第3話虚偽




WILD CHAIN

虚偽


生きるとは呼吸することではない。行動することだ。 ルソー
















  隼人が捕まった。


  今は東牢獄の留置所にいるらしい。


  渋沢が部屋に帰ってきたときには、もういなかった。




  渋沢の仕事場に、警察が来た。


  『隼人の同居人』ということで、話を聞かせてほしいと言われて、聞かれたこと全部に、正直に答えた。








  ―昨日の午後九時から十二時の間、何処にいましたか?


  「部屋にいました。」


  ―その時、誰と一緒にいましたか?


  「隼人と、紅蓮です。」


  ―ですが、部屋は別々ですよね?確実ですか?


  「はい。紅蓮は部屋に入って仕事してましたけど、俺と隼人はリビングで一緒に仕事してましたから。」


  ―本当ですか?


  「本当です。」


  ―嘘をつくと、あなたまで捕まることになりますよ?


  「本当です!嘘なんかついてません!」








  そんなやり取りを繰り返していると、ようやく終わって、紅蓮とも会う事が出来た。


  紅蓮も渋沢と同じ質問をされたようで、嘘をつく理由が無い為、やはり正直に答えたという。


  「なんで、隼人が逮捕されたんだ?見ず知らずの奴なんだろ?」


  「指紋と毛髪が残っていたらしい。」


  「は?指紋と毛髪?なんで?」


  「さあな。確かなのは、隼人は犯人じゃないってことだ。」


  話しながら廊下を歩いて、部屋を開ける。


  いつもいるはずの姿は無く、主を失ったソファだけが虚しく並べられている。


  「どうする?てか、なんで隼人?」


  「分からんが、通常通りの自分の仕事をするとしよう。」


  「う・・・ん。」


  そう言って、コーヒーを飲み始めた紅蓮。


  コンコン・・・


  ふと、ドアを叩く音が聞こえて、紅蓮が目で開けろと言えば、渋沢はドアノブに手を掛けてゆっくりと開ける。


  「・・・。」


  「・・・え、誰?」


  其処にいた人物は、渋沢は知らない人だった。


  「聖か。入れ。」


  紅蓮が渋沢の立っている隙間から覗き、聖であると確認すると、招き入れた。


  聖も遠慮することなく入って行き、それを渋沢は少しだけ、ホントに少しだけ怪訝そうな顔をしてドアを閉める。


  「隼人が捕まったそうだな。」


  「ああ。」


  「これからどうする?」


  「とりあえず、表では通常の仕事をするが、裏では隼人の方を調べてみる心算だ。」


  「・・・誰?」


  未だに聖のことが理解できていない渋沢だったが、コーヒーを客人の分をきちんと入れてくるあたりは、流石だ。


  「聖だよ。覚えてないか?学校で、成績上位だった。いつも二位だった聖だ。」


  「嫌な覚え方するなよ。」


  紅蓮が説明してくれたが、渋沢は学生時代に、毎回試験後に張り出される成績表を、見に行くことは無かった。


  自分の成績なんて大体分かっていたし、見に行くだけ悲しくなるだけだと思っていたからだ。 


  「一位は隼人で、二位がこいつ・・・?」


  聖を見ながら言葉を紡いではみるが、どうして成績が良かったのに、裁判で見かけた事がないんだろうという疑問が残った。


  「聖は、地獄の門番をしてる。隼人と同じで、裁判長になりたいとかは思って無かったらしい。」


  「で、話を戻してもいいか?」


  いつも渋沢が座っているソファに聖が座って、いつも隼人が座っているソファに渋沢が座った。


  「俺も協力出来ることがあれば言ってくれ。それと、南監獄支部長の叶南も協力してくれると言っていた。」


  「悪いな。そっちも忙しいだろうに。」


  「いいんだ。あいつが人殺しなんて、時間も労力も無題使うようなこと、するわけないからな。」


  聖と叶南が隼人の事件について調べてくれるという事で、紅蓮と渋沢は、とにかく目の前の仕事を集中してすることになった。








  ―東監獄 留置所内にて


  「あーあ。まいったなぁ・・・。」


  留置所という名の牢屋の中で、隼人は何事もなかったかのように欠伸をしている。


  アスファルトの壁に囲まれていて、三mほどの高さの、鉄格子がはまった小さな窓があり、掛け布団と敷布団だけのシンプルなベッドがあるのみ。


  トイレもついてはいるが、男としては平気なのだが、人としてはあまり使いたくは無い。


  ベッドの上に座って、壁にもたれかかるようにしながら天井を仰ぐ。


  「恨みなんて、どっかで安売りしてるわけじゃアねえんだけどな・・・。」


  頭の後ろで腕を交差させて片足は膝を曲げる様にして座っていても、やはりいつものソファの気持ちよさは感じられない。


  コツン・・・


  自分の牢屋の前で止まった足音の正体を確認せずに、隼人は看取かと思ったが、ヒールの音だった為にちらっと視線だけ向ける。


  其処には、黒い髪を肩まで伸ばし、薄い化粧をした女が立っていた。


  胸のあたりが少し開いているピンク色のワンピースを着ていて、一見可愛い女の子なのだけれど、表情を見る限り、無愛想な印象を受ける。


  「女の知り合いなんていたっけな・・・。あんた、誰だ?」


  腕を下ろして、壁から離れる様に身体を起こすと、隼人は、無言で立ち続ける女に話しかける。


  「・・・。残念。死刑。冤罪、無実。否真実。」


  「あ?・・・ああ。なんかよく分かんねえけど、冤罪って知ってんだ?俺が。」


  「右目、悪魔、侵食、身体、崩壊。否継承。非純血。愚行、移植。現実逃避。不愉快、忌子、異端、異常、不必要、無価値。」


  「・・・・・・。初対面のわりに、言いたいこと言ってくれんじゃねえの・・・。」


  口調はいつものように穏やかなのだが、その表情は口元だけを緩ませていて、決して目は笑っていない。


  女の異常さに気付いた隼人は、そもそもどうして此処に来る事が出来たんだと考え始めたが、それも女の言葉によって遮られた。


  「人間、血液、綺麗。人間、抗う、愚か。人間、脳味噌、美味。人間、死、恐怖。人間、生、幸福。人間、心臓、収縮。人間、言葉、偽造。人間、腐敗。人間、脆弱。」


  なおも言葉を綴り、大体の内容は分かるものの、結論を述べないまま並べられた言葉は、隼人にとって思考を邪魔するものでしかなかった。


  「で?その話し方はキャラ作り?それとも、助動詞の使い方が分からない?分かっててそういう喋り?」


  ベッドから立ち上がって、窓とは反対方向の、鉄格子で隔てられている扉の方に進み、女と向かい合い様に立つ。


  隼人の胸あたりの身長だった女は、顎をあげて隼人と視線を合わせる。


  「誰だ?悪魔に住み憑かれてるわけでもなさそうだな・・・。」


  「嘲笑。」


  ―なんなんだ?


  普通の話し方をする奴ならまだしも、理解不能の塊である目の前の女の子に対して、どう接すればいいのか分からない隼人。


  「狂気、乱舞。混乱、狂喜。森羅万象。虚空。」


  隼人が眉を潜ませると、看取らしき男が女を連れていった。


  黒い髪を靡かせながら歩けば、他の留置所に入っている男たちが、獣の如く鉄格子にしがみ付いて、女の後姿を見て、舌舐めずりをする。


  その中、一人ため息をついてベッドの上に座りなおした隼人。


  「・・・。さてと。」








  「梓愛加。勝手に話しちゃいけないだろ。一応、形的にはあいつが犯人って事になってるんだからな。あまり係わるな。それに、あいつには紅蓮や渋沢、聖っていう厄介者がついてるんだ。」


  「微笑。・・・失礼。個人的興味。興奮。紅潮。傾斜、嗜好。」


  「何ィ!?まさか、梓愛加。隼人に惚れたのではなかろうな!!!許さんぞ!絶対に許さん!確かにあいつは頭はいいし運動神経もいい・・・。だがな!きっと奴は梓愛加を幸せになんて出来んぞ!断言できる!幸せに出来ん!」


  ホワイトで統一された部屋。


  そこにいるのは三十代後半から四十代と思われる男と、若い女。


  男が頭を抱えながら座っていた椅子から立ち上がって、壁に頭をぶつけて精神を保とうと必死だった。


  それを冷めた目で観察している梓愛加は、ふいっと窓の外を眺める。


  木の上にある巣の中で親鳥を待っている小鳥が小さく鳴いていて、そこに鷹が飛んできて、小鳥を掴んで飛んでいってしまった。


  ―ああ。きっと、あの小鳥は食べられてしまうんだ。


  そうは思っていても、自分の中に湧き上がる感情は、怒りでも同情でもなく、小鳥が食べられている光景を想像した『快感』にも近いものだった。


  ―見たいなあ・・・。もがき苦しむ小鳥の姿・・・。


  自分自身が狂っていることはわかっているが、人間の三大欲求のように、梓愛加にとっても『本能的欲求』であるため、抑えることが出来ない。


  「梓愛加!お前には、俺の部下の婿が似合う!優秀な奴だぞ!二枚目だぞ!なっ!」


  ―別にあの男を、異性として興奮したとは言って無いのに・・・。


  男が一方的に進めていく婿話にも興味は無く、梓愛加は無表情のまま口を開く。


  「無興味。否、外見。最重要、供給、快感。」


  崩れ落ちる様に膝をつく男が、落ち着こうと煙草を取り出した。


  だが、煙草の箱は誰かに奪われてしまい、同時に何かを握りつぶした音が聞こえる。


  「何度言ったらてめえは日本語が理解出来ンだよ、ああ!?こっちは吸いたくもねえのに副流煙吸いこむ破目になんだぞ。わかってんのか!?」


  梓愛加が男から奪い取った煙草の箱を、これでもかと言うくらいに握り、さらには箱にライターを付けて燃やし始める。


  「俺のニコチンがっ!!!」


  「ニコチン依存野郎が。勝手に愛人の娘の結婚妄想話して、勝手に死に悶えてんじゃねえよ!」


  可愛らしい顔から出てくる罵りの言葉と、ギャップありまくりの低音ボイスが響く。


  「御免御免。まあ、梓愛加をもらってくれるなら、誰でもいいんだがな。三重人格みたいなお前を、扱えるのなんてそうはいないだろうが・・・。ハッハッハッハッハッハッハ!!」


  男が高笑いしながら、自分の豪華な椅子に腰を下ろす。


  それを見て、梓愛加はさっきまでとはまた違った表情を浮かべながら、今度は涙をハラハラと流して、か弱い声を出す。


  「うっ・・・。お父さん、酷い・・・。私だって、私だって・・・。」


  ハッとした男は、梓愛加のもとまで駆け寄って、力強く抱きしめた。


  男の厚い胸板に包まれながら泣いている女は、すぐに泣き止んで、ため息をつく。


  ―馬鹿な生き物。たかが愛人の子。されど愛人の子。








  「はあ~・・・。疲れた・・・。」


  渋沢が部屋に帰ったのは、夜十二時過ぎだった。


  いつもなら隼人がいて、電気が点いているはずの部屋も、自分が点けないと暗いままだ。


  ドアの脇についている電気のスイッチを入れれば、簡単に点いたが、ただ空虚に広がった部屋を見るだけだった。


  冷蔵庫に入ったままの、隼人が買ってきていたカツ丼の材料を見て、ため息をつく。


  冷蔵庫の扉を閉めると、荷物を自分の部屋まで運んでベッドの上に放置し、タオルと着替えを持って風呂場に向かう。


  洋服を脱いで、冷たいタイルに出迎えられる。


  蛇口を捻ってシャワーを浴びながら、聖と叶南は何か分かったのかと考えていた。


  ―隼人に罪を被せるってことは、やっぱり悪魔が見えるのと関係あるのかな・・・?


  シャワーによって、視界に入る自分の黄土色の髪の毛を眺め、色々と可能性を考えてはみるが、分からない。


  ある程度洗い終わって身体と髪を流して風呂場から出て、用意しておいたタオルで拭いて、部屋着に着替える。


  テレビでも見ようと思っていると、ソファには紅蓮が座っていた。


  「あ、帰ってたの?お帰り。」


  「ああ。今な。」


  相変わらず、気難しそうな顔をしながら資料を眺めている。


  渋沢はソファに腰掛けて、ペラペラと資料を捲っていく紅蓮の一通りの流れ、ただ見ていた。


  「聖か叶南からは連絡あった様子はあるか?」


  ボーッと、髪の毛をタオルで乾かしていた渋沢に、持っている資料を捲りながら、紅蓮が聞いてきた。


  「あ、いや。留守電とかは無かったけど。」


  「そうか。」


  どうしても不安を掻き消すことの出来ない渋沢は、乾かしている手を一旦止めて、視線はテーブルに向けたまま、紅蓮に問う。


  「隼人さ、無実だって証明出来なかったら、どうなるの?」


  「・・・分かってるはずだ。だからこそ、調べてるんだろう。」


  「うん・・・。」


  落ち込んでいる暇さえ無い事を知っていても、指紋も毛髪も残っていて、事実無根だと言うだけじゃ、何も解決しない。


  だが、その方法が分からない。


  悪魔の仕業であれば、何とかなるものも、人間が意図的に行った事に関しては、きちんと法廷にいる全員が納得するような証拠が必要だ。


  ―悪魔が可愛く思えてきた・・・。


  そんなとき、誰かがドアをノックした。


  資料を眺めたままの紅蓮に代わって、渋沢がいつものようにドアを開けると、そこには聖が立っていた。


  「悪いな。こんな時間に。」


  部屋の中に入るように促すと、聖は軽く会釈をしてから部屋に入って、昨日と同じように、渋沢のソファに座った。


  「こっちこそ、迷惑かけて悪いな。」


  紅蓮が、目を通していた資料をテーブルの上の端っこに置いて、聖を迎え入れる。


  「何か分かったか?」


  縛っていた髪の毛を解いて、だるそうに髪をいじりながら、紅蓮が聞くと、聖は渋沢にもソファに座るように言った。


  「ターゲットが隼人だった理由は、やはりあの右目だと思う。悪魔が見えることで、何か不都合が生じる奴がいるんだ。髪の毛なら、前もって手に入れる事くらい出来るし、指紋にしても、隼人が触った何かを手に入れることが出来れば、接着剤を使ったりして写し取る事くらいできる。・・・ただ、男を殺した奴と、偽装工作をした奴が、どうも同じ奴とは思えないんだ。」


  紅蓮の眉がピクッと反応をして、渋沢も声を出して、身体を前に出す。


  「・・・なんでそう思う?」


  冷静に紅蓮が聖に聞けば、聖は腕組をして考え込むようにしている。


  そして、渋沢と紅蓮を見ながら、懐から資料を出してきた。


  「男を殺した奴は、現場にあった鉄パイプで何度も何度も嬲ってる。」


  「単に、恨み持った奴がやったんじゃないの?」


  資料を見ながら、渋沢がぽろりと口にした言葉は、紅蓮や聖に届いたのか分からないが、それに対する返答は無かった。


  「俺が気になったのは、そこまでやったのにも係わらず、内臓とかは傷が少なかったんだ。」


  「・・・女がやったのか?」


  「俺はな。そう思ってる。頭を殴ったから男が死んだものの、所詮は女の力だ。出血多量で死んだんだろう。でも、仰向けに倒れてる男の身体をわざわざ起こして、背中にも毛髪を置いてるんだ。」


  聖が言おうとしていることは理解出来た。


  力の無い女が、そこまで小細工するだろうか。男だからこそ、警察が発見して嬉しくなるような場所に、証拠とされるものを残したのだろう。


  「共犯ってことは?」


  いつの間にか、腕を組んで、足も組みながら、天井を仰いで目を瞑っている紅蓮が、多少険しい顔をしながら聞く。


  「そうかもしれないが、そこまで偽造の証拠をそろえたやつが、加減して殴るとは思えない。」


  「確かにな・・・。」 


  ふむ・・・という感じでため息をついた紅蓮に、聖が続ける。


  「それに、隼人の毛髪にしても指紋にしても、手に入れるのは簡単な事じゃない。普段は部屋で本を読んでて、出かけても法廷だったり、ちょっとした買い物だろ?そうなると、手に入れられるチャンスがある奴は、限られてくる。」


  天井を仰いでいた顔を正面に戻し、手で額を覆いながら、紅蓮は何かを考えている。


  聖は資料だけを置いて、部屋を後にした。


  渋沢と紅蓮だけになった部屋には沈黙が溢れている。


  「隼人の指紋と毛髪か・・・。」


  紅蓮が訝しげな顔をして、聖が置いていった資料を眺め、目頭を押さえている。


  「渋沢。この間の裁判の時、記者以外の傍聴人はいたか?」


  「え。・・・うーん・・・。どうだろう。みんな同じような格好してたから、分かんない。俺と隼人以外は記者だと思ってたし・・・。」


  「裁判が終わった後か?いや、でもな・・・。」


  段々と眠くなってきた渋沢は、色々考えている紅蓮には申し訳ないと思ったが、先に寝ることにした。








  ―翌日 朝八時


  「こら、起きろ。もう八時だぞ。」


  なかなか起きない隼人に、看取が痺れを切らせて言ってきた。


  他の人は、朝の六時には起きて、ご飯を食べて体操をしたり、散歩に行ったり、事情聴取に行ったりと、それぞれの毎日を送り始める。


  そんななか、一人だけ、緊張感の全くない隼人は、枕が変わって寝づらいということも、ベッドが硬くて寝られないということも、周りの奴が五月蠅くて寝られないということも無く、スヤスヤと気持ちよさそうに寝ていた。


  「ん~・・・。あと三時間・・・。」


  「あと三時間なんていう二度寝があるか!!早く起きろ!」


  鉄格子の向こう側から、別れ話を切り出された女のように、キャンキャン喚いている看取の胸やけする声で、隼人はもぞもぞと身体を起こす。


  ピアスとターバンを付けながら、大欠伸をする。


  「ったく・・・。うるせぇなぁ・・・。人様の睡眠を妨害しやがって・・・。」


  看守に聞こえるか聞こえないかくらいの声量で言うと、地獄耳の看守は、隼人の方をキッと睨んだ。


  そんな視線も気にすることなく、隼人は身体を思いっきり伸ばして、首をコキコキと鳴らす。


  「で?俺の朝飯は?」


  当然のように言う隼人に、看守は一瞬口を開いたが、グッと堪える様に口を一文字にして、ご飯の乗ったトレ―を差し出してきた。


  しかし、その途中でワザと、トレーをひっくり返そうとした。


  が、看守がひっくり返す動作をしようとしたのが分かった隼人が、看取がひっくり返すよりも早く、トレーを受け取って、難を逃れる。


  「危ないね~、おっちゃん。折角俺のために作ってくれた飯、無駄には出来ねーよ。あ、おっちゃんが歳を言い訳にしてトレーをひっくり返したとしても、言う事聞かない俺を個人的にムカついたからって言って同じことしても、怒ったりはしないよ。なんせ、俺は心が広いからね。でも、やっぱりご飯を無駄にするのは実によくない。このご飯で今日を生き抜ける人が、広い世界の中に何人いることなんだろうね?それをおっちゃんは見殺しにするようなもんだよ?それって、人として最低だよね?まあ、俺のご飯を誰かに譲る気なんて無いけどね。俺だって一応、生きていかなきゃいけないし。・・・いただきまーす。」


  普段、それほど人の話を聞かない方では無いし、自分の言いた事だけ言って満足するような隼人では無いのだが、手出し出来ない今の状況では、口で勝つしかない。


  呆然としている看取をしり目に、塩分控えめになっている留置所のご飯を、次々に口へと運んでいく。


  ご飯を食べ終えると、隼人の身体検査が始まった。


  ピアスもターバンも、全てを調べられたが、昨日も調べただろうと思い、ため息をつくしかなかった。


  本を読めないもどかしさを感じながら、隼人はその辺を巡回していた看取を呼びとめて、書庫がないか聞いてみる。


  書庫まで連れて行ってもらえることになったが、通常二人ほどであろう監視役の看守は、なぜか四人と、倍の数を付けられていた。


  ―何か俺、極悪人みてぇじゃん。


  男に囲まれるという気味悪さはあったものの、留置所内の本を読めるという、若干の歓喜を持ちながら、書庫内へと足を踏み入れる。


  「え。」


  隼人が目にした光景は、なんともつまらないものだった。


  ―読んだことある本ばっか・・・。


  期待はずれな書庫にある本の背表紙を、一通り見ていくが、留置所内にいるからこそ読める本があると考えていた自分が馬鹿らしくなった。


  「どうした。早く選べ。」


  見張り役の看取に急かされるが、残念そうな顔をしてため息をつきながら、隼人は看取に伝える。


  「なんてーか・・・。俺、此処のある本、全部読んだことある。もっと他に無ぇのか?」


  紅蓮が買ってくる本は、絶版になっている本や、自費出版などをした本、国外の本など、希少価値の高いものばかりだ。


  それに比べると、此処にある本は、何処の本屋にでもあると思われるものばかり。


  「例えばさ、『留置所の歴史』とかさ、『脱獄犯の生涯』とかさ、『監獄で暮らすという事』とかさ、色々あんじゃん?普通。厚生させるための本ばっかりあったってな・・・。俺はなんもしてねえから、関係無ぇし。」


  ポカンと口を開けたままの看取を見て、隼人は吹き出した。


  すると、一人の男が書庫を通りかかった。


  「斎藤支部長!御苦労さまです!」


  ―斎藤支部長・・・。東監獄のお偉いさんってわけか・・・。


  頭を深々と下げている看取たちに、手を軽く上げて返事を返した斎藤だが、ふと、看取たちに囲まれている隼人に気付く。


  斎藤と目が合って、挨拶をするでもなく、本の種類を豊富にした方がいいとアドバイスをする。


  「貴様!!支部長になんて口のきき方を!」


  一人の看守が、隼人の頭を床に押さえつけようとして手を出してくるが、それを平然と避けて、斎藤に近づく。


  「斎藤支部長。噂はかねがね。地獄行きの悪魔を率先して受け入れているとか・・・。」


  「監獄支部長として当然だ。」


  「こりゃ、御立派ですね。」


  斎藤に、ニッと笑って言葉を返す隼人。


  「くれぐれも、目を離すなよ。要注意人物だ。」


  斎藤が看守たちにそう言うと、看守は一斉に敬礼をして、遠のいていく斎藤の背中を見送る。


  「俺って、早速ブラックリストに載ってんのかな?」








  ―支部長室


  「ふー・・・。」


  斎藤は、疲れた心と身体を休めるべく、マッサージチェアに座ってスタートボタンを押す。


  ただのマッサージチェアではなく、一四〇㎝ものロングストロークに身体全身を乗せれば、肩、ふくらはぎ、太もも、腰を丁度いいくらいの強さで揉み解してくれる。


  ホワイトで統一されている部屋であるのに、なぜかブラックを買ったのだ。


  「しかし・・・。『千石家』の末裔が、あんなピアスを開けるような奴だったとはな・・・。」


  ―俺の記憶では、あの家は、とても厳しい躾をしていたはずだ。特に父親は、右目継承の為ならなんでもした・・・。


  ―反動でああなったのか?


  近くにあった雑誌を読み始めてすぐ、ドアを叩く音が聞こえた。


  「はい。どうぞ。」


  雑誌を眺めながら、全身リラックスモードで返事をしている斎藤は、身体の上にある程度の重さを感じた。


  雑誌で誰かは分からないが、誰かが馬乗り状態で自分の乗っていることだけは理解出来た。


  まあ、大方誰かも予想は出来ているのだが・・・。


  「梓愛加か?どうしたんだ?ヤケに積極的じゃあないか。」


  読んでいた雑誌を床に落とすと、目の前には自分と愛人との間に出来た、我が子が覆いかぶさっていた。


  今日は短いスカートをはいている為、色白の足が嫌でも目に入る。


  黒い髪は色っぽさを強調していて、大きくはないものの、程よくある胸の膨らみが、斎藤の身体に密着する。


  腕を背中に回し、足も絡めるようにして斎藤に抱きつく。


  斎藤も、右手を梓愛加の背中に、左手で腰のあたりを包むように抱く。


  この二人が、『親子』という関係で無ければ、とても妖艶な大人の空間なのだろうが、梓愛加がこうして甘えてくるときは、碌なことが無いと、斎藤自身も分かっていた。


  「また、野郎でも殺したか?」


  斎藤が梓愛加の耳元で、囁くように聞くと、梓愛加は上半身をゆっくりと起こして、斎藤を見下す。


  それさえもが、男の理性を崩す、麻薬のようなものだった。


  「未・・・。」


  「まだって・・・。これから殺すのか?わざわざ予告しに来たってのか?」


  娘の口から出た言葉に、驚くことなく返す。


  「隼人、面会。興奮、上昇。否、抑制、鎮静。身体、熱情。脳味噌、朦朧。」


  「あ?」


  「個人的嗜好。興味。否、純愛。」


  「・・・そりゃ、安心した。」


  鼻がくっつきそうなほど顔を近づけられたが、斎藤は微動だにせず、梓愛加を見つめる。


  そして、梓愛加の頬に手を添えようとしたとき、梓愛加に金的を蹴られ、マッサージチェアに乗ったまま、股間を押さえていた。


  「拒絶。拒絶。拒絶。親子、肉親、不純愛、拒否。求愛、他人。」


  「・・・俺だって、実の娘に手を出すほど、女に飢えちゃあいねーよ。」


  「怪訝・・・。」


  「まあいいや。・・・で?誰を殺す心算なんだ?」


  「殺害、否定。心情、伝達。」


  若干涙目になりながら、斎藤は梓愛加のしたいことが理解出来たように、デスクの引き出しから紙を取り出した。


  そして、自分の名前を書き込み、ハンコを押して、梓愛加に渡す。


  「ほらよ。隼人に会うんだろ?」


  「感謝。」


  斎藤から紙を受け取ると、梓愛加はさっさと支部長室を出る為に、ドアノブに手を掛けた。


  だが、梓愛加の手の上に斎藤が手を置いたことで、一時的に開けられなくなってしまった。


  「・・・まあ、飢えちゃあいねぇんだが、梓愛加も大人になったよな・・・。」


  梓愛加の髪の毛を掬って、そこに口づけをしようとした斎藤だが、梓愛加が思いっきり、ヒールの踵で斎藤の靴を踏んだため、それは叶わなかった。


  その隙に、梓愛加はドアノブを回してドアを開け、斎藤に冷めた視線を向けて言い放つ。 


  「死ね、カス。」


  パタン・・・


  部屋には、マッサージチェアにうつ伏せで倒れている斎藤だけが残り、涙で濡れていたとか、いないとか・・・。








  ―裁判所 警備室


  裁判中の様子を録画していたビデオがあるということで、忙しい紅蓮と渋沢の代わりに、聖が確認しに来ていた。


  映し出される映像を、隅から隅まできっちりと見て、裁判前後に出入りした人物の確認まで行った。


  「ありがとうございました。」


  全員チェックし終えて、一人一人の仕事や家族構成を調べに入る。


  ほとんどは記者であることが判明したが、聖の中で、引っかかる人物が一人だけ存在した。


  その人が関係あるか無いかは、今のところなんとも言えないという現状であり、聖は門番であるために、それほど多く情報を集めることが出来ない。


  そのため、ひとつの考えがあった。


  コンコン・・・


  とある部屋をノックすれば、中からは気だるそうな声が聞こえてくる。


  「よお。」


  「聖か。」


  紅蓮の仕事場に入ると、紅蓮は資料を適当に置いて、ソファに座るように促し、コーヒーを二人分用意して、自らもソファに座る。


  ビデオを見た感想や気付いたこと、自分の考えも踏まえた話をすると、紅蓮は何か分かったのか分からないのか、目を細めた。


  「・・・なるほどな。」


  「でも、隼人にした理由が分からねえ。悪魔が見えるリスクを負ってまで、隼人にするなら、それ相応の理由があるはずだろ?」


  「まあ、それは犯人が分かれば自然と繋がるだろう。じゃあ、頼んでいいか?」


  「ああ。任せとけ。」


  考えとは、紅蓮が調べるというものだった。


  裁判長である紅蓮が、『調べものがある』と言えば、どんなところでも簡単に入れるだろう。


  まさに『鶴の一声』というやつだ。


  そして、紅蓮の資料整理や確認、事務的仕事を、聖が行うのだ。


  通常、資料などは関係ない人には見せてはいけないし、ましてや代わりに仕事をさせるなど、言語道断なのだが、聖は隼人同様に、裁判に関して素人では無いし、成績が優秀だったことも確かだ。


  そこで、適材適所といった具合に、紅蓮の仕事は聖が受け継ぎ、聖の仕事を紅蓮が受け継ぐことになった。


  「渋沢には言わなくていいのか?」


  「ああ。あいつは心配症だからな。あいつの出番になったら、その時は頼むけどな。」


  そう言って、紅蓮は仕事場を聖に任せて、『外出中』という札を掛けて、自分は仕事場を後にした。


  部屋に残された聖は、紅蓮が座っていた椅子に座って、『今日の分』と書いて張ってあったメモが示す資料の山を見て、ため息をつく。


  学生時代には、こんなに山積みになった資料を見た事が無かったが、いつも本を読んでいる隼人の脇には、これ以上の本が積まれていたな、と思い出しながら、一番上の資料を手に取る。


  「門番で良かった・・・。」


  隼人と張り合うように勉強はしていたが、こういう仕事場が目に見えていたから、絶対に、何があっても、絶っっっっっっっっっ対に裁判自体に関する仕事はしまいと思っていたのに、まさかこういう形で、鬱になるとは予想外だった。


  成績上位二人が、裁判長にも弁護士にも検察官にもならないということで、大分周りは騒いでいた。


  ―創立以来、最高の成績を収めた二人が!


  紅蓮や渋沢は、最初から裁判長になりたかったようで、それぞれ頑張って勉強をしていたようだ。


  勤勉で真面目だからな、と感傷に浸っていた聖だが、こんなんじゃ仕事が終わらないと判断して、ぺラッと捲る。




  仕事場を出た紅蓮は、聖の話から、家族構成について調べることにした。


  それは決して表の部分だけじゃなく、裏の部分もだ。むしろ、裏の部分の方が重要であると思っている。


  ―斎藤 寛治


  それが聖の口から出てきた男の名だった。


  その名前には、聖はもちろん、紅蓮も聞き覚えがあり、数回の面識はある。


  弁護士として名を馳せていた男で、どんな裁判でも無罪、もしくは執行猶予をつけていた、敏腕弁護士であった。


  三十代入ってすぐのころに弁護士を突然止めてしまい、監獄の看取として働き始めた。


  仕事ぶりはとても真面目で、数年で支部長にまで上り詰めた。


  紅蓮の知っている限りでは、家族は妻と息子が一人で、妻は斎藤が支部長になって間もないころに他界し、息子は法学部に通って勉強しているということだ。


  それ以外に子供はいないし、女を作っていたという話など聞いたことは無い。


  だが、調べてみないと分からない。


  女癖が悪いとか、女遊びをするとか、そういう男ではないように見えるが、紅蓮は見かけなどあまり気にはしない。というか、信じていない。


  今まで散々、法廷で色んな人を見てきたが、歳を取った老人であっても、幼い子供であっても、男たちが振り返るほどの美女でも、真面目そうな青年であっても、みな腹に黒い何かを抱えている。


  自分の目で見たものさえも信じて良いのか分からない時代に、お人好しな行為は命取りになる。


  あえて『第三者』として、公平に、冷静に物事の本質を見極める必要があるのだ。


  誰かに感づかれても不味いので、紅蓮は『斎藤に関する資料』などとは口にせずに、違う方法を考える。


  「資料に手違いがある可能性がある。個人情報の入ってるフォルダを使わせてもらうぞ。」


  そう言って、一台のノートパソコンを持ちだして、誰も入ってこないような薄暗い部屋に入る。


  電源をつけてパスワードを入力し、一般人から裁判長たちまで、幅広い人の個人情報が入ってるフォルダを開いてみる。


  ご丁寧に、あいうえお順で並べられていたため、すぐに目的の人物のものを見つけることが出来た。


  「斎藤寛治・・・。目新しいものは無い・・・か?」


  このフォルダは、情報を書き換えられないようにしてあるため、誰かによって書き換えるなど、不可能だ。


  そこで、ふと紅蓮は思い出す。


  ―確か・・・。一般人のDNA情報が入ってるフォルダが・・・。


  此処の世界では、悪魔にとり憑かれやすいのは臭いなのか、遺伝なのか、それともただの悪魔の嗜好なのかを調べる為に、一般の人のDNA情報も入っていて、それを検証することも出来るシステムになっている。


  もちろん、誰にでも出来るわけではなく、紅蓮のような裁判長や、事件担当の弁護士や検察官だけである。


  そこのフォルダを見つけた紅蓮は、斎藤のDNA情報と一致するDNAを持つ人物を、一般人も含めて調べてみることにした。


  パソコンが勝手に次々とやってくれるので、紅蓮はその間、欠伸をしたり身体を伸ばしたりする。


  ピーッピーッピーッ・・・。


  「・・・誰だ?」


  パソコンが複数の人物との一致を見つけた。


  猛勉強中の斎藤の息子、そしてもう一人見つけた。


  今度は、その人物とDNAが合う人物を、斎藤以外に絞って調べてみる。


  しばらくして、またパソコンから反応があり、その人物も分かった。


  紅蓮は、隠し持っていたUSBメモリをパソコンの側部に差し込み、目の前の画面に写っている情報を手に入れる。


  コピーし終えると、紅蓮は颯爽と薄暗い部屋を出て、パソコンを返却する。


  ―まさかな・・・。大体は掴めたが、なんで隼人なんだ?


  一人廊下を歩きながら思考を巡らせていた紅蓮は、途中で考えるのを止めて、弁当でも買って聖に差し入れしようという考えに切り替えた。


  ―ああ、でも。もう少し調べてからにするか・・・。








  「また来たのか?そんなに俺に会いたいわけ?」


  鉄格子の中で腕立て伏せをしている隼人を見つめているのは、梓愛加だ。


  読むような本も無く、だからといって集団行動など愚の骨頂だと考えた隼人は、黙々と汗をかきながら腕立てを続ける。


  「否定。興味。死刑、恐怖、否。」


  「あのよ~、その話し方、何が言いてぇのか、さっぱり分かんねえんだよな。」


  腕立てを終わりにして、看守から奪っ・・・貸してもらったタオルで汗を拭きながら、隼人は梓愛加を見る。


  ヤンキ―座りをして、肩にタオルをかける。


  梓愛加を見上げるような姿勢だったが、梓愛加は床にぺたりと座って、隼人と目線を合わせてる。


  「名前くらい、言ってもバチは当たんねえと思うけどな?」


  垂れてくる汗を拭いて、ニッと笑いながら梓愛加に話掛けるが、一方の梓愛加は、隼人のことを見ているだけで、名前を言おうとはしない。


  「拒否。他人、無義務。無権利。」


  「わーったわーった。じゃあ、俺が言えば言うのか?」


  「・・・・・・・・・・・・・・・隼人。」


  「なんで俺のこと知ってんだよ。」


  一瞬だけ、その目から笑いが消えた隼人だが、またすぐに細める様にして笑いながら、梓愛加に聞いた。


  「秘密。」


  口元を緩めて妖艶な笑みを浮かべると、梓愛加は鉄格子の間から腕を入れて、隼人に触れようとする。


  その行動を不審に思いながらも、隼人も手を伸ばしてみる。


  刹那―


  梓愛加にグイッと引っ張られて、鉄格子に勢いよく頭をぶつけた。


  「痛っ・・・。」


  梓愛加はくすぐるように、隼人の耳元で囁く。


  「恐怖、歪曲、顔面、快感。」


  それだけ言うと、隼人の腕を離してスタスタと帰っていってしまった。


  「???」


  ―何を企んでんだ?あの女・・・。


  ―厄介な奴に目をつめられたかもな。


  隼人は筋力トレーニングをするべく、鉄格子に足を掛けて、腹筋を始めた。


  「腹・・・クるっ・・・。」


  通りかかった看取に、憐れんだような目で見られたが、そんなのは無視して、隼人は腹筋を続けた。








  ―東監獄 支部長室


  「なに?隼人に会いたい?」


  「はい。少しでいいんです・・・。」


  支部長室にいるのは、支部長である斎藤と、隼人に会いに来た渋沢である。


  隼人が心配だということと、もしかしたらマイペースな隼人が迷惑をかけているのではと思って、出向いたのである。


  「簡単には会わせられませんよ。それに、仕事はいいんですか?」


  「うっ・・・。」


  痛いところを突かれた渋沢は、何とか隼人に会えないかと試行錯誤してみるが、やはり何も思いつかない。


  「裁判に係わる人物に会うならまだしも、個人的な交友だけを理由に、会わせるのは、私の今後にも係わります。」


  渋沢を敵視するような斎藤の棘ある言葉は、紅蓮とは違った威圧感があり、部屋の空気が重くなっていく。


  ―いっ・・・息苦しいよ。此処・・・。


  なんて、口に出して言えたら、どれほど楽なんだろうと思っている渋沢に、斎藤が思い出したように話しかける。


  「君は・・・どこの裁判所だったかな?」


  話題が変わったことで、少しだけ胸を撫で下ろした渋沢は、即座に答えた。


  「あ、はい。高等裁判所と、家庭裁判所をやらせてもらってます。」


  「そうか・・・。」


  興味無いのか、渋沢の回答を軽く受け流すと、嘲り笑うように渋沢を見た。


  「君の仕事ぶりを見せてもらった事があるが、なんというか・・・。君は臨機応変に対処できないのかね?それに、決して公平公正な判断が出来ているとも思えない。私情を持ち込むのは、判決を下すものとしてあってはならない事だ。・・・だから君は下級裁判所止まりなんだ。君自身も、法律の『棒暗記』だな。応用がきかない裁判長がいるなんて、信じられないね。」


  「・・・。」


  自分でも分かっている自分の欠点を、初対面の人にこうも言われてしまっては、何も言い返せなくなってしまう。


  成績は良い方ではなかったが、裁判長になりたくて必死に勉強した。


  それでも、紅蓮や隼人には追いつけなかった。


  「ま、そういうわけだ。出直してきてくれると有り難いのだがね。」


  何も言えぬまま、渋沢は部屋を出た。


  仕事場に戻る途中で、女をすれ違った。


  ―こんなとこに女なんていたっけか?








  ―同日 深夜十一時半ごろ


  再び三人で部屋に集まることになり、紅蓮と聖はソファに座って、渋沢は淡々と飲み物の用意をする。


  カフェオレを用意してテーブルに置き、自分もソファに座る。


  紅蓮と聖は、最初、斎藤については触れずに、そういう奴がいるということだけを伝えることにした。


  「で?それって誰?」


  渋沢の純真無垢というか、無邪気というか、とにかく穢れの無い質問に、紅蓮も聖も口を閉ざした。


  「そうだよな、まだ分かんないよな。・・・御免。急かして。」


  いつもの様子と違う渋沢を見て、紅蓮が眉をピクッと動かす。


  「何かあったのか?」


  弱弱しく笑っていた顔も止まり、テーブルを見つめながら口を噤む。


  だが、話を切り替えようと、隼人の裁判の話にすり替えた渋沢を変に思いながらも、渋沢の会話に合わせる。


  「隼人の裁判って、確か、来月だっけか?」


  「その予定だったんだが、早まった。来週にもう始めるらしい。」


  「来週!?・・・だって、まだそんな準備出来てないんじゃ・・・。」


  渋沢の問いかけに対して、最初は紅蓮が答える。


  「まあ、それが通常だがな。今回は、物的証拠が残ってるから、弁護士も隼人を無罪とは思っていなくて、執行猶予をつけるように勝負するらしい。」


  「なっ・・・。隼人は犯人じゃねえだろ!?」


  淡々と機械的に答える紅蓮の回答に、感情を抑えきれずに声を張り上げた渋沢を、宥める様に聖が口を開く。


  「当たり前だ。あいつはそんな馬鹿なことしない。そもそも、時間と労力と人生の無駄遣いになるって考えてるだろうよ。」


  ため息をつきながらの聖の言葉を聞き、渋沢はソファから立ち上がりそうになっていた腰を、もう一度しっかりとソファに押しつけた。


  「だから、俺達がこうして調べてるんだろう?」


  「・・・うん。」


  様子がおかしい渋沢を見た後、紅蓮と聖の二人は目を合わせて、心の中で同時に首をかしげる。


  「渋沢。やっぱりなんかあったろ。言え。」


  聖の言葉は、紅蓮の口調よりもちょっとだけ厳しく感じた。


  渋沢は、個人的に受けた精神ダメージのことを、この大事な時に、二人に話していいものか迷っていた。


  ―俺自身の問題なのに、迷惑かけてもな・・・。


  ソレを感じ取ったのか、紅蓮は眉を潜ませて、近くにあった新聞を手にとって、それを渋沢に向かって投げつけた。


  「ぶっ!」


  顔面にくらった渋沢は、奇声をあげて紅蓮を見る(睨む)。


  「つまらねぇことで悩んでんのか。仕事に支障をきたす前に話せ。」


  「・・・つまんないことだからいい・・・。」


  その返事に、紅蓮の眉間にはシワがいつも以上に寄っている。


  「ガキじゃねえんだから、捻くれたこと言ってんじゃねぇ。それとも、すねれば解決するような、どうでもいい事なのか。」


  紅蓮は、たまに口調が荒荒しくなる。渋沢にムカついたとか、苛立ったとか、そういうことではなくて、信頼関係第一の仕事をしているため、信頼されていないと感じると、口調が変わることがある。


  渋沢も紅蓮の感情を察知して、肩をビクリと動かすが、言おうか言うまいかまだ悩む。


  「・・・渋沢よぉ、今日、斎藤支部長んとこ、行ったらしいな?」


  聖が放った一言。


  紅蓮も初耳のようで、聖の方を見て怪訝そうな顔をしている。


  「監獄って、東西南北で情報を共有してんだよ。で、南監獄支部長の、叶南が俺に教えてくれたんだよ。斎藤になんか言われたのか。」


  そこまでバレテいるとは思っていなかった渋沢は、観念して少しずつ話し出す。


  「隼人に面会したくて行ったんだけど、会わせてもらえなかった。そんで、俺は『棒暗記』の裁判だって・・・。応用がきかないって・・・。」


  渋沢の告白に、紅蓮も聖も黙って聞いていただけだった。


  「自分で分かってるよ!応用がきいてない事くらい・・・。何十回も何百回も六法全書読んで、一文字も間違えなく覚えた。でも、実際の裁判になると分かんなくなって・・・。可哀そうとか、酷いとか、私情を挟んで聞いてることも分かってるけどさっ・・・・・・。」


  目を強く瞑り、膝の上で、拳を力強く握っている渋沢に、ため息をついた紅蓮が諭す。


  「それでいいだろ。それがお前のやり方だ。」


  ゆっくりと両目を開けて、紅蓮の方を見る。


  「それじゃあ、裁判長としてダメじゃん・・・。」


  まだメソメソしてる渋沢に、またもや近くにあった、隼人の読みかけの本を投げつける。


  「でもお前は、裁判長になれただろ。」


  眉間にシワを寄せながら、睨むように渋沢を見下ろす。


  「俺には俺のやり方がある。実際、この間の裁判だって批判があっただろ。いちいち気にしてたら身がもたない。お前はお前の裁判をすればいい。それだけの事だ。斎藤には斎藤のやり方があって、そのやり方が違うってだけの話だ。分かったか。」


  最後は、半ば強制的に納得させるように口調を強めて言う紅蓮を見て、渋沢はポカンと口を開けて、慌てて頷く。


  気まずい空気になりかけたとき、声を発したのは聖だ。


  「でも、そうなると、隼人の面会が出来るのは・・・。」


  聖は紅蓮の方を見て言うが、紅蓮は聖の方を見ない。


  「俺が行っても、多分なんだかんだ言って面会させないだろうな・・・。だからここは・・・。」


  「・・・叶南か?」


  「・・・しかないだろう。」








  ―翌日 早朝七時過ぎ


  一人の男が、堂々と東監獄内を放浪していた。


  留置所内で運動をしているものや掃除をしているもの、更生して社会復帰するための練習をしているものなど、様々な人の間をすり抜けていく。


  そして、『支部長室』と書かれた部屋をノックして、返事も聞かずに入っていく。 


  「やあ。久しぶりだね、斎藤さん?」


  「何をしに来た?南監獄支部長さんが・・・。」


  「そーんなに嫌な顔しないで下さいよ。私だって、あなたと遊ぶほど暇人じゃあないんですからね。」


  「何をしに来た?」


  「怖い怖い。そんなに嫌われる様なこと、私しましたかね?」


  ククク・・・と喉を鳴らしながら笑う男を見て、至極不機嫌そうな顔で、目の前にいる男を睨みつける。


  斎藤はホワイトで統一されている部屋の中で、唯一逆らうように置いてある、ブラックのマッサージチェアに腰かけてスタートボタンを押す。


  「叶南・・・。貴様は私の邪魔ばかりする。私が弁護士をしていたときだって、毎回、嫌な証拠品ばかり提出してきた・・・。」


  「それが検察の仕事ですからね。それに、あなたの証拠など、どうせ偽物でしょう?あなたが証拠を繕うならば、私はそれさえも覆す証拠を揃えればいいと考えたまでですよ。本当なら、あなたが被告として法廷に立っていてもおかしくないんですよ?」


  「私はただ、未来ある若者を支援したまでだよ。」


  「そうですかね?人を殺すことに快感を覚えるような若者を、『未来ある』と表現すること自体、矛盾を感じますがね、私は。」


  南監獄支部長、『叶南』は、斎藤と同期である。


  斎藤が弁護士をしていたころ、対立するように検察をしていた。


  斎藤が動かぬ証拠を出せば、叶南はそれをも上回る決定的証拠を突き付ける。その二人のやり取りを見に来ていた傍聴人も少なくは無い。


  だが、斎藤が弁護士を止めて監獄に働き始めると、叶南も同時期に検察を止めて監獄の事務職で働き始めた。


  「私の真似をしているのかね?君は・・・。全く不愉快極まりないよ。」


  「同意見ですね。あなたをライバルだと思ったことすらないのに、記者達は面白おかしく記事を書くし、それを読んだ人は鵜呑みにする・・・。私の方が不愉快です。」


  「それで?結局なにをしに来たのかね?私と無駄な時間のやり取りをしに来たのかね?それとも、南監獄で友達が出来なくて、私に会いに来たのかね?」


  「どちらも違います。ただ、問題児がいると聞いたので、興味が湧きまして・・・。」


  「・・・右目の異端児のことか?」


  いつも斎藤が座っている大きめの豪華な椅子に叶南が座って、足を組んで斎藤を見る。


  マッサージチェアの音が五月蠅いのか、斎藤はストップボタンを押して、身体を起こさずに会話を続ける。


  「ええ。ぜひ、死刑になる前に、一度話をしたいと思いましてね。『悪魔の見える青年』と。」


  「そうやって、興味の有る無しで面会をするのは、どうかとは思うが・・・まあいい。ただし、十分だけだ。」


  「充分ですよ。昔より丸くなりましたか?」


  叶南が椅子から立ち上がって、斎藤の前に行き礼を言おうとしたら、斎藤に思いっきり頭を叩かれた。


  叩かれたところを押さえながら、叶南は留置所を歩いて、目的の人物の場所まで歩く。


  面会をするために、入口に立っていた看取に、『南監獄支部長 叶南』という札を見せれば、簡単に通してくれた。








  「君が隼人君、ですよね。」


  鉄格子の中で筋トレをしていた隼人は、中断して男の方を見る。


  「ああ。確か、紅蓮の知り合いの・・・。」


  「南監獄支部長の叶南。紅蓮に頼まれてね。世間話でもした方がいいかな?」


  「いや、いい。俺は世間ってもんに興味は無ぇから。」


  「・・・だろうな。じゃ、まあ、結果報告すっから、感想でも聞かせてもらえばいいかな。」


  叶南は口元を弧にして、目を細めて笑う。


  叶南は、紅蓮から聞いた内容を、一字一句漏らさないように隼人に伝えると、隼人はそれをただじっと聞いていた。


  限られた時間の中で、的確に正確に無駄なく話す叶南は、やはりすごいと感じた。


  「・・・ていう感じらしいんだけど、どう?」


  隼人に感想と言う名の考えを聞けば、隼人は飄々とした表情で答える。


  「参ったな。」


  「ハハハ。お互いにな。なんかお前も気付いたことあれば言ってくれ。なんとか裁判までには間に合わたいだろうし。」


  「・・・。まあ、多分その斎藤の隠し子?なら会ったぞ。」


  「ホントか?どんなだ?」


  「どんなって・・・。一般的に見れば可愛いって部類には入るんだろうけど、係わりたくはねえ感じ。」


  「見た目は?」


  「髪は黒くて肩くらいまでで・・・。んー、あとは、そうだな・・・。あ。首、鎖骨辺りに十字架のタトゥーが入ってた。」


  互いの情報交換を丁度終えたとき、看守が近づいてきて、警告した


  「十分経ちます。」


  「ったく。きっちりしてんな・・・。」


  よっこらせ、と腰を上げて立ち上がると、年寄りのように、腰をポンポン叩きながら欠伸をする。


  「ま、紅蓮たちにまかせて、お前はこれでも読んでろ。」


  そういって、ポイッと鉄格子の隙間から本を投げ入れる。


  そのまま敬礼している看取の花道の真ん中を通りながら帰っていく叶南の背中を、ため息をつきながら眺めたあと、渡された本の表紙を見る。


  ―『貴方の哲学論』


  隼人は、久しぶりの本との再開に心弾ませながら、筋トレを止めて、ベッドに腰掛けて読み始める。








  叶南が、面会を終えたことを斎藤に伝える為に、支部長室へと足を運んでいると、目の前に部屋が見えてきた。


  扉に近づいた時、中から出てきた人とぶつかりそうになり、反射的に手を前に出して、相手の身体を支える形をとる。


  「おっと・・・。御免よ。大丈夫か?」


  「・・・失敬。」


  目の前の女の子を見て、一瞬だけ目を見開くが、すぐに戻す。


  「支部長室に用ってことは、嬢ちゃんも面会かなんかかい?」


  「・・・・・・・・・・・・・・・・・・迷子。」


  明らかに嘘だと分かることを口にする目の前の女の子に、叶南はあれこれ検索すると、自分も怪しまれると思い、それで納得することにした。


  「そうか。帰れるか?」


  「はい。」


  ぺこりと頭を下げて、廊下を歩いていく女の子、梓愛加。


  その背中をしばらく見つめ、階段を上るために角と曲がったのを見て、自分も支部長室のドアをノックして、返事も聞かずに入っていく。


  「世話になりまして。じゃ、私はこれで帰りますわ。」


  完全に部屋には入らず、ドアノブを持ったままで斎藤に向かって御礼を言う。


  「さっさと帰って、自分の仕事をしてくれると助かる。」


  叶南の方を見もせずに、皮肉を込めた言葉をかける。


  「ハハハ。じゃあそうするとしましょう。では、また。」


  目を細めて笑いながら、斎藤の皮肉を物ともせずに返事をし、ドアを閉める叶南に対して、斎藤は疲れた様に目頭を押さえる。


  「あいつとは係わりたくないもんだ。」


  ため息交じりに紡がれた言葉は、斎藤以外誰にも聞こえなかった。








  ―紅蓮仕事場


  紅蓮は着々と、毎日の仕事をこなしていくが、渋沢の落ち込み具合が気になり、一旦手を止めて、内線で渋沢の仕事場にコールする。


  十回鳴っても出ないため、仕方なく切って、再び仕事に戻る。


  紅蓮も渋沢の性格は分かっている心算だった。


  もとから才能があり、さらに努力をした隼人や聖とも違い、何度も法廷に足を運んで、実戦を見て、そこから入る勉強法で上り詰めた紅蓮とも違う。


  渋沢は、努力も人一倍していた。裁判にだって積極的に行っていた。試験の見直しだってかかさずにやっていた。寝る間も惜しんで過去の判例を読んでいた。


  だが、成果というものは、すぐに出るものではない。


  ―自分はどれだけやっても、みんなには追いつけない。


  そういう考えが、未だに心の隅にあって、渋沢を縛りつけている。本当はもっと自分に自信を持っていいはずなのに、自信が持てない。


  隼人や紅蓮は、そういうところも渋沢らしいと思って、今まであまり触れないできたのだが、今回はそうはいかない。


  一方で、隼人も『宝の持ち腐れ』ではないかと思っている。聖も同じことが言えるのだけど、隼人は別格だった。


  紅蓮も渋沢も、もちろん聖も、隼人を目標にしていたというのは事実であって、三人以外の奴らだって、隼人の才能を羨んでいた。


  将来は優秀な裁判長になると噂されていたのに、進路を聞いた時、隼人はケロッと言った。


  『え?俺、ならねえよ?』


  その言葉に驚いたのは紅蓮だけではない。


  学校中が驚いていたし、先生たちが何度も何度も、隼人と聖を説得していたのを覚えている。


  だが、それでも隼人が首を縦に振ることは無かった。


  『俺の人生に、口出ししてほしく無いんすけど。』


  説得の渦に嫌気がさして、隼人が止めの一発とばかりに放った一言で、みんなが凍りついた。


  「あの頃から、あいつは変わって無いな。」


  苦い思い出を鼻で笑いながら吹き飛ばし、紅蓮が次の資料に手を伸ばす。








  ―渋沢仕事場


  「・・・・・・・・・・・・・・・。」


  資料は溜まっていくだけで、減る気配は無い。


  それは、仕事をするはずの人間が、仕事場にあるソファでごろごろしているからだ。


  「仕事しろ。」


  そう言いながら、勝手に入ってきたのは、渋沢も知っている人間の聖だった。


  紅蓮から、渋沢の様子を見てきてほしいと言われた聖は、仕事だったのだが、昼休みの間に渋沢の仕事場まで来たのだ。


  手には昼飯なのか、弁当を二個持っていて、ため息をつきながら、そのうちの一個を渋沢の頭に乗っけた。


  「昼飯食ったらやれよ。紅蓮にドつかれても知らねえぞ。」


  今にも頭から落ちそうな弁当を、支えながら持ち、ソファに座り直す渋沢は、聖を呼びとめて向かいのソファに座ってもらう。


  弁当を片手に持ったままソファに座り、渋沢と対面する。


  「俺に相談はするなよ。するなら紅蓮か隼人にしろ。」


  「・・・。俺に隠し事してるでしょ。」


  「あ?」


  唐突な渋沢の言葉に、眉をひそめた聖だが、ため息をつきながら足を組む。


  まだ渋沢にはDNAの件については話をしていないが、紅蓮の許可なしに話していいものか考えていた。


  「今日、叶南も交えて話す。」


  「・・・やっぱり、隠し事してたんだ。」


  拗ねたように口を尖らせている渋沢は、文句を言いながらも、聖に貰った弁当を開けて食べ始めている。


  「お前が一人で突っ走んねえようにだ。被害妄想すんなよ。」


  「分かってるよ。紅蓮に言われたんでしょ。」


  「まあな。あ、俺そろそろ時間だから行くぞ。」


  「うん。ありがとう。」


  聖は弁当を持ったまま、渋沢の部屋を後にする。








  ―留置所内


  隼人は、叶南からの本を読んでいて、またイイ格言を見つけた。


  だれかに伝えようと思っても、周りには看取しかおらず、ため息を深く深くつきながら、一人の看守を呼んだ。


  「何だ?」


  「あのよ、格言聞いてほしいんだ。」


  「は?」


  「まあ、黙って聞け。」


  読み終えた本を閉じて、鉄格子の中で両手を高々と上げて声を張り上げる。


  「トルストイはこう言ったんだ。『死の恐怖は、解決されない生の矛盾の意識にすぎない。』と!モンテーニュはこう言ったんだ。『私たちは死の心配によって生を乱し、生の心配によって死を乱している。』と!そして・・・」


  楽しそうに、鉄格子の中でくるくると回りながら歓喜に満ちている隼人が、更に言葉を紡ごうとしたとき、誰かによって止められた。


  「静かにしろ。死に急ぐことはない。」


  隼人が動きをピタリと止めて、鉄格子の向こう側にいる男の方をくるりと向き、扉に近づく。


  そこには、偉そうに腰に手をあて、欠伸をしている男が立っていた。


  「あれ?もしかして、あんたが斎藤支部長さん?」


  「俺を知ってるのか。流石だな。」


  「知ってるも何も、有名人じゃないですか~。裁判に勝つためなら何でもする、別の意味で『悪魔に魂を売った男』だって。」


  そこまで隼人が言うと、鉄格子の向こう側から、棒状のものが伸びてきて、扉近くにいた隼人の腹にめり込んでいった。


  それほど長くは無かったことで、隼人の身体は数㎝後ろに動いただけで済んだ。


  「ってーなぁ・・・。暴力反対主義なんだけどなぁ、俺。」


  斎藤の手に握られていたのは、警棒だった。


  それを看取に返して、隼人に裁判についてを知らせる。


  「お前の裁判が来週に変更した。まあ、遅かれ早かれ死刑だろうがな。裁判長は松田裁判長に任せることになった。それだけだ。」


  「松田・・・?ああ。あの人ね。何?そんなに俺を有罪にしたい?」


  「口を慎め。自分がどういう立場にいるか分かってるのか?」


  斎藤が、シャアシャアと話す隼人を見下しながら言葉を並べれば、隼人はニッと笑い、挑発するような事を口にする。


  「分かってますよ~。誰かさんの隠し子がやっちまった人殺しの罪を、着せられそうになってるんですよね?斎藤支部長?」


  それを聞いた途端、斎藤が鉄格子を強く掴み顔を近づけ、一気に眉間にシワを寄せて、鬼のような形相で隼人を睨みつける。


  「・・・。」


  何も言わず、悔しいのか怒っているのか、奥歯を強く噛みしめている。


  「用が済んだら、とっとと帰ってくれると俺の為になりますけど。」


  若干痛む腹をさすりながら、余裕そうに口元を緩めている隼人に、斎藤は下手な事は言わない方がいいと判断し、その場を去っていった。


  その感情を隠し切れていない背中を眺めながら、隼人はまたニッと笑う。


  「・・・ビーンゴ。」




  ―おい、イイ女が来たぞ。


  ―何?・・・・・・・人間の女だ。でも、臭うな。


  ―血の臭いだ。血の臭いがする。人間の血生臭い臭いがプンプンする。


  ―尋常じゃない血の臭いが体中からするな。こいつ、何人ヤった?


  ―でもこいつ、十字架はつけてるぜ。キヒヒヒヒ!こりゃあ面白れぇ!


  ―誰かの臭いに似てるぞ!あいつだ!あいつだ!




  悪魔たちの会話・・・。


  梓愛加が来たときに、隼人の聴覚を支配して流れてくる悪魔同士の会話は、持ち主、飼い主である隼人にも聞こえる。


  その言葉と、叶南の情報をもとに推測をたてた隼人は、カマをかけただけだった。


  叶南から聞いて、斎藤には息子が一人いるだけだと知り、さらには斎藤が来た瞬間に悪魔たちがざわつき始めて言ったこと・・・。 




  ―こいつだぁぁあぁああぁぁあぁ!!!キハハハハ!!




  この言葉を聞いて、隼人は勝負に出た。


  「黙ってやられっぱなしってのは、性に合わねぇんだよなぁ・・・。なぜか。」


  右目は、眼帯を外さなくても見える。


  眼帯を外す時は、大概の場合、誰かに悪魔を見せるときであって、悪魔が隼人の身体から具現化するときだけ。


  ―人間の性欲っていうのは、どうしてこうも単純なんだぁ???


  ―愚者。愚者。愚者。欲望を理性で抑えきれない馬鹿共だなぁ!


  ―理性ってものを持っている動物のくせになぁ!


  ―だから人間は飽きない!!!時代が進んで科学が発展しても、どれだけ頭のいい奴らが出来上がっても、本能には逆らえない!!抗えない!


  ―キヒヒヒヒヒヒヒヒ!!!!!俺達と同類だぁあぁああぁあ!!


  脳髄に響く悪魔たちの会話を聞いて、隼人もそうだと思う。


  未来に何を求めて、次の時代や世代に何を期待しているのかなんて知らないが、それは単なるエゴであって、押しつけるものではないはずだ。


  本能に従うべきときと、理性で抑えるべきときがある。


  それを具え持っているはずの人間が、理性を忘れて本能ばかりに従うようになってしまっては、そんじょそこらの動物と変わらない。


  ―なぁ???お前だって、そう思ってるんだろう?隼人?


  悪魔に話しかけられて、隼人は無視をしようとした。


  ―キハハハハ!!沈黙は肯定だぁぁあぁあぁ!


  隼人は、頭の中をぐるぐる巡る悪魔たちの会話を聞きながら、ベッドに腰掛けて、もう一度本を読みなおし始めた。








  ―某所 夜九時


  梓愛加が街を歩いていると、とにかくいろんな人に声をかけられる。


  軽いナンパから、そういう系のスカウトまで様々だったが、特に興味のない梓愛加は、携帯を取り出して誰かに電話をする。


  相手は、コールして二回目が鳴るか鳴らないかくらいで出た。


  《梓愛加!!!来週のあいつの裁判には来るのか?あいつ、梓愛加と俺の関係に気付いてるぞ!まあいい。それより、今何処にいるんだ!?変な奴に変な事だれていないか!?大丈夫なのか?》


  「・・・。出席。興味。隼人。求愛。」


  《求愛いぃぃいぃい!!!!???なんてふしだらなっ!!いいか梓愛加!あいつにはもう会うんじゃあないぞ!それから・・・》


  梓愛加は面倒になって携帯を切った。


  自分がなんで斎藤に電話をしたのかも忘れてしまい、ため息をついて夜の街をブラブラすることにした。


  ―裁判早まったのか・・・。もう一回くらい話したかったのに。


  心の中では残念そうにしているのだが、表情はそれとは異なり、興奮と狂気に満ち溢れていて、恍惚としていた。






  ―深夜十二時過ぎ


  紅蓮を始め、渋沢と聖、そして叶南も集まって、持っている情報を全て共有し、考えをまとめることを目的としている。


  渋沢がみんなの分のコーヒーを準備して、テーブルに置き渋沢自身もソファに座ったところで、論議を始める。


  新たに聞く情報から、知っている情報まで色々とあった。


  全ての情報が出揃うと、叶南が思い出したように付け加えた。


  「そういえば、女の子っていえば、会ったよ。斎藤の支部長室から出てきた、なんていうか、可愛らしいけど係わりたくない女の子。隼人が言ってた子と同じだと思うんだ。」


  それに反応するように、渋沢も口を開く。


  「あ、俺も見た。隼人に会いに行った時、廊下すれ違った。」


  紅蓮は何かを考えているのか、腕組をしながら目を瞑っている。寝ている様にも見えるが、きっと寝てはいないだろう。この緊急事態時に。


  コーヒーを啜っていた聖が、テーブルにカップを戻す。


  しばらく、誰も口を開く事がなかったが、ふいに紅蓮が目を開いて独り言のように呟く。


  「・・・きっと隼人は、もう全部わかってるんだろうな。」


  誰も否定しないことから、少なくとも此処にいる四人は、全員そう感じているようだ。


  もともと頭もいいし勘も鋭いうえに、悪魔という、通常の人間には持っていない+αの情報を持っているのだ。


  それは隼人にしか分からないし、他の人が確認できないという不確定な証拠であり、状況証拠とも物的証拠とも違う、明らかに隼人しか確認出来ないのだ。


  だからこそ、悪魔にとり憑かれた人や、今回みたいな時には、貴重な証言であることも確かだ。


  「来週までに間に合うか分からない。これだけ完璧に証拠を偽造されたら、覆すだけじゃ無く、否定するのも一苦労だ。一番いいのは、その女が口を割ってくれることなんだが。」


  紅蓮が掌を額にあてがう仕草を取りながら、現状を綴る。


  すると、叶南がソファから立ち上がって、帰り仕度を始める。


  「東監獄内に手伝いをした人間がいる可能性もある。俺はそっちから攻めてみる。それでいいかな?紅蓮?」


  叶南がにこやかに、紅蓮に向けて言うと、紅蓮も短く、ああ、と返事をした。


  「悪魔の方についても、本当は調べたいんだが、地獄行きになった悪魔のことなんて誰にも知る術は無いからな・・・。」


  叶南が眉を下げて困ったように笑いながら話すと、何かに気付いたのか、今度は聖が立ち上がって、ドアの方へと向かって歩く。


  「聖?」


  渋沢が聖の背中に向かって言葉をかけると、顔は渋沢たちに向けることないまま、返事をする。


  「それなら、俺の専門分野だろ。」


  そう言って、部屋から出て行ってしまった。


  叶南はそんな聖を見てククク、と喉を鳴らして笑い、手を軽く上げて、聖の後に、部屋から出て行った。


  「大丈夫なのかな?聖。」


  渋沢が心配そうに紅蓮に聞くと、紅蓮は欠伸をしながらソファから立ち上がり、自室へと向かって歩き出した。


  「なんとかなるだろう。いざとなったら、強行突破だな。」


  いつの間にか部屋には渋沢しかいなく、まだ残っている自分のコーヒーカップを眺めながら、やっぱりコーラにしとくべきだったと思う渋沢だった。






  裁判までの間、それぞれが仕事をしながら、独自に調べ物をしていた。


  紅蓮と渋沢は、いつものように資料の確認や事務、裁判長として裁判に出て仕事をしながら、隼人の裁判についての情報を集めていた。


  聖は、門番という仕事をしながら、過去に地獄行きになった悪魔たちの詳細など、分かる範囲の事を出来るだけ多く調べていた。


  叶南は支部長としての仕事をしながらも、東監獄について調べたり、監視するように、何度も出向いていた。


  渋沢は、隼人とは結局、一度も面会できないままだった。


  斎藤のブラックリストにでも載っているんだろうか、渋沢や紅蓮が近づくだけで、看守たちから制止をかけられた。








  ―裁判当日 


  一週間というのは早いもので、あっという間にきてしまう。


  隼人の裁判には色んな人が来ていて、記者はもちろん、裁判官たちや弁護士、検察関係者も多数、それから東西南北の監獄看取たちも来ていた。


  満席だったが、渋沢たちはなんとか座る事が出来て、高いところにある扉から、松田裁判長が現れた。


  隼人を見たとたん、ニヤニヤしだして、悪魔よりも性質が悪いと感じた。


  十字架をつけている姿が逆に癇に障るくらい、本当に十字架とは無縁の男だ。


  検察側から尋問が始まり、当然のように隼人は否定を続ける。


  証拠の品々を目の前に提出されたところで、隼人には身に覚えのない殺人という、聖曰く、『時間と労力と人生の無駄遣い』。


  しかし、渋沢たち以外の人間は、耳を傾けようともしないまま裁判はただ形式的に行われていく。


  でっち上げられた証拠を突き付けられても、隼人は驚く様子もなく、その態度がさらに松田を刺激する。


  苛立ち湧き上がる感情、それを必死に押さえている理性という、防御本能で食いとめる。


  当の本人である隼人は、焦った様子もなく、ボーっとしながら検事や弁護士のやり取りを聞いているだけ。


  否定しても否定しても、自分の話を聞いてもらえない事を知っているのだろう、分かっている判決など聞かなくてもいいというようにも見える。


  弁護士も、初犯ということで執行猶予をつけろといっているが、そもそも犯人だと決めつけていること自体が、渋沢にとっては信じられなかった。


  言いたいことは山ほどあるし、それは弁護士や検察、松田にもそうだが、隼人にも言いたい文句があった。


  「では、被告人の判決、死刑に処する。」


  「なッ!!!」


  執行猶予がつかないとか、懲役何年とか、そんなレベルの話では無くて、本当に個人的に怨んでいるという理由からきているのではないかというくらいの衝撃を受け、渋沢は椅子から立ち上がりそうになった。


  だが、紅蓮に止められ、隼人も、目で『座れ』と合図している。


  松田がソレを見て、ニヤリと口元を歪める。


  「紅蓮!なんでそんなに落ち着いてんだよ!おかしいだろ!」


  周りに迷惑かけないくらいの声量で、紅蓮に怒りをぶつけた渋沢だが、そんな嘆きも虚しく、第一審が終わってしまう。


  周りがざわざわとし、椅子から立ち上がって帰る人が、入口で列になっていく。


  その列の中に、この前見かけた女を見つけた。






  部屋に帰ってから、渋沢は怒っているのか、黙ったままだ。


  紅蓮は相変わらず、自分の仕事に関する資料を眺めているだけで、特に怒っているわけでもなく、無表情なままだ。


  「控訴するよな?隼人。」


  「さあな。」


  渋沢の縋る様な質問を、さらりと流す紅蓮。


  渋沢はそんな紅蓮の態度にもイライラして、自分の部屋へと籠ってしまった。


  「・・・はぁ。隼人の言うとおり、やっぱりまだガキだな。」


  そう呟いたことは、渋沢は知らない。








  ガシャン・・・


  死刑を宣告された隼人は留置所から拘置所に移動させられた。とはいっても、どちらも監獄内にあるため、それほど遠くはない。


  留置所から移るとき、斎藤が隼人を見て、松田と同じようにニヤッと笑う。


  それを横目で軽く見た隼人だが、特に何を言うでもなく、睨むでもなく、他人事のように通り過ぎて行った。


  「入れ。」


  看取に、背中を強く押された為、若干よろめきそうにはなったが、そう簡単には跪かない隼人。


  留置所と同じような作りの部屋に入って、一通り見回す。


  ベッドにトイレがあるだけの、殺風景な部屋だ。


  両腕を前に出し、手錠を付けられている恰好のまま、隼人はうろうろと二三周して、納得したようにベッドに腰掛けた。


  看守がカギをかけて、どこかへと去っていった。


  「まあまあだな。」


  でもやっぱり暇なことに変わりは無く、手錠もされているため、筋トレを自由にすることも出来なくなってしまった。


  ―死ぬ。死ぬ。死ぬ。やっとこいつ、死ぬぞ!


  ―キヒヒヒヒヒヒ!!!!!傲慢な裁判だったがな!


  ―こいつが死んだら、俺達も地獄行きだな!それもいい!!!


  まったく、悪魔は気楽でいいな、と思っても、隼人にもどうすることも出来ない。


  まあ、こういう判決が出ることは分かっていたから、気持ち的には、それほど落ち込んでいるわけではないが、やはり釈然とはしない。


  ふと、初めて“あの世”というものに興味が湧いてきた隼人は、頭の中で悪魔たちと会話をする気になった。


  ―地獄って、どんなところだ?


  急に話しかけてきた隼人に、悪魔たちは大笑いする。


  ―キハハハハ!聞いたか!?てめえ、地獄に行くのか!?


  ―まあ、天国には行けねえだろうな!


  ―今更、死ぬことが怖くなったかあ???


  いつもなら耳障りに感じる悪魔たちの声が、なぜか今は気にならず、隼人は本能の赴くままに聞いていた。


  ―いや、死ぬなら死ぬでいいんだ。ただ、生きてるうちに、地獄だとか天国だとかっていう、確認出来てないあの世について聞いておこうと思っただけだ。天国だろうと地獄だろうと、俺はどっちでもいいし、そもそもそんなのは信じてない。


  隼人の言葉を聞いて、さらに高笑いする悪魔たち。


  なんとも不気味な洗礼ではあるが、今の隼人にとっては欲情を煽る、一種の興奮剤のようなものとなっていた。


  もっとも、それほど興奮はしていないが。


  ―キヒヒヒヒヒヒ!!!地獄は、そりゃあ恐ろしいところさ!


  ―手厚い洗礼の儀式を受けるだけでも、人間は耐えられねえはずさ!!!


  ―骨は軋み、肉は断たれ、精神は崩壊!!死ぬよりも耐え難い苦痛を味わう!!


  ああ、本で読んだ地獄絵図みたいなもんか、と予想通りの地獄とやらに、少しだけ失望した隼人は、悪魔に天国のことは分からないだろうと考えた。


  それに、死ぬよりも、ということは、悪魔も死ぬわけではないということが判明し、人間が死んだ後の世界なんて、人間にしか分かり得ないのだとも思った。


  ―ま、死後の世界があるなんていうのも、信じてないけど・・・。


  悪魔との会話を、一方的に中断して、隼人はベッドの上で暇そうに天井を見つめる。


  「死刑。不憫。否、救出。不可能。同情。」


  「またお前か。まともに会話出来ねえのに、なんで来るかな・・・。」


  聞き慣れた声にする方に顔を向けると、女が立っていた。


  ベッドから腰を上げて、女の方に近づくと、女は隼人の様子をじっと見ていて、少しだけ不機嫌そうな顔を見せる。


  「疑問。」 


  「あ?」


  女の言ってる意味が分からない隼人は、訝しげに首をかしげる。


  「願望。落胆、欠落、奈落。阻喪、悲憤。憤慨、崩壊。」


  「・・・・やっぱ分かんねえ・・・。」


  頭を抱えながら、女の言っている事を理解しようとしていると、女はどこから持ってきたのか、隼人の牢屋のカギを開けて、中に入ってきた。


  「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・は?」


  この女は何を考えているんだと思っている間に、どんどん隼人に近づいてくる女。


  隼人は看取を呼んだが、誰も来ない。


  そうこうしていうと、後ろにはベッドがあり、それ以上逃げられなくなってしまった。


  手錠をしたままの隼人の身体に抱きついてきて、体重をかけて、覆いかぶさるようにして倒れた。


  「って・・・。なんなんだ、お前。さっきから・・・。」


  女の行動の意図が掴めず、隼人は大声でなおも看取を呼ぶ。


  「無駄。」


  「じゃあよ、せめて少し文章で話してくんねえか?単語じゃ分かんねえよ。」


  隼人が、自分の上に乗って抱きついている女に言葉を降らせる。


  「・・・。」


  何も言わない女に、ため息をつきながら、隼人は仕方なく脱力する。


  「お前、斎藤支部長の隠し子?隠し子ってことは、愛人かなんかの子か?お前が誰か殺したのか?なんで俺に罪なすりつけたんだよ。別に知り合いでもねえのに。そもそも、人を殺すって言うこと自体、なんか理由があったんだろ?なんで殺したんだよ。」


  隼人の追及とも思える問いかけに、女は文章を発する。


  「梓愛加。」


  「あ?」


  「梓愛加。」


  「・・・・・・・ああ。梓愛加っていうのか。で?何から話してくれんだ?」


  手錠をしたままのため、両手を頭の上に置いている隼人。


  一方で、頭上から降って来る、思ったよりも落ち着いていて優しい声色の隼人に、梓愛加も口を開く。


  「愛人の子。でもあいつはそれがバレルのが嫌。だから私に献身的。なんでもしてくれる。」


  相変わらず単調に話すが、単語を並べられているときに比べると、断然イイと思って、特に注意はしない隼人。


  「殺したの、ストーカー。自分保護の為。仕方ない。自業自得。隼人は、悪魔が見える。厄介。斎藤にとって不都合。だから。」


  最後だけ、あまりに大雑把な説明で、何が不都合なのかを聞こうとした隼人だが、梓愛加が言葉を続けたため、それは出来なかった。


  「恐怖に苦しむ顔。苦痛に歪む顔。絶望に打ちひしがれた顔。必然は偶然であって、偶然は必然。自然の摂理。人間が欲望に駆られる。理性を失う。本能に従う。血に飢えた獣。他人の不幸は蜜の味。愉快。自分の快楽。日常の刺激。否、性的興奮。本能的興奮。悶え、苦しみ、嘆き、もがき、足掻く。爪を剥ぐ。それが、私にとって生きる糧。」


  「なるほどね。要は、ドSってことだ。」


  隼人が簡単に梓愛加のことをまとめると、梓愛加は不機嫌そうな顔をして、隼人に顔を近づける。


  「違う。」 


  「違くねえだろ。それを、世間ではドSっていうんだよ。覚えとけ。」


  「違う。」


  なおも否定を続ける梓愛加に、隼人はもう一つ質問をする。


  「で?さっきの『疑問・・・』とかってのはなんだ?」


  最初の頃の会話を思い出して、目の前にいる、黙っていれば可愛い部類に入る梓愛加に訊ねる。


  「・・・隼人、絶望じゃない。楽しそう。何故?」


  今度は、逆に梓愛加に質問され、隼人は困ったように笑いながら、梓愛加ごと身体を起こして、目線を合わせる。


  「何故ってなぁ・・・。別に生きることに執着してるわけじゃぁねえし。俺みたいな異端者は、いない方が世の中上手く機能するんじゃねえかとか、思ってよ。ま、紅蓮とか渋沢には怒られそうだけどな。あいつらにまで嫌な思いさせちまったけど、俺がいなくてもなんとかなんだろ。」


  自嘲気味に笑う隼人を見て、梓愛加は不思議そうに首をかしげる。


  「まあ、なんていうか、人間はいつか死ぬ。早いか遅いかの問題なんだよ。俺は運悪く、早まっただけの話。それに俺は俺らしく生きてきた心算だ。それ考えりゃ、後悔なんてしねえし、むしろ楽しかったよな。」


  死刑宣告された人間とは思えない隼人の表情に、梓愛加はどことなく同情しているようだった。


  隼人から離れて、扉を出て鍵を閉める。


  その動作を、ただ黙って眺めていた隼人に、梓愛加は呟く。


  「我事において後悔せず。」


  そのまま立ち去って行ってしまった梓愛加の言葉を聞き、『宮本武蔵?』と思ったのは、きっと隼人だけだろう。








  「渋沢は?」


  「部屋で不貞腐れてる。」


  部屋に集まって話をしている紅蓮と聖は、いつもいるはずの渋沢について触れていた。


  だが、裁判の事を紅蓮から聞いていた聖は、どうして渋沢がグレているのか分かっていて、のんびりと茶を啜っていた。


  「隼人が真相知ってるなら、隼人に聞けば早いんじゃないのか?」


  話を元に戻し、聖が紅蓮に声をかければ、紅蓮はダルそうに髪を解いて、ソファに寄りかかる。


  「今になったら難しいだろ。死刑宣告されたからな。」


  「ああ、そういやそうか。でも、俺達だって大体は掴めただろう?まあ、証拠という証拠はないのも確かだが。」


  紅蓮はコーヒーを飲みながら、険しい顔をする。シワが寄っている眉間に、指を置いてぐりぐりと刺激を与えている。


  「隼人は控訴しないらしいな。あいつらしいというか、何というか・・・。」


  半ば、聖が呆れたように紡いだ言葉は、紅蓮の耳だけでなく、隣の部屋で寝ていたはずの渋沢の耳にも届いていた。


  部屋の中からドンッという、ベッドから落ちたような音が聞こえると、何かにぶつかったようで、バサバサという紙が響いている。きっと、山積みの資料か何かが崩れ落ちたのだろう。


そして、バンッと勢いよくドアが開くと、渋沢が聖の胸倉を掴んだ。


  「なんで!なんで控訴しないんだよ!このままじゃ、隼人・・・!!!」


  焦っているのは渋沢だけで、聖も紅蓮も冷静そのもの。


  睨まれてるはずの聖が見下していて、睨んでるはずの渋沢が見下されているような体勢になっていた。


  聖にも見えている渋沢の歯は強く噛むように、上下重なっている。


  聖はため息をついて、掴まれている胸倉に手を伸ばし、渋沢の手の上から自分の手を重ねて、渋沢の手を下へとゆっくり下ろす。


  「落ち着け。」


  「落ち着けるわけねえだろ!?俺はっ・・・俺は隼人が死んだらっ・・・!!!」


  無論、聖や紅蓮だって、隼人が死刑を告げられたことに対して、腹を立てていないわけではなく、松田やそれ以外の奴らを、片っ端から殴ってやりたいくらいだ。


  だが、それが正しいやり方ではないことも知っている。


  聖に宥められながら、渋沢はソファに座って、膝の上に拳をつくる。


  「とにかく、死刑執行日まで、出来ることをしよう。」


  「何も証拠が掴めなかったら?」


  ネガティブな発言をする渋沢の方を向き直して、紅蓮は強く鋭い視線で渋沢を捕らえる。


  「前にも言ったろ。強行突破だ。」


  紅蓮の言葉に、聖もため息をつきながら同意する。


  「そうするっきゃ、助ける道はねえな。」


  隼人とそれほど仲良いイメージは無かった聖が、そして紅蓮がここまで言っているのだ。


  隼人がスゴイ人であれ、聖や紅蓮が人情深いのか、どちらかなのか、どちらもなのか、渋沢にはわからない。


  「まあ、そうならないように、俺達は動いてんだろ?」


  伸びをしながら当たり前のように言う聖・・・まあ、当り前なのだけれど、確立の問題からいくと、とても低いとしか言いようがない。


  渋沢からしてみれば、どうして目の前にいる二人は、隼人が死刑になったというのに、こんなに落ちついているのか、という事の方が不思議でならなかった。


  隼人にしてもそうだ。自分が死刑を言われたというのに、どこか他人事のように受け取っていて、叫び嘆いたり、泣いて訴えたりすることもない。


  ―冷静というか、無関心というか・・・。


  そんなことを考えてるうちに、聖が帰っていってしまった。


  「まだ時間はある。急ぐことに変わりはないが。」


  そう言っていたのは、微かに聞こえた。








  女は一人でベッドに寝転がっていた。


  女は一人で呼吸を繰り返していた。


  女は一人で自分を蔑んでいた。




  ―どうしてお母さんはあんなやつと愛を育んだんだろう。


  ―どうしてお母さんを本気でなんか愛してなかった奴と・・・。


  ―子供が出来たって知って、大金だけ置いてったような奴。


  ―私の口から洩れるのが怖くて、殺人の手伝いまでするような・・・。




  梓愛加は、自分が産まれてきた経緯を知って、ただの欲に塗れた男女が作った副産物であるという事実を、怨むことも出来ずにいた。


  母親の再婚相手には暴力をふるわれ、街を歩けば男たちに身体を穢された。


  そんな日々を送っていくうちに、自分を守る術を手に入れようと誓う。


  一番最初に人を傷つけたのは、十三歳の時。


  学校帰りに道を聞かれ、教えようとしたら、いきなり現れた男と一台の車に乗せられて、その中で悪戯されそうになった。


  男の腕に噛みついて、なんとか車から逃げることが出来たが、帰宅部だった梓愛加が追いつかれないはずがなく、一人の男に腕を掴まれて何処かの廃工場まで引っ張られた。


  そこで、梓愛加は視界に入った鉄の棒を手にとり、男の頭を殴打した。


  何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も。何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も。






  気付いたら男は血を流して倒れていて、頭部は原型を留めていないくらいに、酷く損傷していたが、梓愛加は恐怖に打ち勝った喜びと歓喜、そして正体の分からない興奮に支配されていた。


  男たちの仲間が警察に捕まり、仲間同士の抗争として幕はとじた。


  梓愛加は、その男たちが泣き叫びながら命乞いをしているのを想像して、まるで初恋の人に会ったかのような高ぶる感情に気付く。


  それが“異常なもの”とは気付かぬまま、純粋な好奇心だと思っていた。


  いたぶることが楽しいわけでは無く、他人がおとし入れられているのを見るのが、単純に、純粋に、本能に忠実に、好きなだけだった。


  斎藤には、『自分がやった』と告白してた。捕まりたくないわけでは無かったし、自分の中の興奮や歓喜というものも、抑えようと思えば抑えられたからだ。


  しかし、斎藤は梓愛加を赦してしまった。


  いや、『赦した』という表現は適切ではないかもしれない。


  斎藤は、娘の欲情・欲求という本能を認めて、それを煽ることもせず、それを咎めることもせず、ただ傍観していたのだ。


  日に日に狂気に満ちて行く梓愛加の尻拭いをしていた。




  ―あの人は、私に関心が無い。


  ―あの人は、私を愛して無い。


  ―あの人は、私を知らない。




  梓愛加の血に塗れた身体を、客観的に眺めては、偽装工作を繰り返していた。


  愛情など注いでいないのに、注いでいるかのように振る舞い、笑っている。


  「梓愛加は、俺が守ってやるからな。」


  斎藤に言われた言葉だが、梓愛加は信じていない。そもそも、愛情なんていらないと思っていて、誰かのせいで本能にも目覚めてしまった。


  麻薬中毒者みたいに自分を見失うわけでもない。


  自分の力を誇示するために殺すわけでもない。


  ただ、『血が騒ぐ』だけのこと。






  「梓愛加、いるか?入るぞ?」


  聞き覚えのある、今一番聞きたくない男の声が、ドアの向こうから聞こえてくる。


  瞬時に鍵をかけにいき、入れさせないことも出来たのだけど、とにかく今は何もしたくなく、何も発したくなかった。


  「いるんじゃないか。返事しなさい!お?おお!?梓愛加!その格好だと、パンチラしてしまうぞ!足を閉じて寝なさい!」


  ―私はなぜ、この男を手にかけない?


  そんなことを思っていると、斎藤が自分の身体の上に、体重をかけて乗って来るのがわかった。


  「・・・。」


  無言のまま斎藤を見ると、斎藤は梓愛加を見て満足そうに口元を歪め、鼻先がくっ付くくらいに顔を近づけてきた。


  「お父さん・・・。」


  赤く熟れた唇から、ぽつりと零れた言葉を、斎藤は聞き洩らすことは無かった。


  「ん?どうした?」


  「どうして私はお父さんを殺さないの?」


  「こりゃまた、物騒な質問だな。梓愛加は俺が嫌いか。」


  「嫌い。」


  梓愛加の返答に、大笑いをする斎藤だが、梓愛加の身体に自分の身体を覆わせて、梓愛加が動けないようにしている。


  「お父さんを殺しても興奮しない。お父さんが絶望してても興奮しない。お父さんが顔を歪めていても興奮しない。」


  「じゃあきっと、父さんのこと、好きなんだな。」


  「嫌い。」


  「手厳しいな。」


  苦笑いをして、梓愛加から離れながら、隼人の裁判についてや、死刑についての内容や日時を教えた。


  梓愛加は天井を見つめたまま聞いていて、頷いたり返事をしたりすることは無かったが、僅かに瞳が揺れたのを、斎藤は見逃さなかった。


  「まあ、そういうわけで、もうあいつに面会させるのは難しくなったってことを、伝えてに来ただけだ。」


  斎藤が部屋から出て行くと、梓愛加は身体を捩って、横向きに寝始めた。








  「叶南支部長、調べていた件なんですが・・・。」


  南監獄の支部長室にいる、能天気にコーヒーを飲んでいる男に、部下らしき男が声をかける。


  「ああ、ありがとう。どうだった?」


  「叶南支部長の推測通りでした。東監獄内に共犯者がいたようで、事件当夜、斎藤支部長になりすまして、監獄内を見回ったり、資料送付をしていました。」


  叶南に、『報告書』と書かれた紙束を手渡しながら説明をする部下。


  それを受け取って、片手でペラペラと捲りながら、もう片方の手でコーヒーを口へと運んでいる叶南。


  「それにしても、南監獄に幽閉されたのなら、もっと情報を集められたのでしょうけど・・・。しかも、面会も出来たというのに・・・。」


  「まあ、仕方ねえな。それほどまでに、隼人を恐れているんだろうよ。右目に関しても、洞察力に関しても。俺達だから動ける場所もある。やれることやらないとな。」


  「・・・そうですね。」


  言い終えると、叶南は椅子に座ったまま窓際を向き、椅子から立ち上がる。


  「なんともまあ、理不尽な権力社会になったもんだな・・・。」


  かつての友人の顔を思い浮かべながら、叶南は呟く。


  特に浸るほどの思い出など無いのだけれど、色々と敵対されてきて、裁判中に弁護士と検察の言い争いになったこともあった。


  斎藤が裏で悪さをやっていたのも知っていたから、遠まわしに探ってみたり、それとなく止めようともしてみたのだが、どれも失敗に終わっていた。


  「・・・。変わったのは、斎藤か、俺か・・・。」


  ―隼人の死刑日まではまだ時間がある。それまでに隼人にもう一回だけ会えるといいんだが、きっと斎藤はそれをさせない。


  ―わざわざ東監獄に幽閉したのにも、きっと何か理由がある。


  ―もしかしたら、隼人はその理由も知っているかもしれない。


  叶南が悶々と考え事をしていると、デスクの上の電話が鳴りだす。


  「誰ですか?」


  《開口一番がそれか。》


  「なんだ、紅蓮か。どうした?隼人の面会は無理そうだぞ。」


  叶南は、電話で紅蓮と話を始めながら、部下の男に下がれと、手で軽く合図を送る。


  《違う。隼人の死刑日が決まったら連絡するって言ってただろう。そろそろ決まったころだと思ってな。》


  「おお、珍しい。ああ、渋沢が知りたがってんのか?まあ、どっちでもいいや。日にちは今日を含めて五日後。時間は十五時丁度。」


  《・・・随分早いな。》


  「んー・・・、そうだな。相手さんは一刻も早くケリぃつけたいんだろうよ。」


  《わかった。忙しいとこ悪かった。それじゃ。》


  「ああ。」


  電話を切ると、叶南は椅子に座りなおして、空を眺めながら目を閉じた。


  「・・・んー。前みたいには戻れそうにないな。」








  「へー。俺、その日に死ぬのか。」


  拘置所内の一部屋、隼人が捉えられている牢屋の前に来た看取によって、その事実が伝えられた。


  隼人はとくに顔色を変えることもなく、頭をかきながら聞いていた。


  死刑の日程だけを伝えると、看守はさっさと見回りに行ってしまい、隼人はベッドに寝転がって天井を見上げる。


  目を閉じれば、遠く昔の過去が、脳内で駆け回る。








  産まれてすぐに右目の移植。


  包帯を巻かれた姿を見て、嘆き悲しむ母親。


  何も知らない我が子を抱き上げながら、嗚咽を繰り返す。


  誰に望まれて産まれたわけじゃなく、誰に愛されて生きてるわけじゃない。


  自分の生き方を否定されることを否定することも面倒だった。


  成長と共に、身体の拒絶反応も小さくなり、少なくもなった。


  普通に歩いているだけなのに、異常なものが視界を埋め尽くしていく。


  異常なのは自分か、それとも周りの奴らなのかも、最初は分からなかった。


  他人が遠ざかっていき、それに合わせて自分も近づけない。


  不協和音のように頭の中で旋律を奏でる悪魔の声。




  ―消えてくれ。




  身体が痛む。激痛に襲われる。狂いそうになる。おかしくなる。精神が崩壊する。肉体が麻痺する。自分がいなくなる。


  ―お前も俺達の声が聴こえるのか???


  ―可哀そうに・・・。こんなに小さな坊ちゃんが!!!


  ―キヒヒヒヒ!!!腹が捩れそうだ!!


  ―この目を受け入れたんだから、抗体のある身体だけは受け継いだんだな??


  ―壊れろ!怨め!苦しめ!嘆け!憎め!怖がれ!死ね!!!!!


  ―餓鬼相手なら、喰えんじゃねえか???キハハハハハハハ!!!!


  留まる事を知らない悪魔の声々に、隼人はあるとき一線引く事が出来た。


  自分が悪魔を受け入れることで、それは簡単に出来た。








  隼人がウトウトし出して、寝そうになったとき、悪魔が隼人に話しかけてきた。


  ―死ぬのは怖いか?


  隼人を小馬鹿にしたように少し笑いながら聞いてきた悪魔に対して、隼人は目を閉じたまま返事をする。


  「怖くねえよ。」


  ―なら、どうしてお前は今後悔している?


  「後悔・・・?」


  悪魔の言っている意味が分からず、隼人は、閉じていた目を開くと、天井にある、この部屋唯一の灯りである電球が眩しくて、また目を閉じた。


  「後悔なんかしてねえよ。」


  ―していただろう。死ぬ前に、過去の出来事を思い出すのは、その中に後悔したことが含まれているからだ。


  「ねえよ。俺はただ、嫌な思い出を払拭出来ねえタイプなんだよ。」


  ―そう誤魔化すな。まあ、それはお前自身が死んでから知る事だ。せいぜい、後悔しないように死ぬんだな・・・。


  テレビの電源を切った時のように、プツンと切れた悪魔の声。


  「・・・後悔・・・だぁ?」


  悪魔から言われた意外な一言に、自分よりも人間らしいことを言う悪魔に苛立ちながらも、消灯時間になったため、モヤモヤしたまま寝ることになった。








  ―隼人の死刑執行まであと三日


  叶南は、東監獄まで出向き、斎藤と交渉を続けていたが、粘っても粘っても、許可が下りることは無かった。


  「しつこいと言っているのだが、その耳は飾りかね?」


  「嫌ですね~、ちゃーんと聞こえてますよ?斎藤支部長の滑舌の問題だとは思わないんですか?」


  支部長室内では、斎藤と叶南、東監獄支部長と南監獄支部長の、冷戦が続いていた。


  周りにいる、斎藤の部下たちはおろおろとしていて、立ったままの二人に持ってきたお茶さえも、出すタイミングが掴めずにいる。


  「そんなに私と隼人くんを合わせるのが嫌なんですか?何か、気に入らないことでも?」


  挑発するように、斎藤の顔を、いつものように口元を弧にしたまま見上げる。


  斎藤は、不機嫌極まりないという顔をしているが、口には出さない。墓穴を掘ることになると分かっているからだ。


  ため息をつきながら椅子に腰かけ、頬杖をつく斎藤に近づき、デスクに手をついて悪戯っ子のような笑みを浮かべる叶南。


  「何度言われても、規則だ。死刑判決を受けたものに、面会など、許可出来るわけないだろう。」


  「南監獄にはそんな規則ないんですよね、残念ながら。死に行く人だって、最期に誰かと会いたいって思うかもしれないじゃないですか?それを拒否するなんて、あまりにも可哀そうだと、私は思いますがね?」


  「お前の意見は聞いていない。そもそも、お前はどうして私と話す時だけ、そういう風に敬語なのかね?」


  「状況反射・・・ですかね。本能かもしれない。まあ、結論を言うと、あなたが好きじゃあないんですね、きっと。」


  「これは、珍しく意見が合う。」


  これ以上粘っても時間の無駄になると判断した叶南は、いつもならこのへんで踵を返すのだが、今日はなかなか帰ろうとはしない。


  「じゃあ初めて気が合った記念に、隼人くんと面会させてくださいよ。」


  へらへらと笑いながらも、目の奥にはギラギラとしたものを感じた斎藤。


  斎藤と顔を合わせないようにしてきた叶南が、こうしてわざわざ嫌な顔を見に来ているのだから、余程焦っているのだろうと推測した。


  いつも余裕そうな叶南の顔を、歪めるチャンスかもしれないと思った斎藤は、ここぞとばかりに高笑いをする。


  それを不思議そうに見る叶南に、斎藤は一言言い放った。


  「そんなに会いたいのなら、土下座でもしたらどうかね?」


  侮辱、恥、屈辱、無様。


  常にそれとは正反対の世界で生きていた叶南の歪んだ表情を創造する。


  叶南には似合わない言葉ばかりが、頭の中を巡っていく快楽に溺れていると、叶南はキョトンとし、吹き出した。


  「ハハハハハハハハハハ!!!!」


  「!!??」


  予想とは違った叶南の反応を見て、驚いた斎藤の顔を見て、さらに叶南は笑った。


  「土下座ぁ?してもいいんですけどねぇ、生憎、そこまでして会おうとは思って無いんですよ。私の顔に泥を塗っても構いませんが、一応支部長としての面目や誇りというものは持っているわけでしてね。それに、あなたが思っているよりも、私はあなたの性格を知っています。どうせ、土下座でもさせて、頭を足で踏もうとしていたのでしょう?とんだサディストですね。そこまで妄想を膨らませていたのに、期待に応えられなくて申し訳ありません。まあ、隼人くんには会えないよりは会えた方が良かったんですけど、これで真実味が増してきました。では、失礼するとします。」


  腹を抱えたまま、支部長室を出ようとした叶南を見て、斎藤は叫ぶ。


  「どういう意味だ!!」


  「怖い怖い。血圧上がっちゃいますよ~?」


  斎藤のことなど気にもせず、叶南は支部長室から退出する。


  こんなやり取りは昔からしているものの、叶南のペースにいつの間にか持ち込まれている。


  斎藤が取った行動は、隼人と合わせると不都合が生じるから。


  その推測を確かめる為に行ってみたは良いが、こうも簡単に自爆してくれるとは思っていなかった叶南は、子供のようにニコニコしながら廊下を歩く。


  「単純、単純。それがあなたの欠点でもあり、長所でもありますよ~。」


  叶南が部屋を出て行ったあと、斎藤は叶南が来た意味を理解して、部下が持ってきたお茶を床にぶちまけた。








  「斎藤の、勝ち誇った後の驚いた表情、俺昔っから好きなんだよな~。」


  紅蓮の仕事部屋まで移動してきた叶南が、事務仕事をしている紅蓮に対して、独り言のように目も合わせずに言うが、確実に紅蓮に聞こえるであろう、へたしたら隣の部屋まで聞こえるであろう大声で笑っていた。


  「悪趣味だな。そういうことをするから、斎藤に嫌われてたんじゃないのか。」


  手の動きは止めずに作業を続けている紅蓮が、先程から自分の仕事場のソファに腰掛けながら、悠々と過ごしている叶南に向かって放つ。


  「そうか?ああ、そうかも。でも、それに関して言えば、お互い様だろ。斎藤だって、俺の歪んだ顔見たさに生きてきたようなもんだ。」


  「それは言い過ぎだ。」


  一人で愉しそうに笑う叶南に、紅蓮がため息をつく。


  「それより、自分の仕事はいいのか。斎藤の方が真面目にやってるんじゃないか?」


  聞くなり、ソファの背もたれにボフン、と勢いよく体重をかけて、完全に気を抜いている。


  「真面目さを比べられたら、そりゃあ斎藤の方が真面目だろうよ。けど、正確かつ迅速さや人望の厚さは俺の方が上だろ。」


  「知るか。こんなところでサボってるような奴。」


  紅蓮の突き放すような物言いにも、ケラケラと笑いながら受け流し、自分の仕事に関しての愚痴を言い始めた。


  「俺がいなくても、あいつらはちゃーんとやってるよ。この間なんか、俺が珍しく徹夜で仕事してたら、部下になんて言われたと思う?『明日は槍の雨が降りますね』だとさ。普通の雨でいいじゃねえか。なあ?なんでイチイチ槍の雨とか、俺の心を痛めつけるようなことを言うんだ?まあ、それも俺の部下の可愛いとこなんだけどな。斎藤になんか言ったら、言った奴は即、斎藤に殴られるか、一生の傷モンつけられるだろうよ。それに、仕事って言っても、幽閉されてる奴の監視みたいなもんだから、つまんねえんだよな。知り合いもいねえし。相手は狂った連中ばっかりで、まともに話すら出来ないような状況だ。本当に暇なんだよ。いや、本来はやることが一杯あるんだけどよ、資料と睨めっこで一日が終わるなんて有り得ないだろう?だからっていって、幽閉された奴らの監視ばっかりに時間割くのもな・・・。俺の人生って、人の監視のためにあるわけじゃあねえんだよ。わかるか?」


  話の九割は、右から左へと聞きながらしていた紅蓮は、同意を求められたため、適当に相槌を打って、そのまま仕事を続行した。


  「ったく。最近の若者は、年上の人を敬うってことが出来ねえのか。」


  ぶつくさと文句を言いながらも、テーブルの上にあるコーヒーに口を付ける。


  しばらくしてから、『資料が溜まってる頃』だと言って、部屋を出て行った。


  なんで仕事が溜まってから仕事を始めるんだと疑問に思った紅蓮だが、叶南はきっと、仕事と仕事の微妙な間隔が苦手で、ちょこちょこやるくらいなら、一気に始めて一気に終わりにすればいいと思っているのだろう。


  紅蓮はため息をつき、再び指を滑らせた。


  「はぁ・・・。ホント、イイ性格してるよ。」










  ―隼人の死刑執行まであと二日


  門番の仕事が交代の時間になり、次の門番が手続きや引き継ぎを行ってから、聖は門番から離れて仕事を終える。


  帰る途中で、何人かの門番仲間とすれ違ったものの、聖の頭の中はそれどころでは無く、挨拶されたことに気付かなかった。


  足早に向かった先は、資料庫。


  資料庫に来ること自体そうそうないが、久しぶりに嗅いだ資料庫の少しカビ臭い感じに、眉を顰める。


  資料庫に籠って、何時間も調べ物をしている聖の姿は、学生時代以来だろう。


  斎藤が監獄内で働くようになってからの動きを調べながら、その時期の悪魔の出入りについても調べを進める。


  そもそも、こういう場所にある資料に、証拠を残すような馬鹿なことはしないと分かっているが、どんなに完璧主義者も見落としてしまうことがある。


  「はあ。無いな。流石と言うべきか、何と言うべきか・・・。」


  聖の座っているテーブルの上を埋め尽くすほどの資料、そこに埋もれている聖は、首をぐるりと一周させて、天井を見る。


  ―裁判担当が紅蓮だったらな・・・。でも、紅蓮は最高裁判所の裁判長だし。この間の裁判のこともあるから、紅蓮以外の裁判長から選んだんだろうけど・・・。


  よりにもよって、松田。


  松田はなぜか紅蓮を敵視している。


  全てにおいて紅蓮の方が優秀で、松田が敵視していい相手ではないのだけれど、紅蓮は松田の隠れた闘志に気付いているのか、いないのか、いつも無視している。


  紅蓮への嫌がらせ、もしくは紅蓮に勝ったという小さな自己実現のために、今回隼人を陥れようとしているのか・・・。


  その言葉を脳裏で呟く前に、頭を切り替える様に首を振り、資料の片付けに入る。


 


  紅蓮の部屋に向かう途中、渋沢と出くわし、二人で紅蓮の仕事場まで行くことになった。


  二人の間に会話は無く、無言のまま歩いている光景は、傍から見ると、とても不思議であり、異様でもあり、なんとも珍妙な空気が流れていた。


  「で?」


  紅蓮の仕事場まで来て、ソファに座ってはいるものの、やはり二人の間には会話が全くない。


  「俺は調べた結果報告に来ただけだ。もう帰って寝る。」


  最初に口を開いたのは聖で、単刀直入に結果を述べると、大欠伸をしながらさっさと部屋から出て行ってしまったため、紅蓮と渋沢だけが残された。


  「で?渋沢は何しに来たんだ?仕事が溜まってたはずだろ。」


  「・・・。」


  未だに不貞腐れたように、口先を尖らせて、子供のように拗ねている渋沢をちらっと見ると、キリがよくなったところで手を止めて、コーヒーを二人分用意し、渋沢と向かい合うようにソファに座った。


  「コーラ・・・。」


  「んなもん、ここにあると思ってんのか。」


  「・・・。」


  紅蓮がコーヒーを口に含んだのを見て、渋沢もゆっくりと口に運んでいくが、思ったよりも苦かったらしく、眉を潜ませる。


  まだ仕事が残っている為、それほど時間が取れないが、この状態では手につかなくなりそうで、紅蓮は渋沢にぶつける。


  「しょげてるのを見せに来たわけじゃないだろ。どうした。」


  出来るだけ優しく言ったつもりの紅蓮だが、顔はいつものように仏頂面のため、紅蓮の配慮など、渋沢は知らない。


  「隼人の死刑執行の日、聞いた。」


  「そうか。」


  「面会は出来ないって言われた。」


  「そうか。」


  「控訴もしないって。」


  「そうか。」


  「時間が無いのに、何も分かってない。」


  「そうだな。」


  「間に合うのかな。」


  「さあな。」


  「隼人が死んじゃったらさ、どうなるのかな。」


  「さあな。」


  「俺達の仕事って、何の為にあるの?」


  「さあな。」


  「隼人の為に、何が出来んのかな?」


  「さあな。」


  先程から、聞いているのかいないのか、分からないような淡々とした返事しか返してこない紅蓮に対して、渋沢はグッと怒りを堪えた。


  「隼人のこと、心配じゃないのか?なんで紅蓮も聖もみんな、そんなにゆったりとしてんだよ!!早くしないと、本当に隼人死んじゃうのに!!!自分の仕事なんかしてる場合じゃないだろ!!見損なったよ!!!」


  「・・・。」


  渋沢は、紅蓮に捨て台詞を吐くと、脱兎の如く部屋を出て行った。


  「情緒不安定な年頃か・・・?」








  ―隼人の死刑執行まであと一日


  「いよいよ明日だな。フフフ・・・ハハハハハハハ!!!やっと、やっとだ。梓愛加の笑顔が、また見られるぞ。あの男も、右目さえ無ければ、こんなことに巻き込まれる事もなかったのに、なんて『可哀そう』な人生だ・・・。まあいい。これほど明日を待ち遠しいと思ったことはない。」


  東監獄、その中の一角にある支部長室でのある男の独り言。


  ホワイトと基調とした部屋の中に、一つだけあるブラックのマッサージチェアで腰や肩を解されながら、窓の外を眺めてニヤける。


  何が愉しいのか、本人以外には分からないことだが、男、斎藤は至極楽しそうに笑っている。


  妻子持ちでありながら、他の女まで手を出した揚句、子供が出来てしまい、それを隠す為に一前に出ることは少なくなった。


  その事実を知っているものは、斎藤本人とその女、そして娘の三人くらいだろう。


  女は娘を残して他界し、娘は己の快楽と本能に身を任せて殺人を犯してしまったが、娘を口封じすることを考えていた斎藤にとっては、願ってもないチャンスだった。


  自分の手中に収めることが出来れば、過去の過ちが表沙汰になることは無い、そう踏んだのだ。


  実際、娘は自分の欲望のために、斎藤のもとにいることを決め、斎藤のことを利用することにしたのだ。


  娘を見る度に、他界した女のことを思い出し、理性を失いそうになる斎藤だが、自分も殺されかねないので、そこは注意している。


  「梓愛加・・・。俺とお前は、一心同体だ。共犯なんて生易しいものじゃない。・・・そうだろ?」


  愛しくもあり、憎らしくもある娘の顔を思い浮かべながら、斎藤は明日に興奮し、陶酔する。




  ―愛が欲しいの?


  ―愛が惜しいの?


  ―愛を知りたいの?


  ―愛に触れたいの?


  ―・・・分からない。


  梓愛加はベッドに寝転がり、自分の行動を分析していた。


  答えなど見つからず、ただ脳内で自分の言葉が繰り返し繰り返し流れて行くだけで、誰もそれには応えてはくれない。


  斎藤のことを、形式上『お父さん』と呼んではいるが、それも当てつけでしかない。


  誰かにそれを聞かれれば、斎藤はどう対処するのだろうか。正直に話すか、いや、斎藤はきっと梓愛加をすぐに精神異常者にして、誤魔化すのだろう。


  そんな男に身を委ねた自分の母親のことも許せなかった。


  「嫌い。嫌い。嫌い。嫌い。嫌い。嫌い。嫌い。嫌い。嫌い。嫌い。嫌い。嫌い。嫌い。嫌い。嫌い。嫌い。嫌い。嫌い。嫌い。嫌い。嫌い。嫌い。嫌い。嫌い。嫌い。嫌い。嫌い。嫌い。嫌い。嫌い。嫌い。嫌い。嫌い。嫌い。嫌い。嫌い。嫌い。嫌い。嫌い。嫌い。嫌い。嫌い。嫌い。嫌い。嫌い。嫌い。嫌い。」


  息を整えようとすると、胸が苦しそうに上下運動を繰り返す。


  梓愛加は自分の異常さに気付いてはいたが、それは正常だと言い聞かせていた。


  ―私は悪くない。


  ―自分を守っただけ。


  ―誰も守ってくれないから。


  ―愛されたいだけ。


  ―誰も愛してくれないから。


  ―ただ、それだけ。


  興奮や快楽、刺激や本能に素直に従った結果、自分は今までに何人もの人を傷つけ、殺してきた。だが、悪意はない。本能なのだから。


  今だって、明日の隼人の死刑のことを想像するだけで、胸がドキドキと高揚し、頬が紅潮しているのが分かる。


  「死刑。死刑。死刑。死刑。死刑。・・・花は散るから愛でられる。人も死ぬから愛される?」


  他人が死ぬことで、こんなに自分が人を愛せるのだから、死んだ相手も本望のはずだ。


  そう勝手に解釈していた梓愛加は、気付いてはいない。


  それが人に対する愛などではなく、自分に対する愛だということを・・・―








  そのころ、死刑執行される本人は・・・


  「ああー!もうダメだ!本を読めねえのが、こんなに辛いとは思って無かった・・・。」


  いつもなら、有り余るほどの本に囲まれた生活を送っている隼人は、留置所、拘置所と、つまらない本しか置いていない場所で、筋トレしかすることがなく、とてもダラけていた。


  普段から鍛えているならまだしも、此処に来て急に始めたから、筋肉痛だらけだった。


  「明日筋肉痛で死ぬのか?・・・なんか恥ずかしいな。」


  的外れな事を考えながらも、隼人は静かに目を閉じた。


  ―明日死ぬって分かってても、実際こんなもんなのか。


  死を目の前にしながらも、こうして人間は余裕でいられるのかと、客観的に自分を見て判断する。


  もしかしたら、余裕なのでは無くて、たんに恐怖から逃れようと、脳が勝手に未来を消去しようとしているのかもしれない。


  自己防衛反応と同じで、直面している問題から目を背ける為の行動であったり、それから逃れられるかもしれないという期待を兼ねた、人間独自の本能の一種かもしれない。


  「・・・。」


  今こうして怖くないと思っていても、死ぬ時は怖いと思うのだろうか。


  そんなことを考えながら、隼人は眠りにつく。








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