第2話無定形野史
オーディン~臆病者と呼ばれた男の物語~
無定形野史
愛が死ぬのは、愛の成長が止まる、その瞬間である。
バール・バック
第二翔【無定形野史】
「何だと?今年はワインが入って来ない?どういうことだ」
「は、それが、今年は天候が悪く、上質なものが採れないとのことで」
「構わん。買って来い」
「それが、良いのが作れないと売ることは出来ないと言われまして」
「なんだと?」
その年は天候が不安定だった。
朝は太陽が出ていたかと思えば、昼には嵐になり、夜になると乾燥する。
翌日にはカンカンに日照りが続き、昼になると一気に気温が下がるなど。
とにかく、管理するのが困難だった。
全て人の手で作られ、高価な機械などなかった村では不作が続いた。
それはワインの葡萄で有名なボブリュッフ村も例外ではなく。
「葡萄が不作に?」
「そう。それで、オーディンの村も葡萄作ってたよね?何か方法はないのかって」
「んー、確かに近頃の不安定な気候だと、不作になるだろうな」
解決策を求められても、実際にやってみないことには何とも言えない。
それに、とても繊細なため、一軒一軒が葡萄を作っている範囲はとても狭い。
それでも不作になってしまったとなると、もはや打つ手なし。
「おい、聞いたか?」
鍛練中の騎士たちの中にも、葡萄農家出身者がちらほらいるようで、今年の葡萄の不作の話はどんどん広まって行った。
「トニサ―ルが、今年葡萄が入らないことに激怒して、どっかの村を潰しにかかるって言ってるらしいぞ」
「どっかってどこだよ」
「わかんねえけど、多分」
“ボブリュッフ”という単語が耳に届くと、オーディンは思わず立ち上がった。
オーディンがボブリュッフ出身だと知っている騎士たちは、慌てて口を塞ぐ。
「オーディン落ち着け。まだ確かな情報ではないんだ」
「葡萄作ってるとこなんて、他にもあるし」
周りの騎士たちに言われ腰を下ろすが、もうオーディンの思考はまともに機能しない。
その日一日落ち着かず、オーディンにしては珍しくリービッヒに叱られていた。
悶々とした日々を送っていると、ある日、デガルが夜中にこそっと話かけてきた。
「トニサ―ルが三日後、ボブリュッフ村を襲うって聞いた」
「・・・・・・」
「行きなよ。こっからなら半日もあれば着くだろ」
「けど」
「いいから。お前がその調子だと、次のトニサ―ル戦にも支障きたしそうだし」
つっけんどんに言うデガルはそのまま背を向けて寝てしまったが、オーディンはそれが有り難かった。
明日にでも村にいってこのことを教えれば、みんなを逃がすことが出来る。
一つ村が潰れたとしても、生きていればまた別の場所に村を作り、葡萄を作ることが出来るのだから。
オーディンは翌日、軽装に着替えると、馬に跨って村まで走って行った。
リービッヒには体調がすぐれないと伝えたため、こっそりと。
ボブリュッフ村に着くと、そこには自分が昔住んでいた家と、育てていた葡萄がある。
懐かしいなと思いながらも、オーディンは馬から下りると、手綱を適当な場所に結んで葡萄の世話をしている、見覚えのある背中に声をかける。
「父さん」
あまりに久しぶりに呼ばれてピンとこなかったのか、エレンは声がしてから少し時間を置いて、振り返ってきた。
しばらくオーディンを見つめていたかと思うと、徐々に目を大きく見開き、顔をタオルで拭きながら近づいてきた。
「オーディン?オーディンなのか?」
「うん」
「どしたんだ?まあいい。母さんにはもう会ったのか?」
「まだ」
背丈も充分に伸びたオーディンの両腕をパンパンと叩きながら、嬉しそうに表情を緩めると、エレンは家へと向かって歩く。
ふとオーディンは葡萄を見ると、確かに通年に比べて成長も悪く、色も良くない。
その間にも、エレンは母親であるカトリ―ナを呼んでいた。
「おい!オーディンが帰ってきたぞ!」
家の中からは、同じように目を大きく見開いてオーディンを見るカトリ―ナがいた。
オーディンは二人へと近づいて行くと、カトリ―ナはオーディンを抱きしめた。
「立派になって・・・!」
「すっかり一人前だな!」
「父さんも母さんも元気そうで良かった」
それに、オーディンが城に雇われてからもう三年以上経つのだ。
それほど変わりないはずなのだが、父親も母親もどこか老けこんでしまったように感じるのは、なぜだろう。
「今日は泊まっていけるの?」
「あ、ごめん。帰らないといけないんだ」
「そうよね。でも来てくれて嬉しいわ」
本題に入らなければいけないのに、なかなか言い出せずにいたオーディンだが、オーディンを家の中に入れると、カトリ―ナが口を開いた。
「それで、何かあったのね?」
「え?」
「顔を見れば分かるわ」
さすがというべきなのか、オーディンは黙っているわけにもいかず、この村が襲われるかもしれないということを伝える。
「葡萄の不作ってだけで襲われたんじゃ、たまったもんじゃ無いな」
「三日後に来るっていう情報が入ったんだ。みんなにも伝えて。ここで育ってきた葡萄は可哀そうだけど、新しい村を作ってそこでまた作ればいいと思うんだ」
「新しい村っていってもなあ」
「ここから北に十キロ進んだ場所に、誰も住んでいない村があるんだ。昔は住んでたみたいで、家とか多少残ってるって。そこで、もう一度出来ないかな」
「三日後なんて急ねぇ」
葡萄のこともあるし、けれども村のみんなを危険にさらすわけにもいかない。
うーんと考えていたエレンだが、よし、と言うと家の扉を開けた。
「父さん?」
「みんなに伝えてくらぁ。オーディンは城に戻れ」
「俺も行くよ」
そう言ってオーディンも立ち上がるが、その腕をカトリ―ナが掴んだ。
「オーディンは帰りなさい。私達なら大丈夫よ。ありがとう。わざわざ教えにきてくれて。あなたに会えて良かったわ」
「母さん・・・」
草を食べていた馬に跨ると、オーディンは城の方向を見る。
その視線を両親に戻すと、二人はいつものように微笑んでいた。
「気をつけてね」
「うん」
「しっかりな」
「うん」
別れを惜しんで城に帰る頃には、もう空が暗くなってきていた。
その後聞いた話によると、トニサ―ル国はボブリュッフ村に騎士たちを送りこんだそうだが、人影が見当たらなかったとかで、撤収したそうだ。
それを風の噂で聞いたオーディンは、ホッと一安心していた。
「良かったね」
急に現れたヴィントが笑いながらオーディンの隣に座ると、トレーに乗せてきた昼食を頬張る。
「トニサ―ルとの戦争もひとまず休戦ってことになったし」
だからといって、決して戦わないということではないのだ。
ジュバローズ国王はまた戦争をするだろう。
その時までしっかりと鍛錬をして、また戦わなければいけない。
その頃、ジュバローズ国王はボブリュッフ村からのワインがなくなってしまい、大層残念がっていた。
「ワインはあそこの葡萄にかぎる」
「ジュバローズ国王様」
「なんだ」
「とある村で採れる葡萄の評判が良いとの情報が入りました」
「美味いのか?」
「ええ。なんでも、あのボブリュッフ村と同等のものだとか」
ならば話が早いと、ジュバローズ国王はそこから葡萄を取り寄せることにした。
しかしそれはトニサ―ル国でも同じこと。
「ボブリュッフ村に向かってから早半年。不味いワインには飽きてきた。丁度頃合だ」
「いかがなさいますか」
「以前のような失敗は許されん。交渉してこい。金なら幾らでも出そう」
「かしこまりました」
自分たちだけのものにしたいと、その欲望が全ての根源となる。
「ジュバローズ、貴様には渡さん」
宝石や金を持って馬に乗り、トニサ―ル国に仕える騎士たちがある村にやってきた。
そこは名がまだついていなく、場所も不確かだった。
二日に渡ってようやく辿りついた村には、年寄りから数人の若者までいた。
「すまぬが、長老を出してもらえるか」
「長老は今御病気で寝ております」
「葡萄のことで少々話したいのだが」
「御病気故、御断りしたく願います」
一番最初に出会った女性に声をかければ、きっぱりと断られてしまった。
プライドからなのか、男は女性を捕まえて首に剣をあてがうと、長老のもとに案内するように言った。
村の中を歩けば、村の人々は捕まっている女性を見て呆然としている。
こういった経験がないのだろうか。
しかし、鼻を掠める葡萄の匂いはとても軽やかで心地良い。
長老が寝ているかやぶきの家に着くと、女性は長老を呼ぶ。
咳をしながら上半身を起こそうとする長老を手助けしようと、女性はその身体を支えるために男から離れた。
「ああ、すまぬな」
「無理はしないで」
「して、何用かな?」
「この村の葡萄、私どもの国王がとても気に入られています。どうかこの村ごと、買わせていただけませんか」
「それは、ここの葡萄を全てそちらの国に渡せ、ということか」
「はい」
長老は男たちが身につけている服についている紋章から、男たちの国を知る。
「トニサ―ル国の者か」
「は」
「すまぬが、ここの葡萄はみなに味わってもらうために作っておる。どこか一つの国だけのものには出来ぬ代物よ」
「そこをどうかお願いできませぬか。国王がどうしてもと仰っております」
「そちらは自国のみを守れば良いかもしれぬが、ワシらは違う。ここの葡萄はワインだけでなく、そのまま食べる者もいれば、食事や菓子に入れる者もおる。風邪のときに温かいミルクに混ぜる者もおれば、冷凍して保存食とする者もおる。潰して絵具代わりにした画家もおったな」
「それはもったいないことかと。やはりワインとしての価値が、市場においても最も高いのではありませんか?」
男の言葉に、長老は被せるようにして咳を何度かした。
「味わい方は人それぞれじゃ。ワインが有名なだけであって、それ以外の使い方が間違っているわけでも、ましてやもったいないなどということはない。手にした者がしたいようにすればよい」
「トニサ―ルでも有数の宝石をお持ちしました。どうでしょう。それにお望みの金額を出しましょう。あなた方の葡萄の本質を見極めているのは、我々貴族だけかと。絵の材料にするなど言語道断です」
隣にいた女性に何か頼むと、長老の身体をゆっくりと横に倒して行く。
薬草を擦ると、それを長老の鎖骨あたりに刷り込むように塗って行く。
「すまんが、どれだけの宝石を持ってこようと、どれだけ金を積まれようと、ここの葡萄は売れんのじゃ。帰ってくれ」
「しかし」
「申し訳ありませんが、お引き取り下さい」
女性も頭を下げると、男たちは持ってきた全ての宝石や金を持って帰って行った。
城に帰ると、トニサ―ル王は苛々したように足をカツカツ床に叩きつけていた。
「そうか」
「申し訳ございません」
「準備をしておけ」
「はい?」
「その村を焼き払ってくれよう」
「しかし、葡萄の方は」
「何、またどこかで手に入るだろう」
男たちが立ち去って行った後の村では、長老のもとに次々と人がやってきた。
「大丈夫かい?」
「またトニサ―ルか」
「一度ならず二度までも」
「ボブリュッフから逃げ出して、ようやく軌道に乗ってきたってのに、まったくしつこい連中だよ」
「あの時はオーディンに助けられたな」
ごほごほと咳をしている長老を取り囲みながら、村人たちは話をする。
以前の村から逃げる時、何本かの葡萄の木を運んで来たのだ。
それは簡単なことではなかったが、新しい村として生活をしていくためにも、葡萄の木は必要なものだった。
「この葡萄は貴族だけのものじゃねえんだ。それをあいつら」
「ただみんなに美味しいと言ってほしいだけなのに」
どうしようかと思っていた村人だったが、それでも貴族だけのものに、ましてや一国だけのために作ろうなどという気持ちで作っているわけではなかった。
初めは自分が食べるためだけに作った。
次に子供や家族が食べるために作った。
次に村の為に作り始めると、その葡萄の美味しさは一気に広まって行った。
東西南北様々な国や地域から葡萄が欲しいと言われ、そこから本格的に葡萄作りを開始した。
それでも作る数には限りがあり、希望通りの数を全て出せるわけではなかった。
だからといって、貴族を優先にすることもなく、求められればみんなに分け与える姿勢が、よりこの村の葡萄を有名にさせた。
「それより、葡萄はどうじゃ?」
「気候も安定してるし、それにここは山からも離れているから急に雨が降ることもない」
「ああ。美味しいのを届けられるさ」
「それは良かった」
ハハハ、と男たちが笑いながら話しているとき、後ろのほうで聞いていたカトリ―ナは、近くにいたある人物に声をかけた。
「お疲れ様です」
「ああ、どうも」
「あの、シーヴィちゃんどうなったの?」
「うん・・・。シーヴィはもう決めたみたいで。私も何も言えなくて」
「そう・・・」
カトリ―ナもそれ以上何も言えなくなり、そのうちパラパラとみな家へと帰っていったため、カトリ―ナとエレンも家へと帰って行った。
「どうした?」
「オーディン元気かしら」
「あいつなら大丈夫だ。俺達の子供だぞ」
「そうだけど」
ジュバローズ国のことは何も知らなかったが、騎士として行ったということは、戦うために行ったようなものだ。
平和主義の国王ならまだしも、ジュバローズ国王はそういうわけではなさそうだ。
騎士になりたいというオーディンの夢を叶えてあげたかっただけなのだが、あの時の自分たちは間違っていたのでは、と思ってしまうことがある。
そんなカトリ―ナの心情を知ってか、エレンはカトリ―ナの背中をポンと叩く。
「心配するな」
「・・・うん」
「それより飯にしよう」
「そうね」
そういえばまだ夕飯を食べていなかったと、カトリ―ナは急いで準備を始めた。
数か月後、オーディンの耳に聞こえてきたとある話。
「なんでも、トニサ―ルが何処かの村を一夜にして燃やしちまったそうだな」
「ああ。交渉が上手くいかなかったとかでな。あの国も碌なことしねぇな」
「それにしても、その村って何か特別なもんでも作ってたのか?調べてみたけど、とうの昔に滅んだとかで地図には載ってなかったぞ」
「いや、それがさ、ジュバローズ王もお気に入りのワインに使う葡萄を作ってたらしい」
「葡萄?葡萄なんてそこらへんでも作れるだろ?」
「それが、味が全然違うんだってよ。まあ、俺なんかは違いは分かんねえけど」
ハハハ、と笑いながら話している騎士たちの会話を聞き、オーディンは手を止めた。
地図に載っていない村、そこで作られた葡萄。
入ってきた情報からは特定が難しいとしても、ジュバローズもトニサ―ルも好んでいるワインをつくる葡萄となると、だいたいの予想はついた。
それでもきっと違うと信じようと思ったが、一度思考が滞ってしまえば、鍛錬にも身が入らなくなる。
「リービッヒ隊長」
「なんだ、どうした」
「少し腕を痛めてしまったようなので、今日明日と休ませていただけますか」
痛めたのは嘘ではないが、捻った程度のものだから平気ではあった。
「ああ、わかった」
「すみません」
リービッヒに御礼を言って、オーディンはすぐさまそこから立ち去ろうとした。
そのとき、リービッヒに名前を呼ばれたため、立ち止まって振り返る。
「気をつけてな」
「・・・はい」
部屋に戻ったオーディンは、鍛錬の格好から騎士としての身なりへと変えようとした。
だが、ここに来る時持ってきていたラフな服装に着替えると、こそっと城を抜け出し、愛馬に跨る。
「いつもすまないな」
手綱を引き、馬を走らせる。
半日以上かかって着いた村には、もう何も残っていなかった。
家だったものは焼けて瓦礫と化し、奥へと足を踏み入れて行くと、まるで誰かを守るようにして数人がまとまったまま焼かれてしまった人型のそれ。
そっと触れてみれば、脆い木屑のようにぼろりと落ちれしまう。
一軒一軒見て回れば、生活していたのであろう様子がうかがえる。
地面に埋もれている皿やコップ、農具類までもがつい最近までここに住んでいた人物の面影を残している。
さらに奥へと進んで行けば、そこには見覚えのある風景。
そこで育っていたのであろうものは全て焼かれてしまっているが、まだそこにしっかりと根付いた数本の木からは生命力を感じる。
オーディンはもう一度、複数の人が重なっていた家へと向かうと、臭いに耐えながらも一人一人を剥がして行く。
鼻が麻痺してしまいそうだが、それでも一体ずつ地面に並べて行く。
最後の一体は、身体を横にしたままだったのか、身体を曲げていなかった。
焼けてはいるが、それが誰だったのかが分かってしまう。
分からなければ、まだそれらを埋めて終わりにすることが出来るのだろうが、誰だか分かると、簡単に終わらせることが出来ない。
「・・・っ母さん、父さんっ!!」
黒い髪と黄土色の髪の二人が、互いを守るようにして抱きあったまま。
強くそれを掴もうとすれば、簡単に壊れてしまいそうで、そっと触れようとするだけならば、守れなかったことを証明するようで。
両膝を地面につき、ふたつの亡きがらに倒れ込むようにして身体を丸めると、オーディンは嗚咽交じりに涙を流した。
頬を伝って、二度と目を覚ますことの無いそれらに滴り落ちた滴は、乾きさえ潤すことが出来ない。
小さい頃から面倒を見てもらった同じ村のおじさん、おばさん、それに長老。
オーディンは地面にぐっと指を喰い込ませると、掴んだ僅かな土を地面に投げつけた。
悔しくてももうどうにもならない。
だからこそ余計に悔しさが募る。
オーディンは目元を拭うと、一体一体、丁寧に土を掘って埋めて行く。
道具はどこの家にもあったため、ひとつだけ持ってきて土を掘った。
ひたすら掘って掘って、ただそこに並んでいる屍を埋めるためだけに掘った。
爪の中に土が入り込んでしまうが、そんなこと一切気にせず埋めて行く。
夜中は真っ暗なため、オーディンは雨風さえ凌げなくなってしまったその家で、胡坐をかいて寝た。
翌日朝早くからまたすぐに土を掘って埋めるのを繰り返していると、全員を埋め終わったのは昼過ぎになってからだった。
二日間の休みをもらっておいて良かったと思いながら、オーディンは汚れてしまった手を眺めていた。
そういえばシーヴィらしき人がいなかったと思ったが、あれだけ酷い状況なのだから分からなかったとしても仕方ないかと、オーディンは村を後にした。
城に戻ると、すぐに身体を綺麗にした。
しかし、汚れた手を眺めていると、綺麗にするのを拒まれたが、騎士として身なりをきちんとしろと言われているため、綺麗になるまで何度も爪を擦った。
部屋に戻れば、すでにみな就寝していた。
起こさないようにと静かに布団に潜るが、オーディンはその日、なかなか寝られなかった。
翌日、オーディンは馬の世話や、城の中にある畑を耕していた。
本来ならすでに鍛錬する時間なのだが、オーディンはそこから離れようとしなかった。
その時、ジュバローズ国王が嬉しそうに笑いながらオーディンのもとにやってきた。
「オーディン!すぐに戦争の準備をしろ!トニサ―ルを落とすぞ!」
オーディンは手を止めることなく、しかしジュバローズの言葉を受け入れるでもなく、ただ目の前の馬に餌を与えていた。
「あの野郎、折角の村を潰しちまって。まったく馬鹿な連中だ。俺だったらもっと良い方法で村を手に入れるがな」
「・・・・・・」
何を言ってもまったく反応しないオーディンに、ジュバローズ国王は怪訝そうな表情を浮かべる。
馬に餌をやり終えると、今度は身体をブラシでこすり、その後は小屋の中のフンなどを片づける。
それを見ていたジュバローズ国王は、目の前を通り過ぎて行くオーディンの腕を強く引っ張ると、動きを止めた。
「おい、聞いてるのか」
「・・・申し訳ありませんが、トニサ―ルへの出陣、辞退させていただきます」
「何だと!?」
掴まれていた腕をさらにぐいっと引っ張られたため、オーディンは藁を落としてしまった。
オーディンを力任せに自分の方に向かせると、ジュバローズ国王は睨みをきかせ、さらには舌打ちをする。
「ふざけるな。何のためにこれまでお前の面倒を見てきたと思ってんだ?」
「それに関しては、感謝しています」
「感謝はどうでもいいんだよ。いいか?トニサ―ルを潰せば、この国はもっと豊かになる。それにお前だって有名になるんだから文句はねえはずだろ」
オーディンはジュバローズの方を見ようともせず、ただじっとどこか一点を見つめていた。
「お前は騎士だ。戦うのが役目だろ。それを断るってことは、どういうことか分かってんのか?」
「はい」
「戦えない騎士はいらねえぞ」
「はい」
「はいじゃねえよ。トニサ―ル戦には出ろ。リービッヒにももう伝えてある」
ゆっくりと顔をあげたオーディンは、ここでジュバローズと視線をかわす。
真っ直ぐに自分の主を見た上で、こう伝えた。
「人を殺めたくありません」
「!」
オーディンの口から出た言葉に、ジュバローズ国王はオーディンを掴んでいた腕を思い切り離し、オーディンを地面に叩きつけた。
両腕を地面について立とうとしたオーディンの手の甲に足を乗せると、グリグリと力を込めて踏みつける。
「人を殺すのが騎士の仕事だろ。甘ったれたこと言うな」
「・・・!」
「出陣は五日後だ。馬の世話なんかしてる暇があるなら、俺のためになることをしろ」
唾を吐き捨てて去っていたジュバローズ国王を見ることなく、オーディンはゆっくりと立ちあがった。
尻についた土をぽんぽんと払うと、オーディンはふと顔をあげた。
そこには自分を見ている馬がいて、オーディンは首あたりを摩りながら、顔を近づけてしばらくの間目を瞑っていた。
城の中へと戻って行ったジュバローズ国王は、イライラした様子で大股で歩いていた。
ズンズンと突き進んで、部屋というには広すぎる広間に着くと、そこにある椅子にどしっと腰を下ろした。
足を組んで貧乏ゆすりをしながら、爪をカリカリ噛む。
五日後のトニサ―ル戦に備え、他の者たちは準備を始めていた。
地図を広げてどこから攻めるとか、誰がどこから向かうとか。
そこにオーディンの姿はなく、トニサ―ルに向かう前日になって、リービッヒから直接オーディンに作戦が伝えられた。
それまで黙っていたわけでもなく、オーディンが部屋にも戻ってこなかったため、伝えられなかったのだ。
作戦を聞いたオーディンは、手入れをしていなかった剣を持って返事をした。
「オーディン、何かあったの?」
心配していたヴィントが尋ねても、オーディンは何も答えなかった。
しかし、オーディンがトニサ―ル戦において戦う気力がないように見えるのは確かだ。
「いや、なんでもないよ」
「なんでもないように見えないんだけど」
「明日は早いんだ。もう寝よう」
「・・・うん」
納得していないようだが、ヴィントに背を向けて寝る素振りを見せる。
まだ真夜中と言っても良い時間にオーディンたちは目を覚ます。
甲冑を着て準備をすると、腰には剣をさして隊ごとに並び作戦を確認する。
すでにそんなもの耳には入っていないオーディンは、生気の籠っていない目で、ただ地面で必死に歩いている蟻を眺めていた。
「以上だ。何も質問はあるか」
数人が何か聞いて、それに対してリービッヒが答えると、それぞれ馬に乗る。
トニサ―ルまでは数時間かかるため、途中で一度休憩を取った。
休憩をしていたオーディンは、手入れをしていない剣を少しだけ抜くと、以前と比べて斬れ味が悪そうな鈍い輝きをしていた。
それをまた鞘に収めると、トニサ―ルに向かって馬を走らせる。
すると、あと少しで着くというとき、オーディンは何かを感じ取り、馬の手綱の右側をぐいっと引き上げる。
「気をつけろ!」
それに気付いたリービッヒが後方に注意を促すと、トニサ―ル側から大砲が飛んできた。
避けながら近づいていくと、今度は矢が飛んできた。
馬に当たって落ちてしまう者もいれば、避けきれずに身体に当たってしまう者もいた。
それでもオーディンたちはどんどん前に進んで行くと、待っていたかのように、左右からトニサ―ルの旗を持った騎士たちが来た。
「囲まれるぞ!」
左右から攻められると、互いに剣を交える音が聞こえてくる。
オーディンも剣に一度は手を置いたが、何か思うと手を離した。
自分に向かってくる敵に対し、オーディンはその剣を避けると、鞘ごと持って敵の剣を振り落とし、敵も同時に落馬させた。
「デガル!!」
目の端々には、仲間も敵も死んでいく姿が見えるが、オーディンは剣を抜かなかった。
トニサ―ルに左右から囲まれていたジュバローズは、完全に囲まれる形となってしまったが、作戦はここからだった。
ドドドド、と地響きが鳴りだすと、トニサ―ルの騎士たちはなんだなんだと辺りを見渡す。
「おい!あれは何だ!?」
「やばいぞ!」
がっちりジュバローズを囲んでいたと思っていたトニサ―ルだが、それは間違いだった。
ジュバローズはまだ全ての騎士たちが揃っていたわけではなく、ジュバローズを取り囲んだトニサ―ルをまた取り囲むようにして、後からジュバローズの騎士たちが来たのだ。
それを城の方からみていたトニサ―ルたちは、弓や大砲で応戦しようとするが、的確に当てることが出来なかった。
援軍として急いで向かわせるが、城の周りをもジュバローズに取り囲まれており、向かう事が出来なかった。
こうして思っていたよりもあっけなく終わってしまったトニサ―ル戦において、オーディンが一度も剣を抜かなかったことはジュバローズ国王の耳にも届いた。
結果勝利を収めたから良かったようなものの、なぜ抜かなかったのか。
剣を抜かなかっただけではなく、オーディンは一人馬を走らせてこう言っていたのだ。
「降伏をしてくれ」
それが納得いかなかったジュバローズの騎士たちもいて、どうしてあんな奴が先陣をきっているのかと、不満が溢れた。
敵国を倒すのが役目のはずが、降伏しろなどと説得に行くのはどうしたことか。
城に帰る頃には、周りのオーディンに対する接し方は変わっていた。
「オーディン、ジュバローズ国王がお呼びだ」
何を言われるかなんて分かっていたが、オーディンは呼ばれた通りジュバローズ国王のもとに向かった。
部屋に着いた途端、オーディンはジュバローズ国王から何か飲み物を投げつけられた。
飲み物が入っていたグラスも、床に落ちた衝撃でパリンと割れてしまった。
それを拾うこともなく佇んでいると、ジュバローズ国王はオーディンの胸倉を掴みあげ、何も言わずに殴ってきた。
胸倉を掴まれているため、そこから逃げることも出来ず、もとより逃げる心算などないようなのだが、オーディンはジュバローズ国王に殴られ続けた。
オーディンが降参するよりも先に、ジュバローズ国王の手の方が悲鳴をあげたらしく、胸倉を掴んでいた腕も突き離すようにしてオーディンを解放した。
口の中が切れてしまったのか、オーディンは口の中で舌を動かしていた。
「臆病者が」
「・・・・・・」
「剣を抜かねえとはどういう了見だ?お前、それでも騎士か?」
「・・・・・・」
何も言わないオーディンに、ジュバローズ国王は今度はオーディンの顔に靴の裏をつけて壁に押し付ける。
一切抵抗しないオーディンは、ただじっとそこにいるだけ。
「田舎もんが生意気になりやがって。平和ボケで育ってきて、戦争が怖くなったか?」
ぐっと体重を乗せても、オーディンはただじっとしている。
「騎士は国の為に戦う。国の言う事を聞けない騎士なら、もう用済みなんだよ。それでもお前を残しておくのは、お前が他の連中より腕が立つからだ。腕がたつってことは、それだけ国に害を及ぼす連中を殺す力があるってことだ。わかるな」
ジュバローズ国王は部屋の隅にいた召使に向かって指をくいっと動かすと、召使はジュバローズ国王に飲み物を持っていく。
匂いからして、きっとワインなのだろうが、どこかの村のものではない。
オーディンの顔から足をどかせると、今度はオーディンの頭の上から、安物のワインをドボドボとかけた
「二度と剣を抜かないまま戦うな。お前の考えや意思など聞いてないんだ。俺の為に剣を抜き、俺の為に戦えばいいんだ」
頭からワインを被ったまま、オーディンは部屋を出た。
そして部屋に戻ろうとしたが、仲間からの冷ややかな視線を向けられる。
「来たぞ」
「オーディンだ」
「よく戻って来れたな」
ヒソヒソと喋っている心算なのか、それともワザと聞こえるようにしているのか、どちらにせよ、オーディンには聞こえていた。
剣を抜かない騎士だと罵られ、戦いを拒んだと蔑まれ、オーディンは臆病者のレッテルを貼られてしまった。
しかし、それに対して言い返そうなどということは考えておらず、オーディンはさっさと寝ようと思っていた。
その時、何か足りない気がした。
ふと、いつもならそこで寝ているはずのヴィントの姿がなかった。
「ヴィントは?」
そう尋ねても、誰も口さえ聞かない。
トニサ―ル戦で亡くなった騎士の中に、ヴィントの名はなかったはず。
すぐに戻ってくるだろうと思っていたオーディンは身体を横にした。
しかし翌日になって目を覚ましてもヴィントは帰ってきておらず、鍛錬でもしているのかと思って行けば、そこにもいなかった。
聞いても誰も答えてはくれなかったが、ジュバローズ国王の部屋から出てきたリービッヒに聞いてみると、こんなことを言われた。
「ヴィントなら医務室だ」
「医務室?」
怪我でもしたのかと、オーディンはすぐに医務室へ向かおうとしたが、リービッヒに腕を掴まれてしまった。
「お前、今日も鍛錬しない心算か?」
「すみません」
「仲間を失って、戦争が嫌になる気持ちも分からんでも無いがな、俺達はみなその経験を経て強くなるんだ。気が向いたら顔を出せよ」
「はい」
もう一度すみません、と言って頭を下げると、オーディンはヴィントのもとへ急ぐ。
数回ノックをしてから入れば、そこにはベッドに横になって寝汗をかきながら寝ているヴィントがいた。
布団から出されている腕は青黒く染まり、顔は熱があるように真っ赤だ。
「ヴィント・・・」
心配になってヴィントの手を掴もうとしたとき、制止する声が聞こえた。
「触らん方がええ」
「え?」
誰もいないと思っていたのだが、そこにはオーディンとヴィント以外に、もう一人いたのだ。
白いひげを生やした老人で、ヴィントの方に歩いてくると、脈拍を測る。
「あの、ヴィントは一体」
「感染症と、発作じゃな」
「感染症と発作・・・?」
発作は生まれながらに持っていたようだが、感染症はきっとどこかで貰って来てしまったのだろうとのことだった。
「この、腕が青黒いのは、その感染症のせいなんですか」
「ああ。もって、半年が良いところじゃろう」
「半年・・!?治せないんですか?」
ヴィントがかかってしまった感染症は、もう身体中にその病を巡らせてしまい、青黒くなってしまった腕や足は腐って行く。
今はなんとか動かせるが、時間が経つにつれて硬直を始め、斬り落としたとしてももう無理のようだ。
「こやつがここに来て初めて出来た友人が、戦争で亡くなってからというもの、精神的にも弱くなってしまったからのう」
「友人・・・それは、グリードたちのことですか?」
「そうじゃ。身体も小さく病気がちだったヴィントは、なかなか馴染めなかったんじゃ」
そんなとき、声をかけてきたのがグリードとデガルの二人だった。
塞ぎがちだったヴィントも、彼らと出会ってからは鍛錬にも積極的に出るようになり、剣も次第に上手くなって行った。
「可哀そうにのう。ワシが代わってやりたいくらいじゃ」
「ヴィント・・・」
目を覚ますことはなかったが、オーディンはしばらくヴィントの傍にいた。
夜になって医務室を出たオーディンは、これからもっと暗くなるというのに、こっそりと城から抜けだした。
城の裏手に回ると、そこでひっそりと逞しく咲いている花を摘む。
数本摘んで城へ戻ると、ヴィントに、と言って老人に渡した。
そのまま部屋に戻れば、鍛錬にも顔を出さない臆病な英雄には、もう誰も声さえかけてこなかった。
そして翌日、オーディンは馬の世話をしようと歩いていると、鍛錬している方から声が聞こえてきた。
他愛もない話、もしくは自分のことだろうと聞き流そうとしていたオーディンだったが、思いもよらない内容が聞こえてきた。
「おい聞いたか?」
「ああ、ヴィントだろ?なんか重い病気でもう戦えないって」
「足手まといだからって、城から追い出すって聞いたぜ」
「マジかよ。まあ、正直言って、あいついなくても平気だしな」
「おい!そこで喋ってないで鍛錬に集中しろ!」
リービッヒの喝を受け、男たちは鍛錬に戻って行った。
それを聞いていたオーディンは、城の中を走ってジュバローズ国王の部屋へと急いだ。
ノックもせずに入れば、ジュバローズ国王は不機嫌そうにこちらを見る。
はあはあ、と息を切らせながら近づくと、オーディンの身体を男たちが取り押さえた。
「どうした?血相かえて」
「ヴィントを城から追い出すとお聞きしましたが」
「ああ、そのことか。当然だろ?寝てるだけの奴を置いておくわけないだろ」
「しかし・・!」
「ああ五月蠅い。さっさと出せ」
つまみだされたオーディンは、未だ腕を掴んでいる男たちを払いのけると、今度は医務室へと走って行く。
そこもノックなしに入ると、すでにヴィントの姿はなかった。
老人がぽつん、と椅子に座っており、オーディンは老人の肩を掴んで自分の方を向かせる。
「ヴィントは!?ヴィントはどこに!?」
老人は、静かに首を横に振った。
「連れて行かれたんじゃ。何処に行ったかは分からん」
オーディンはまた走り、城の外へと出る。
どこに向かったかは分からないが、それでもヴィントを探さないとと思った。
しかし厄介なのは、このジュバローズ国という場所は、山奥にあるため、山に入ってしまったとなると、もうどこをどう探せば良いのか分からない。
「どうして・・・!!」
オーディンは馬に乗ってヴィントを探しに行こうしたのだが、それを見ていたリービッヒに止められてしまった。
「止めないでください!」
「オーディン落ち着け!ヴィントのことは可哀そうだと思う。けどな!このままだと、お前もどうなるか分からないんだぞ!?人の心配してる暇はないだろ!!」
「俺はどうなっても構いません!」
「オーディン!」
鈍い音が聞こえてきたかと思うと、オーディンは頬に痛みを感じていた。
ジュバローズ国王に殴られたものとは違う、何かが違うその痛み。
ゆっくりオーディンに近づくと、リービッヒはオーディンの両肩を掴んで目線を合わせるようにして膝を曲げた。
「グリードもデガルも、優秀な奴だった」
呆然とするオーディンだが、目頭が熱くなるのだけは分かった。
「戦争ってのはおかしなもんでな。勇敢な奴や正義感、忠誠心が強い奴ほど命を落としやすい。俺が最も信頼してた奴も、仲間を庇って死んだ」
今まで押さえていた何かが、ぷつり、と途切れた気がした。
「多くを失くすだけの価値があるかと聞かれれば、俺には分からない。あるのかもしれないが、ないかもしれない。けどなオーディン・・・」
そう言うと、リービッヒはオーディンの顔を挟んで自分の方に向けさせる。
男泣きなんて格好良いものではなかったが、唇を噛みしめながらも、すでに流れてしまっているそれをなんとか止めようとしている。
「負けるな」
もう誰も、失いたくないと思った。
「あいつらの分まで、何が何でも生き延びるんだ!」
「・・・!それでも俺は・・・!ヴィントを見捨てることはできません!!」
「見捨てろとは言って無いだろ」
「へ?」
リービッヒはオーディンの顔を包んでいた手をパチン、とすると、両膝に手をあてて立ちあがった。
腕を出してオーディンを立ち上がらせると、ペシッと頭を叩いた。
口をぽかんと開けていると、呆れたように小さく笑った。
「行って来い。数日だけなら俺がなんとか誤魔化してやる」
「隊長・・・」
「その代わり、ちゃんと見つけてやれ」
「・・・はい」
リービッヒに見送られ、オーディンはヴィントを探す為に山へと入って行った。
「・・・イデアムさん、どうします?」
「あ?ああ、拾っとけ」
「わかりました」
世界を憂い、時代を憂い、動きだす者がいる。
彼らは後に、世界を動かし得る力を手に入れることになる。
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