第三装【危険。混ぜるな】






繊月

第三装【危険。混ぜるな】



 第三装【危険。混ぜるな】




























 「忘れたか!世間は貴様等のことを認めないぞ!!貴様等は悪として定着しているのだからな!!!」


 「・・・・・・まだそんなこと言ってんのか。誰もお前等の味方はしねぇと思うぞ」


 「なに!?」


 まだ諦めていないのか、一向に自分の非を認めようとしていない叨場に将烈がそう言う。


 叨場は将烈に詳しく話せと言わんばかりに視線を送るも、将烈はそんなもの見えないかのように大きな欠伸をする。


 代わりに答えたのは、眞戸部だ。


 斎御司に手渡されたノートパソコンを将烈が開いて画面を見せると、叨場は目を細めて見つめたのだが、胸ポケットに入っている老眼鏡をかけてもう一度見直した。


 「すでにネットのターゲットはあんたら。これまでにしでかした不祥事も含めて、ありゃー・・・色んなことが書かれてるね。こりゃ大変だ」


 肩で小馬鹿にしたように笑っている眞戸部に対し、叨場は老眼鏡をはずし胸ポケットにしまいながら憤りを隠せない。


 将烈はパソコンを広げたまま、それを叨場のデスクの上に置くと、元の位置に戻りながら煙草を吸おうとポケットをまさぐってみたのだが見つからず、やっちまった、という顔をして斎御司の隣で壁に凭れかかった。


 一方、ネットで自分達のことを、しかも悪いことを書かれているなんて露知らなかった叨場は、檜呉は何をしているのかと叫ぶ。


 当の本人に聞こえているはずはないのだが。


 「檜呉くんねー、彼もよく頑張っていたけど、いくらエリートでもプロには敵わないってことかな。ていうかさ、将烈酷くない?膝の裏結構痛かったしー」


 「あ?ああでもしねぇと臨場感出ねぇだろうが」


 「どういうことだ!?あいつも裏切ったんじゃないだろうな!?」


 「さあ?どうでしょうねえ?」


 「こんなあることないこと書くなんて、どういう心算だ!?こんなことが許されると思っているのか!?お前達、訴えてやるからな!覚悟しておけ!!」


 眞戸部は首を横に振ってやれやれという感じであったが、2人の会話を大人しく聞いていた将烈が、その叨場の言い分には反論があるようだ。


 加えて、煙草を吸えないと言うイライラ具合から、舌打ちをしてから話し出す。


 「てめぇ、人にしておいて何言ってんだ?自分がされて嫌なことは人にもするなって、教わらなかったのか?俺の時と違って事実満載の内容なんだからいいじゃねーか」


 「五月蠅い黙れ!!貴様ごときに説教などされたくない!!俺は偉いんだ!!そんな口を聞いていいと思っているのか!!」


 「仕事に関して責任取る心算もてめぇの首をかける心算もねえなら、その椅子に座る意味も価値もねえよ」


 「黙れ!!!神楽咲!弩野!こいつらを捕まえるんだ!!!見せしめにしてやる!!」


 叨場は後ろに数歩後ずさりながらそう言うと、神楽咲が眞戸部にいっきに駆け寄り銃を蹴り飛ばそうとした。


 それは出来なかったのだが、眞戸部は銃を指に引っかけたまま両手をあげたかと思うと、持っていた銃を腰に戻す。


 「やっぱ喧嘩はフェアじゃねえとな」


 「負けるのはお前だ」


 銃を持っていた弩野はその銃口を斎御司に向けたのだが、その前に将烈が立ちはだかったことにより、自然と照準を将烈に合わせる。


 将烈は肩にかけていた上着の袖に腕を通すと、深いため息を吐く。


 頭をぽりぽりかいたかと思うと、まだ痛むのか、脇腹あたりを摩る。


 「手負いで俺に勝てるとでも?これでも銃の腕前には自信があるんだ」


 「射撃大会で毎年優勝してた奴が、随分謙遜した言い方するんだな」


 「これは嬉しい。まさか知ってもらっていたとは」


 「別に俺が興味あったわけじゃねえよ。ちょいと知り合いに射撃が得意な奴がいてな。そいつは勝負したがってただけさ」








 神楽咲は眞戸部の動きを読み、衝撃波だけでも威力がある攻撃をしてきた。


 少しでもバランスを崩すものなら、それを見逃さずに足を崩しに行くのだが、眞戸部は近づいてきた神楽咲の身体を利用して体勢を立て直す。


 「爆発物処理班だった男の動きじゃないねー。班長辞めてから訓練でもしてたんだ?」


 「柔道は紅帯でな」


 神楽咲は眞戸部の胸倉を掴みそのまま投げ飛ばすと、眞戸部が起き上がる前に腰に巻きつけてある解体用の工具を取り出し、倒れている眞戸部を狙って投げる。


 それをギリギリで眞戸部が避けると、今度は動きながら仕掛けておいたトラップに引っかけ、眞戸部の周りにだけ煙が充満する。


 神楽咲がナイフの類を次々に投げると、徐々に晴れて来た煙の向こうから、腕にナイフが刺さった状態の眞戸部が現れる。


 「いってー!刺さった!」


 自分の腕に刺さったナイフを、眞戸部は痛い痛いと言いながら抜いて行く。


 腕からは思っていたよりも血が出ておらず、全てのナイフを抜ききった眞戸部は、両手の掌を神楽咲に向けるように伸ばし、その指を絡めると腕を天井に動かす。


 その後絡めていた指を放し、片方の腕を身体に対して直角になるように身体側に移動させると、もう片方の腕で十字を作るように支えて肩をほぐす。


 それが左右終わると、足も片方ずつ空中で蹴る様な素振りを見せる。


 「まあ、相手が柔道紅帯ってんなら、手加減する必要はねえはな」


 「やってみろ」


 すると、眞戸部がボクシングポーズをとったため、神楽咲はすぐに眞戸部がボクシング経験者だと悟る。


 神楽咲の攻撃を眞戸部が避ければ、眞戸部の攻撃も神楽咲は避ける。


 神楽咲は身を大分屈めて動いていると、襟を掴まれないようにと注意していても、下からの攻撃で思わず身体が上に避けてしまう。


 それにすぐ反応をした神楽咲は、眞戸部を床に押し付けて寝技で勝負を決めようとする。


 神楽咲の思惑通り床に眞戸部を押しあて、寝技、という可愛いものではなく、確実に首を締めあげられる体勢を取る。


 後ろから眞戸部の首に腕を引っかけると、手首の辺りにもう片方の腕を置き、足では眞戸部の腕を固定した。


 ぐぐ、と力を込め、眞戸部の意識が無くなるのを待つだけだった。


 「・・・!!」


 その時、眞戸部が身体を柔軟に動かし、まるでだんご虫のように下半身を自分の頭の方に曲げて来ただけでなく、足を神楽咲の首に絡めて締めつけて来た。


 その力は思っていたよりも強く、神楽咲の腕の力が少しだけ緩んだ隙に眞戸部はひょいっと抜けだした。


 すぐさま足を放して回し蹴りをすると、壁やデスクを利用してタンッタンッ、と身軽に移動し、かかと落としをする。


 綺麗に首に入ってしまったためか、神楽咲はその場に倒れ込んでしまった。


 しかし、それでもなお立ち上がろうとしたとき、背中に眞戸部がどすんと乗り、さらには銃を突きつけられてしまった。


 「喧嘩じゃなかったのか」


 動かせる範囲で顔を動かし眞戸部を睨みつけてみるが、眞戸部は器用に刺された腕に口を使いタオルを巻きながら答える。


 「喧嘩はここまでってことで」


 にっこりと微笑みながらそう言う眞戸部に、神楽咲はただ大人しくするしかなかった。


 その頃、部屋の扉付近で銃を将烈に突きつけていた弩野は、なかなか引き金をひかなかった。


 自分が殺されかかったというのに、さほど表情も変えずにここへやってきた将烈が気に入らないのか、弩野は何か考えていた。


 そして、ゆっくり口を開く。


 「この銃、お前の部下から奪ったものだ」


 「あ?」


 「波幸、とか言っていたかな。あの男なら俺が殺してやったよ。屋上で冷たくなってる頃だね」


 「・・・・・・」


 背中を向けられている斎御司は気付かなかったかもしれないが、将烈の正面に立っていた弩野には見えた。


 将烈の眉が一瞬ではあったが、確かにピクッ、と動いた。


 そんな将烈の表情に手応えを感じたのか、弩野はいつもの和やかな笑みではなく、黒い物を感じる、そういう笑みを浮かべた。


 「天秤量ればわかることだ。最も重要なものは何なのか。世の中の人間は、そうやって上手く生きているんだよ。それなのに、どちらが沈んだか分かった上で刃向かってくるなんて、可哀そうな男だった」


 「・・・・・・」


 弩野が話している間、将烈は腕組をして少しだけ首を傾けていた。


 目は細めている心算はないのだろうが、死んでいるとは思えないまでも、何処を見ているのかさえ分からないような目つきだ。


 そんな将烈に弩野は多少疑問を抱いたが、きっと平静を装っているだけなのだと考え、続ける。


 「俺達のように、賢い人間が生きるように出来ているんだ。今回のことで分かっただろ?どれだけ正しいかは知らないが、重要なのは正しい事じゃ無い。どれだけ正しいと思わせるか、ということだ」


 「そのためなら嘘を流すってか」


 「そうだ。例え嘘だとしても、それが国中、世界中に広まれば真実となる。それが事実としてまた記憶される。これを利用しない手はないだろう?」


 弩野の言葉に、将烈は少し下を向き、後頭部をかいた。


 少し苦いような顔をしているが、次に将烈が顔をあげたときには、苦い顔でも険しい顔でもなく、どういう顔と表現したらいいのかわからないが、弩野にとってはあまり好まない顔つきだった。


 「天秤で量れるもんと、量れねえもんがある。俺ぁてめぇら説教する心算も、改心させる心算も資格も無ぇがよ、俺達が背負ってるもんは量れねえんだよ」


 「?何を言っている?俺の話を聞いていたのか?」


 「量っちゃいけねぇんだよ。そういうのはよ。質量とか重量とか大小があるわけじゃなし、個人差があって当然のもんだ」


 将烈が話しながら一歩前に出たことで、自然と弩野は一歩下がり、銃を構える。


 「んなくだらねぇことしてんじゃねぇぞ」


 「!!」


 まるで自分を睨みつけるかのようなその将烈の目つきに、弩野は身の危険を感じ、思わず引き金を引く。


 しかし、銃声は聞こえず、痛みを感じたのも将烈ではなく弩野だった。


 将烈に構えていたはずの銃はなぜか暴発しており、弩野の手から落ちた銃は床に転がり、弩野の手からは血が出ていた。


 「危険物取扱注意ってな。特注品の銃だ」


 「くっ!!」


 「最近の若造は身体動かさねえからいけねぇな。そんなんじゃ俺にボコボコにされるぞ」


 将烈は、弩野の腹に一発衝撃を与えた。


 それだけで、弩野の身体は壁の方まですっ飛んで行き、身体を強く打ちつけてしまったため力無く倒れていった。


 床に落ちた銃を見て、将烈は腰を曲げてその銃を拾うと、自分の腰に収めた。


 勝負がついてしまった神楽咲と弩野を横目に、斎御司は叨場に近づいて行く。


 「大人しく自供するか?」


 「・・・何のことだ?こいつらが勝手にやったことだろう。俺には関係ない。証拠でもあるのか?」


 「証拠ならあるが、警察という名誉のためにも自ら話してほしい」


 斎御司の言う証拠というのが本当にあるとは思っていないのか、叨場は高らかに笑いだしたかと思うと、真っ向から否定した。


 すでに動ける気配の無い2人を指さし、自分とは関係ないと言いだした。


 その叨場の様子を見て、斎御司は眞戸部の方を見ることはなかったが、神楽咲と弩野に手錠をかけた眞戸部が動き出す。


 叨場のデスクに置いていたパソコンをいじると、ある画面を見せる。


 「俺が集めた証拠がたっくさん!総監暗殺に関する音声データもあるし、総監に送られた爆発物を解体した時に神楽咲の指紋を採取できたし、弩野の将烈殺害未遂の映像もあるし!檜呉に関しても、ちゃーんと証拠は揃えてあるんで、そこは心配ないですよー」


 「将烈、手錠をかけろ」


 「え、なんで俺?手錠持ってねぇし」


 「なんで持って無いんだ」


 「いやいや、それ聞く?だって俺、今ただの雑用。手錠なんか持ってるわけないっしょ。しかも病院から直接きたっつーの」


 「役に立たん奴だ。眞戸部、手錠残ってるか」


 「もちのろんです」


 がちゃ、と眞戸部が叨場に手錠をかけている頃、檜呉はまだパソコンをいじっていた。


 「なんでだ?どういうことだ?」


 あらゆるサーバーを経由して、幾つもの名を使ってサイトに書き込みという名の情報を流していた檜呉だったのだが、なぜか檜呉の投稿が次々に削除されてしまっていた。


 さらには、檜呉のことまでつきとめられてしまっており、サイトに入ることも、新しく入ることも出来ない状態だった。


 自分が使っていた全てのパソコンでそれが出来なくなってしまい、檜呉はどうすればいいのかと、とにかく誰がそんなことをしているのかつきとめようとしていた。


 「そこまでだ」


 「・・・誰だ」


 後頭部に冷たいものを突きつけられ、檜呉は思わず手を止める。


 指示された通り両手をあげて椅子ごと身体を回転させると、そこには黄土色の髪をした男がいた。


 会ったことはないが、パソコンをいじって色々調べ物をしていた檜呉は、その男を知っていた。


 「波幸・・・始末したと聞いていたが」


 「確実に殺すなら、心臓か頭だと思った。身体には防弾チョッキを着ていたし、特注品の銃を作ってもらって、血のりがついた本物に似せた弾丸をあらかじめセットしていた」


 「弩野は失敗したってわけだな」


 「あの男だけじゃない。今頃、他の奴らも捕まってる」


 「・・・参ったね。あんた、機械にも精通してたんだ」


 「いや、それは俺じゃ無い」


 「は?」


 波幸によって、檜呉は確保された。


 檜呉が連れて行かれるのを見届けているろ、波幸のもとに一本の電話がかかってきた。


 「はい。・・・ああ、助かったよ。ありがとうな、健」








 叨場たちが逮捕されたことはすぐにマスコミにも嗅ぎつけられ、記者会見はどうなるのかと騒ぎになった。


 このまま警察はトップ2人がいないままかと思われたのだが、斎御司がカメラの前に出て説明をすることになった。


 斎御司の登場にマスコミ達は大変驚き、どういうことかと、一からの説明を求められた。


 一連の叨場たちによる計画を知った斎御司は、自分を狙わせることで証拠を掴もうとしたと説明をしたのだが、ネットに広まっていた不祥事についてのことを言及され、そちらに関してもきちんと無実であることとその証拠を差し出した。


 世間には多大なる迷惑と混乱を招いたことを謝罪したものの、すぐに納得する者はほとんどおらず、好き勝手に批判をかきたてていた。


 一方、斎御司の口から将烈のことも話があった。


 ネットに書かれていたような事実は一切ないことと、その証拠写真として載せられていた写真も加工されていたものだったことなど、全ては叨場たちに仕組まれたことだったことを説明した。


 斎御司の暗殺計画を企て実行したとして、叨場たちは裁判にかけられることになった。


 斎御司が深々とお辞儀をしているのを、将烈は記者会見が行われている隅の方から見ていた。


 『つきましては、今回の件でネット内において事実確認をせぬまま無責任なコメントを残した一般人におきましても、1人1人所在や氏名、職業などを確認いたしましたので、全員、身柄を拘束することとなりました』


 「そ、それはどういうことですか!?」


 「国民を捕まえるということですか!?」


 『ネットの世界ならば何を言っても良いということではありません。それが引き金となって他人を追いこみ、時には手を下さずとも殺してしまうこともあります。我々としましては、それを重く受け止め、考えを改めない方に関しましては、それなりの罰則を課すことにいたしました』


 斎御司のその発表は、賛否両論あった。


 どちらかというと反対の方が多かったかもしれないが、それでも貫き通したのは、斎御司の信念としか言えない。


 これによって、多くの人が拘束され、1人1人事情聴取を受け、少なくとも1日刑務所で過ごすこととなった。


 以前であれば、ネットの中の書き込みがどこから書かれたものかと全て見つけ出すことは容易ではなかったが、それを可能にしたのは1人の男だった。


 いや、実際にはもう1人に協力をしてもらったようだが、その人物の名前は愚か、どういう関係なのかさえ分かっていない。


 「鼇頭も復活したみたいで、何よりですね」


 『檜呉のパソコンに細工をしたのはお前だな。いつの間にしたんだ?』


 「いやなに、メールを送っただけですよ。明らかに怪しいアドレス付きでね。メールを受け取っただけでパソコンに俺が作ったウイルスが入り込む仕組みで。まあ、アドレスは予備でつけただけですけど」


 『片割れにも礼を言っておいてくれ』


 「はいはい。こんどおしるこでも奢ってくださいね。役職も戻るんでしょ?羨ましいなぁ」


 電話を切った将烈は、電話相手から受け取ったメールの内容を確認する。


 「ながらスマホはいかんぞ」


 「あ、会見終わったんだ。お疲れさんでーす」


 「相変わらず無礼な奴だ」


 「白髪交じりのタレ目娘馬鹿なおっさんには言われたくありませんねー。あ、叨場のやつ吐きましたー?」


 「まだだ。矢浪と忠峯が助けてくれると、余裕そうだったぞ」


 「だろうな。ま、あいつらが関与してた証拠もあるんで、別の検事にでも持って行きますわ。ああ、あの用意された嘘の俺のアパート、わざわざ建てたんか?」


 「それくらいしないと、あいつを欺けないと思ってな。お前や俺の住所なんかも全てでたらめに変えてもらっておいたんだ」


 「それはそれは。それにしても、大スキャンダルで大変ですねー」


 「私は膿を出しただけだ。お前が膿になったときも手加減はしないぞ」


 話しかけられたときからずっと見ていた携帯の画面から目を放し、ここでやっと斎御司の顔をちらっとだけみた将烈だったが、またすぐに視線を手の方に戻す。


 片方の口角だけをあげて笑うと、会話していた時よりも少し低い声で言う。


 「こっちの台詞だ」


 「お互い、良い部下を持ったのが救いだな」


 「あ?」


 「例えやっていることが本当に正義だろうと、それを指示し信頼してくれる者がいなければ実行は出来ない。私もお前もな」


 「俺とあんたは違いますよ。前に衝突したときだってあんたは権力を使って俺に圧力をかけてきた。ですよね?あん時の恨みは絶対忘れないと思いますよ」


 「根に持つタイプか。まあいい。まだ私にはやらねばならないことがある。今回は互いに狙われ、お前と利害が一致すると思ったから話を持ちかけたんだ」


 「お陰で俺は良い晒し者になりましたがね」


 「それは私もだ」


 「・・・じゃあま、仕事があるんでこれで失礼させていただきますよ、斎御司総監」


 「慣れない敬語は止めたらどうだ」


 携帯を持っていない方の手をあげて、決して礼儀正しいとは言えない挨拶をし去って行く将烈に向かい、斎御司が言う。


 将烈は携帯をポケットにしまいながら、斎御司の方を見ることなく答える。


 「一応、警察署内なんで」


 エレベーターに乗り込もうとした将烈は、扉が開くとそこに見知った顔がいることに気付く。


 特にこれといった挨拶も無く乗りこむと、将烈が何処へ行こうとしているのか分かっているその人物は、この建物から出られる唯一の出口がある1階を押す。


 「お知り合いだったんですか」


 「何が」


 「斎御司総監とです」


 将烈を迎えに来ていたのだろうか、並んだボタンの前に立っている波幸と、扉から真正面の壁に寄りかかって天井を眺める将烈。


 1階に行くまでどこにも止まらず、ただ密閉された空間に籠る微妙な空気。


 波幸の問いかけに対し、将烈は「んー」と返事をしているつもりなのか、答えを探しているのか、なんとも言えない中途半端な声を出していた。


 結局返事が無いまま1階に到着すると、外には火鷹が待っていた。


 「将さん!無事だったんですね!あー良かった!!まじで死んだかと思ってましたー!」


 「煙草吸いてぇ」


 「だと思って!!今日は波幸よりも先に将さんに褒めてもらおうと思って買っておきましたよ!!!」


 じゃーん!と自分で効果音を発しながら将烈に煙草を渡した火鷹だったが、その銘柄を見て波幸が一言。


 「将烈さんが吸ってるのは違う」


 「えええええええ!?まじ!?煙草って、味違うの!?どれも同じじゃねえのか!?だってどれもニコチン摂取だろ?」


 「あながち間違っちゃいねぇ」


 がくん、と大袈裟に項垂れてしまった火鷹だったが、将烈は火鷹の手からその煙草を受け取ると、マッチを取り出して火をつけた。


 ようやく体内に入ってきたそれに、将烈は至福の表情をしていたのだが、それが分かるのは長年一緒に行動している波幸と火鷹くらいだろう。


 天高くに向けて煙を吐きながら歩いていると、将烈の後ろを歩いている波幸と火鷹がこんな会話をしていた。


 「お前今まで何してたんだ」


 「何って!!俺ってば超大変だったんだぞ!あの叨場って野郎と手を組んでた忠峯っていう裁判官と矢浪っていう検事を調べる為に、潜入捜査してたんだよ!!ま・じ・で!大変だったんだからな!!」


 「それより将烈さん」


 「華麗に無視!?」


 まだ火鷹との会話の途中、というよりもまだ話し始めたばかりだというのに、波幸は前を歩いている将烈に尋ねる。


 未だ煙草を吸って、その味わいに歓喜している将烈だが、すでに2本目は早すぎる。


 「将烈さんは知っていたんですか?総監が狙われていることも、副総監が何か企んでいることも・・・」


 「まあな」


 「どうして黙っていたんですか!?知っていれば、もっと早く捕まえられたかもしれませんし、将烈さんだってそんな怪我しなくて済んだかもしれません!!」


 息を荒げて言う波幸に対し、将烈は波幸に気持ちを知ってか知らずか、平然という。


 「敵を騙すにはまず味方からってな」


 「将烈さん!真面目に答えてください!!」


 「大真面目だよ。わざわざあの偉いおっさんが、警察とは関係ない俺達の組織に口出しして解散させるって言ったのは、叨場たちの動きを見張るためでもあった」


 「見張る・・・?」


 「警察とは関係ない組織だからこそ、もし俺に何かあってもそう簡単には関与出来ない。だから処分するにしろ始末するにしろ、手の届く範囲に収めておく必要があったってわけだ。それに、鼇頭が解散だとか、それぞれが異動だ降格だってなったとき、お前らが思ったよりも落ち着いていたんじゃ、あいつらだって疑いかねないだろ?」


 「・・・・・・」


 ぐぐ、と黙ってしまって波幸に、火鷹はそっとみたらし団子を差し出してみるが、受け取ってもらえなかった。


 将烈は2人に背中を向けたまま、平気そうに歩いてはいるものの、時折見える身体に巻き付けられている包帯は痛々しい。


 ちゃんと前を見ていなかったからか、波幸と火鷹は、立ち止まった将烈に気付くのが遅れ、そのまま背中に激突してしまった。


 「飾られた“正義”っていう景色がどれだけ変わろうと、俺らは俺らの信念を持って、やるべきことをやりゃいいんだよ」


 「将烈さん・・・」


 「もっちゃもっちゃ・・・」


 「おい、俺が良いこと言ってんのに団子食ってんじゃねえよ」


 まるでリスの方に頬いっぱいに詰め込んだ団子によって、言葉を発せなくなっていた火鷹のほっぺを抓る。


 火鷹は痛そうにしているが、なかなか飲み込めずにいるらしく、先程よりもさらに高スピードで噛み続けていた。


 やれやれと将烈が呆れながら歩きだそうとしたとき、波幸がなぜかキレた。


 「でも本っっっっっ当に心配したんですからね!!!ネットの書き込み見て思わず自宅用のパソコンダメにしちゃったんですから!それに、刺されたときだって!!血だらけで運ばれていったから色々よからぬことを考えてしまったんですよ!!葬式はどうしようとか告別式やった方がいいのかなとか!!!」


 「もっちゃもっちゃ!!!もっちゃもっちゃもっちゃもっちゃ!!もっちゃ!!もっちゃもっちゃ!!!」


 「だから、悪かったって。火鷹に関しては何一つ分かんねえけど、多分何か怒ってんだよな」








 一方、将烈と分かれた斎御司は、以前爆破されたがその後綺麗に修繕された自分の部屋へと戻っていた。


 今回のことで、これまでに起こった刑事事件において、叨場の働きによって有罪が無罪に、無罪が有罪になっていた可能性もあるということで、一から調べ直すこととなった。


 時間も人も足りないのは当たり前のことだが、矢浪だけでなく、忠峯という本来は中立の立場で判断をしなければいけない裁判官までもが買収させられていたことは、警察自体においてもよろしくない事実であった。


 当然、斎御司への責任問題にも発展したのだが、斎御司はそのことを重く受け止めるのと同時に、責任を負う為にも自身がこの役職に留まり、真相解明に関わっていきたいと述べた。


 斎御司は椅子に座ると、引き出しにしまってあったとある写真立てを出し、デスクに飾る。


 それを眺めていると、誰かがノックをした。


 返事をすると、ひょっこり顔を出してきたのは、警察関係者とは思えない身軽な格好をした眞戸部だ。


 「お呼びですか?」


 「ああ。今回の件、本当に御苦労だったな」


 「いえいえ。半年くらいの内偵でまさかこんな大事になるとは思っていませんでしたけど、上手く紛れこめたようで何よりです」


 「それより」と、少しだけ遠慮したような口ぶりの眞戸部に、斎御司は何かを問えば、眞戸部はにっこりと笑う。


 「噂の金目と仕事が出来る良い機会でしたよ。でも金目じゃありませんでしたね」


 「それについてはあまり深追いするな。本人があまり話したがらないんだ」


 「そうでしたか」


 斎御司はじっとデスクの上の写真を眺めていたため、眞戸部は首を傾げながら近づいて行くと、頼んでもいないのにその写真を見せて来た。


 そこに斎御司は写っていなかったのだが、代わりに、綺麗な女性と、その女性の隣で満面の笑みでぬいぐるみを抱いている少女が写っていた。


 「可愛いですね、お譲さんですか?」


 半分社交辞令のような言葉を並べてみると、予想以上に斎御司は目をキラキラさせていた。


 「そうなんだ。ようやく娘に連絡が出来る」


 「・・・・・・」


 表情は変わっていないのに、目つきだけでこうも威厳が無くなってしまう人もそうそういないだろうと、眞戸部は心の中で思った。


 大変な任務になることが分かっていた為、斎御司はしばらく自宅にも帰らず、家族との連絡も取っていなかったようだ。


 その反動なのだろうか、斎御司は携帯を眺めて嬉しそうにしている。


 決して笑ってはいないのだが。


 「あの、なんでわざわざ大掛かりな芝居までしたんです?」


 眞戸部の質問に、斎御司は再びいつもの仕事の顔に戻る。


 「世間への見せしめだ。例え権力を持った人間であろうと、必ず制裁される。そういう組織であらねばならない。私がいなくなった後も、そうでなければ」


 「期待してるんですね、あの男に」


 「あいつだけでも成り立つまいよ。私にはお前がいるように、あいつの周りのことも知り、見極める必要があった」


 「なるほど・・・」


 「正しいことをするほど、なぜか煙たがられる。それでも正しいと貫き通す信念があるかどうか、それを知りたかった」


 じっとどこか一点を見つめたままの斎御司。


 眞戸部は両腕を後ろで組んだ状態で、そんな斎御司をじっと見る。


 「都合の良い正義ではダメということですね」


 少し落ち着いた声で眞戸部が言うと、斎御司はゆっくりと眞戸部を見る。


 その目つきがあまりにも真剣なものだったため、眞戸部は思わずごくりと唾を飲み込み、斎御司が何を言うのかと待っていると、数秒経ってから、言葉が発された。


 「娘からの返事がこない」


 「・・・・・・」








 「別に俺達気にしてねえから。お前のせいじゃねえし。それに、こうしてここに戻って来られたんだからチャラってことだ」


 「ああ、悪かったな。今度好きなもん驕るからよ」


 「おう、楽しみにしておくよ」


 将烈は、今回のことで迷惑をかけてしまった人達のところを回っていた。


 今の炉冀でようやく回り終わり、将烈はここで一息しようと煙草を取り出した。


 そのとき、携帯が鳴る。


 「・・・庵道か、なんだ」


 何やら世間話をしてから本題に入り、しばらくそのことについて話し合っていた。


 「ああ、わかった。紫崎たちとは連絡取ってるのか?ああ、ああ、そうか、頼む」


 話が終わったのか、将烈は携帯をしまうと煙草を取り出してトントン、と出て来た1本を口に咥える。


 ライターの蓋を数回カチカチといじりながら空を仰いだかと思うと、風が弱まったところで火をつける。


 吐き出した煙は風に乗って流れていく。


 予報では曇ると言っていたが、雲ひとつない晴天だ。


 「・・・広ぇなぁ」


 どこまでも青い空と、その空を飛んでいく鳥、それから視界に入る自分が吐き出した害のある煙。


 刺された箇所はまだ痛むが、致命傷とならなかっただけマシだろう。


 空を仰ぎながら歩いていると、聞き覚えのある五月蠅い声が聞こえてくる。


 「将さん!!!迎えに来ましたよ!!迷子になったかと思いました!!」


 「将烈さんが迷子になるわけないだろ。将烈さん、みなさんどうでしたか?」


 手がもぎれるのではないかというくらいに手を振りながらやってきた火鷹と、そんな火鷹を気にも留めずに将烈に話しかける波幸。


 誰一人として将烈たちを責める者はいなかったということで、波幸と火鷹もひとまず安心していた。


 将烈も揃って3人で歩いていると、いきなり火鷹がこんなことを言いだした」


 「将さん!競争しましょう!!よーい!!」


 「しねぇよ」


 「どん!!!」


 ぴゅーっと走りだしてしまった火鷹を見て、まだまだ若いなぁ、と思う将烈だった。


 波幸に火鷹について行ってやれと言えば、波幸は少し、いや、結構不服そうな顔をしていたものの、眉間にシワを寄せながらもランニング程度に走っていった。


 将烈もまた、2人が走って行った方向に向かって歩いて行く。


 闘い続けることは困難である。


 しかし、それでも闘い続けなければいけない。


 いつか、信念と正義がぶつかる日が来るとしても―


 「あいつら早ぇな」





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