詛い

長月みく

呪縛

私はいつも、諦め以外の感情をほとんど持たずに生きてきた。

思えば物心がついたころから。


最初のおぼろげな記憶は私が小学生のころだったか、体育だったかの授業中、『二人一組』であぶれてしまった時のこと。どうしようもない羞恥心と、いたたまれなさに全身がつつみこまれたことを覚えている。

そんなささいな出来事が積み重ねになった結果、私はいつしか期待をすることをやめた。

期待をしなければ落胆することもない。悲しくなることも、自分をみっともないと思うこともない。何も期待していないのだから何も感じない。そんなポーズを取ることができる。

要するに、自分の置かれた環境…ちいさな世界のなかで身につけた唯一の自衛策だった。


ただ、そうした自衛策を取らざるを得なくなったのは、私が育った環境も一因だと思う。

私の家は、他の家とはすこし違っていた。

何が違うかと言うと、私の家庭の会話にはいつも『神様』が存在していた。ちいさなころは何も疑問に思わなかったし、どこの家もそんなものだと思っていた。

私の家族が言う神様は、じぶん以外を愛することを認めなかった。そして、じぶんを信じて愛するものに激しい規則や制限を設けていた。


生き物を食べてはいけない

仕事は誰よりも熱心にやりなさい

子どもは未熟な生き物なので、遊びすぎないように保護者がしっかり監督すること

ぜいたくはせず、神様に尽くしなさい

娯楽は人間を堕落させるものなのでやめなさい


ほかにも細かな規則があって、それを守ることでどうやら救われるらしかった。救われるというのはつまり、死んだあとにとってもいいところに行けるということ。


幼心に、神様っていうのはずいぶんとわがままで、子どもと変わらないじゃないかと思ったこともある。

一度それを口にした時には、親にものすごく怒られた上、『反省部屋』と呼ばれる薄暗い物置に半日詰め込まれた。それ以来、私は神様の陰口をたたくことをやめたのだ。


小学校低学年のとき、友達と家族の話をしていた時のこと。当たり前にみんなの家にも神様がいるものだと思っていた私は、みんなの前で神様の話をした。

子どもというのは残酷だ。その気が無くても、自分たちと違うもの、よくわからないものを叩いたり、攻撃したり、時に除け者にしたりする。私は友達から距離を置かれた。


親にそのことを相談すると、母は

「そんな友達、いない方がいいじゃない。いや…最初から友達じゃなかったのよ」

と言ってみせた。

それでも、自分に非がないにもかかわらず仲間外れにされてしまうことは納得ができなかったし、さらに何より悲しかった。


見かねた母は、私をある集会に連れて行った。それは両親と同じ神様を信仰する家族を持つ子どもたちの集まりで、一見楽しいものに思われた。

しかしそんな期待は打ち砕かれた。そこは神様の教えを学ぶための場所で、すこし年上のお兄さんやお姉さんが、神様の話を私たちに読み聞かせ続けた。

お菓子やジュースなんてものもない。私たちは固くて冷たい床の上で正座をさせられて、神様の話を聞いた。中盤くらいからは足が痺れてお腹が空いて、話なんてまったく頭に入っては来なかったけれど、それに気づかれるとまた叱責を受ける。私は無表情を貫き通した。

そして話が終わると年長者から先ほどの話に関する質問をされるのだ。それに答えられないと、たっぷりと『宿題』を出された。神様の教えが書かれた教典を◯回読んでくるだとか、感想文を1000文字以上で書いてくること、だとか。


その集まりは週に二回もあって、ある日私はボイコットをすることに決めた。学校の帰りにそのまま姿をくらませて、家に帰らなければ行かなくて済む。浅はかな私はそう考えた。


当然だが母は私を必死に捜索して、町の図書館にいた私を見つけた。そして人目もはばからずに私の頬を叩き、有無を言わさず腕を引っ張って行った。

その後はどうなったか。…正直言うと、言葉にすることで思い出してしまいそうなので、ここで言語化することは避けたい。


結局ろくに友達もできず、学校ではずっと浮いた存在として生活をして、それでもなんとか今では中学三年生。地方に住んでいるため小学校、中学校はほぼ同じメンバーでの繰り上がりだったが、高校はほんの少し選択肢が広まる。少なくとも、今よりはほんの少し良くなるだろうと思っていた。


「有里ちゃん、高校はお父さんとお母さんが決めたこの高校にしなさい」


ある日のこと、母からそう告げられた私は冷や水を浴びせられた気持ちになった。既に進路は自分の中ではほぼ決めていて、隣県にある少し規模の大きな進学校に行きたいと思っていたのだ。

父がパンフレットを机の上に置く。それは両親が信仰する宗教の運営する高校で、ここからは結構な距離がある場所にあった。

「でも、私…」

行きたい高校がある、それを口にする前に母に先を越された。

「お父さんもお母さんも、あなたのために言ってるのよ。絶対間違いないから、ここにしなさい。ね?」

まるで切り取って貼り付けたような母親の笑顔を見て、私は言葉を失った。


諦めたのだ。


そしてその時、自分の中で確信に近い考えが沸々とわきあがってきた。

これまでも何度かそれが浮かんできては沈んでいたが、その時決定的なものになって、水面から顔をのぞかせたように思う。


自分の生活はこれまでもこれからも、ずっと良くなることなんかないんじゃないか。


「わかった、そこにする」

なんの感情も持たずに落とした私の言葉を聞いて、両親は満足そうに頷いていた。そのあとに食べたご飯の味は、ほとんど覚えていない。


私にはほんのささやかな夢があった。

高校に行ったら、吹奏楽部に入ってみたかった。楽器を演奏することも神様が大嫌いな娯楽であることから、両親には反対されていた。

隣県の学校に行って、寮に入りたいと話すつもりだった。そうすれば神様から離れられる、逃れられると。


でも、親に反抗するというのは私の中の選択肢にはなかったと思う。なぜかはわからないが、そういうものなのだと思っていた。


だから、私は諦めたのだ。


高校は同県にあり、通学には大体一時間。ただ唯一救いだったのは、私がこれまで一緒だったクラスメイトは誰一人そこへは進学しなかったことだ。

毎朝電車に乗るのは初めは大変だったけれど、入学してからしばらくすると意外と悪いものではなかった。

通学時間は自由だ。本を読んでもいいし、音楽を聴いたっていい。もちろん家に帰ったらそれらの証拠は隠滅しなければならないのだが、少なくともその時間だけは神様の支配から逃れられているような気がした。


同じ学校の生徒たちも、神様を熱心に信じている子もいれば、私のようにそこまで…という子までさまざまだった。みんなが熱心な信徒だとばかり思っていた私にとっては、それは幸いなことであった。

私はそこで、一人の生徒と友達になった。半田凛ちゃん。彼女はこの高校の寮に住んでいるらしく、実家はなんと飛行機で一時間の場所にあるらしかった。


それでも凛ちゃん曰く「家にいるよりはずっといい」生活を送っているらしかった。寮住まいは何かと規則があるが、それでも家にいたころよりはいい、と。


凛ちゃんは、私と同じ目をしていた。

とっくに何かを諦めたような、そんな目を。


なのでクラスメイトや教師に見つからない場所でふたりきり、これまでの話をしたりした。親に打たれた話、集会での辛かった出来事、学校でのこと…色々だった。

傷の舐め合いでしかなかったのかもしれないけれど、凛ちゃんと話している時には私の心は穏やかになった。これまで生きてきて、こんなことは初めてだった。


だから、本当に少しずつではあるけれど、私の諦めの感情も柔らかくなりつつあった。外側が少しずつ温められて、少しずつ少しずつ、溶けていくように。


そんな毎日を送っていたある日、とんでもないことが起こってしまった。

ある日の朝のホームルームのこと。担任の女性教師が、ふだんより幾分落ち込んだ様子で教室に入ってきた。いつもにこにこと朗らかな彼女にしては珍しい。

ざわつきが静まると、彼女は口を開いた。


「えっと…皆さんに、悲しいお知らせがあります。半田さんが昨日、亡くなりました」

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