真夜中のサーカス団~不幸な貴方へ~

maria159357

第一show[思いこむ不幸にひとときの幸せを】






真夜中のサーカス団~不幸な貴方へ~

 第一show 【 思いこむ不幸にひとときの幸せを 】


―真夜中のサーカス団~不幸な貴方へ~―




                              登場人物




                                  蒔瀬 貴人  学生


                                  永峯 翔子  会社員


                                  猪原 拓巳  小学生


                                  川凪 琢史  会社員


                                  紗矢 禾那  小学生


                                  哀碕 すみれ  学生


                                  ジャック (団長・全体責任担当者)


                                  ジョーカー










私の疲れた心よ。生きるということはなんと困難なことだろうか。 


  アミエル




 第一show 【 思いこむ不幸にひとときの幸せを 】








  「あーあ。俺ってまじで不幸。」


  「また言ってんのかよ、貴人。」


  「あいつありえねぇだろ!普通、あそこまで言うか!?ムカつくんだよ!」


  友人と二人、学校帰りに軽食を食べながら話をしている“貴人”と呼ばれた男。


  寝癖のついた茶髪を直して、目薬を指しているパーカーを着た男は、天井を見て目をパチパチさせる。


「コンタクトって入れる時痛いよな?今日は右目だけで十分もかかっちまった。」


  「お前、それかかりすぎ。コンタクトにして半年は経つだろ?」


  「いや、慣れねぇもんは慣れねぇよ。」


  ハンバーガーを口にしつつ、コーラを呑み、時折ポテトをつまんでいる。


  通っている大学の話や、そこにいる先生の話、同じ学年の人の話や、親兄弟の話まで。


  友人とは大学で知り合ったばかりだが、なんとも話しやすく、相手が聞き上手なだけに、好きなだけ話せると言う楽しさ。


  自由に自分の話だけをしていても、友人は相槌を打って聞いてくれていた。


  「課題明日までだっけ?貴人、もうやったか?」


  「まだー。あんなのわかんねぇよ。」


  先週出された課題なのだが、授業中に居眠りをしていた貴人にとって、理解しがたい、というよりも言葉の意味一つさえ分からないものだった。


  学校が終わったのが夕方四時、それから友人と話をしていると、時計の針はすでに七時を回ろうとしているところだ。


  「あ。もう俺帰らねぇと。悪いな、貴人。」


  「ああ。そうだな。俺も帰ろう。」


  友人と手を振り合って別れると、貴人はコンビニに立ちよってペットボトル一本を購入した。


  コンビニを出てすぐに呑み始めると、“蒔瀬”と書かれた表札の家に帰ってテレビを点ける。


  その家には、今は貴人しかいないようで、貴人のいるリビング以外の部屋は真っ暗だった。


  カチカチ、と時計の針は早く進んで行き、あっという間に母親も父親も、兄弟までもが帰ってきた。


  シャワーだけ浴びて自分の部屋に戻ると、貴人は明日提出だと言われた課題のことも忘れ、大欠伸をしてベッドに横になった。


  「なんかいーことねーかなー」


  夕飯はほとんど手をつけず、両親に心配されたが、貴人は無視していた。


  慣れない学校生活に不満なわけではなく、ただ、自分以外の人間が皆、楽しそうに生きているのが気に食わないだけだ。


  小さいころは、野球選手になりたいとか、サッカー選手になりたいとか、弁護士、警察官、医者になりたいと思っていた。


  それで良かったのだ。とりあえず夢を持っていて、その夢に向かっていれば、親もひとまずは安心してくれていた。


  しかし、高校に入るころには『夢だけ追っていても飯は食えない』と言われた。


  幾つになっても夢を持て、と何かで聞いたことがある気がするが、それは嘘なのだろうか。持っているだけでも駄目なのか。


  貴人は親と口をほとんど聞かなくなり、そう言われて夢をあっさり諦めてしまった自分自身も許せなかった。


  大学の友達は気が合うし、文句も言い合える良い友達だ。


  教員になるために勉強してる人もいれば、海外に行って勉強したいという人達もいるだろうが、貴人にもう夢はない。


  適当に仕事に就けて、適当に生活できればそれでいいと思っていた。


  「にしても、課題どうすっかなー」


  未だに手をつけていない課題をみつめて、授業で使っているテキストを使えばすぐに終わるかとも思ったが、実際、読んだままを書くことは出来ない。


  今は引用に対する対応も出来ており、先生が言うには、本から直接そのまま引用すればすぐに分かるようになっているようだ。


  そのままだけではなく、似たような文章もひっかかってしまうという。


  「あー、めんどくせー」


  椅子に座って本を開いては見るが、字が小さくて英語も沢山書いてあって、読もうという気すら起きない。


  一旦閉じてため息を吐くと、貴人は課題を白紙のまま出そうと決めた。


  「ま、いいや。単位落としても平気な授業だし」


  必須の授業を落とすと大変だが、別にそれ以外の授業ならなんとかなるだろう。


  最悪進級出来なかったとしても、特に気にはしない。もともと大学さえ行く気はなかったのだから。


  椅子からまたベッドへと戻ると、足を大の字に広げた。


  うとうとし始めた貴人だったが、何やら気配を感じてそっと目を開ける。


  「?なんだ?」


  どこからか、笛の音が聞こえてきたため、窓を開けてその場所を確認しようとしたが、どこにもそんな姿は見当たらない。


  「気のせいか。」


  がっかりした貴人は、再びベッドに戻ろうと視線を下げた途端、目の間に真っ白なスーツ、シルクハットを被った人が現れた。


  ハットを軽やかに外すと、首には赤色の星型、左目の下には緑色の涙の形のタトゥーが見えた。


  口元は弧を描き、真ん中ではないが真ん中付近で分けられた髪の毛は長く、後ろで一つに縛ってある。


  さらに、髪の毛は綺麗な紫のグラデーションがかかっている。


  「これはこれは蒔瀬貴人様でいらっしゃいますね!今宵は我々のサーカスにご招待したく、参上いたしました!!私、サーカス団の受付係をさせていただいております、“ジョーカ―”と申します!以後、お見知りおきを!!・・・さて、蒔瀬様はなにやら不幸を抱えているご様子・・・。そんな不幸を忘れるべく、今宵は我々のサーカスを是非、是非ご堪能下さいませ!!!」


  紫グラデーション男は、テンション高く言葉を発し出し、貴人に笑顔を向ける。


  いきなりのことに、貴人は多少驚きつつ、ジョーカーという男をまじまじと見て答える。


  「えっ?・・・まじ!?でも、高いんだろ・・・?」


  「いえいえ・・・。お代はいただきません。これは我々からのお気持ちですので・・・。」


  「まじかよ!!!じゃあ行くぜ!」


  「ありがとうございます!それでは、ご案内いたしましょう!」


  ビュウッ、と強い風が吹き、貴人は思わず目を閉じてしまった。


  ジョーカ―が何も言ってこないため、そっと目を開けると、そこは自分の部屋でも、ましてや自分が知っている地域でもない場所だった。


  テントが張ってある、見た目では小さい印象のサーカス団だ。


  そもそも、サーカス団なのに本当にお代がいらないのだろうか、でもいらないと言われた、そんな疑問を持っていた。


  すると、背後から誰かに声をかけられた。


  「蒔瀬様。そんなところで突っ立っていると、風邪をひいてしまいます。どうぞ、前へお進みくださいませ。」


  「お、おう!」


  ジョーカーに誘導され、テントの中に入って行くと、ワイシャツ姿の男が二人を迎え入れた。


  目は紫色、髪の毛は緑色をしており、身長は一八〇はあるだろう長身の男。


  「ジョーカー、ご苦労だったな。蒔瀬貴人様ですね?今宵はよくぞ参られました。私、このサーカス団の団長をしております、“ジャック”です。」


  「本当に、タダなんだろう?俺、金持ってきてないぜ?」


  「はい。お代はいりません。」


  懇切丁寧に挨拶をされ、貴人はジャックの言葉もジョーカーの言葉も信じた。


  貴人に向けられた優しい眼差しのあと、ジャックは目を細めてジョーカーを見やり、ほんの少し強めの口調で言う。


  「ジョーカー、お客様を席へご案内して。」


  「かしこまりました。」


  貴人にではなく、ジャックに対して深深と礼をしたジョーカー。


  顔をあげてニコリと貴人をみると、首を小さく傾けながら、腕を広げて貴人を誘う。


  ジョーカーの後ろをついていくと、特等席とも思えるような立派な椅子のある場所に辿りついた。


  眺めもとても良く、観客席が一望できるほどだ。


  「それでは、私はこのへんで。ごゆっくり、お楽しみください。」


  「サンキュ!」


  タダでサーカスが見られるとだけあって、貴人のテンションはいつもより高めで、今か今かと待ち切れずにいた。


  そのころ、舞台裏ではジャックのテキパキとした指示が出されていた。


  「マトン、キ―ラ。さっさと綱の準備を始めろ。ルージュとエリアもさっさと着替えろ。バウラ、いつまでも犬と戯れてるな。アイーダ、アヌースから離れろ。嫌がってるだろ。ケント、今日も命懸けでやれよ。それからジョーカ―・・・」


  「なにかな?」


  「さっさと会場に行け。いつものピエロの格好でな。」


  「はいはい。しょうがないね。」


  そのころ、席に大人しく座ってサーカスが始めるのを待っていた貴人は、携帯で自分の今の状況を自慢しようと、メール画面を開いていた。


  タダでサーカスが見られるなんて、ラッキーだ。その程度に思っていたのだ。


  「あれ?電池切れ?」


  いきなり携帯の画面が真っ暗になり、いくら電源を押しても、再び元の画面になることはなかった。


  「おっかしーな。ちゃんと充電したんだけどなー」


  首を傾げ、自慢出来ないことに多少苛立ちを覚えながらも、貴人はあたりを見てコンセントが無いことを確認すると、諦めて携帯をしまった。






  「ルージュ、今日はいつものところ、失敗しないでよ」


  「・・・はあ」


  「はあ、じゃねぇわ」


  「分かってる。エリア、しつこいわ」


  自分達の出番を待っている部屋で、女が二人、互いに背を向けて話していた。


  一人は、おでこを出していて肩より少し長いくらいの黒い髪の毛の“エリア”。


  もう一人は、前髪が向かって右分け、耳より下あたりまでの橙色の髪の毛をしていて、何とも淡白な話し方をする“ルージュ”。


  ルージュの首には、小さな火傷の痕が残っている。


  「二人とも、仲良くなんなさいよー」


  今にもルージュに飛びかかりそうになったエリアを制止させたのは、短髪の青い髪の毛をした男、“ケント”。


  「うっさいわね。ケントには関係ないわ。さっさとライオンに喰われればいいのよ」


  「ありゃまー。さすが毒舌なお嬢様だなー」


  ハハハー、とケントがお気楽に笑っている隣では、犬の顔を両手で包んでずーっと目を合わせている男がいた。


  「バウラ、いい加減に離してやんなさいよー。ワンコロが困ってるでしょーが」


  「ケントさん失礼ですね。エリザベスは困ってなんていませんよ。もっとかまってほしいと言っているんです」


  ケントの言葉に反論したのは、少し幼い顔立ちの少年。


  金髪の髪の毛が多少ハネており、その瞳は真っ青だ。


  「あれ?メスだったっけか?」


  「なんて失礼な!エリザベスはオスです!」


  「じゃー、そんな名前つけるんじゃねーよ」


  プクッと頬を膨らませてケントを叱りつけると、バウラはまたオスのエリザベスの顔をまじまじと見つめていた。


  「しょ、しょうがないです。バウラくん、エリザベスのこと、本当に好きですから」


  「・・・・・・フン」


  たどたどしい話し方をしたのは、向かって左分けの茶髪のロング、後ろで緩く一つにしばっている“キ―ラ”、少女だ。


  エリザベスを愛してやまないバウラを見て鼻で笑ったのが、緑色の髪の毛で両脇刈り込みの入った少年“マトン”。


  肩を揺らして苦笑いをするキ―ラに気付き、エリザベスが「クンクン」と鳴いて近づいていく。


  一方、そんな周りの人とは違う空気を纏っている二人が、部屋の隅にいた。


  「アヌース、私、一輪車上手くなったでしょー?」


  「・・・アイーダ、ショ―のとき以外はベタベタしないで」


  「なんでー?・・・あ!もしかして、私以上に好きな人出来ちゃった!?確かに、『僕、大きくなったらお姉ちゃんと結婚する!』って言ってたのなんて、何十年以上も前の話だけど・・・それでも、お姉ちゃん、信じてたのよ!?」


  「そうじゃなくてさ。ああ、面倒臭い」


  二人は男女の双子で、姉の“アイーダ”は弟大好きな極度の“ブラコン”で、セミロングの黒い髪の毛を靡かせている。


  姉のアイーダに抱きつかれている弟の“アヌース”は、姉とは逆に白く短い髪の毛だ。


  ワザとらしく舌打ちをしたり、身体を揺すってはみるものの、腕力がすごいのか、弟に対する執着心が強いのか、全く通用しない。


  「ねーえ、今日のお客さんはどんな人?いーっぱいくれそうな人?」


  可愛く首を傾げてみせたアイーダだが、誰もそれに対して触れることはなく、ケントがにこやかに答えた。


  「どうかな。若い子みたいだから、吸えると思うけど」


  ”若い“という言葉を聞いた途端、皆一様にごくり、と喉を鳴らしたように見える。


  それはそこにいた“人”だけではなく、飼っているライオンや犬までもが涎を垂らして耳をたてていた。


  「なら、一応、綺麗にパフォーマンスしなくちゃ」


  前髪をかきあげてエリアがそう言うと、隣で顔を背けていたルージュまでも、口だけ笑って同意を示した。


  ―ガラッ


  部屋の扉を開ける音がし、皆(一部、弟依存の方だけは除く)一斉にそちらに目をやる。


  「ジャック」


  「ケント、お前からだ」


  「しゃーねーな。人気者は辛いよ」








  「蒔瀬様。お待たせいたしました」


  気配も無く近づいてきたジョーカーに驚き、肩をビクつかせて力の限り振り返る。


  そこには、先程はキリッとした身なりをしていたジョーカーが、上下おそろいのカラフルな水玉模様のピエロの服装をしていた。


  鼻の部分にも、ご丁寧に赤い大きな丸いものがついていて、帽子まで被っていた。


  貴人の背後からジャンプすると、前の広いステージの上に静かに着地する。


  「では、これより、あなたが幸福になるショ―をお見せいたします!どうぞ、最後まで愉しんでください!」


  パッと暗くなった会場だが、すぐに明るくなった。


  そこにジョーカーの姿は無く、代わりにライオン一頭と、青い髪の毛をした男が立っていた。


  「ライオンの火の輪くぐりか?」


  ライオンと一緒にいて喰われないのかと思っている貴人だが、大きな輪に火がつけられ、みるみるうちに炎へとなっていく。


  最初、男はライオンの頭を撫でたり顎を摩っていたが、男が何かライオンに言葉をかけると、ライオンが輪の中に突っ込んで行く。


  輪が徐々に小さくなっていき、ライオンが通れるのがギリギリが、ギリギリアウトくらいになる。


  「おいおい、ライオン焦げんじゃねぇの?」


  そんな貴人の心配を他所に、ライオンは無事に輪をくぐり、男の許へと戻って行った。


  男は貴人に向かって一礼をすると、裏の方へ走って行った。


  また会場が真っ暗になってすぐに明るくなると、今度もまた男が一人、犬と一緒にいた。


  「ケント、お疲れさま。いつもながら、なんとなく地味だったな」


  「失礼な奴だな~。ケントさん泣いちゃうよ?」


  「さて、アイーダはまだアヌースにくっついてるのか。あいつのブラコンをどうにかしたいもんだ」


  「スル―か」


  金髪の少しハネた髪の毛が特徴的な犬連れの男は、掌サイズの小さな玉から、高さ二メートル以上あるだろう大きさの玉まで、大小様々な玉が用意されていた。


  男は犬を一番小さいサイズの玉に乗せる。


  犬はピョンピョンと玉に乗って行き、立っている男が首を後ろに傾けなければいけないほどの高さの玉へと乗る。


  無事に乗り終えると、犬は尻尾を振って、下にいる男を見る。


  男が犬に手を差し出すと、それを合図に犬は二メートル以上の高さの玉からピョン、と男の腕の中に収まった。


  貴人に向かって男が一礼をすると、また暗くなる。


  そこには目玉とも言える、空中ブランコと、同じ高さのところに張られた一本の縄があった。


  床よりも天井のほうに近い場所には、空中ブランコをすると思われる女の姿が両脇に一つずつ。加えて、縄の両脇には、男と女が一人ずつ。


  急にアップテンポな音楽がかかってきたかと思うと、リズムに乗りながら、空中ブランコの右側にいた女が棒に掴まり、躊躇なく舞った。


  反対側にいた女も、静かに空に飛んだ。


  その一方で、縄の男女も二人一斉に縄を渡り始めた。手にも長い棒を持って。


  「うっへー、すげーな。あれ、落ちたらどうすんだ?命綱とか無さそうだし」


  どちらに集中していればよいのかわからない貴人は、とりあえず女性の身体のラインに注目していた。


  空中ブランコでは、互いの棒に飛んで掴まったり、その棒を使って新体操のようなことも行っていた。


  綱渡りのほうも、二人が一斉に渡り始めたので、当たり前だが、中央でそれ以上行けない状態になっていた。


  どうするのかとじっと見ていると、男の方がその場で出来る限り身を屈み、女がゆっくりと男の上を歩くようにしてすれ違おうとしていた。


  ドキドキしていた心臓は、女が無事に綱の続きに辿りつき、男が立ちあがって歩き始めたときに治まった。


  「こっちがハラハラする~」


  胸の鼓動が元に戻ってきたかと思うと、空中ブランコでは、一人の女の腕にもう一人が掴まり、アクロバットを続けていた。


  空中ブランコと綱渡りに夢中になっていると、突如、別の男女が現れた。


  一輪車に乗ってのジャグリングをして、相手に渡したり、相手のを受け取ったりと、すれ違い様にそういった行為が行われた。


  最高の盛り上がりを見せると、最後にまた舞台は真っ暗になった。


  「あー、もう終わりか?ま、それなりに面白かったな―!」


  そろそろ家に帰って携帯の充電をし、今日あったことをみんなに自慢しようと思った貴人だが、照明が一向に明るくならなかった。


  「あれ?ジョーカーさーん?」


  大きめの声でジョーカーを呼んでみたが、返事が返ってこないばかりか、誰一人の声も聞こえない。


  暗闇に多少目が慣れてきたところで、貴人はなんとか自力で出口まで向かう事にした。


  しかし、幾ら歩いても出口は見つからず、出口どころか、舞台や待合室までもが無いように感じるほど、暗くて広いように感じる。


  手探りで十数分格闘していると、背後に人の気配を感じた。


  「大丈夫ですか、蒔瀬様」


  「うおッ!!びっくりした!急に暗くなって電気つかねーし、誰もいないみたいだし、驚いたッすよ」


  「すみません。では、着いてきて下さい。家の方までお送りいたします」


  「それはいいんすけど、とにかく外出たいっす」


  いきなり現れたジョーカーに、安堵の顔を見せた貴人だが、ジョーカーの格好がどこぞの学校の制服だったため、笑ってしまった。


  似合う、似合わない以前の問題として。


  どこをどう歩いて外に出られたのかは覚えていないが、なんとか無事に出た外には、不気味な赤い月が浮いていた。


  「俺、ここからは一人で帰ります。ありがとーございましたー」


  「楽しんでいただけたでしょうか?」


  「すごかったっすよ!それに、タダで見れて最高っす!」


  「それはよかった。では、お気をつけてお帰り下さいませ」


  右手をお腹あたりに持っていき、そのまま腰を折って貴人に礼をして見送ったジョーカーの口元は、いつもながら優雅に熟れていた。


  家路へと向かって歩いていた貴人は、初めてのサーカスの余韻に浸りながら、携帯を取り出した。


  出してから電池が切れていることを思い出し、またポケットへと戻そうとした貴人だった。


  しかし、電源を入れるまでもなく、携帯の電源は入っており、電池も無くなってはいなかった。


  「あれ?」


  首を傾げつつ、家まで帰るまでもなく友達に自慢できると思った貴人は、すぐに携帯のメール画面を開いて文字を打ち始めた。


  ―指が、動かない。


  サーカスのことを書こうと必死に指を動かすが、思い通りに動いてくれず、全く文章が出来上がらなかった。


  さらに、電話をかけて話そうと電話をかけてみても、なかなかかからない。


  やっとかかったと思っても今度は口が動かない。


  何なのだろうと、普通はそのまま帰ってしまうところだろうが、貴人は一旦先程のテントへと戻ることにした。


  だが、幾ら歩いても歩いてもテントに辿りつくことは出来なかった。


  「あーもー!なんなんだよ!畜生!」


  あたりを見渡してもテントは一つも張っておらず、今にして思えば、自分の家の近所にサーカスのテントがあるだなんて話、一度も聞いたことが無い。


  異質というのか、ただ今まで感じたことのない空間であったことしか分からない。


  探しても見つからないテントとサーカス団に苛立ちを覚えながらも、貴人は自分の家に無事に帰ることが出来た。








  「ジャック、あの蒔瀬とかいう男、随分と不幸ぶってたけど。今回はどのくらい寿命もらえるんだ?」


  身体をたおして寝ている、ケントと一緒にサーカスに出ているライオンに背中を預け、眼鏡をかけているジャック。


  そのジャックに話しかけているのは、白色の髪のアヌースだ。


  姉のアイーダが腰に巻き付いてはいるものの、至って普通に、というか至って冷淡にジャックと話をしていた。


  「アヌース、もうジャックとはお話いいじゃない。終わり!私にもかまってくれないと、ショ―の時に支障をきたしてしまうわ」


  「それなら一人でやるから平気だ」


  「いやん!クールなアヌースも好きだけど、小さい時に私を慕ってくれていたアヌースはもっと好きよ!」


  「ジャック、あ、二人も来ていたのか」


  もう寝る準備をしているのか、それとも服装の一つなのか、パジャマの格好をしたジョーカーがジャックの部屋にやってきた。


  「相変わらず、寿命勘定のときだけ眼鏡かけてるんだ」


  「何の用だ」


  「みんな寝ちゃってつまらないから来ただけ」


  「出て行け」


  ジャックからどんな暴言を吐かれても、ジョーカーは部屋から出ていく気配が一向にない。


  こんな二人だからこそ、なんとかやっていけているのだろうと感心したアヌースだったが、腰にいる姉に舌打ちをすると、自室へと帰って行った。


  「今の世の中、色々と大変なんだろうね。あんな若い子まで不幸だなんだ騒いでるんだから」


  ジャックの部屋にあった多きな蛇のぬいぐるみ(なぜあるのかは不明)を腕に抱き、ジョーカーは胡坐をかいて話し始めた。


  「ま、ジャックに言わせれば、幸も不幸も自分次第、とか言うんだろうけどね。便利になって発達して、向上していくことはいいことだけどね。何にしてもデメリットは存在する。どこかでまた歴史は繰り返すだろうけど」


  聞いているのかいないのか分からないジャックに、独り事のように話しかけたジョーカー。


  「ふう」、とジャックの寿命勘定が終わったと思われるため息が聞こえてきて、ジョーカーは一つに縛ってある自分の髪の毛の毛先をいじり出した。


  グラデーションのかかった髪の毛は、すでに傷んでいるのかさえ分からない。


  「で?どうだった?」


  「うん。基本料金5年プラス、マイナス料金とプラス料金で計4年といったところだろうな。今回は9年分だな」


  「え?プラマイ料金4年だけ?意外だね」


  眼鏡を外してポイッと放り投げると、ライオンに全身を預ける。


  大きく欠伸をすると、急に眠たそうに目を半開きにし、明細表をジョーカーに示した。


  「確かに、不幸だと思ったマイナス分は大きく取れたが、ショ―を見てプラスになった分が低い。楽しい、楽しくないの問題じゃなく、あいつは他のストレス解消法じゃないと駄目だった、ということだろうな。現代っ子らしいといえばらしい」


  「ふーん。ま、しょうがないね」


  ジャックが綺麗な紫色の瞳をゆっくり閉じると、緑色の髪の毛が草原のように揺れた。


  「ジャック、こんなとこで寝るの?身体痛くない?首とか凝らない?朝起きたらライオンのお腹の中ってこともあるよ?」


  「静かにしてろ。また客を探さないといけないんだ」


  大袈裟に肩を上下に動かしたジャックは、ライオンに身体を預けているとは思えないほど、のんびりと休み始めた。








  「だーかーらー、なんでか分かんねぇんだよ!!」


  「ハハハハ!貴人、おかしくなったか?さっきからどうしたんだよ。自慢したいことがあるーとか言ってたくせに、全然いわねぇし。てか、今日はよく噛むな」


  「噛んでんじゃねえんだよ!あーもーくそっ!!!」


  サーカス団のことを言おうとしても言おうとしても、口も指も動いてくれないため、貴人のイライラはマックスまで来ていた。


  それに、やはり誰に聞いてもそんなサーカス団の存在など知っていなく、見たことも聞いたこともないという。


  それならなおのこと、自分にあったことを自慢したいと思う貴人であるが、どうにもならない。


  あれから家に帰ってパソコンを開き、ネットで検索してみたが、それでも見つからず、掲示板に書き込んでみても「嘘つき」呼ばわりされるだけだった。


  脳裏に、市役所や警察署に行って聞いてみようかとも考えたが、問題があったわけではなく、誰も信用してくれないのだから、きっと動いてはくれない。


  そもそも、その話を話すことも書きこむことも出来ないのだ。


  どうやって経緯や内容を伝えられるのかと考えた貴人だが、普段使わない頭は朦朧としてきて、疲れが溜まってきた。


  誰にも言えない、もどかしさを抱いたまま、貴人は寝床についた。


  ―だいたい、金とらねぇで、どうやって稼いでんだ?


  テントで場所を移動できるとはいっても、ライオンや犬、人間も沢山いたのだから、それなりのお金は必要不可欠だ。


  今回の貴人のように、お金を取らないなんてこと、通常有り得ないだろう。


  じゃあ、生計をなりたてているものは一体何なのか。それはどこから得ているのか。


  考え出したらキリが無いが、騙されたわけでもない貴人は不機嫌なため、なんとか居所だけでも掴もうとしていた。


  何の情報を得られないまま、月日が経っていき、貴人の記憶も徐々に薄えて行った。


  「あー、俺ってなんでこんなに不幸なんだろう」


  「また始まったよ。貴人の病気」


  「失礼な事言うなよ。俺は本当に不幸なんだよ!この間だって、高校の時好きだった子に会って、冗談交じりに『好きだったんだよなー』みたいなこと言ったら、『え、有り得ないでしょ。ないない!』だってよ!笑えねーよ!!!」


  「わかったわかった。じゃあ、今日カラオケ行こうぜ。オールオール」


  小さなことで不幸だと言う人もいる。


  一方で、小さなことで幸せだと感じることの出来るひともいる。


  「でも夜って高ぇーじゃん。今月金無ぇーんだよな。ってことで、おごれよ」


  「なんでだよ!」










  時代の栞として、こんなことを云う人がいる。


  ―お金を要求しないサーカス団がある―


  嘘か誠か、誰もそれを確認することは出来ない。


  お金を要求しないのはなぜか。夜にだけ存在するのはなぜか。客を一人しか呼ばないのはなぜか。彼らはどこに住んでいるのか。そもそもの目的は何か。


  誰もが声をかけられるわけではない。


  決して、嘘偽りだけで固められた話でもない。


  それでも、彼らを見つけることは困難で、会いたいからといって会えるはずもなく、一生会えない確率の方が高いとも言える。


  出会えた貴方は“幸福”?それとも・・・・・・。








  「お代?いいえ、お代はいりません。頂戴するのは・・・・・・


























      『貴方の寿命』です」







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