ハーメルンの笛吹き男と子供たち

maria159357

第1話傷と地平線





ハーメルンの笛吹き男と子供たち

傷と地平線


                     

 登場人物




                           ライア


                           その他の子供たち


































哲学の価値は哲学者の価値によって決まる。人間が偉大であればあるほど、その哲学も真実である。   カミュ「手帖」








































 第一消 【 傷と地平線 】


























 昔昔の出来事でございます。


 とある国で、大量のネズミが発生しておりました。


 国中で大問題となっていたネズミは、人々を困らせておりました。


 しかし、ある若者が、ネズミを退治すると名乗り出たそうです。


 ネズミを退治するかわりに、お金を渡すようにと、人々に条件を出したところ、人々はその条件を受け入れました。


 しばらくして、若者は笛を吹きながらやってきました。


 すると、どうでしょう。


 ネズミたちは、若者が奏でるその笛の音に誘われるように、若者の後をついていくではありませんか。


 そのままネズミたちは溝に自ら落ちて行き、みな、死滅したそうな。


 若者はお金を貰おうと、その国に戻りました。


 しかし、みなそんな約束はしていないと言い張り、若者を追い出しました。


 怒った若者は、それから少しして、夜中、再び現れました。


 そう。あの日のように、笛を奏でながら。


 すると、家家からは子供がやってきて、若者の後を、あの時のネズミのように着いていくではありませんか。


 洞窟の中へと子供と共に入って行った若者、そして子供たちは、一生、戻らなかったそうです。








 「おい、小僧。ちゃんと働け!」


 ピシッ、と強く鞭を打たれたのは、まだ齢十ほどの少年だ。


 今日は看守の男の機嫌が相当悪いのか、次々に鞭で打たれていく音が響く。


 「ライア、今のうちに飯食って、さっさと次の仕事に備えようぜ」


 「ああ、そうだな」


 可哀そうとは思うが、助けていては自分達までぶたれてしまうし、叩かれる度に助けに行っていたのでは、正直、キリがなかった。


 「そういや、この前奥の仕置き部屋に連れて行かれた爺さん、結局死んじまったみたいだな」


 「ああ。可哀そうにな」


 「奴隷になってから早三年。別に身内もみんな死んじまってるからいいんだけどよ、外の世界ってもんをもっと知りてぇよな」


 「外の世界、か」


 産まれてからすぐに売られたのか棄てられたのか、物ごころつく頃からずっと、どこかもわからない国のわからない場所で奴隷として働かされていた。


 与えられる食事はいつも一緒。一欠片のパンと、スープ。


 はっきりいって足りるものではないし、一時的に空腹を誤魔化すためだけのものだといってもいいだろう。


 朝な夕な働いて、寝られるのはほんのニ、三時間くらいだ。


 毎日これでは体力も参ってしまうのだが、一度でも根をあげればすぐに叩かれ、仕置き部屋と呼ばれる奥の地下室へと連れて行かれる。


 そこでは拷問のようなことをされるという。


 面倒事に巻き込まれたくないライアは、実際にそこに連れて行かれるようなことは一度もしたことがないが。








 そんな苦しい日々を過ごしていたある日、寝静まってから少し経ったとき、何か違和感を覚えた。


 もぞもぞと、看守に気付かれないように身体を捻りながら確認してみるが、何もいない。


 目を瞑っていれば気にならないだろうと思っていたライアだったが、次の瞬間、自分の布団に何かが潜ってくる気配を感じる。


 「!?」


 布団と自分の身体の隙間から覗いたのは、蛇だった。


 思わず起き上がったライアは、蛇との距離を取った。


 「蛇?なんで・・・・・・」


 1人1人の部屋には、看守との間にある鉄格子の扉ほか、鉄格子のついている小さな小窓が、高い位置にあるだけだ。


 そして小窓の外は一面崖になっているはずであった。


 目を丸くしているライアを見て、蛇はどこか嗤った気がした。


 さらには、小窓からこちら覗くようにして、月灯りに背を向けている真っ黒な烏が一羽、ライアと蛇を見つめていた。


 「やっと見つけましたよ。ハーメルン」


 「は、ハーメルン?何を言って・・・」


 急に蛇が声を発し、驚いたライアだったが、下手に大声は出せないと、ヒソヒソ声で蛇と会話を試みる。


 「貴方の名前は、ラグイヤ・ライア・ハーメルン。かつてハーメルンの村から子供を連れ去ったとされる笛吹き男の子孫です」


 「?何のことだ?連れ去った?」


 そして、烏まで口を開く。


 「早く渡せ。俺達の用はそれだけだ。余計なことをするな」


 「はいはい。そんなわけで、俺達はコレを渡しに来たんだ」


 そう言って、蛇は尻尾を使ってあるものをライアの足下に置いた。


 「?笛?」


 「ああ。それをどう使うかは、お前次第だ。そして、お前の未来も、お前次第だ」


 「いや、俺には何の事だかさっぱり・・・・・・」


 一旦笛に目をやり、すぐに蛇に視線を戻したが、すでに蛇も烏もそこにはいなかった。


 「ハーメルン・・・・・・」








 翌日、寝覚めの悪いライアは、ため息を吐きながら作業をしていた。


 夜に笛を吹くなと言われているのは、そのハーメルンという男のせいなのかもしれないと、ライアは特に意味のないことを考えていた。


 そして同じような日々を送っていた、そんなある日、ライアは夜中に笛を手にした。


 きっと吹いたら看守にぶたれるだろうとか、仕置き部屋で朝まで拷問されるのだろうとか、いつもの正常なライアなら思考を巡らせていただろう。


 しかし、栗色の髪の毛も、濃い青の綺麗な瞳も、今はライアのものではないように揺れ動いていた。


 ついに、ライアは笛に息を吹き込んだ。


 「!!!」


 初めて吹くはずの笛というもの、そして指など動かしたことがないはずの穴の位置まで、身体というよりも記憶が覚えているように、滑らかに動いた。


 「貴様!何をしている!!」


 数人の看守が、鉄格子越しにライアの前に来た。


 それでも、指も息も止めることが出来なかった。


 「貴様!!!聞いているのか!!!!」


 脳の指令など無視したままの指から出る音は、ライアの周りに幾つも並ぶ部屋という檻の中にいる奴隷仲間の耳にまで届く。


 一向に止める気配の無いライアに苛立ったのか、看守が腰にぶら下げてある多くの鍵の中から、ライアの檻の鍵を探していた。


 「うおーーーーーーーーーー!!!!」


 「出せーーーーーーーー!!!」


 急にガシャガシャと鉄格子を乱暴に動かし出した奴隷たちは、一人や二人どころではない。


 一斉に始まったその行動に、看守たちは集まったものの、奴隷たちの数と比べると少なかった。


 そして、力自慢の1人の奴隷が檻を壊して抜け出すと、看守たちを殴り始める。


 看守の腰から鍵を奪ったその奴隷が鍵を開けて行くと、次々に檻から出た奴隷たちは看守を殴り、蹴り、最後には殺してしまった。


 脱走していく奴隷たちは、なんともすがすがしい表情をしていた。


 笛がやっと口から離れ、檻から出られるようになったライアは、目の前で起こった悲惨な出来事に、思わず息を飲んだ。


 そして、梯子を上って上って行くと、今までいた場所とは全く異なる、地上へと出た。


 「ここが・・・・・・」


 ライアは、笛を手にしたまま、足を進めるのだった。








 「お父さん、痛いよぉ」


 「ごめんなさい、ごめんなさい」


 「お母さん、なんで助けてくれないの?」


 「僕がいけないの?ねえ、なんで?」


 九歳の男の子、ケビン。彼は、両親に愛されていなかった。


 今日もまた、身体に傷が増えた。


 ケビンは確かに両親の子供であったが、母親は酒に溺れ荒れ狂い、父親は女にギャンブルと遊び三昧だった。


 毎日子供だけが働かされる工場へと行き、せっせとそんな両親のために働いていた。


 賃金は大した金額ではなく、両親は毎日のようにケビンに手をあげていた。


 叔父も叔母もそのことを知ってはいたものの、両親の行動を止めることは出来ず、ケビンを助けることは叶わなかった。


 そんな両親を持ちながらも、文句ひとつ言わずに働いているのは、ケビンがこんな両親しか知らないからか、それとも別に理由か。


 「ほら、早く行って来てよ」


 「お前が働かなきゃ、誰が金を持ってくるんだ」


 「あんたなんて産まなきゃよかった」


 「ったく。ほんとに碌でもねえガキだ」


 悲しさなんて、持っていなかったのかもしれない。


 




 「なんだか静かな街だな」


 ライアがやってきた街は、どことなくカビ臭い匂いが充満していた。


 目にするのは、小さな子供たちが労働させられている姿ばかり。


 「!」


 ライアの方を、死人のような目で見てくる子供たちに、何も言えなかった。


 とある酒場を見つけ、ライアはカラン、と音を立てて入ってみた。


 「・・・・・・」


 そこには、子供とは真逆に、働かずに昼間から酒を飲んでいる大人の姿があった。


 空いているカウンター目指して歩いていくと、マスターらしき小さな子供に注文を聞かれ、「何かカクテルは作れるか」と聞いた。


 子供は「はい」と答えると、器用な手つきでカクテルを作り始めた。


 オレンジ色の綺麗なカクテルが出されると、ライアはそれを一口舐めるように飲み、口元を緩めた。


 「(しかし、これだけの大人が、自分の子供に養わされているのか)」


 情けない事実に、ライアはふう、と小さく息を吐いた。


 「御馳走様」


 コインを子供に差し出すと、そのコインを物欲しそうにみていたのは子供ではなく、酒に入り浸っている大人たちの方だった。


 少し歩くと、小さな男の子が痣を作って道端に座っていた。


 「?どうかしたのか?」


 「・・・・・・」


 男の子は、首を振った。


 「・・・・・・怪我をしてますね。ちょっとすみません」


 ライアは男の子の腕を掴み痣を見た後、それが何かによって叩かれたものだということが分かった。


 「俺はライア。君の名前は?」


 「・・・・・・ケビン」


 「そうか、ケビン。君の御両親は?怪我のこと、知ってるの?」


 「・・・・・・」


 何も言わないケビンに、ライアはなんとなくのことを察した。


 小さくため息を吐くと、ケビンを家まで送っていくことにしたが、ケビンは恐る恐るだ。


 ケビンの家と思われる場所まで着くと、ケビンは背伸びをしてドアを開けようとしたが、開けた瞬間、中に引っ張られた。


 そのまま父親に押し倒され、殴られた。


 その光景を目の当たりにしたライアは、思わず父親の腕を掴む。


 「!?ああん!?なんだ?てめえ!!」


 「・・・えっと、通りすがりの者ですが・・・」


 「てめえには関係ねえだろ!!!さっさと出て行け!!!」


 押し倒されているケビンは、なんとでもないように父親の拳に耐えているが、小さく震えているのが見える。


 「親子のことに首を突っ込む心算はありませんが、暴力となれば止めるしかないでしょう。そもそも、子供を働かせて親は家で飲んだくれとは、なんとも情けない話じゃありませんか」


 「なんだと!!!?」


 父親の怒りの矛先がライアに向かおうとしたとき、ケビンが急に謝りだした。


 「ごめんなさい!僕が悪いんです!」


 「!?」


 再び殴り出した父親は、もう片方の手でライアをつき飛ばした。


 バタン、と乱暴に閉められたドアの前で、ライアは拳を握りしめ、唇を噛みしめた。


 ―あんなに小さい子が、あんな無茶をして。


 物理的には簡単に壊せる壁なのだろうが、こうしてそっと掌を置いてみる目の前の木で出来たドアは、とてもじゃないが開けられそうにない。


 それは自分に力がないからかと、ライアは深く重くため息を吐いた。


 それからも毎日のように、ライアはケビンの様子を見ていた。


 日に日に弱っていくのが、感じたくなくてもわかってしまうのは、それほどまでにケビンが朝から晩まで働いていたからだろうか。


 大人たちが嗤いながら生きているのは、その笑みと引き換えに辛い想いをしている子供たちが大勢いるからだろう。


 仕事場でもぶたれ、けなされ、家に帰っても殴られ、怒鳴られ。


 他人だから感じる同情なのか、それはライア自身にもわからない。








 「(お父さん、今日は機嫌良かったな。でも、明日はまた怒るかな)」


 ケビンは、殴られた箇所を摩ることもなく、見慣れた古びた天井を眺めていた。


 毎日痛いことが大半だが、それでもケビンにとっては家族と暮らせているだけで幸せなことだと思っていた。


 へへ、と小さく笑って眠ろうとしたとき、部屋の中に何かの気配を感じた。


 父親は酒を飲んで隣の部屋で寝行ってしまっていたし、ドアの鍵も、壊れかかっているものの、ちゃんとかけておいたはずだ。


 こんな貧しい街に盗人でも来たのだろうかと、布団を頭から被っていたケビン。


 しかし、足下に何やらぬるっとしたものを感じた。


 「!?」


 思わず布団から起き上がり、布団を上げてみた。


 そこにいたのは、以前にも見たことのある、地を這う、足のない長い舌を持つ生物だった。


 どこから入ってきたのだろうと思っていると、その蛇は前半分を立たせ、ケビンを見つめた。


 ―君は今、幸せかね?


 「え?」


 急にどこからか聞こえてきた声に、ケビンはあたりを見渡す。


 ―ククク、私だよ。目の前にいるだろ?


 動物が話すとは思っていなかったケビンは、目をキラキラとさせながら、無意識に正座をしていた。


 ―日々父親の為に働いてるなんて、君は素晴らしい。


 「みんな、してるよ」


 ―いやいや、それでもすごいことだよ。


 物音立てること無く、蛇は徐々にケビンに近づいていく。


 足を伝い、腕を伝い、ついにはケビンの首筋に緩く巻きつくと、まるで耳元で囁くかのようにこう言った。


 ―君に、コレをあげよう。


 「?なあに?これ」


 いつからそこにあったのだろうか。ケビンの足下には、小さな小瓶が一つ、置いてあった。


 部屋が暗いせいもあって、その小瓶に入っている液体のようなものが何色なのかはわからないが、月灯りに照らすと綺麗に感じた。


 「すごく綺麗だね!」


 何も知らない純真無垢なその笑みさえも。


 「これ、美味しいのかな?お薬?」


 好奇心さえも逆手にとって。


 「僕だけにくれるの?」


 優しさも純真さも、全てを利用して。


 ―それは、とってもとっても美味しいお薬だよ。君のお父さんに飲ませてあげるといい。


 「お父さんに?」


 ―お父さんが大好きなお酒に入れてあげなさいな。そうすれば、きっと君にとって良い事が起こるよ。


 「本当!?ありがとう!!」


 クスクスと笑いながら、蛇はケビンの身体から離れて行った。


 「もう帰っちゃうの?」


 ―ああ。見つかると厄介な人間がいるんだ。


 「?」


 身体を器用に動かしながら、その蛇はすうっと消えて行った。








 翌日、ケビンは夜の出来事を決して人に言う事もなく、蛇から貰った小瓶を大事に大事にベッドの枕元に隠しておいた。


 いつものように、仕事中に殴られても、蹴られても、ケビンはニコニコと仕事をするしかないのだ。


 家に帰ってからも、父親に同じようにされる。


 ただいつもと違ったことと言えば、父親が、酒が足りないから買って来いと言われて買ってきたお酒に、小瓶に入っていた液体を全て、入れておいたことくらいだろうか。


 自分で稼いできた少々の金と、隠しておいた小瓶を持って酒を買いに行った。


 家に帰ると父親が眠っていたため、小瓶の液体をコップに注ぎ、そこにお酒も丁寧に注いでおいた。


 きっと、父親が美味しいと喜んでくれると思って。


 「お父さん、お酒買ってきたよ」


 起きて早々、部屋の端へと払われたが、眼前の酒の入ったコップに口をつける父親。


 ぐいっと一気に飲みほすと、もう一杯飲もうとケビンが買ってきた酒瓶を持ちあげた。


 「・・・!?ぐうっ!!!」


 「?お父さん?」


 「けび・・・!!!おまえ!!!!!」


 「?????」


 父親に殺されると思ったのは初めてではないが、今日の父親は単なる苛立ちだけを持っているのではなかった。


 殺意、それを確かに感じた。


 ケビンは怖くなったが、父親が苦しんでいるのかそれともあまりに美味しいのか、その判断さえつかないほど、ケビンはただ見入っていた。


 しばらくすると、父親は動かなくなった。


 「?おと、さん?」


 揺すってみるが、返事はない。


 寝てしまったのかと、ケビンは父親にタオルをかけ、自分も寝る準備をした。


 父親が死んだと知ったのは、それから数日経ったころだ。


 毎日父親が昼間に行っているという酒場の亭主が、近頃全く見ないと心配して来たときに、父親の遺体を見つけたようだ。


 この街の医療はほとんど進んでいないため、どうして死んだのかさえわからなかった。


 「ケビンには気の毒だが、君のお父さんはもう帰って来ないんだよ」


 「?どうして?」


 ケビンを可哀そう、不憫だと思っている大人もいたが、自分の明日さえ保障できない状況で、他人の子供の面倒などみれるはずはなかった。


 大人たちは、ケビンを奴隷として売ることにした。


 「あれ?」


 自分の資金もないことに気付いたライアは、しばらくこの街から離れて出稼ぎをしていた。


 すると、そこにあったはずのケビンの家は売りに出されており、ケビンも仕事場にもケビンはいなかった。


 「すみません」


 「はい?」


 「確か、ここにケビンという男の子が住んでいたはずですよね?」


 「ああ、あの子かい」


 通りがかった老人に声をかけると、ケビンの父親が死んだこと、そしてケビンは奴隷として別の街に売られたことを知った。


 ライアは急いでその街へと向かった。








 その頃、ケビンは変わらず働いていた。


 鞭で打たれる事もあったし、それによって皮が剥がれてしまうこともあったが、寝るところもあるし、同じ境遇の者がいるだけで、安心出来た。


 泣けばぶたれ、倒れてもぶたれ、小さな身体が悲鳴をあげても、ここでは助けてくれる人もいない。


 ましてや、労働時間が決まっているわけではないため、食は一日で一回取れれば良い方。


 あとはずっと働くだけだった。


 「おい新入り、ちょっと来い」


 そして、決まって、一日の最後には良くわからないが、大人に囲まれて身体を触られる。


 何が楽しいのか、ケビンにはちっともわからないが、それを拒否せずにいれば、大人は嗤うのだ。


 それが自分のいる理由なのだと、ケビンは自分に言い聞かせていた。


 寝て、起きて、働いて、遊ばれて、また寝て、それの繰り返し。


 奴隷としてここに来てから数週間くらい経ったころだろうか、ケビンは大人に遊ばれてから寝床に帰るまでの途中、少し寄り道をした。


 足元にある鉄格子の先には月が映る池があり、鉄格子の隙間を通ってくる灯りに水面が揺れているのがわかる。


 すぐに戻らないとまた殴られるため、ケビンはささっと帰ろうとした。


 ―また、会ったね。


 「?」


 後ろを振り向くと、見覚えのある、ハ虫類。


 ―まさか、こんなところで会うなんてね。


 「あの時の」


 ―そんなに暗い顔をして、どうしたんだい?


 ケビンは床にお尻をつけて座ると、唇を尖らせた。


 「僕のお父さん、死んじゃったんだ。お薬入れたのに。お薬が悪かったのかな?」


 ―いいや、違うよ。きっと、あの薬でも間にあわなかったんだ。お酒っていうのは、とても怖いんだよ。


 「うん。そうだね。お父さん、お酒を飲むとすぐに僕を殴るんだ」


 ―今、君は幸せかい?


 蛇の問いかけに、ケビンは首を動かさなかった。


 「わかんない。でも、痛いのは嫌だし、怖いのも嫌だ。寂しいのも苦しいのも嫌だ」


 眉を下げて話すケビンを見て、蛇はゆっくりと近づいた。


 ―そんなに生きることが辛いと感じるなら、コレを飲むといい。


 「?これは?」


 ―君のお父さんが飲んだものと同じものだよ。これはね、“毒”っていうお薬だよ。


 「どく?」


 またもや小瓶に入った液体をケビンに渡すと、蛇はケビンの身体に巻きついてきて、早くそれを飲めと言わんばかりに急かす。


 迷っているケビンと目線を合わせるように顔を持っていくと、ソノ眼で、ケビンをずっと見つめた。


 ―楽になれるよ。すーぐ、お父さんに会えるよ。


 誘惑とは言えない、耳障りな毒薬。


 「お父さん」


 小瓶の蓋をとり、ケビンは自分の唇へとソレを近づけて行った。


 しかし、それは叶わなかった。


 ガシャンっ・・・!!!


 音を立てて割れた小瓶。それから逃れるようにケビンから離れた蛇。


 そして、笛を片手に現れた、ライア。


 「あ・・・・・・」


 ライアを見て、ケビンは目を丸くした。


 「お前、あの時の蛇か?」


 まさかとは思ったライアだったが、自分に笛を渡し、吹くようにと唆したのは確かにこの蛇だろう。


 確証はなかったが、なんとなく、そう感じた。


 舌を出しながら、蛇はじいっとライアを見つめていた。


 「ケビン、大丈夫か?」


 「うん」


 ―理不尽な世界から脱却させてやろうと思っていたのに、なぜ邪魔をする。


 以前は普通に話していたと思うが、なぜか今はそれとは違った。


 今にもライアに噛みつきそうな体勢をとっている蛇だが、ライアは睨みつけたまま。


 ―貴様にはいずれ分かるだろう。生とはいかに愚かなことか。


 「お前が何者かは知らないが、騙して人の命を奪うことの方が愚かじゃないのか」


 何のことを言っているか分からないケビンは、ただライアの後ろに隠れてじっとしているしかなかった。


 ―貴様も俺と同じだ。


 またいつの間にか消えて行った蛇を確認すると、ライアはケビンの手を取った。


 「ここから逃げて、新しい道を歩む勇気はあるか?」


 「?逃げる?」


 「そうだ」


 「・・・・・・逃げられるの?」


 ケビンがライアのそう聞くと、ライアはにっこりとほほ笑んだ。


 そして手に持っていた笛を吹き始めると、その小さな笛から出ているとは思えないほどの大きな音色が響き渡った。


 ケビンは他の人達が心配になって様子を見に行くと、いつも自分達に労働を強いている大人は寝てしまっていて、寝床の鍵は開いていた。


 カラン、とした空間だけを残し、みんな逃げていたのだ。


 「ほら、ケビンももう自由だ。自分の街に戻るなり、他の街に行くなり、好きにするといい」


 「・・・ありがとう!」


 ライアは奴隷全員が逃げ出したあとも、数時間にわたり笛を吹き続けた。


 「何か用か」


 ―これは恐れ入ったな。気付いていたのか。


 「どうしてケビンを・・・・・・」


 ―心は清い者ほど、利用しやすいということだ。それよりも、貴様こそ酷だと思うがな。


 「俺が?」


 ところどころにしかない雲に並ぶ、大きな月。


 ―身寄りも知りあいもいない、そんな連中を逃がして。これから先、あの連中が生きていける保障はないというのに。


 親を亡くした子、金の為に売られた女、産まれたときから奴隷の世界しかしらない男。


 家も食い物もなにも手にないまま、彼らは自由に羽ばたいていった。


 それを自由だと言って自己満足に終わってしまっているのだから、身勝手な行為だったのかもしれない。


 「確かに、そうかもしれない」


 否定はできなかった。


 「それでも」


 それでも。


 「彼らは」


 人生は。


 「生きて行くしかない」


 生きるが勝ちだ。


 ―残された道が生きることとは、なんとも哀れだ。


 そう言い残し、気配は消えた。








 ある旅人が見た光景がある。


 それは、地平線を歩く人々の姿。


 子供、大人、老人、動物。


 まるでみんな何かに喜び踊るかのようだった。


 沈んで行く夕陽を背に、彼らは歩いていった。


 彼らはどこへ行くのだろうか。


 彼らを先導するのは誰だろうか。







  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る