その娘新種につき

心綴り

不測の事態は突然起きるもの

 ハイヒールの起源をご存知だろうか?



 中世ヨーロッパにて、ハイヒールなるものが考案されてから数百年。

 多種多様の主義主張、思想に宗教やら政治やらが絡み合い、地理的あれこれ気候云々、生活習慣に人種民族色々諸々が続いた結果、いつやらからオシャレな女性には欠かせないファッションアイテムの一つとして不動の地位を築き上げ、もてはやされるまでになった。


 ……しかしながら、移り変わる時代のはるか彼方へぽーいと忘れかけられているその実態は、生物が生きて生活を送るかぎりは、けっっっして無くなりはしない生理的事象の後始末を面倒くさがった末の糞尿避けなのである。


 ……汚物を踏まないためとはいえ、一日中、ずっっっと自力で爪先立ちするのは疲れる!


 上下水道や衛生観念などの概念自体が、あやふやでおざなりだった時代。

 自身のものでない野外へ、ポイポイポポーいと打ち捨てられた汚物まみれの街中を闊歩するための汚物避け爪先立ちに憤りを覚え、どうにかこうにか身体の労力を軽くしようと閃いた世紀の大発明!

 ハイヒールは強制爪先立ち靴として、人びとから歓喜を持って生活の中へ迎え入れられた。


 ……因みに、当時は女性ではなく男性用であった。

 ブーツも同様。


 汚物処理のため、野外の整備微妙な道に、申し訳なさ程度に掘られた溝から溢れ出る汚物から、自前の衣服の裾を護ろうと意気込んで考案された靴は、確かに素晴らしい発明品だったのだろうし、考案者は称賛されただろう……。

 しかしながら、私は思うのだ。


 ……どうしてもっと早くに、都市開発という抜本的問題解決に乗り出さなかったのだ支配階級!


と。

 国民領民への周知に時間がかかるのはわかるし、整備費用もメンテ費用も莫大になるのもわかる。

だけでは機能しないことも……。


 だが!

 只人の手よりもはるかに便利な『魔法』が存在しているこの世界で、できないとは言わせない!!

軍備増強と戦争や紛争ばかりに多大なウエイトを傾け、下々の存在を蔑ろにしているから、こうなる!



 クソが!!!



となったのは、いい加減でそそっかしい領民の一人が、たまたま夫婦喧嘩をしながら声かけもせずに、住宅二階の窓から外へ、容器にたっぷり溜めた汚物を投げ捨てた真下に、首都より遠い、領地視察という名の旅行に来ていた領主一行が通りかかり、さらにさらに、これまた偶然、馬車の窓から顔を覗かせていた子爵の三女、レティシア・マクレーン四歳の帽子の広いつばを、狙いすましたかのように直撃。叩き落としたからだった。

 帽子のおかげで、放物線を描いた汚物射線上にあったレティシアのお顔は無事だったものの、何かを指差して外へ出されていた腕には件の飛沫がべったり。……というか、飛沫というには大きすぎる、ねっちゃりした塊がべっちゃり。

 レティシアは衝撃とともに濡れた自身の手を凝視し、感触と色と臭いでソレが何かを理解した途端、幼な子にはあるまじき声無き悲鳴をあげて白目を剥いた。

 ……ショックが大きすぎて気絶したとも言う。

 ……そのときのとんでもないショックでレティシアの魂が放り出されたのか引きこもったのか消えたのか?はたまた全く別の要因なのかは定かでないが、数瞬後に正気に返った彼女の意識は幼な子のそれではなく、しっかりと自我を確立した大人の意識と記憶が、最初から誂えたかのようにしっくり器に馴染んでいた。


 ……普通ならば混乱して大騒ぎになるところ。

 しかし我に返って初っ端から目に飛び込んできた光景は、数奇な悪夢のピタゴラスイッチコンボをキメてしまった平民夫婦が、娘を害されて怒り狂ったマクレーン子爵お父さまの命によって家屋から引きずりだされ、処せられる、まさに直前!


 ……レティシア()は何かを考えるより先に、必死にそれを止めるハメになってしまった。



「ばつがひつようなら、みちをきれいにしてほしいです。またおなじことがないようにするおしごとをしてもらいましょう。」



 このときのレティシアは、魔法などという超常現象の存在が、世界で広く認知されていることを知らなかったが、中世ヨーロッパの身分差による不敬や侮辱…、特に平民から貴族への粗相に対する罰則が、即座に生命の危機に直結したことは、試験やレポート、論文のために頭の中へ詰め込んだ知識として知っていた。

 自身の発した声色悲鳴に、目の前にいる人間たちの衣裳が、いかにもすぎる洋装であったこと。……何より、己の五感が感じ取った現実感が、紛いものでは決してないと無意識の判断をくだしたこともあり、とうに確立されていた良心からの罪悪感に従って、思わず静止の言葉を口からぽろっと吐き出してしまったのだ……、が!

 色々とファインプレーである。


 子爵は処罰が軽すぎると周囲に示しがつかないと難色を示したが、汚物に濡れた手をあげて、


「きれいになったらおとうさまとおかあさまもくさくなくなるよね?」


と言ったら、みんながものすごい顔で凝視してきた。

 ……実際のにおいは、もっとくさい。だって、汚物のかほりをキッツい香水で誤魔化してるから。

 愛娘からの露骨に優しくない指摘はマクレーン子爵の心を容赦なく引き裂き、その場にいた人びとをも唖然とさせた。

 大人たちは、小首を傾げて邪気なくにっこりと笑いかけてくる幼な子に絆され……、もとい動揺が収まる前にあれよあれよと丸め込まれ、処分はレティシアの進言どおりに。具体的な話は後回しになったけど……。


 ……もはやここまで。親族浪等晒し首では!?

 ……そんな絶望感に打ち震え、ぶるぶるどころかブルルルルルンとバイブレーションがかかるくらいの恐怖に慄き、汚物街道に平伏せざるを得なかった不運すぎる平民夫婦に、レティシアの提案は救いの神の如く見えたことだろう。

 ……事実、まだ世の中のことをあまりよくわかっていない子どもの気まぐれであろうと、もはや儚くなるしかなかった命が明日へと繋がれたのは明白!

子爵領なのでそこまで広く無いとはいえ、夫婦は終わりの見えない領地清掃という罰から目を逸らして感涙に咽び泣き、馬車の窓からキョトンと惚けた振りをする、幼な子の顔を拝み仰いで忠誠を誓ったのである。

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