第6話リンゴはいかが?
ウルフ オア ウルフ
リンゴはいかが?
何か信じるものがあるのに、それに従って生きない人間は信用できない。
ガンジー
第六匹【リンゴはいかが?】
磯川真弓には、子供がいた。
そう、数年前までは。
「それじゃあ、行ってくるよ」
「行ってらっしゃい」
夫を送り出してから、真弓はいつものように家事に洗濯、掃除を始める。
以前は、夫と同時に送り出していた、最愛の息子がいたのだが、数年前に他界。
それ以来、真弓は生きがいを無くしていた。
洗濯を回し終え、天気が良い外に干し終えると、真弓は決まって写真立てを眺める。
そこには、満面の笑みをこちらに向けている息子、悠太の姿があるからだ。
「悠太・・・」
悠太が亡くなったとき、元気を出して、とか、いつまでも暗い顔をしちゃダメよ、とか、そんな同情の声を貰った。
しかし、真弓にとってはそんなものどうでもよかった。
「悠太、待っててね」
悠太は、いじめに遭っていた。
しかし、学校側はそれを認めようともせず、悠太の身体にあった痣は、悠太が自分で作ったものか、もしくは家で暴力があったのではと言ってきた。
悠太は生前、真弓にこう言っていたのだ。
「お母さん、僕がいなくなったら、寂しい?」
「何言ってるの?当たり前じゃない!私の大事な子なのよ?」
何かあったのかと聞いても、悠太は答えなかった。
悠太が亡くなってから、悠太の部屋を掃除していたら、教科書に書かれたいじめの象徴とも言える文字。
当時まだ小学生だった悠太のランドセルの内側には、カッタ―で切られた痕や、ボロボロにされた痕が沢山あった。
気付いてあげられなかったと、真弓はとても悲しみ、自分を責めた。
洋服にペンキか何かをつけられて帰ってきたこともあったが、運動会の準備をしていたからだと言われた。
今にして思えば、気付いてあげられるヒントなんて幾らでもあったのだろう。
「悠太・・・」
あと少しで中学生になるという時に、悠太は亡くなった。
自殺ではないのは確かだった。
身体に無数の暴力の痕があり、さらには、こんな証言も得られたからだ。
「悠太くんが、瑛太くんたちにいじめられてて、学校にある洗濯機に入れられてるところを見たことがある」
それは悠太の同級生だった子の証言だ。
それを聞いた真弓は、学校にいじめがあったのではないかと言った。
しかし、学校側はいじめはなかったと完全否定し、瑛太たち複数の子たちにも聞いたところ、一緒に遊んでいただけ、と答えたようだ。
遊びなんかで殺されたのでは溜まったものではない。
それからも、真弓は学校側を訴えようとしたのだが、いじめに関して教えてくれる子は誰もいなく、どうにもならなかった。
あれから、真弓は調べたのだ。
その瑛太、という子供がどんな子なのかを。
すると、こんな事実が分かった。
瑛太、本名は星野瑛太というようだが、父親は教育委員会の会長を務めており、母親も有名高校の教頭として働いているようだ。
きっと目をつけられたら、教員としての道が断たれてしまうのだろう。
だからといって、いじめを隠して良かった言い訳にはならない。
「お前等、絶対に話すんじゃねえぞ?わかてんだろうな?」
中学に入った瑛太は何も変わっていなかった。
小学校の時のように、いじめ易い人物を探し、見つけると徹底的にいじめる。
いじめの対象にする理由としては、ほんの些細なものなのだろう。
目つきが悪く、自分が睨まれたように感じたとか、自分よりも頭が良い、もしくは運動神経が良い、先生受けが良い、女子にモテル、などなどだ。
瑛太の父親が教育委員会の会長だと分かると、先生たちも対応が変わる。
「星野くん、さすがね」
「星野くん、今度のスピーチ代表やってくれないかしら?」
「みんな、星野くんを見習ってね」
子供でも分かる、見え見えの対応。
小学生の頃、瑛太には好きな女子がいた。
可愛くて明るくて、それでいて頭も良くて性格も優しかった。
誰とでも仲良くしていたその女子を好きになった瑛太だったが、その女子が何かあるとすぐに話しかけたのは、磯川悠太という少年だった。
自分よりも背が少しだけ高いくらいで、とりわけ目立つわけでもなかったのだが。
遊ぼうよ、と誘っても、悠太くんと遊ぶからダメ、と断られてしまう。
一緒に帰ろうよと誘っても、悠太くんと帰るからダメ、と断られてしまう。
それを境に、それまで何事もなく暮らしていた悠太だったが、いじめのターゲットにされてしまったのだ。
もちろん、最初は先生だって止めたのだ。
すると、その日の夜に瑛太の父親から学校に電話がかかってきた。
《星野瑛太の父親ですが》
「はい、なんでしょうか」
《瑛太のことを、叱ったようですね》
「ええ、同じクラスの子をいじめていましたので、注意させていただきました」
《瑛太がいじめなんてするわけありません。瑛太は先生に無理矢理謝れと言われたと、泣きながら帰ってきたそうです》
「え?いえ、無理矢理というわけでは」
《今からこちらに来て、瑛太に謝罪していただけますか》
「はい?」
校長に連絡を入れると、星野瑛太の父親は教育委員会の会長だから謝ってこいと言われ、その教員は渋々謝りに行ったそうだ。
それからすぐに学校を異動することになり、新しい先生が担当となった。
その先生というのが、長いものには巻かれろ、という精神の人らしく、瑛太のことを聞くとすぐに瑛太ばかりを贔屓した。
他の親からも文句はあったそうだが、するとすぐに瑛太にいじめの標的にされるため、泣く泣く我慢していたようだ。
真弓が買い物に行った帰り道、公園で子供たちが何かしているのを見かけた。
その中には瑛太がいて、瑛太を中心にして、知らない男の子をいじめていた。
真弓はその輪の中に入って行こうとすると、携帯を取り出してこう言った。
「止めなさい。おまわりさんにここに来てもらおうか?」
すると、瑛太は生意気そうにこう言った。
「なんだよおばさん。俺の父さんは教育委員会の会長なんだぞ」
「だからなに?おまわりさんには何も関係ないことでしょ?」
「・・・・・・」
少し睨みあっていた2人だが、瑛太たちは諦めて帰って行った。
いじめられていた子も無事に家まで送ると、真弓は悠太が好きだったカレーを作る。
ハンバーグも好きだったが、昨日ハンバーグを作ったから、また今度だ。
ニコニコと嬉しそうに頬張って食べてくれていたのを思い出す。
「ただいま」
「おかえりなさい」
「お、今日はカレーか」
「ええ」
悠太の分も用意して、仏壇に置いてから2人も食事をする。
「ああそうだ。来週出張になったんだ」
「あら、今度は何処へ?」
「北海道だってさ」
「美味しいものがいっぱいあるじゃない。良かったわね」
「ああ、お土産買ってくるからな」
「ふふ。愉しみにしてるわ」
食事の後、真弓は夫の出張準備を手伝うことにした。
飛行機代や宿賃は出してもらえるが、それは請求すれば貰えるという話であって、後払いのものだ。
だから、明日あたり銀行に行ってお金を下ろしてこようとか、ワイシャツもそろそろ新しいのを買っておこうとか。
どんな宿に泊まるかは分からないが、シャンプーにリンス、歯ブラシなども用意しておいた方が良いだろう。
必要なものをメモにしていると、真弓の携帯に電話が鳴った。
「はい」
《お久しぶりね、磯川さん》
「・・・あら星野さん?お久しぶりですね」
《ちょっとお願いがあるのよ》
電話の相手は瑛太の母親からで、真弓とは同級生の母親同士、といったところだ。
電話の内容は、来週、それは偶然にも夫の出張と重なる数日間、両親は2人で出かけるらしい。
そこで、真弓に一日だけ、家事や料理をしてくれと言われたのだ。
《そうそう。瑛太、アレルギーがあってね》
卵や小麦粉、蕎麦に大豆など、色々なアレルギーがあるが、瑛太もそのアレルギーを持っているようだ。
「大丈夫ですよ」
《ありがとう。じゃあお願いね》
真弓は、微笑んだ。
それは、悠太がこの世に生まれてきたときのような笑みとは違ってもの。
「じゃあ、行ってくるよ。カニ送るから」
「ありがとう。気をつけてね」
夫が出張に出かけると、真弓も出かける準備をする。
出来るだけ綺麗にしていくと、自分の家とはまるで違うたたずまいの家のチャイムを鳴らす。
「はーい」
中から聞こえてきた声に、思わず鼻で笑ってしまった。
「磯川さん、さ、どうぞ入って」
「失礼します」
家の中に入れば、玄関からしてもう異次元だ。
「瑛太はもう学校に行ったから、夕飯だけ用意してやってね。掃除と洗濯と、それくらいかしらね」
「わかりました」
教育委員会の方の仕事で出かけるらしく、二人は車に乗って出かけた。
その車が幾らくらいするものなのかは全く知らないが、きっと高いものだろう。
1人になった真弓は、とりあえずそのまま放置されている朝食を洗う事にした。
トーストにベーコンに卵、サラダにヨーグルト、飲み物、あとはなんだろうか、カルパッチョのようなもの。
片づけを終えると、真弓は掃除を始める。
午前中はほとんど掃除だけで終わってしまい、真弓は一息つく。
飲み物は好きに飲んでと言われていたため、真弓は何処の国のかは分からないが、高級そうな紅茶を飲んだ。
あまり真弓の口には合わなかったが。
洗濯も終えて時間が余ってしまった。
「あ、買い物」
瑛太に夕飯を作れと言われたが、何を作ればよいのだろうか。
「・・・・・・」
真弓は買い物に出かけると、夕飯作りに必要なものを買って行く。
会計を済ませて家に帰ると、早速夕飯作りを始める。
洒落たものなど作れないからと、真弓は悠太が好きだったハンバーグを作ることにした。
夕方になれば、瑛太が帰ってきた。
両親が出かけて、代わりの人が来ることを知らされていたのだろう、瑛太は驚くことはなかったが、真弓を見て怪訝そうな顔はした。
「夕飯はハンバーグだけど、良い?」
「俺、ハンバーグはよく連れて行ってもらってる店のしか食べないって決めてるから」
「そんなこと言わないで。ちょっとでも良いから食べてみて」
鞄を置いて、瑛太は嫌そうな顔をしながらも椅子に座った。
そして用意されている温かい料理を見て、ナイフとフォークを手にした。
真弓は、ただそれを見ているだけ。
一口、ぱくっと食べた瑛太は、不味くはない、とだけ言って、ハンバーグを平らげた。
ご飯もスープも食べて、瑛太は満足そうに部屋に戻ろうとした。
しかしその時、真弓は「あ」と言って、背中を向けている瑛太に告げた。
「このハンバーグ、刻んだエビが入ってたんだけど、大丈夫?」
「え?」
「けど、息子が大好きだったのよ」
クスクスと笑いながら、瑛太が食べ終わった食器を片づけようとしたとき、瑛太は口元を抑えてトイレへと駆けこんだ。
何度も何度も嗚咽を繰り返すが、吐き気が来たというよりは、アレルギーでもあるエビを食べてしまったということで、身体が反射的に吐き出そうとしているのだ。
その後ろ姿を眺めて、真弓がこう言った。
「大丈夫?顔色が悪いわよ?」
「てっ・・・てめぇえええ!!!」
ギロリと真弓を睨んでくるが、真弓はちっとも怖がっていない。
「苦しそうね。楽にしてあげるわ」
そう言うと、真弓は瑛太の背中に膝を乗せて、そのまま体重をかけた。
「!?」
水を何度も繰り返し流しながら、一番深く水が溜まっているところに瑛太の顔を押し付け、ただ、待った。
鼻と口さえ塞いでしばらくすると、瑛太の力が弱まって行った。
そこで、真弓は瑛太の背中から下りた。
まだ意識が朦朧としている瑛太の身体を引きずって、洗濯機の前に連れてきた。
「汚れちゃったから、綺麗にしましょうね、僕ちゃん」
まだ中学一年生だった瑛太は、それほど身長もなかったため、普通の家庭よりは大きめのその洗濯機に、無理をすれば押し込めた。
横に置いてある洗剤や漂白剤をたっぷり入れると、扉を閉めて、スイッチを押した。
ごうんごうん、と歪な音を奏でて回りだした洗濯機。
「馬鹿ね。エビなんて入ってないわよ」
瑛太の両親は、夜11時頃に帰ってくると言っていたからと、真弓はその後も何回も洗濯機を回した。
8時半を回った頃、ようやく扉を開けると、そこには何か物体があった。
「・・・・・・」
真弓はそれを強引に取り出そうとしたが、どうにも出すことが出来なかったため、仕方なくそのままにしておいた。
そしてスーパーで買って来ておいたエビを、次々にその中へと入れて行く。
「まあ、こんなにいっぱいエビを食べられるなんて、贅沢ね」
エビに埋もれて行く瑛太を眺めた後、真弓は家を出て行った。
その後、星野家にはこんな電話がかかってきていた。
《瑛太?台風が来てるからって、飛行機飛ばないのよ。だから、帰るのは明日か明後日になるわ。ちゃんとご飯食べるのよ》
家に帰ると、真弓は夫に電話をかけていた。
「ねえ、私、イタリアで暮らしたいわ。あなただって、会社がイタリアに本社にあるから、良いんじゃない?」
《どうしたんだ?急に》
「悠太が、もういいよって、言ってる気がするの」
《悠太が?》
「ええ・・・」
ゆっくりと、写真立てに目をやると、そこにいる悠太を見て笑い返す。
「もう、いいんだよって、言ってるの」
台風の影響で、飛行機がしばらく飛ばなかったため、瑛太の両親が家に帰れたのは、4日経ってからだった。
最初は瑛太が学校に行っているだけだろうと思っていた両親は、特に気にも留めていなかった。
洗濯物も、台風で足止めされていたときに済ませてきてしまったのだから。
そして、学校からも瑛太が出席していないという連絡もなかった。
それはなぜかというと、瑛太はこうしてしょっちゅう学校を休んでいたのだ。
先生には自分で体調が悪いから、と連絡をしたり、面倒な時には適当な奴に言っておけ、というだけだった。
本来なら親に連絡を取るのだろうが、父親にしても母親にしても話が出来ない人物のため、連絡もしていなかった。
結局、瑛太が見つかったのは、両親が帰ってきてから更に2日後のことだった。
洗濯機の中で、目を見開いてこちらを見ている姿で発見された。
容疑者として真弓の名があがったのだが、真弓は夫が帰ってきてすぐにイタリアに出立する準備をしていたようで、もう日本にはいなかった。
アレルギーのエビが巻かれていたことで、瑛太の顔には赤い湿疹も出ていた。
しかし、この瑛太の死によって、これまでに瑛太がしてきたいじめも徐々にだが明らかになっていった。
もういじめられる心配は無くなったと、数人の生徒が発言をしたのだ。
その影響か、瑛太の父親も今の地位を落とされることになり、母親も退職した。
それからどうなったのかは知らないし、興味もない。
「お母さん、どうして狼は怖いの?」
「お母さん、狼なんていなくなればいいのにね」
なぜ、狼は子山羊を狙ってくることを知っていて、お母さん山羊は子供たちを置いて出かけてしまったのか。
なぜ、相手が狼だと知っていながら、店の主人たちは親切にもチョークを渡したり小麦粉をつけたのだろうか。
仕組まれていたことなのか、それとも本当にただ偶然に起こってしまったことなのか。
それを確かめる術など、ないのだ。
6匹目は、洗濯桶の中。
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