそれは砂でつくられた城のようなものだ。

 なにかの拍子に崩れかねない。

 天弓国とはそんな危うい国なのだ。



「朝食のあとは執政の蘭彩歌らんさいか様が面会を求めております」

 摩耶がこのあとの予定を告げる。

 執政とは大君を補佐し支える役職のことをいう。

 実務的なまつりごとは彼がになっているといっても過言ではないだろう。


 朝食を食べたあと、執務室で蘭彩歌と会う。蘭彩歌は三十代半ばの武士というよりは学者といったほうがいいような風貌の持ち主だった。はるか西の大国沙参ささん王国でつくられたというガラスの眼鏡をかけている。

「恐れながら大君殿下に申し上げます。北の辰帝国との国境を守る藤幻夜様から賊徒鎮圧のための出兵要請がございました」

 たんたんとした口調で蘭彩歌は言った。

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