第2話それを希望と人は呼ぶ
フレア・フロウ
それを希望と人は呼ぶ
死ぬよりも苦しむほうが勇気を必要とする。
ナポレオン・ボナパルト
第二請【それを希望と人は呼ぶ】
「戦?」
「ええ、最近噂になってるのよ。またどこぞやの城で戦ですって」
吉原に来てからしばらく経った頃、恵の耳にそんな話が飛び込んできた。
あっという間に吉原で一、二を争うほどの花魁となった恵だったが、決して喜ばしいことでもなかった。
ここに来るまでには、何人もの見知らぬ男たちと相手をさせられ、痛いこともあり、悔しいこともあった。
だが、こうして手の届かない存在にまでなると、なかなか相手をしろなどと言ってくる男たちはいなかった。
しかしこの日は珍しく、大金を持っている男がやってきて、恵を指名してきた。
「恵と申します」
「ああ、そんな堅い礼儀は入らねえから、こっちおいでな」
「へぇ」
酒を注ぐと、男はぐいっと一気に飲み干す。
次々に酒を注げば、当然だが男は少し酔っぱらってきたようで、恵は身体を寄りそわせながら、色っぽく口を開く。
「ねえ旦那、ちょいと、教えておくんなんし」
「おう、何をだ?」
「どこかで戦が始まるとかなんとか。怖いねぇ。一体どこでそんな恐ろしいことが始まるんだい?」
「ああ、なんだ、その話か。それなら確か、なんてったかな。あれだ、ええと、永晶家の奴らが、定妙・・・なんとかって城に戦吹っ掛けるってあれだろ?」
「旦那、物知りだねぇ」
「そうか?」
気を良くしたのか、男は恵にどんどん知っていることを教える。
永晶家が戦をしかけた定妙炎家には、うつけと言われる城主がいる。
そしてその城主についていけないと、家来たちは反乱を起こして暗殺する心算でいること。
永晶家とその家来たちの間で話はついていて、金品を渡す代わりに暗殺の手助けをしてほしいと頼んでいるとか。
「そんなにうつけなのかい?」
「ああ、俺もいっぺん会ったことぁあるが、ありゃあ大した男じゃねぇな。まあ、そいつの面倒見てる男の方が、俺ぁ厄介だと踏んでるがね」
「?どういうだい?」
「なんでも、そいつは本当は忍者なんじゃないかって話さ。まあ、そんな動きをしてるところを見た奴はいねぇから、本当のところどうなのかは知らねえがな。なんだ、興味あるのかい?」
恵の顎に手をあてて、自分の方に顔を向かせる男の顔は真っ赤だ。
目は虚ろで、少し舌も回らなくなっている。
だが、恵の目も唇も、それから首筋やもと下の方を舐めるようにして見ている眼光は、まるで獣のようだ。
恵はフフ、とつつましく笑うと、そっと男から顔を逸らした。
「こんな男前を見せられたら、そんな男の話、どうでもよくなるねぇ」
「そうかい?なら、俺の相手してくれるかい?」
「旦那、まだまだ夜は長いんだよ?お楽しみは後で取っておこうじゃないか」
上手く男を言いくるめると、沢山酒を飲ませて、男を眠らせてしまった。
ぐーすか寝ている男を尻目に、恵はその部屋から出て行く。
「はあ!?戦ぁ!?」
「んな戦ごときでいちいち騒ぐな。で、何処と何処がだ?」
「永晶家と定妙炎家です」
「永晶家はまだ分かるが、定妙炎家は珍しいな」
「俺嫌だよ。戦になんか巻き込まれたくないよ。勘弁してくれよ」
戦など、生まれてこのかた経験などしたことない大和は、これから始める戦の話を聞くだけで嫌だった。
はっきり言って、逃げ出したかった。
「どうやら、定妙炎家の城主、瑠堂を失脚させようとする動きがあるようで、永晶家は暗殺の手助けをしようとしていると思われます」
「瑠堂か・・・」
「じゃあ、何?瑠堂の家来たちが瑠堂を裏切って、永晶家と手を組んだってこと?」
「ありないことはないだろう。永晶家といえば、代々女だけで城を築いてきた一族だ。金が関わってるなら、当然手を組むだろうな」
「永晶家か・・・。良い思い出はねえな」
「お前は盗みに入って捕まったからだろ」
永晶家も定妙炎家も、名前を聞いただけで大和は頭を垂れてしまう。
銀魔はうーん、とこれからどうしようかと考えているようだが、それを見て大和はへらっと笑いながらこう言った。
「俺は逃がしてもらえるよな?」
「あ?」
「いやだってさ、俺は戦に関わりたくないし、戦なんかで死ぬ予定もないわけで。あんたらにはまあ世話になったと思ってるけど、俺はここで死にたくないわけだ。確かに俺の先祖はなにか悪さしてたかもしれねえけど、それは俺には関係ねえことであって、とにかく、俺はここから逃げたい」
逃げたい事を主張して言えたからか、大和は言い切った感を醸し出していた。
この戦には一切関わりがないのだからと、大和は自分に言い聞かせる。
「まあ確かにな」
「!!」
そりゃそうだと、銀魔の言葉に一瞬にして満面の笑みを浮かべた大和だったが、その後の風雅の言葉にまた沈む。
「逃げてもいいけど、金目のものは置いて行ってもらうわよ」
「なんでだよ!これは俺が手にいれたものだぞ!?お前等に渡す義理なんかあるか!」
とはいっても、今はそれほど大したものはもっていないが。
永晶家にも定妙炎家にも潜入しておきながら、これといった宝石類も金も盗めなかった大和にあるのは、少しの金だけだった。
それを置いて行けというのは死ねと言われているも同然だった。
「これは飯代だから、絶対に渡さねえ!俺から食を奪うと言うことは、それ即ち、俺に死罪を言っているも同じことだ!それは俺が許さん!決して!!!」
「「「・・・・・・」」」
何を言ってるんだこいつは、という感じの、少し蔑んだような顔をしている三人。
あれ?と思っている大和に、銀魔は額に手を当てて、肩を揺らして笑いだした。
「俺達ぁ追剥じゃねえんだ。風雅だって冗談言っただけだから気にするな。それに、お前の持ち物は全部調べてある。金だって少ししか持ってねぇことも知ってる。だから安心しな」
「え?調べてあるって、いつの間に?」
「いつの間にって、飛闇に連れて来られた時だよ。敵か味方か分からねえ奴の持ち物も調べねぇで、近くにいさせるはずねえだろ?」
「げ。何、俺のことそんなに信用してなかったわけ?」
その言葉に、飛闇の眉がぴくりと動いたような気がしたが、気付かないフリとしておこう。
「信用してねぇのは、御互い様だ。なあ?隙あらば、俺たちの目を盗んで、金品持って逃げようとしてただろ?」
「・・・・・・」
逃げられる確率は低かったが、確かにそうしようとしていた。
それを見抜かれていたことに、大和は思わず身体を強張らせてしまった。
「じゃあなんだ?あんたらは、俺がスパイの末裔だって知って、復讐をしようとしてたんじゃないのか?」
「・・・どうなんだ?飛闇」
大和にそう言われ、銀魔は一度目を閉じたかと思うと、ゆっくりと目を開けて飛闇の方を見た。
腕組をしたまま、木に寄りかかっていた飛闇からは、重圧のある視線が来る。
ごくりと唾を飲み込むと、飛闇はそれを見てため息を吐いた。
「いいえ。初めこそ、城が滅んだ原因ともいえる男を殺してやろうかと思いましたが」
「ほら見ろ!」
「顔も知らないその原因になった男を恨んでも、その男には一生会えませんからね。こちらが恨み損するだけです」
「てことだ。逃げたいなら逃げてもいいが、お前は多分、永晶家からも定妙炎家からも狙われるだろうからな。せいぜい、自分の身は自分で守るんだな」
「・・・・・・」
そう言われてしまうと、大和はうっと言葉を飲みこんでしまったが、覚悟を決めてその場から立ち去った。
「大丈夫かしらね?」
幾ら先祖がスパイだったといっても、所詮は先祖の話だ。
大和はスパイとしてではなく、ただの窃盗犯なのだから、捕まってしまうのも時間の問題だろう。
それを懸念していた風雅だったが、銀魔も飛闇も、特に心配してなかった
「風雅はピュアだな」
「?どういうことです?」
銀魔はよいしょと腰をあげると、うーんと背伸びをする。
顎鬚をさすりながら、銀魔は大和が去って行った方向を見る。
「戦が始まるってことは、そういうことだ」
「?どういうことです?全然分からない」
「まあ、戦が始まれば、何処の城でも起こり得ることって話だ」
そんな言葉を吐き捨てるように言うと、銀魔は飛闇を呼んで、何やら指示を出していた。
風雅はまだ分からないまま、その指示を一緒に聞いていた。
銀魔たちから離れることが出来た大和は、一人森の中を歩いていた。
「これからが稼ぎ時だってのに、あいつらと一緒にいたんじゃ仕事にならねえよ」
ひょいひょいっと、軽い身のこなしで森を抜けて行くと、大和は目的地の近くにいた。
そこに聳え立つ、一度見たことのあるその建物に、大和はいつもなら感じる興奮よりも、少しばかりの不安を抱えていた。
それは当然といえば当然のことだった。
「今度こそ、盗んでやる」
金目の物があるとしたら、百発百中この城だろうと、盗賊仲間は言う。
“永晶家”それは千年以上もの間、女性たちだけで作りあげてきた城。
女性がみな、輝きものが好きかどうかは知らないが、永晶家の城主は代々光ものが大好きだったと言われている。
酷い話が、子を産むためにはどうしても男の力が必要で、その為だけに男を城に招き入れ、種だけを植えさせるのだ。
父親など必要ないと、小さい頃から教え込まれてきた女性たちは、自分に父親がいないことにも不思議がらない。
行為に及んだ男たちも、城にいたければいることが出来るのだが、女たちにこき使われ、蔑まされるだけの日々だと知っているから、名乗りもしなければ城にも残らない。
たまに、自分が父親なのだと言って来て、金をむしり取ろうとする輩もいるのだが、そういう場合、一度城に招き入れられるが、帰ってきた者はいないという。
そういう話もあってか、男たちはあまりこの城には近づこうとしない。
今の城主、生越もそろそろ子を産もうと考えているようだが、自分の相手をする男ならばこちらに選ぶ権利があると言って、未だその相手を見つけていない。
理想が高いというのか、極端というのか。
「抱かれるだけといえども、私より背が高く、私より賢く、私より権力があり、私より知性があり、私より私より私より・・・」
そんなことをずっとずっと言っているから、相手が見つからないのだ。
このままだと、永晶家の血を引くものは途絶えてしまうのだが。
「戦が始まってから動くか」
大和は様子を見ながら、永晶家の近くの茂みに身を隠した。
「恵、どういうことだい?止めたいだって?馬鹿言ってんじゃないよ!」
「永晶家は私が仕えていた城でありんす。どうか、許しておくなんし」
「許すわけないだろう!お前は良い金づるなんだ!こんな稼ぎ時に、手放すわけないだろう!」
「そこをなんとか」
決して、永晶家が心配だからとかそういうことではなかった。
ただ、恵には恵の目的があったため、必死にお願いをしていた。
「あんたみたいな女なかなかいないって、旦那たちは大金を持ってあんたに会いに来るんだよ!あんたは大人しく男の言いなりにしてりゃあいいんだよ!」
「あ・・・」
次に口を開いたときには、恵は両腕を拘束されてしまった。
そしてそのまま、しばらくここにいろと言われて入れられたのは、牢屋のような、狭く暗い部屋だった。
一人入れられたその場所で、恵はどうにかしてここから逃げようと、壁を一通り障ってみるが、外に繋がるようなものはない。
そのとき、ぎい、と誰かが入って来たかと思うと、それは身なりの整った男たちだった。
「え?」
何がどうなっているのかと思っていると、恵の面倒を見ている女が、こう言ってきた。
「金なら貰ったから、ここでしばらく男の相手をしてておくれ。ああ、名のある武将もいるから、斬られないように気をつけるんだよ」
「おかみさ・・・!!」
がしゃん、と無機質な音だけが耳に残った後、恵の身体に触れてくる男たち。
「おお、噂通りの別嬪だ」
「どれどれ、肌も綺麗じゃないか」
「躾をしてくれと頼まれたのでな。女、早速だが、脱げ」
覚悟はしていた、はずだった。
これまでにだって、色んなことをしてきた。
命だって身体だって名前だって、自分じゃない人格を作って生きてきた。
それなのに、今はなぜだろうか、辛い。
数時間にも及んで男たちに弄ばれたあと、男たちは満足したのか帰って行った。
呆然と天井を眺めていると、そこにまた別の集団が現れた。
しかしそれは男ではなく、女だった。
「綺麗な顔には傷をつけるなって言われているからね」
「痛みも快感に変わるかもしれないだろ?」
クスクスと、恵が来たことによって下位になってしまった花魁たちからの逆襲。
両腕を縛られると、乾いた音が鳴り響く。
肌の皮は破け、そこから血が出てきたとしても、女たちは手を止めない。
「あたいの客を取りやがって!!!」
「薄汚い女だよ!!!」
罵声を浴びせられながらも、恵はただその痛みに耐えるしかなかった。
「いっそ、このまま死んでくれれば良いんだけどねぇ」
一方、戦の準備をしていた永晶家。
「黒夜叉、いるかい?」
「はい」
戦と言っても、当然生越たち女性は城の中で待っているだけで、実際に戦うのはいつだって黒夜叉たち、忍のみ。
「定妙炎家の方はどうだい?何か情報はないのかい?」
「今しばらくお待ちください」
「あー、それにしても、戦はいつも面倒なものだな。まあ、全部黒夜叉たちに任せているから安心だがな」
定妙炎家にも、永晶家が戦を仕掛けてくるとう情報は入っているはずなのだが、一向に動きが見られない。
生越としては、向こうの家来たちとは話がついているため、本当に戦になろうとどうしようと関係ないのだが。
なにせ、暗殺も戦も、全て黒夜叉たちが代わりにやってくれるから。
しばらく待っていると、黒夜叉の部下が戻ってきて、なにやらヒソヒソと話をしていた。
「どうかしたのか?」
「生越様、どうやら、定妙炎家の城主、瑠堂が何者かによって殺されたようです」
「なに?ということは、あいつら私達の援軍も待たずに殺してしまったということか。まあそれならそれで良い。黒夜叉、計画変更だ」
「は」
「今すぐ戦を始めろ。そして、定妙炎家から全てを奪ってくるのだ。交渉されたあの額では、正直不服だったのだ」
「承知」
生越たち女は城に残り、そして黒夜叉も指揮を取りながら城に残った。
後の黒夜叉の部下たちだけで定妙炎家へと向かわせ、連絡を待つ、ただそれだけ。
その頃、永晶家から忍たちが攻撃をしてきたことで、定妙炎家は焦っていた。
「どういうことだ!あいつ、やはり裏切ったのか!!!」
「うつけが死んだという話を聞いて駆けつけてみれば、なんというありさま!」
一気に攻められてしまい、ましてや差し出す首も指示を出す人もなく、急いで剣を手に取るのだった。
「おい!馬を準備しろ!」
「忍相手に馬など通用するものか!」
「ならばどうしろというのか!」
「わからぬ!」
人が相手であれば、馬に乗って剣を持って戦う、それだけのことでも、相手が顔も素性も知らない忍となると、わけが違う。
隠れても簡単に見つかってしまい、逃げようとしてもその足の速さでは追いつかれてしまい、戦おうとしても敵わない。
そんな強力な相手に、定妙炎家の家来たちはあたふたしていた。
「おい!龍海!」
「なんでしょう」
「瑠堂様はなぜ亡くなった!?誰が瑠堂様を殺したのだ!?」
その言葉に、龍海は首を傾げる。
「あなた方が暗殺を計画していたのではないのですか?私は瑠堂様に命じられ、城下へ買い物に行っておりましたので、何も存じません」
「ぐっ・・・」
龍海は、瑠堂に頼まれて買ってきたというその手にあるのは、きっと屋台で買ったのだろう、鼈甲飴だった。
それを口に放り込むと、龍海はにこりと家来に笑いかけた。
その後別の家来がやってきて、戦に備えなければと行ってしまったため、龍海は残りの鼈甲飴をその場に適当に置くと、戦の状況をみるべく、城の中の隠れ通路を通って外の様子が見える小部屋まで来た。
そこから覗いてみると、明らかに忍、という服装の男たちによって城が囲まれていることも分かり、龍海は口の中の鼈甲飴をガリガリと噛んだ。
「黒夜叉たちか。まったく、面倒なことしてくれるよ」
ふう、と息を吐いたところで、龍海はまた通路を通って通常の渡り廊下まで出た。
ひゅんっ、その時風を斬る音が聞こえてきて、龍海が立っていた横の柱に、一本の綺麗な線がついた。
「ほう、よくこれを避けたな。貴様、何者だ?」
その攻撃を軽々と避けていた龍海は、目の前に立っている自分よりも大柄な男に対し、まだ口の中に残っている鼈甲飴をぷっと吐き出した。
それが男の顔に見事にクリーンヒットすると、男は龍海に向かって筋肉質な足を振り上げてくる。
龍海は腕でそれを受け止めるが、男のそれは思った以上に重く、腕がびりびりと痺れる以上のものだった。
ずず、と衝撃で少し後ろに移動してしまったが、男はそれを見てもう一度回し蹴りをしてきた。
「舐められたもんだね」
「!?」
龍海は、男が蹴りあげた足に自分の身体を乗せると、天井にある柱に手をかけて、そのまま男の顔面を膝で蹴飛ばした。
よろっと倒れそうになった男から離れた龍海は、ぴしっと綺麗に着ていた着物を脱ぎ始める。
鼻あたりを押さえていた男は、その龍海の姿にニヤリと笑う。
「良い勝負が出来そうだ」
それはまるで、男と同じ格好だった。
「良い勝負?出来ると思ってるのか?」
「怖気付くなよ?」
「互角に戦えない奴とは、俺は良い勝負なんて出来ないと思うがな」
「なに・・・?」
その男の後ろから、また数人の男たちが姿を現した。
「やれやれ。こんなに人の城にぞろぞろと」
「確かに、これじゃあ互角には戦えないな。一瞬で終わっちまう」
「おっぱじめようか。若造ども」
「優勢に向かっております」
「当然だ。お前たちに敵う輩など、この世に存在するとは到底思えないからな」
着々と城を落とすための戦力は向かわせたため、生越は安心しきっていた。
その時、何やら城の中が騒がしくなった。
「なんだ?」
黒夜叉がすぐに様子を見て来ようとしたとき、丁度、生越がいる部屋の襖が勢いよく開いた。
そこにいたのは、息を荒げている一人の美しい女性。
「おや、どうしたんだい?恵。まだ充分稼いできてもらってないと思うが?」
「・・・・・・」
ふと、恵の顔には小さな青痣が作られており、肌蹴た着物の隙間からも、至るところに傷跡が見えた。
それを見て、生越は扇子を開いて自分を仰ぎながら言う。
「おやまあ、綺麗な顔が台無しだねぇ。まあもっとも、私より綺麗な女など、必要ないんだけどね。・・・どうやってここへ来た?」
吉原からどうやって来たのかよりも、恵が牢屋に入れられたことを聞いていた生越は、そちらの方が気になった。
見張りもいただろうし、恵に相手をしてほしい男たちも、恵に復讐したい女たちも、大勢いたはずだ。
「逃げてきました」
「それはいけないねぇ。逃げたらもうお前は罪人じゃないか」
「そんなことより!!!」
だんだんと強い足踏みをして生越に近づこうとした恵だったが、その前に黒夜叉に捕まってしまった。
いつの間に背後に来ていたのだろう、全く気配を感じなかった。
腕を背中側に捻られ、両腕を黒夜叉の片腕で簡単に縛られている。
「恵、お前のことは知ってるよ?」
「?なにを・・・」
生越は動かしていた扇子を止めると、ぱちん、と畳みながら顔の横に扇子を置く。
「お前、この城に来た本当の理由は何だい?」
「・・・ですから、それは」
「あの時は確か、こう言っていた。『女系の城に仕えることで、自分をもっと磨きたい』とね。だが、本当は違った。お前がコソコソと何か調べようとしていたことは知っていたよ。それが何なのか、それは分からなかったがね。その目的のためにこの城に来たことを分かった上で、私はずっとお前をここに置いていたのだよ」
「・・・!!」
「吉原でも、この戦のことを上手く客の男から聞きだしたようだし、お前、本当のところ何者なんだい?それとも、答えずにここで殺してやろうか?」
唇を噛みしめたまま、じっと生越を見ていた恵。
何も言わない時間が過ぎると、生越は飽きてしまったのか癪だったのか、わざとらしい大きなため息を吐いた。
そして、黒夜叉に目配せをすれば、黒夜叉はそれを理解し、恵の首筋にクナイをあてがい一気に引こうとしたその時・・・。
「間の悪い奴だね」
黒夜叉の部下から、連絡が入ったのだ。
黒夜叉は恵を拘束したまま、クナイを手にもったままの状態で、連絡を取るための小型の無線を取る。
「どうした」
ざざざ、と最初はノイズだけが聞こえてきたが、もう一度声をかけてみると、相手が答えた。
『あー、こちら先発部隊』
「先程優勢という連絡を受けたばかりだ。何かあったのか」
『いやー、まあ、異常無し。どうぞ』
「・・・・・・」
「黒夜叉、どうかしたのか?」
気のせいだと思いたかったのだが、気のせいではない確信があった。
それは、何年も前に耳にこびりついた、嫌というほど残ってしまった声だった。
「銀魔だな」
「?銀魔?誰のことだ?」
そんな名前聞いたこともない生越は、一瞬にして雰囲気が変わった黒夜叉に声をかけてみる。
『覚えててくれたとはな』
「忘れるものか」
『昔は仲良くやったってのにな、そんなに恨まれるようなことした覚えはないんだが』
「仲良くしていた覚えがないな。銀魔、お前何を企んでるんだ?」
その黒夜叉の問いかけに対し、向こう側にいる銀魔は喉を鳴らして笑った。
余裕そうな、楽しそうな、そんな声だ。
『企んでる?俺は何も企んじゃいないさ』
「ならば、なぜ今も尚、滅んだ城の名を背負って生きている?俺と共に城に仕えれば、最強にもなれたものを」
『最強・・・?俺ぁんなものに興味はねえんだよ、お前と違ってな。何を背負って生きようと、俺の勝手だろ?それに、お前と一緒じゃぁ息苦しくて仕方ねぇよ』
「この無線を使ってるということは、俺の部下はどうした」
たかが一つの城にいる忍、と思うかもしれないが、黒夜叉はこれまでに多くの忍たちを教育してきたため、何十人、それ以上の数がこの城にはいるのだ。
六割から七割の人数を向かわせたはずのため、そう易々とはやられないはずだった。
『ああ、今俺の尻の下にいるな。それから、あたり一面に倒れてるよ』
「そんな馬鹿な」
『それからな、間違った情報が流れてたみてぇで、訂正したいんだ』
「なんだと・・・!?」
「何がどうなってるんだ?ええ?黒夜叉!」
じれったいのか、生越は少し声を荒げてみるが、もうどうにもならない。
今の状況が飲み込めないのは生越だけではなく、黒夜叉に捕まっている恵も同じだ。
そんなメンバーのことなどお構いなしに、銀魔は続ける。
『瑠堂って男なぁ、生きてるんだわ』
「なんだと?!いや、部下が亡くなったことを確認したはずだ!!」
『確かに瑠堂が死んだことを連絡した部下はいたが・・・それな、俺なんだわ』
「!!!」
「黒夜叉!ちゃんと説明をしな!!」
ついには、生越はいつも座っているふかふかの椅子から勢いよく立ちあがった。
落ち着きなく扇子をパチパチと動かし、ついには床に叩きつけていた。
「生越様、今すぐ現状を確認して参ります」
黒夜叉は恵を解放し、そのまま姿を消してしまった。
残された生越は、今あるイライラをどう静めれば良いのか分からず、ただそこで呆然としている恵に目がいった。
そして飾ってあった家宝とも言える剣を手に持つと、そのまま恵に向かって行った。
「!!!」
思わず恵は目を瞑り、蹲ってしまった。
しかし、痛みも冷たさもなにも来ないため、恵はそっと目を開けてみる。
すると、以前会ったことのある男がいた。
「あなたは・・・」
「あっぶねぇ・・・。大丈夫か?」
「ええ・・・」
盗みに来ていた大和が、生越の頭を花瓶で殴って気絶させたようだ。
そして恵の手を取ると、一気に走りだした。
「逃げるぞ!ちゃんと走れよ!」
そう叫びながら走っていると、当然だが、城に残っていた黒夜叉の部下たちが大和たちに迫ってきた。
わーわーと叫びながらも、なんとか逃げていると、突如黒い影が目の前に下りてきた。
「殺される―!!!」
「騒がしい奴だ」
「本当ね」
そこに立っていたのは、こんな状況だからこそ素直に御礼が言える相手。
「飛闇!風雅!お前等良い奴だな!」
自分よりも背が高く、筋肉質ながっちり体系の飛闇と、青い髪を靡かせながらやれやれと呆れたように笑う風雅。
「調子良いんだから」
「しょうがねえだろ!俺だって、別に助ける心算なんてさらさらなかったけどよ!目の前で殺されたら後味悪いだろうが!!!」
「わかったから、さっさと行け」
二人の強さならもうその目で見ていた。
だが、それ以上に、黒夜叉たちの強さも目の当たりにしてきた。
だからといって、ここで大和に何が出来るかと聞かれれば、きっと何も出来ないだろう。
それを分かっているからこそ、大和は恵の手を引いて、邪魔にならないように必死で逃げるしかなかった。
「ああ、そうだこれ」
「?」
風雅に渡された、というよりも投げられたそれは、大和の顔面に直撃した。
痛いと顔を覆っていると、それはなにやら紙のようだが、その中に石を入れて重みをつけていたようだ。
恨みたいところだったが、恨んでる暇などないと、大和はそれを受け取る。
「そこなら安心だから、避難してなさい」
「さんきゅー!」
「・・・なに、あの逃げ足の速さ」
ぴゅー、と、まるでマンガでも見ているかのように、大和はとてつもない速さで走って逃げてしまった。
「さてと」
振り返った風雅の目の前には、屈強な男の拳が迫っていた。
しかし、それを身体を反転させて一回転しながら避けると同時に、男の腕を足で挟み、その腕の脇に向かってクナイを投げた。
「この女・・・!」
「この人数相手にするなんて、初めてかもしれないわね。ちょっと飛闇、ピンチになったら助けてよね」
「自分の身は自分で守れ」
「酷い。レディに向かって」
男同士だからなのか、飛闇は相手の男たちに怯むこと無く、拳に蹴りにと攻防戦を繰り返していた。
あれを一発でも喰らえば、女の風雅はひとたまりもないだろう。
「お前ら、どこの城のもんだ?」
あそこの城か向こうの城かと、どうして知りたいのか、それこそ分からないが。
「仕えている城はない」
「あ?じゃなんで俺たちに喧嘩売ってくるんだ?これはお前等には関係ねえ喧嘩だろ?」
「理由をお前等に言う必要もない」
「生意気だな」
城に仕えていないということは、それだけ使い物にならないか、それともヘマをして城を出されたか、そう思われても仕方ない。
だからなのか、油断した男たちは、飛闇の素早い蹴りを受け止めきれず、喉元に見事に攻撃を喰らってしまった。
「くそっ」
「・・・・・・」
右を見て、左を見て、飛闇は「風雅」とだけ名前を呼べば、待ってましたと言わんばかりに、風雅は煙玉を投げた。
目くらましをしているうちに、飛闇と風雅は何処かへと姿を消してしまった。
その頃、定妙炎家に着いた黒夜叉は、倒れている部下を見ていた。
「随分と、可愛がってくれたようだな」
「まあな。ちゃんと躾しといてやったよ。目上の者には礼儀正しくしろってな」
およそ半分の部下がやられてしまったのだろうが、黒夜叉は気を乱すことなく、冷静に銀魔を見ている。
その横にいるもう一人の男、龍海を目を細めてみていると、銀魔が顎鬚を触りながらにんまりと笑う。
「龍海、もうすでにお前は引退したと思っていたのだがな」
その言葉に、龍海は肩を竦める。
「俺は引退したなんて言った覚えないけどね。まあ、ここに銀魔が来るのは予想外だったけど」
「仕方ねぇだろ。ふらっと散歩してたら、大勢で城に攻め込む黒い集団を見つけちまったんだからよ」
呑気そうにも見える二人に対し、黒夜叉は表情をぴくりとも変えない。
「俺に龍海、そして黒夜叉、それぞれ生きた道は違えど、志は同じだと思ってたんだがな。まあ、仕えた城が違えば、出来上がりも違ってくるだろうからな」
「何が言いたい」
「いや何、俺ぁ誇らしいんだ。こうして俺達三人、今日まで生きて来れたんだからな」
ニイッと笑う銀魔は、よいしょと腰をあげると、首を摩る。
「今ここで決着をつけるほど、お前は馬鹿じゃないはずだ。そうだろ?」
「・・・・・・」
血を流してはいるが、まだ息のある部下もいたため、黒夜叉はそんな部下たちを連れて銀魔たちに背を向けた。
「またすぐ会う事になるだろう。覚悟しておけ」
「ああ。お前もな」
数人の男たちを連れ、黒夜叉は城へと戻っていった。
黒夜叉が去って行った後、銀魔と龍海は、残されたその忍たちをどうしようかと悩んでいた。
銀魔は飛闇たちが待っているだろう場所へと向かい、龍海は着替えてから、反乱を起こした家来たちを牢屋へと入れていた。
「本当私らじゃないんだ!」
「暗殺なんてしていない!信じてくれ!」
「確かに、反乱は起こそうとしたが、殺していないんだ!!!話を聞いてくれ!」
牢屋の中で、何人もの男たちが叫んでいた。
「やかましいぞ!お前たちが反乱を起こし、また瑠堂さまを手にかけたに決まってるんだ!いい加減に白状しろ!」
「切腹は免れまい」
「誰から切腹をするか、順番でも考えておくんだな!!!」
反乱を起こした家来たちは、全員牢屋へと入らされてしまい、残された家来たちも、瑠堂が生きていることは知らなかった。
だからこそ、これからの戦に備え、どうしようかと話合っていた。
「無事だったようだな」
「あったぼーよ!これでも、これまで何度も死線を潜り抜けてきた男だ!」
「私達が助けたからでしょ」
「まあ、おおまかに言うとな」
なんとも偉そうにしている大和に、風雅は突っ込みを入れる。
大和に無事に連れて来られた恵は、どうすれば良いのか分からず、ただじっとしている。
それを見て、銀魔は何かに気付いたようだが、気付かないフリをした。
「あ、そういえば。あんたなんでそんな恰好してるんだ?」
「え?」
大和が恵が着ている着ものを指さしながら聞けば、そういえば吉原で牢屋に入れられて、そのままの格好で来てしまったと、今ここで気付いた。
肩も出した格好で、今になって少し恥ずかしくなった恵は、思わず着物で肩を隠す。
「吉原みてぇな格好だな」
「!!!」
大和にばっちり当てられてしまった恵は、隠してもしょうがないことだし、隠す必要もないからと、銀魔たちに正直に話した。
「探してる人?」
「はい。その人が永晶家に匿われているという噂を聞いて、こっそり色んな部屋を回って調べていたんですけど、広いし、いつも女中たちがウロウロしてるから、全部の部屋を見れなくて」
「見つかりそうなの?どんな人?」
「それは、言えません」
なぜ言えないのかと聞こうとした風雅だったが、銀魔が制止する。
「で、吉原に行ったのは?」
「私が城のことを調べていたのを気付かれていたようで、多分、吉原に売ればもう帰ってこないと思ったんだと思います」
「吉原と言やぁ、物騒な話がひしめくからな」
「そうなのか?すげー男の楽園だって聞いたことあるぜ?」
そんな呑気なことを言う大和に、飛闇が頭にげんこつを入れた。
涙目になりながら飛闇を睨みつけるが、きっとやり返しても負けるだろうと判断した大和は、大人しくなる。
「男にとっちゃあ確かに楽園かもしれねぇけどな、女たちにしてみれば、たまったもんじゃねえだろ。両親に売られてくる女もいりゃあ、そうせざるを得ない女もいる。男共の手の届かないところに行き着いた女は大事にされるだろうが、他の女はそうじゃねえ。生きるために、好きでもねえ男を誘って、肌を重ねなきゃならねえ」
ここまでは黙っていた大和だったが、またすぐに口を挟む。
「そんなに嫌なら、断れば良いだろ?」
「それが出来りゃあ、吉原になんていねぇってこったよ。男なら欲望のままに女を抱いて、それで終わるかもしれねえけど、女はそれだけじゃ終わらねえ。最悪、誰かも知れない男の子供を身篭って、唯一雇ってもらえる吉原さえ追い出されることもある」
「子供を身ごもる・・・」
「勿論中絶も出来るが、腹ん中に出来た折角の子供をよ、見殺しにする母親なんていねぇし、身体に負担はかかるし、良いことなんてねえわけだ。男は逃げちまえば良いかもしれねぇけど、女は子供からは逃げられねえんだよ。吉原ってのは、華やかそうに見える半面、そういう現実があるんだよ」
「・・・へー。男の俺にはわかんねえけど、なんか嫌なとこなんだな」
「で、その探し人は見つかるあてがあるのかい?」
にっこりとした笑みを向けられ、恵は反射的に正直に首を横に振ってしまった。
だからといって、銀魔たちにもどうすることも出来ないのだが。
「まあ、きっとそのうち見つかるだろうさ」
「・・・・・・」
大和に気絶させられていた生越は、目を覚ますと同時に発狂していた。
「あああああああああ!!!!!なんてことだい!!!あの女を逃がすどころか、黒夜叉!お前の部下がやられるなんて、一体全体どうなってるんだい!」
自分が男に殴られたという事実と、負け知らずと思っていた黒夜叉たちの敗北とも言えるその結果に、生越は憤慨していた。
「この私が男なんかに・・・!!あの盗人の人間として最低の人間なんかに・・・!なぜ殴られなければいけぬ!?許せぬ・・!許せぬぞ!!!!」
「生越様、一度落ち着きくださいませ」
「落ち着けだと!?これが落ち着いていkられるか!?」
爪をがりっと強く噛みながら、生越は今にでも鬼になりそうな顔をしている。
それを見て、しばらくは冷静な判断が出来ないだろうと思った黒夜叉は、ただただ生越の怒りが収まるのを待つ。
部下たちを下がらせ、その場に留まっていた黒夜叉。
生越が落ち着きを取り戻したのは、三時間ほど経った頃だろうか。
「黒夜叉」
「はい」
「今一度、定妙炎家を落とす。準備を整えるように部下に伝えておけ」
「承知」
「それから・・・」
床に落ちていた扇子を拾うと、生越はゆっくりと椅子に座る。
そして扇子を広げて口元を覆うと、眉間に深くシワを寄せながら伝える。
「恵を捕えて拷問にかけた後、死刑にする。それにあの盗人も捕え、殺せ」
「・・・承知」
「ああ、それからな」
「?」
まだ何かあるのかと、黒夜叉は顔を少しあげると、そこには扇子を顔の横に動かし、にやりと口角をあげている生越がいた。
「邪魔をした忍たちもだ。良いな?」
「・・・は」
どうやら、生越のブラックリストに載ってしまったのは、大和と恵だけではないようだ。
「許さぬぞ。誰一人としてな。この私を愚弄しおって・・・。必ず後悔させてやるからな」
パンッ!と強く扇子を畳むと、生越は畳んだ扇子を歯で強く噛んだ。
強く噛み過ぎたのか、扇子はぱきん、と折れてしまった。
それを放り投げると、生越はまだ収まりきらない苛立ちを押さえながら、外の空気を吸いに外へと出た。
「くだらぬ人間はいらん。私の邪魔をする者もな。全員まとめて始末してくれよう」
「・・・・・・」
ひとひらの花、散りゆくさだめ。
ひとかけの砂、掴めぬさだめ。
ひとびとは皆、消えゆくさだめ。
ひとさし指に、紡ぐはさだめ。
誰かが名を呼ぶその唄に、また誰かの声が重なる。
それが聖者であれ悪漢であれ、変わらない唄がそこにある。
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