1-2

「だぁー! くそっ! イライラする!」


 LOVを強制終了させて現実世界に戻ったリョウは、VRゴーグルをベッドの上に投げ捨てた。


 最悪な気分だ。

 唯一の現実逃避だったはずのゲームで、ここまでストレスを与えられることになるとは。


「チーター死ね!」

「呼んだか?」

「どわぁーっ!」


 誰もいないはずの部屋の中でいきなり声がしたので、リョウは変な声を上げて飛び上がってしまった。

 見ると、部屋のテレビの前で、見たことのない謎の少女が座ってこちらを見ている。


 いや。

 前言撤回。

 リョウは彼女を見たことがある。


 それは、さっきLOVの中に現れた『自称神のサイコ美少女』そのものだった。

 年齢的には高校生くらいだろうか。背中まである長い髪は燃えるように赤く、瞳は金色に輝いている。

 いや待て、ゲームの中ならともかく、現実でこんな髪や瞳があるのだろうか?


 ちなみに服装はあのダサい『神』シャツではなく、ドンキとかで売っていそうな黒いジャージのセットアップになっていた。

 それが、ゲーム内での姿との唯一の違いかもしれない。

 まあ、ダサい服という意味ではどっちもどっちなのだが。


 ともかく、ゲームの中からそのまま飛び出してきたかのようなその美少女が、現実に部屋にいて、何かゲームのコントローラーみたいなものを持ったままこちらを見て笑っている。


 どう考えても異常な状況だ。

 彼女いない歴=年齢のリョウであっても、この状況で「ラッキー!」とは流石にならなかった。


「何で? これは夢か?」


 リョウはキョロキョロと周囲を見回した。

 そこは見慣れた自分の部屋に間違いなかった。

 ボロアパートの六畳一間。


 謎の美少女がそこにいるという以外は、特に変わったことは……あれ?


 よく見ると、テレビの画面に昔懐かしい格闘ゲーム『餓狼伝説がろうでんせつスペシャル』の画面が映し出されている。さらによく見ると、テレビと少女のあいだには見慣れない黒いゲーム機が置かれていて、彼女が持っているのはその謎のゲーム機のコントローラーらしい。


「何を寝ぼけておるのじゃ。ちょうどよい、ガロスペ餓狼伝説スペシャルで先ほどの雪辱せつじょくを果たしてみるか?」

「ガロスペって……てか、何で勝手に人の家でゲームしてんだよ!」


 少女はジョーヒガシを操り、不知火舞しらぬい まいをボコボコにしている。


「そもそもお前、どうやってこの部屋に入ったんだよ?」


 リョウはその不気味なサイコ美少女から少しでも距離をとろうとしたが、狭い部屋なのですぐに背中が壁に当たってしまった。


「なぁに、神である我にとっては造作もないことじゃ」


 ガロスペをやりながら、少女がこともなげに答える。


「神って、お前なぁ……まだその設定続けるのかよ?」

「設定とは何じゃ」


 自称神の少女は、横目でリョウを睨んだ。

 そして睨みながらも正確無比なコントローラーさばき。

 どんだけ器用なんだよ。


「まさかとは思うが、お主、本気で我を知らんのか?」

「ああ、知らねーよ!」


 どう考えてもただの不審者だ。警察呼んだ方がいいかな?


「まったく、これじゃから最近の若者は……」


 少女は呆れたようにため息を吐いた。

 ちなみに推定17歳くらい。

 どう見てもお前の方が若者だろ。


「日本人なら古事記こじきを読め。ついでに日本書紀にほんしょきもな!」

「は、はぁ……古事記?」


 歴史の授業で聞いた事があるような、ないような。

 唐突なキーワードに、リョウは思わず目をパチクリさせた。


「そうじゃ。そこに我の活躍が書かれておる。日本人の常識じゃぞ」

「どんな常識だよ。というか、そんな昔の本に何でお前の事が書かれてるんだよ!?」

「だぁ~かぁ~らぁ~」


少女は唇を尖らせる。


「神だから!」

「いやいや」


 こんな奴が神だったら大変だ。


 そんな会話の間にも、少女が操るジョー東はものすごい勢いで隠しボスであるリョウ坂崎サカザキをパーフェクトで撃破し、テレビの画面にはエンディングが流れ始めた。


「やれやれ、こっちのリョウもクソ雑魚じゃな」


 どう考えてもお前が強すぎるだけだろ。どんだけガロスペやり込んでんだよ!


 とういか今、リョウって言ったか?


「お前、何で俺の名前知ってるんだよ!?」

「神だからな。名前だけではないぞ」


 少女はコントローラーを床に置いて立ち上がると、窓際のデスクの前のゲーミングチェアに座ってクルクルと回転した。


「21歳の大学四年生、身長175センチ、体重65キログラム、趣味はゲーム、就職活動中だが内定はまだない、彼女いない歴=年齢、童貞、好きな同人作家は」

「あー! わかったわかった!」


 余計なこと言うなバカ。

 てか何でそんなに俺のこと知ってるんだよ。

 マジで怖すぎるんですけど。

 まさかのまさか、本当に神、なんてことないよな。


「でもよ、神ってもっとこう……威厳があってオーラとかもあって、何ていうか神々こうごうしいものじゃないのかよ?」

「はぁ、お主は本物のバカなのか?」


 回転を止め、ゲーミングチェアの肘掛けに頬杖をついてリョウを見下す少女。

 むかつくことに、そんなポーズも無駄に様になっている。


「そんなあからさまに『神です』みたいなオーラ丸出しでおったら、変質者だと思われるじゃろ」

「う、うん? まあ、そうだな……」


 おまわりさーん、あからさまな変質者がここにいまーす。


 少女はふと何かを考えるようにチラリと窓の外に目を向けた。

 横顔もやっぱり可愛い。中身と服装はマジで残念過ぎるが。


「フム、しかしそうだな。冷静になって考えてみれば、お主が我を神だと信じられないのも無理はないか」


 お、やっと冷静さを取り戻したか。


「何しろ、今はこの世界に最も自然に溶け込める姿にカモフラージュしておるからのう。どう見ても普通のJKにしか見えんじゃろ」

「冷静になった結果がそれかよ!」


 それにJKって……ツッコミどころが多すぎて頭が痛くなってきた。

 リョウはどうやってこの自称神のサイコ美少女にお引き取り頂こうかと頭をフル回転させていた。


「えっと。とりあえずお前は神様ってことなんだよな?」

「うむ。さっきからそう言っておるじゃろ」

「で、神様は」

「テラでいいぞ」

「てら?」

「テラじゃ」


 少女は不敵に笑って繰り返した。

 金色の瞳がキラリと光る。


 

天照大神あまてらすおおみかみでは、長ったらしくて気軽に呼びにくかろう。だから略してテラでOKじゃ」


 アマテラスオオミカミ……そういえばLOVの中で会った時もそんな風に名乗っていた気がする。


 天照大神といえば、日本の神様の中でもトップクラスのえらい神様だったような……。


 まあ、頭のおかしい奴のいう事をいちいち真面目に考えても仕方ないか。


「じゃ、じゃあ……テラは」

「うむ」

「何で今ここにいるんだ? お前は何が目的なんだよ?」

「我の目的か、なかなかいい質問じゃな」


 テラと名乗る美少女は、真っすぐにリョウを見つめた。

 金色の瞳は、ずっと見ていたら吸い込まれてしまいそうに思えるほど、澄んでいて綺麗だった。


「わかりやすくシンプルに言おう。我の目的は、勝つことじゃ」

「カツ……?」


 やばい、全然わからない。


「うむ。ゲームで勝つのが我の目的じゃ」

「ゲーム? ああ、そうか……」


 そういえば、コイツはもともとLOVというゲームの中の存在なんじゃないか。

 原因は不明だが、なぜかゲームの中からいきなり現実に現れた、オバケみたいな存在。

 だから、こいつが言っている『ゲーム』というのはつまり、本来いたゲームであるLOVのことなんだろう。


「だったら、早くゲームの世界に帰れよ。何で俺の部屋で勝手に遊んでるんだよ」


 リョウがそう言うと、テラはポカーンとした顔をして固まってしまった。


「何だよその反応は……」

「お主、何をわけのわからんことを言っておるんじゃ。今おるこの世界こそがゲームの世界じゃからな」

「はあ!? いやいや、わけわからんのはお前のほうだろ。ここは現実世界だからな? そもそも、何でお前はLOVの中から現実世界に出て来てるんだよ!」

「はああ!?」


 テラは心の底から呆れたというような顔をして目を見開いた。


「お主は大学生にもなって中二病なのか? ゲームの中のキャラクターが外の世界に出てくるわけがないじゃろ。お主がやっていたLOVとかいうゲームは、あくまでゲームの世界の中のゲームじゃからな」

「ゲームの世界の中のゲーム?」

「ああ、LOVじゃ」

「この世界、というゲーム……?」

「そう」


 テラは大きく頷いた。


「お主が生きているこの世界は、神々が遊ぶゲームの世界じゃからな」

「は……?」


 今度はリョウのほうがポカーンとする番だった。

 俺が生きてるこの世界が、ゲームの世界だって?


「つまり、お主にとってのこの現実世界は、神が遊ぶゲームの世界。LOVの仮想現実の世界は、人間が遊ぶゲームの世界。だからLOVはゲームの世界の中のゲームということじゃ。これで理解できたか?」

「いやいや、そしたらどっちもゲームの世界ってことになるじゃねーかよ! 現実世界はどこに行っちゃったんだよ?」

「本当の意味での『現実世界』と呼べるのは、神の世界、つまり高天原たかまがはらのみじゃな」


 神の世界だって?

 リョウはあまりにも突飛な話に言葉を失った。

 コイツと話してると、頭の中がぐちゃぐちゃになりそうだ。


「ちなみにさっきLOVの中でお主と戦ったのは、あくまでゲーマーとしてお主がどれほどの力があるか試してみただけじゃ。結果、チートすら使えないクソ雑魚ナメクジということがわかっただけじゃったがな」

「チート使えないからザコって、考え方がチーターそのものじゃねーか!」

「だからチーターなのは当たり前じゃろ、神なんじゃから」

「いやいや、神なら何でもありみたいに言うなよ!」

「たわけが。神なら何でもありに決まっておるじゃろ」


 なんちゅー強引な理屈だ。

 やっぱりコイツはイカれてる。


 大体、このつまらないクソゲーみたいな世界に、神様なんているはずがないだろ。

 もし本当に神様なんてのが存在するのだとしたら、もっと誰もが幸せに生きられているはずじゃないか。

 だが実際には、世界は不幸であふれている。


 俺みたいに彼女いない歴=年齢のつまらない人生の奴だっている。

 縁結びで有名な東京大神宮とうきょうだいじんぐうに毎年一人で寂しく初詣でに行ってるのに、何のご利益もない。

 それこそが神様なんて存在しないという、これ以上ない証拠じゃないのか?


 ピンポーン。


 その時、いきなりインターフォンの音が部屋に響き、リョウはビクッと飛び上がった。


「あれ……」


 さっきまで目の前にいたテラは、幻のように消えてしまっていた。

 まるで、最初からそんな奴は存在しなかったかのように。


「え? 夢?」


 夢にしては、妙にリアルだったが。


「まあ、そりゃ夢だよな……」


 夢に決まっている。

 夢じゃなきゃ困る。


 この世界がゲームの世界だなんて、中二病の妄想にもほどがあるだろ。

 しかも美少女の神様なんて……。

 自分でも呆れてしまうほどの下らない夢を見てしまったものだ。

 もしかしてゲームのやり過ぎかな?


 窓に目を向けると、いつの間にか外の景色は夕暮れで赤く染まっていた。

 そして何となく時刻を確認しようと思ってスマホの画面を見ると、一通の新着メール通知が届いていた。


 『採用通知 株式会社オロチ』


 通知に表示されたメールの件名を見て、リョウは目を疑った。

 株式会社オロチは、LOVを運営するゲーム開発会社だ。


「採用って……マジで!?」


 初めての内定。

 就活中の大学生である彼にとって、それはまさに天恵にも近いありがたいものだった。


 しかもそれが、彼にとってもはや人生の一部とさえいえる最高のゲーム、LOVの運営会社からとなれば、喜びもひとしおである。


 以前にゲーム内でたまたま『社員募集のお知らせ』を見て、ダメ元で履歴書を送っていたのだが、まさか本当に採用されるとは思ってもいなかった。


 歓喜のあまり放心していると、インターフォンが早く開けろとせかすように連打された。


 ピンポ! ピンポ! ピンポーン!


「あ、ヤバイ。はーい!」


 我に返ったリョウは慌ててドアの方に向かった。


「アマゾンの配達じゃないよな……何も注文してないし」


 さっきの奇妙な夢のせいか、変な胸騒ぎがする。

 念のため、カギを開ける前にドアスコープを覗くと、ドアの向こう側には青っぽい制服を着た二人組の男女が立っていた。


「え、警察……?」


 それは警察の制服とは少し違うようだが、その二人は警察っぽい緊張感を漂わせてそこに佇んでいた。


 女の方は20代半ばくらいだろうか。茶髪ロングのハーフ系の顔立ちの美人だ。

 一方、男の方は30代前半くらいに見える。成人男性がまるまる二人は入ってしまいそうな大きくてイカつい体は、どんな凶悪犯でも一目見ただけで戦意喪失してしまいそうだ。


 まあ、制服を着ているし、とりあえず変な奴らではないだろう。


 そう思ってリョウは鍵を開けたのだが、すぐに自分のその認識が間違っていた事を痛感することになった。


 ドアのカギを開け、ドアノブを回そうとした瞬間。


 バァーン!

 と音がしそうな勢いでドアを引っ張られ、危うく転びそうになってしまった。


 だがそんな彼に全く気にする様子もなく、ドアを開けた女は背筋を伸ばしたまま、高らかに宣言するように声を上げた。


「時空警察のマナセナです。この部屋で異常な次元の歪みを感知しました。ただちに部屋を確認させて頂きます!」

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