第2話
――その日も特に変わったことなどない、いつもどおりの一日のはずだった。
朝は普通に眠かった。朝ごはんを味わいもせずに適当に食べて、すぐに家を出た。電車は混んでいたし、クラスメートは全員出席していた。午前中、好きな授業は真面目に受けたし、あまり興味がないのは寝たり起きたりしながらやり過ごした。
変わったことと言えば、昼休みに一人で屋上に出たことくらいだった。最近身の回りで起きる不思議な出来事について、一人になって考えたかった。五月の大型連休明けの空はどこまでも青くて、ワイシャツの隙間から入ってくる乾いた風も気持ち良かった。
しばらくの間、屋上から遠くに聳え立つ都庁を眺めながら考え事をしていると、その手前にいつのまにか煙が上がっていた。風に乗って、微かに何かが燃える匂いと一緒に、人の喚く声も聞こえた気がした。都庁の手前には大きな公園があるから、そこで何かイベントでもやっているのだろう、何となく思った。チャイムが鳴って、教室に戻った。
一日がいつもどおりに終わりそうもなくなったのは、五限が終わってからのことだった。
休み時間に入るとすぐに教室が騒がしくなった。仲の良いクラスメート同士が固まって、端末を見て騒いでいる。教室のどこかしらで誰かが騒ぐのはいつもと大して変わらない光景の筈だった。いつもと違うのは、その表情だ。皆一様に少し緊張した面持ちで端末を眺めている。
五限の後半からウトウトとしていた弘が、そんな光景をぼんやりと眺めていると、隣の席の
「ちょっとヒロ、これ見て、これ。ここの近くじゃない?」
「え、ああ。そうだね。たぶん、そう」
何のことだかよく分からないまま、端末に映される見覚えのある街並みを見て、ヒロは答えた。
「これって、あれなのかな。ガーディアン出てくるが出てくる。最近、話題になってるやつ」
「あれ? だって、あれって何かの宣伝目的のフェイクムービーだろ? 本当にあんな人たちがいたら、リアルにスーパーヒーローでしょ」
「それにしても、よく眠れるよね。外、サイレンでうるさいのに」
ミクに言われて、外が騒がしくなってきていることに、ヒロはようやく気が付いた。昨日遅くまでゲームをやっていたせいか食後は睡魔に襲われてしまったが、昼寝を済ませてようやく目が覚めてきた。
ヒロも端末を取り出す。SNSやニュースサイトを巡って映像を探しては、それらを見せ合っているうちに休み時間が終わってしまった。
六限が始まる時間になっても英語の教師はやって来なかった。代わりに担任の鈴木がやってきて、六限は自習だと一言だけ告げると、何の説明もしないまま去っていった。鈴木の少し慌てた様子に、ヒロたち生徒はいつになく不安を覚えた。
六限の途中、三時を過ぎる頃になると、上空をヘリコプターが旋回するようになった。みんな自習どころではなくなって、堂々と自席を離れて友人同士で話をしたり、窓から顔を出して外の様子を見たり、好き放題しはじめた。
開け放った窓から、何かが燃える匂いが漂ってくる。ヒロが昼休みに嗅いだそれよりも遥かに強く匂っていた。
徐々に教室が騒がしくなり、隣の教室に行ってしまう生徒も出てくる頃になって、ようやく担任の鈴木が教室に戻ってきた。
「よーし、みんな座れー。おー、お前ら、一応自習中なんだから、勝手に出ていくなよ。さ、みんな座ったかー」
のんびりと冷静を装って鈴木は生徒に呼びかけているが、その口調に反して表情は固い。彼はジャケットの襟を正してから、ゆっくりと教室を見回すと、生徒たちに状況の説明をしだした。
「いいかー。今、ちょっと外ではな、事故だか事件だか、とにかく何かが起きてるらしい。先生たちで警察署、消防署、あと役所なんかに手分けして問い合わせてみてるんだが、詳しいことは分からなかった。詳しいことは分からなかったが、やっと連絡が着いた区役所の人からはとにかく誰も外に出さないように言われた。とにかく当分の間は学校内に留まるように。それだけは、とっても強く要請された。だから、もうしばらくここに居てくれ。あ、でもあれだ、あれ。トイレには行ってもいいんだぞ」
堅くなり過ぎた口調を気にして、鈴木は最後におどけてみせたが、誰も笑わなかった。いつもなら、女子生徒から「キモい」といったような非難の声の一つもあがるのだが、今はそれすらなかった。
鈴木の説明に納得のいかない何人かが端末を片手に、テロなんじゃないか、事故なんじゃないか、質問なのか主張なのか分からない言葉を鈴木にぶつけるが、ただの高校教師でしかない彼は何も確かなことは答えられない。
教室で唯一の大人が状況を把握していないのが分かると、生徒たちは再び自分勝手に振る舞いはじめた。原因は不明だが、大変な事が起きていることだけは間違いないようだった。
不安を紛らせようとするように、クラスメートは皆、いつもよりハイになって大声で話している。教室の様子だけを見れば、何かの楽しみなイベントを控えてクラス中がはしゃいでいるだけに見えなくもない。
その時だった。
「おい、あれ人だぞ。走って逃げて来てる」
クラスメートの一人が大声で叫んだ。
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