第4話決別と笑顔






死者請負人

決別と笑顔



 剣で殴りつけるよりも、笑顔でおびやかすがよい。


      ウィリアム・シェイクスピア




































 第四幕【決別と笑顔】




























 「ごほっ!!ごほっ!!」


 「大丈夫ですか?先生呼びますね」


 「だ、大丈夫です・・・」


 女性は、最近この病院に入院してきた。


 というのも、女性は妊婦として病院に通っていたのだが、難産になり、結果として子供は無事に産むことが出来たのだが、出産してすぐ、女性の身体に異変が起こった。


 本当であれば、母子ともに危険な状態だったのだが、なんとか2人して生きることが出来た。


 しかし、女性はこうして入院することとなってしまった。


 まだ生まれて間もない子供に自分のおっぱいをあげるため、一日一回連れてきてもらうか、もしくは、寝た状態で看護士さんに絞ってもらい、それを飲ませている状態だ。


 本当なら、この手で我が子を抱きながら、あげているというのに・・・。


 「面会ですよ」


 「ままー!!」


 誰かと確認する前に、分かってしまった。


 それは、3年前に元気に生まれてくれた可愛い子供の声が聞こえてきたからだ。


 「千尋、来てくれたの?」


 「大丈夫か?」


 「大丈夫よ。まあ、今日も可愛いわね」


 「ああ、うちの子が1番可愛いよ」


 「ふふ」


 今日は夫が休みのため、夫が子供2人を連れてきたくれたようだ。


 女性の夫は仕事があるため、いつもは近くに住んでいる女性の両親が面倒を見てくれている。


 夫の両親も良い人たちで、わざわざ遠方から様子を見に来てくれることがある。


 嫁姑問題がなくて、本当に助かっている。


 しかし、そうとは言ってもやはり気を使ってしまうため、お願いをするのは女性の両親の方が多いだろう。


 いつもはその両親が連れてきておっぱいを飲ませているのだが、週に2度は、こうして夫が来てくれるため、この時間だけが、家族団欒となる。


 自分がお腹を痛めて産んだ子供を手に抱き、おっぱいを飲ませながら、なんて可愛いんだろうと思っていると、先に産まれた長男が、妹に興味を持ったのか、じーっと見ていた。


 「可愛いでしょ?」


 女性の問いかけに、長男ははにかみながらも頷いた。


 「まま、みてみて!!」


 「ん?なあに?」


 長男が夫に何かを渡せと催促すれば、女性の着替えなどを詰めて持ってきた鞄の中から、細長く丸められた紙を渡された。


 おっぱいを飲み終えた妹をトントンと叩きながら、器用に受け取る。


 ご丁寧に赤いリボンで結ばれているそれを広げれば、そこには、長男が描いた女性の絵が描かれていた。


 「あら、上手。これ、ママ描いてくれたの?」


 すると、また照れたように頷いた。


 「ありがとう。とっても嬉しい」


 長男は、夜泣きが酷かった。


 夜中に何度も何度も起きてはミルクをあげて、それでも泣き止まずに、大変だった思い出がある。


 夫も仕事で大変だろうに、一緒に起きて寝かしつけてくれた。


 こうして笑顔を見たり、寝顔をみるだけで、そんな大変だったことも良い思い出になってしまうのだから、子供の力というのはすごいものだ。


 「千尋、もう帰るぞ」


 夫が長男にそう言うと、長男は急に女性の手を掴み、夫の方を見ながら泣きだしてしまった。


 「ままぁ!!」


 「千尋、ママはこれから身体の中を調べなくちゃいけないんだ」


 「まま・・・ままぁ・・・」


 いつもなら、寂しそうにしながらも、こっちを向いて小さく手を振ってくれていたのに。


 そんな長男を説得出来ずに夫が困っていると、女性が長男を呼んで、ぎゅっと抱きしめた。


 「千尋、ママも寂しい。すっごく寂しい。でもね、ママ、早く千尋たちと一緒にお家に帰りたいの。そのために、お医者さんから大事なお話聞かなきゃいけないの」


 「やだぁ」


 「千尋、お兄ちゃんになったじゃない?ほら、見て?」


 そう言って、おっぱいを飲んで満足した妹がすやすやと、夫の腕の中で寝ていた。


 「美空を守ってあげて?ママがいない間、千尋がママの代わりになって、パパのお手伝いもしてくれたら、ママとっても嬉しい」


 「・・・・・・」


 顔をぐしゃぐしゃに、涙も鼻水を沢山ながしたまま、長男はじっと女性を見つめる。


 そんな顔をされてしまうと、なんとも言えず心苦しいのだが、女性は長男の頭を撫でながら静かに話していた。


 女性がティッシュを数枚とって、長男の顔から出ているもの全てを拭きとると、長男は納得したのか諦めたのか、夫の手を握る。


 そして、また今にも泣き出しそうなその顔を向けながら、手を振ってきた。


 「まま、がんばってね」


 「うん!がんばるね」








 検査が終了し、先生から話しを聞いて、病室に戻る。


 女性の顔には、落胆が映る。


 両手で顔を覆いながら、声を押し殺すように泣いていると、コンコン、とノックをする音が聞こえてきた。


 看護士や先生であれば、失礼しますと言って入ってくるのに、入ってくる気配がなかったため、「どうぞ」と言った。


 「失礼します」


 そこから顔を覗かせたのは、黒の短髪の上下黒のスーツを着た、なんとも爽やかな感じの青年だった。


 一体誰だろうと思っていると、す、と名刺を差し出してきた。


 「私、氏海音、と申します。よろしければ、少しお話を聞いていただけないかと思いまして」


 「話?いいですけど・・・」


 変わった名字だな、と思ったが、氏海音が悪い人には見えなかったため、椅子に座ってもらう。


 氏海音はお見舞いにと言って、子供が好きそうなお菓子を持ってきてくれた。


 「すみません。ありがとうございます」


 「いえ、先程お子さんが出て行くところを見まして。可愛いお子さんですね」


 「ありがとうございます。親ばかでしょうけど、可愛くて仕方ありません」


 「そうでしょうね。親とはそういうものです」


 少し世間話をしたあと、そういえば何の用だったのかと聞くと、氏海音は忘れていたのか、「ああ」と言って鞄の中から紙を取り出した。


 「これは?」


 「私、死者請負人、という仕事をさせていただいておりまして、そちらの契約書になります」


 「死者、請負人・・・?そんなお仕事あるんですね」


 「ええ、まあ。仕事内容としましては、それほど複雑なものではありません。どちらかというと単純明快なものでして」


 氏海音の話によると、その“死者請負人”という仕事は、生前にお願いしたことを、亡くなってから確実にしてくれることらしい。


 独り暮らしの人に多いのはやはり、部屋の片づけのようだ。


 「お願いって、なんでもいいんですか?」


 「ええ。お願いと言うよりも、約束ですので。他の方に口外しないことは勿論、その約束は必ず、何があっても、遂行させていただきます」


 「亡くなってからの、こと・・・」


 「今すぐに決めてほしいわけではありません。悪徳商法ではないので。じっくりと考えてから連絡いただければ、またすぐに契約を交わしに参りますので」


 ふと、女性は首を動かした。


 先程、長男が渡してくれた絵を手に取ると、それを広げてじっと見つめる。


 そこには女性以外にも、夫と長男、そして、生まれてきたばかりの妹も描かれていた。


 「お子さんが描かれたものですか?」


 ふいに聞かれ、女性は頷かずに返事をした。


 「ええ。そう。もうこんな絵が描けるようになったのね・・・。本当に、子供の成長は早くて、1日1日が大切に思うの」


 「目を開けたかと思えば寝返りを打てるようになって、立てるようになって、歩けるようになって、話せるようになって・・・。あっという間ですからね」


 「それを今この目で見られないなんて。いつの間にかきっと、大人になってしまうのに」


 小さい頃のことなんて、覚えていないだろうけど、それでも、ずっと一緒にいてあげたいと思うのは、親の我儘だろうか。


 初めて笑ってくれたことも、初めてお手伝いしてくれたことも、全ての初めてをこの目に焼き付けておきたいなんて。


 「・・・私、さっき先生に言われたんです。もう、長くないって・・・」


 視線を紙から窓の外に向けると、少し寒そうな風が吹いている。


 「美空を身ごもったときから、体調はあまり良くなかったけど、なんとか持ちこたえて、出産になって、でも、どちらかが死ぬことも有り得るって言われて、私のことは良いから子供を取りあげてくれって頼んで・・・。無事に生まれてきてくれて、私もなんとか生き伸びて、これからきっと楽しいことが沢山待ってるんだろうって思ったのに、なのに、こんな・・・」


 余命宣告をされた時、自分が死ぬことの恐ろしさを感じた。


 子供が2人いて、1人はまだ小さくて、甘えん坊で泣き虫で、ちょっと洗濯をしに行くだけで泣くほど寂しがりで。


 もう1人はまだ乳飲み子で、ずっと一緒にいてくれた夫もいて、いつも自分のことを心配してくれた両親がいて・・・。


 迷う理由など、何も無かった。








 「では、この契約内容で、ご希望通り遂行させていただきます」


 「よろしくお願いします」


 頭を下げて病室を出て行った氏海音という男を信じて、女性はまたひっそりと泣いた。


 その日のうちに、夫には連絡を入れ、両親にもちゃんと話しをした。


 本当は言わずにいようと思ったのだが、治ると信じてくれている家族に嘘を吐くことも出来ず、残された時間を有意義に過ごすため、打ち明けることにした。


 それからわずか1年も経たずに、女性がいた病室は空になっていた。


 葬儀は身内のみで行われる事になり、まだ“死”のことを分からない長男は、どうして大人たちが揃いも揃って泣いているのかと、夫に聞いていた。


 離乳食になっていた妹は、母親とは別の温もりを感じながら、育つのだった。








 女性が亡くなってから6年ほど経ったとき、見知らぬ男が家にやってきた。


 長男はすでに9歳になっており、妹も6歳で小学校に入学していた。


 その日は祝日で夫も休みだったため、チャイムがなった玄関に向かうと、黒の短髪に上下黒のスーツを着た、セールスマンにも見える青年が立っていた。


 ドアを開けてみると、丁寧にお辞儀をする。


 「初めまして。私、氏海音と申します。実は生前、宮崎里美様より、依頼されたことがありますので、中に失礼してもよろしいですか?」


 「里美に・・・?ええ、どうぞ」


 不思議な青年だとは思ったが、その氏海音という男を中に入れると、長男と娘も首を傾げて男を見ていた。


 中に入ると、女性の仏壇に向かい、白い手袋をつけてから線香をあげる。


 両手を合わせて合掌をすると、夫と長男、そして妹がいつものんびりしているリビングに腰を下ろす。


 「この度は、心より、ご冥福をお祈り申し上げます」


 「わざわざ、ありがとうございます」


 「早速ですが、宮崎里美様より、預かっているものがございますので、こちらをお渡ししておきます」


 「預かってる?」


 そう言いながら、氏海音は薄い白い封筒と、同じく薄い茶色の封筒を出した。


 「これは?」


 「失礼ですが、デッキはおありですか?」


 氏海音に言われるがまま、デッキを指さすと、氏海音は一旦茶色い封筒を持って椅子から立ち上がり、デッキに挿入した。


 そして再生をするように促すと、再び椅子に戻った。


 そこに映しだされたものは、女性の、生前の姿だった。


 『千尋、美空、ママです。元気?』


 「ママだ・・・」


 『ママは、あとちょっとしか生きられません。千尋も美空も、ママのこと忘れちゃうかもしれないし、覚えてないかもしれないけどね』


 「里美・・・」


 夫も椅子から移動し、テレビの画面にくぎ付けになる。


 『ママは、千尋のことも、美空のことも、それからパパのことも、ずっとずっと、大好きです。ほらみて、千尋がママに持ってきてくれた絵だよ。覚えてる?ふふ、これを見てくれてる頃には、もっと上手に描けるようになってるのかな?どうだろうね?好きなスポーツは何かな?千尋のことだから、パパの真似してバスケットかもしれないね。でも、ママだってバレー部で頑張ってたんだからね。あんまり強くはなかったけど。美空は、もう6歳か・・・。ママと一緒にいられたのは、ほんのちょっとだもんね。きっとママの顔なんて、知らないよね。美空はきっと、とっても可愛い女の子になってると思うの。これは、ママの希望でもあるんだけど。好き嫌いしてない?友達は出来た?パパとも仲良くしてあげてね。それからパパ、ずっと私を支えてくれて、本当にありがとう。私がこうして幸せだったのも、あなたのお陰です。あなたに出会って、2人の可愛い子供も出来て、これからもっと幸せにってときに、ごめんね?お父さんやお母さんにも、とんだ親不幸しちゃったよね。ずび・・・。千尋と美空の大きくなった姿を、この目で見られないことだけが、心残りです。成人するまで、結婚するまで、ずっとずっと、傍にいてあげたかった。守ってあげたかった。一緒に泣いて、笑って、生きていたかった。ぎゅうって、抱きしめていたかった。でもそれが出来ないから、ママは、お空から、2人のことを、みんなのことを、見守ることにしました。千尋、美空、あなた、本当に、ありがとう。どうか、幸せになってください。いっぱい喧嘩して、いっぱい仲直りしてね。忘れないで。ママは、いつも味方だからね。ありがとう』


 そこで映像が止まってしまう。


 長男も妹も夫も、泣いていた。


 氏海音だけは白い封筒から手紙を取り出すと、そこに書かれている文章を読む。


 「宮崎里美様は、美空様が6歳になれば、自分のことが認識出来るだろうというご判断で、本日、失礼させていただきました。それからこれは追伸なのですが、新しい母親を作ることもまた、貴方方の幸せになるならと、仰っておりました」


 「里美・・・!!」


 氏海音は手紙を再び畳んで封筒に入れると、椅子から立ち上がって玄関に足を向ける。


 「素敵なことですね。死んでもなお、自分のことを大切に想ってくれる人がいるということは」


 静かに閉められたドアの向こう側でそれから何があるのか、それは氏海音にも分からない。


 手袋を外しながら、氏海音はいつもの笑顔でただ歩き続ける。


 何処へ向かって進むのか、それは、氏海音だけが決めること。






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