第2話
黒市場
気まぐれな神様
人生はほんの一瞬のことに過ぎない。死もまたほんの一瞬である。 シラー
第二商 【 気まぐれな神様 】
罪とは、人間であれば誰しもが起こす過ちである。
過去に犯した過ちにかんして、罪を償うべく生きる者もいれば、罪を忘れて生きる者もいることだろう。
しかし、過去を消したいと思っても、それは誰にも消すことは出来ない事実である。
「俺は過去を消したいんだ」
そういった男がいた。
他の人間はさして気にとめてもいなかったが、男は本気のようだ。
何をしたのかと聞けば、自慢気にこう言う。
「盗みだってした!女だって売った!殺しちゃいないが、怪我負わせたこともある!俺はなんだってやってきた!そうやって生き延びてきたんだ!!!!」
この国には、希望がない。
そう叫びながら、毎日毎日のように酒を浴びる男は、傍からみればまだ幼さが残る。
いや、実際にそうなのかもしれない。
「イオ?」
「ああ、この国のどっかにいるイオって野郎だ。知らねえか?噂くらいはきいたことあるだろ?なーんでもしてくれるぜ。この辺の、俺たちみたいな人間でもあんまり近づかねえ、黒市場にいるんだ」
「黒市場・・・・・・」
聞いたことくらいはあるようだが、なにせこの男、自分にしか興味がないのか、他人のことなんて覚えてはいないし、覚えようともしない。
「ダーティ、お前、昨日は何してた?」
「ああん?昨日?なんかしたか?」
「なんだよ、やっぱり覚えてねえのかよ。昨日、飲み屋に行って、散々暴れて女ひっかけただろうが。最後には何も着せずに道端に捨てたじゃねえかよ。ひでぇ奴だな」
「知るか。俺は今が楽しけりゃあなんでもいいんだよ」
そんなことを言っていたダーティというこの男、性格とは反対に、綺麗な黄土色の髪をもっていた。
だが、正直、今の生活にも飽き飽きしていたのもまた事実。
ふらっと歩いていると、細い路地裏をみつけた。
そこは黒市場に繋がる道でもあり、平凡で能天気に暮らしている貴族たちには気付かれないであろう、そんな場所。
一歩、一歩と確実に進んで行くと、次第に足元にあたる灯りの量も増えてきて、微かに物音も聞こえてきた。
「・・・へえ」
自分が暮らしている場所はとてもくすんでいると思っていたが、ここよりは大分マシなのだと感じた。
「だいぶシラけたとこだな。しかも、臭ぇ」
腐った果物の臭いだろうか、それとも死人でも近くに転がっているのか、はたまた別のものなのか・・・・・・。
ふと、新聞紙を道端に敷いて寝ている老人が目に入り、軽く足で蹴飛ばして起こす。
「おい、じいさん、この辺にイオっていう奴がいるって聞いたんだけどよ、どこにいる?」
老人は何も答えず、目だけを横に動かし、また寝てしまった。
「あっちね」
鼻を押さえたくなるような臭いにも耐え歩くと、茶色の布を身に纏っている一人の影が見えた。
「ねえあんた、イオって奴しってる?」
「・・・・・・イオ?」
「ああ、なんでも、欲しいもんくれるっていう男らしい。まあ、俺の場合、欲しいのは物ではねえんだけどな」
「・・・残念ですが、そんな男知りませんね」
「そうか。じゃ、また来るとするか」
ダーティは名残惜しそうにその街を後にした。
男が去って行ったあと、フードで顔を隠していた男は少しだけ顔をあげた。
そこから覗く赤い目はあまりに綺麗であまりに不気味、ちらっと見える紫色の髪の毛は艶やかで鮮やか。
見知らぬ男が去っていくと、懐から真っ赤なリンゴを取り出して齧り付いた。
「・・・誰だ」
ダーティは自分の街に戻ると、早速イオがいなかったことを報告した。
「嘘だろ!ぜってーいるぜ?ほら、目が赤くてさー、あとは、髪の毛が不気味な色してんだよな!!」
「いなかったって。臭ぇじいさんと、あれくれこれくれ言ってくるガキどもと、あとはなんかぼろい服だか布だか着てる、若そうな奴だけだな」
「それだよ!」
まさかと、ダーティは走って元来た道を戻って行ったが、そこにはもう誰もいなかった。
「クソッ」
ダーティがまた来たところを知っていたイオは、建物の影から静かにため息を漏らす。
シャリ、とリンゴを齧ると、先程までダーティが立っていた場所に戻り、腰を下ろした。
イオに会えず、会えずというよりも、会ったのに気付けなかった自分に苛立ちながら、ダーティは女を抱いていた。
「ちょ、ちょっと、ダーティ・・・?」
「うるせえな。黙ってろよ」
自分はイオではないと言い切ったイオのことを思い出すと、また腹立たしくなってきて、その度に女は叫ぶ。
「君さぁ、まだ18でしょう?女遊びにも慣れてるし、人だって簡単に殺せそう。ほら、今だって」
情事が終わり、おちょくるように話しかけてくる女を睨みつけると、ダーティは真夜中にも関わらず街に出かけた。
行き場所は決まっていた。
「やっと、会えたな。いや、会ってはいたな」
はあはあ、と肩で息をながら、フードを被った男の前に立ちはだかると、男の胸倉を掴みあげる。
正確には、掴みあげようとしたのだが、身長差は歴然で、見上げる結果となった。
「てめ、さっきはよくもふざけやがったな!!」
「なんのことでしょうか。さっぱり」
未だしらばっくれようとするイオに、ダーティは思い切り掴んでいた腕を押した。
しかし、体格も差があるため、イオは一歩後ろに動く程度で、ダーティの方が反動で後ろへとよろめいた。
「てめえがイオだな?」
「もうこの歳になると、自分の名前なんて忘れてしまうものです」
「そんな歳じゃねえだろう!!」
一瞬、イオの瞳が目に入る。
「!!」
そのあまりの赤さに呼吸が止まりかけるが、その赤い目でイオはダーティを見ていただけなのだが、ダーティは睨まれたと勘違いした。
反撃をしようと、足下にあった石を投げつけてみるが、ひょいっと避けられてしまった。
フードの隙間から見えた、誰かが言っていた紫色の髪の毛が視界に入ると、ダーティは思わずごくりと唾を飲む。
「何を望む」
「は?」
いきなり本題に入られ、ダーティはきょとんとするが、イオが願いを聞き入れてくれるのだと思い、口を開く。
「過去を消して、他の人間としての人生を歩みたい!!」
「その理由は」
「女売ってきて薬運んで盗んで奪って、そんな人生を送ってきた。そりゃまあ、俺の家は貧しいから、捕まってもしょうがねえと思ってはいたんだ。けどな、この頃思うんだ。贅沢な暮しをしてみてえし、色々まだやってみてえことがあるんだよ。一日一日を生きられりゃあ、それでいいんだ。だから、いままでのことは水に流して、新しい道を切り開く!」
「・・・代償は」
「は?なに?代償?」
言葉の意味が分からないのか、それともそんなもの必要なのかという確認なのか、ダーティはイオの顔を見て首を傾げた。
小さくため息を吐くと、イオは腰を下ろして目を瞑る。
「何かを失わずしては何も得られない。それ相応の代償を支払え」
そんなイオの言葉に、なんだよ、まじかよ、とブツブツと言っているダーティだったが、何かを思い立ったようにニヤリと笑う。
「なんだよなんだよ、あんたも女が恋しいってか。いくらだって紹介してやれるぜ!どんなのがタイプだ?」
的外れなことを言い始めたダーティに、呆れたイオはシッシッ、と手で払った。
「違うのか?じゃあ、やっぱ金か?」
こいつはとことん馬鹿だと感じたイオは、ゆっくり目を開く。
「女でも金でもない。もし、お前が代償を支払えると判断したら、お前の望みを叶えてやる」
「・・・・・・よくわかんねえけど、わかった!!頼むぜ!」
ルンルンと嬉しそうに去っていくダーティの背中を見ることもなく、イオはまた目を瞑った。
住処に戻ってからというもの、ダーティは機嫌よく過ごしていた。
これで自分は、別の誰かとして生きられるだけではなく、今までに起こった全ての事柄が記憶から消えるのであれば、それでよい。
翌日、いつものように過ごした。
その翌日も、いつものように過ごした。
その翌日も、またその翌日も・・・・・・。
そして再び、イオのもとに向かった。
「いつになったら俺の過去は無くなるんだよ!!!俺はいまだに俺のままだ!!てめえ、俺を馬鹿にするのもいい加減にしろよ!!!」
イオは目を瞑ったまま、ぴくりとも動かない。
しばらくイオに罵倒を続けてみるが、全く反論もしようとしないイオに、ダーティは殴りかかる。
しかし、瞬間、イオは目を見開いてその腕を掴み取る。
「な、なんだよ!?」
逆ギレ気味に声を荒げるダーティだったが、急に呼吸を乱す。
フードの隙間から見えたイオの不気味なほどに綺麗な真っ赤な瞳に見つめられ、さらにはチラチラのぞく鮮やかな紫色の髪の毛。
どのくらいかは分からないが、しばらくイオの赤い目に思考を奪われていた。
乱していた息を整えると、イオは掴んでいた手を離した。
それほど強く掴まれたわけではないだろうに、イオに掴まれていた腕はジンジンと痛みが通っている。
「さっさと俺の過去を消さねえと、お前を殺してやるからな!!!」
捨て台詞を吐いて走って逃げて行く、いや、去っていくダーティを止めもせず、イオはすぐに目を閉じた。
翌日、ダーティは何か清々しさを感じていた。
今までは、朝起きてもなぜか疲れを覚え、友人と遊んでいても気だるさを感じ、女性を抱いていてもため息さえ出ていた。
しかし、ダーティはなぜか毎日毎日新鮮さを感じていた。
それは、ダーティ本人が感じたことではなく、周りにいる友人たちが感じ始めたことである。
「ダーティ、最近どうしたんだ?」
「なにがだ?」
「なんでまたあの娼婦買ったんだよ?一回買った女とは寝ないって、前に言ってただろ?」
「・・・そんなこと言ったか?」
「はあ?」
何がどうなっているのか、周りの友人たちは愚か、ダーティ本人はさらに分かっていない。
急な変化に戸惑っていた友人たちだが、日が経つにつれてそんなダーティにも慣れてきていた。
一方で、ダーティは自分の身体の違和感を覚えていた。
「なんか近頃、身体がだっるいんだよなー・・・。なんでだと思う?」
「俺が知るかよ。あ、けどよ、お前この前からなんか薬定期的に飲んでなかったか?白い粉っぽいやつ・・・・・・」
「え?そんなの飲んでたか?まあ、家に帰ったら探して見るか」
友人と別れてから家に真っ直ぐに帰り、友人の言っていた薬というものを探して見た。
もしかしたら、何か病気にかかっていることを、酒のせきですっかり忘れてしまったいたのではないかとか、そうじゃなければいいなとか・・・・・・。
がさごそと部屋を荒らして探そうとしたダーティだったが、そこまで荒らす前に、そのモノは見つかった。
「な、んだよ・・・?これ・・・・・・」
そこには、見覚えの無い白い粉で、透明の小さい袋に入っていた。
まさかと思い怖くなったダーティは、それをすぐさまゴミ箱に捨てた。
薬を運んだことはあっても、口にしたことは決して無かったダーティは、きっと運び忘れたものだろうと思いこむことにした。
ダンダン、と強くドアが叩かれるまでは・・・・・・。
薬の代金が支払われていないとか、薬使用中に買った女代だとか盗んだ金だとか、ダーティに身に覚えのないことで追われるようになった。
何がなんだが分からないダーティは、頭の隅にあるある場所へと向かった。
走って走って、途中で捕まらないように逃げながらだったが、なんとかその場所に辿りつくことが出来た。
その場所は街中から随分と遠い場所にあって、生きてるか死んでいるかも分からないような人間とも言えない形のものが散乱していた。
「はぁ・・・はぁ・・・」
路地裏を通り、腐った何かを踏み越え、ようやくそこに着いた。
「てめえ・・・!!!俺に何をしやがった!!!」
茶色の布に全体が包まれた一人の男の前に立つと、ダーティは男の首もとを掴む。
男の着ている布の隙間からは、熟れたリンゴのように真っ赤な瞳と、人間のものとは思えないような紫色の髪の毛が見える。
まるで地を這う蛇のごとく睨まれ、ダーティは思わず怯みそうになるが、グッと堪える。
「知らねえ間に金使いこんでるし、ぜってぇやらねえって思っていた薬にまで手ぇ出してるし、てめぇが何かしたとしか思えねえんだよ!!!」
怒り狂うダーティに対し、男はしずかに口を開く。
「貴様の願いどおりにした。何を嘆く?」
「何が願いどおりにしただよ!!!俺は俺の過去を消してほしいって言っただけだろ!!なんで過去は消えてねえ!!!なんで何も覚えて無い!!?」
今自分が置かれている状況を思い出したのか、ダーティは急に膝から崩れ落ち、男の前に両膝をついた。
そんなダーティを見下すわけでもなく、興味無さそうに見下ろす。
「イオ・・・てめえ、俺に何をした?」
絶望を帯びた声色で話しかけると、イオは単調に答えた。
「貴様は自分の過去を消したいと言った。しかし、過去を消すなど決して出来ることではない。ましてや、貴様のように罪を犯したものの過去であれば尚更だ。さらに言えば、過去を消すと言う事は、貴様だけではなく周りの者の記憶も消すか書きなおす必要性が出てくる。貴様には支払われるべき何か別のものも用意は出来ないとわかった。そこで、貴様のとある日からの記憶を消すことにした。貴様に昨日はない。だからこそ、何も覚えてはいないし、それは過去としてカウントされない。しかし、実際に生きた以上、その日は存在し、周りの者はその日を覚えている。例えそれが善であれ悪であれ、時間の流れは止められない」
「んな馬鹿な屁理屈あるか!!!なんで昨日のことも覚えてねぇんだよ!!!俺はなにもやってねえ!!!何もしらねえのに・・・・・・!!!」
力一杯地面を叩いたダーティの拳からは、血が微かに出ていた。
「過去には戻れない。だからこそ今を生きて行くというのに、人間と言う生き物は実に欲深く、時間を操作しようとし、時を止めようとする。時間は淡々と過ぎて行く。時に優しく、時に残酷に。それは人の都合で変えられるものではなく、だからといって神によって動かされているものでもない。理不尽な世の中でも、理屈が罷り通らない世の中でも、大切な人が死ぬ世の中でも、生きて行く理由も術もない世の中でも、ただ人間は過ぎて行く時間の中を進むしかない。本当、実に悲しい生き物だ。だがそれでも、地に這いつくばって生きようとする者もいれば、貴様のように自堕落に私利私欲だけで生きようとする者もいる。それでも貴様がこれまで平然と生きて来れたのは、その図太い見上げた神経を持っていたからだろう。現に、貴様自身が望んだことなのに、俺のせいにわざわざ消えかかっていた俺の記憶を思い出したくらいだからな。全く、実に貴様は自分のことしか考えていない、人間の典型的な脳を持ち合わせていると言ってもいい」
今まではあまり話しをしなかったイオ。
此処にきて冷静な口調でダーティに対し並べた言葉は、刺々しいものだった。
優しさなんてない、思いやりなんてない、ただ、今目の前にいるダーティにしていて愚かだと言わんばかりの言葉。
自分が都合良いことを言っているかもしれないと、多少は思っていたダーティだが、今はそれどころではない。
「俺はどうすればいいんだよ!?」
縋る様にイオを見上げてみれば、暗い路地裏には不釣り合いの真っ赤な目立つ瞳と目があった。
それが異様に恐怖心を煽り、ダーティは両膝を擦りながら後ろにさがる。
「何も怯えることはない。明日、貴様には今日の記憶はないのだから。今日追われていたことも、俺のところに来たことも忘れている。また、同じ朝を迎えるだけだ」
それは、過去も未来もないことを宣告されているようだった。
「同じ朝なんて、もうこりごりだ・・・・・・」
その日から、ダーティはイオのもとには来なかった。
イオも何も気にしてはいないし、心配も何もしてはいない。
ただ、目を開けるとそこにはいつもと同じ光景がイオを待っているだけ。
人は今を生きる。瞬間を生きる。
過去という時間も、未来という時間も、決して同時進行で生きて行くことは出来ない。
だからこそ、退屈でも平凡でも、同じような日々でも逃げたくても、その日を迎え入れ、生きて行かなければいけない。
そしてまた、今日が終わる。太陽が落ちる。月が笑う。星が散らばる。
黒が世界を支配する時間が終われば、太陽が笑う。月が落ちる。星が消える。
白が世界を支配する時間が始まる。
それが、毎日。
それが、昨日。
それが、明日。
それが、今日。
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