第72話 見守るもの

 俺は慎重にペダルを漕ぎ出す。


 ──さっきも思ったけど、早川、軽いな。これならいつもと変わらないぐらいだ。


「あっ、ユウト。うしろ、みないでね……」

「うん? なんか言ったか?」


 ごそごそと背後で早川が少し動いている気配。

 シェアサイクルの自転車には荷台がないので、後輪のホイールの軸の左右に足を掛けて早川は乗っているはずだ。

 何か不具合があったかと、俺は自転車をとめて確認しようとしたところで、また早川から声がかかる。


「っ! いいからっ。そのまま進んで! 後ろの警戒は私がするから。ユウトはしっかり前、見ててっ! いい、後ろは大丈夫だからっ」

「……わかったよ。で、もう少ししっかり掴まれるか? 速度、もう少し出した方がいいよな」

「ちょ、ちょっと待って────そう、ね。もう少し速い方がいいかも……」


 そう言うと、両肩に置かれた早川の手の力がぎゅっと強くなる。

 そして背中から後頭部にかけて感じられる温かさ。しかしそれ以上に早川は今のこの状況に、強い不安を感じているのだろうことがわかる。伝わってくる鼓動と呼吸から。


「じゃあ少し、速度あげるぞ」

「ぅん」


 俺はゆっくり漕ぐ速度をあげる。とはいえ周囲の暗さと、慣れない二人乗りだ。ほどほどといった速度。


 ──それに先は長いからな。無理してバテたらそれはそれでまずいしな。


 吹き付ける風が火照った頬を冷やしてくれる。


「ゆ、ユウト?」

「うん、どうした」


 なぜかそこで早川が急に笑い出す。

 その早川の笑い声が、声として上から降り注ぎ、さらに振動として俺の全身に伝わってくる。


「何でもない!」


 ちょっと早川が楽しそうだ。

 ほっとして、俺は自転車を漕ぎ続けた。


 ◆◇


「スマホは見れる? 道を調べてくれるか」

「大丈夫! でもあんまり揺らさないでね」


 だいぶ二人乗りに慣れてきた頃合いで分かれ道だ。道の両脇は雑木林が続いている。早川が片手を俺の肩から離すとスマホを取り出す。


「まっすぐだとかなり遠回りになるみたい……ここは左にいこう」

「オッケー」


 俺は速度を維持したまま、分かれ道を曲がる。


「ユウト、やっぱり電車が止まってる。しかも……」


 言い淀む早川。

 俺はちらりと後ろを振り向きながらたずねる。


「どうした?」

「ユウトは前、見てて。SNSだから正確な情報じゃないけど、私たちが帰りに使うはずだった路線の電車、襲撃にあってる」

「それは、想定よりモンスターの足が速いってことか?」

「そうみたい。でも、モンスターのタイプはネットの情報じゃわからない。各地で混乱が起きてて情報が錯綜してる」

「早川の読み通り、電車に乗らなくて良かったよ。ありがとう」

「うん」


 俺はじっと前方を見つめてたずねる。


「もう少し速度を出した方がいいか?」

「位置的には、この道は黄38ダンジョンからみて線路より離れて位置を通ってはいる。それに襲われている車両の正確な場所も、襲っているのが黄38のスタンピードかも不明なんだ」


 俺が早川に答えようとしたときだった。

 急に左側の雑木林が騒がしくなったかと思うと何かが飛び出してくる。

 暗くてよく見えない。


 俺は時間の流れが急に遅くなった気がした。

 飛び出してきたのは獣のような何かだ。


 ──なんだ、タヌキかっ!?


 間の悪いことに自転車に直撃するコース。

 俺はそれが何か確認する間もなく、とっさにペダルにおいていた左足を離すと、反射的に前蹴りのように伸ばす。


 偶然、左足が飛び出して何かへクリーンヒットすると、その何かが弾きとんでいく。

 綿でも蹴ったかのような軽い手応え。


 時間の流れが戻る。


「わっ」「きゃっ」


 反動で揺れる自転車。俺は急停車する。


「な、なに? ユウト」

「いや、何か飛び出してきて。ちょっと確認する」

「す、少しだけまって。そのままね、ユウトは!」


 しがみついていた温かさが消えると、背後で衣擦れの音。


「もういいよ」

「おう」


 暗くてよく見えないが浴衣が少し乱れている。俺は意識してそちらは見ないようにしながら自転車から降りると先ほどの現場へ慎重に近づいていく。


「ここら辺のはずだが。なにもないな」


 背後に早川もついてきたようだ。


「どう、ユウト」

「確かに何かが飛び出してきて足に当たった気がしたんだが」

「っ、怪我したの? どっちの足?」


 しゃがんで俺の足をぺたぺたと確認し始める早川。俺はあわてて早川のうなじに向かって告げる。


「左。あ、でも綿でも当たったかのような感じで全然痛くないから。大丈夫」

「確かに怪我はしてないみたい」

「ああ。暗いし確認はこれぐらいにして、先に進もう」


 そう告げると俺たちは再び自転車に乗って先へと進んでいった。



 しばしのち。

 ユウトが黄38のスタンピードの主を蹴り殺した現場に上空から降下してくる影があった。


 クロだ。

 お出掛け用の夜空色のホログラムをまとっている。


 ユウトと早川が見落としていた道の隅に落ちていた魔素結晶体を回収すると、クロは再び夜空へと同化していった。

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