第203話 クロの意思
いぶたちの私室へと入ったクロは、立ち止まると辺りを見回す。室内は綺麗に整頓され、どこか暖かみの感じられる雰囲気だった。
個々の家具はどれもがモンスターの素材で作られ、武骨なものも多い。それなのに、殺伐とした感じになっていないのは、部屋の主たる、いぶのセンスなのだろう。
クロコの映像記録でしか知らなかった、いぶのそんな別の一面を、クロはしっかりと意識にとどめる。手強い相手として。
部屋の中央には、机が置かれ、その下には何かの巨大なモンスターの鞣された毛皮のラグが敷かれている。
クロは迷うことなく進むと、その上座に座る。
「何か飲まれますか」
「いえ……やはり頂きます」
一度、断りかけてクロはその自分の言葉を否定する。
クロコの記録映像の中でユウトが美味しそうにハラドバスチャンのものを飲み食いしていたからだ。純粋な興味というよりは、ユウトを喜ばせられるレベルの飲食物として、どれ程のものが必要なのか知りたいという、私欲だった。
「どうぞ」
「ありがとうございます。この器は?」
「はい。地龍のアギトから削りだした物です。お飲み物は、爆裂麦のお茶となります」
一度部屋を離れ、すぐに戻ってきたいぶは、お盆の上にいくつかの容器を乗せて持っていた。
その容器に注いだお茶をそっと差し出しながらクロの質問に答える。
「──素朴ながらも力強い味に、独特の旨味が足されていますね。なるほど。確かにこれは地上では味わえないものです」
「おそれいきます。偉大なるお方も、時たま御顕現なさっては、ハラドバスチャンのものを口になさっていると報告を受けています」
そっと器を机に置くと、クロはいぶを見つめながら本題を切り出す。
「今回、私がここへとお邪魔させていただいたのも、当然ユウト様の件となります」
無言で続きを待つ、いぶ。
「端的に言って、進化律を滅したことにより、今のままですとユウト様がダンジョン&キングダムで遊べない状態です」
クロは経緯を省いて結論だけを告げる。クロコが進化律の力を利用して接続していたユウトの部屋のゲーム機と大穴の接続。
クロはクロコの力を回収するも進化律自体はユウトが圧殺したことで、クロでは同じようにゲーム機と大穴を繋ぐことが出来ないでいた。
どうやら進化律の力を、ユウトは無意識的に掌握しないように、どこかに保留しているとクロは予想していた。
「遊び……やはり偉大なるお方にとっては、この全ては遊びなのですね」
「気分を害しましたか」
「いえ。偉大なるお方への畏敬は増すばかりです。いぶちゃん達の生死が、偉大なるお方の享楽の一助になることに感謝を」
静かな瞳で淡々と告げるいぶに、クロも頷き返す。
「偉大なるお方の享楽の再開ために、クロ様はいらしたのですね」
「そうです。理由は言えませんがそのためにオボロが必要となります」
ユウトのストレスの受け皿として発生した別人格が、受肉した存在であるオボロ。闘争を宿命づけられた彼女は、ある意味ではユウトの負の部分の代理人であった。
そしてクロは、ユウトが無意識に保留していると見ている進化律の神たる力の保留先が、オボロだろうと確信していた。
「なるほど。しかし、残念なことにまだ大穴の深部は未踏破です。オボロ様がどちらにいてどのような状態かも、わかりません」
「状態は、問いません」
冷静に告げるクロ。
しかし、その脳裏を、ちらりと緑川の顔がよぎる。オボロを愛してしまった緑川のことを。
人となったことで余計なノイズが増えましたと、クロは内心ため息を押さえ込む。
「お話はわかりました。偉大なるお方からの援助が頂けないこと。そしてその現状では、時間が過ぎるほどに、じり貧となる。故に、速やかな大穴の踏破が必要となるのですね」
「そうです」
「──では、総力をもって、あたりたいと思います」
重々しく頷くいぶ。
そして、二人はゆっくりと握手を交わす。
こうして、ハラドバスチャンの最後の戦いとなる、総力戦が始まることとなった。
部屋を出たいぶは、すぐさま号令を発し始める。一気にあわただしくなる、ハラドバスチャン。
いぶの協力を取り付けたクロは、その様子を冷静に見つめていた。
しかしその脳裏には、今だ胸に秘めたままの心配が渦巻いていた。
オボロの確保が間に合わなかった場合に起こりうる、可能性。そのどれもが、惨劇の序章となりうるとクロは予想していたのだった。
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