頼もしいボディガード

 



「えーと、町の出口は、と」


 この隙に、と周囲をきょろきょろと見渡し逃げる方向を定めます。


 が、酒蔵の周りにはこれといった民家も灯りもなく、ひっそりと静まり返っていてどこに逃げたらいいのやら。

 

「とにかくまずは、身を隠せるところを探さなくちゃ」


 勘で方角を決め、身を翻そうとしたその時でした。


 ヒヒヒイイイイイインッ!!


 遠くに聞こえたのは、馬のいななき。

 その声は遠く、小さくて。


 けれどその声は確かに、よく知っているはずのもので。


「あれは……?」


 反射的に駆け出していました。

 と同時に、窓の上から聞こえた男たちの声。


「おいっ! 女が逃げたっ。外に回れっ」

「逃がすなっ! 追え追えっ。大事な金づるが逃げちまうっ」


 見上げれば、窓から頭をにょっきりとのぞかせた男たちの姿がありました。

 リーダー格の男がいないところを見ると、もしかしたらすでに酒蔵の表からこちらへと追ってきているのかもしれません。


「大変っ。急いで逃げなきゃ!」 


 怒りに燃えているであろう男たちに囲まれたら、また恐怖に足がすくんで何もできなくなってしまうかもしれません。いくら武器があっても仕掛けを作れても、目の前で対峙されてはさすがに自信はないのです。

 心意気だけで、恐怖症が消えてなくなるわけはないのですから。




 はじかれたように、月明かりを頼りに暗がりを駆け出します。

 藁にもすがるような気持ちで、声のした方へと。


 その間にも、男たちの騒ぐ声と物音は止むことはありません。

 

「ちょっ……お前! 邪魔だぞ。押すなよ」

「お前こそ先に降りろよ。うわっ! 何するんだ。足場が崩れたらどうすんだ。う……うわああぁっ!!」


 バキバキバキッ!! ぐわっしゃああああんっ!!


 ものすごい轟音が周囲に轟き、思わず首をすくめれば。


 しーん、と辺りがしばし静まり返り、そして聞こえるうめき声。


 あれは恐らく、窓の下に積み上げていた木箱やらが崩れ落ちた音でしょう。

 男たちが数人で体重をかければ、あんな簡易的な足場が崩れ落ちるのは当然です。


 痛そうなうめき声が聞こえますが、同情はできません。そもそも誘拐なんて悪事を働くから、バチが当たったんです。もっとも男たちの体重で乗ったら崩れるように積み上げたのはわざとですし、充分想定内ですけど。


 でもここからは、私の逃げる足が早いか、追いつく男たちが早いかの差です。


 私は焦りながらもきょろきょろと辺りを見回し、その姿を探します。

 私の、愛しい愛馬の姿を。


「セリアン? いるの? セリアン!!」


 ここにいるはずのない、けれど確かに聞こえたかわいいセリアンの名を呼べば。


 ヒヒイイイインッ!


 暗い闇の向こうから迫りくる、セリアンの声。

 そして。


 ワオンッ! ワウワウワウッ!!


「えっ? まさか、……オーレリーも?」


 まさかと思いながら声のする方に目を凝らせば、そこには。


 セリアンが、その美しいたてがみをたなびかせながら猛然とこちらへと向かってきます。

 そしてその奥からは、なぜかオーレリーの姿まで。


 さっきのいななきはやはり、幻聴などではありませんでした。でもまさかオーレリーも一緒だったなんて。

 信じられない気持ちで目の前の光景に目を輝かせ。



 セリアンッ! オーレリー!!


 安堵と喜びで涙で視界をにじませながら、そう叫ぼうとしたその時でした。



 目の前に、大きな影が立ちはだかりました。


「おーいー……。王女さんよおー……」


 リーダー格のあの大男がいました。


 ゆらり、とその巨体を揺らしながら毛むくじゃらの腕をこちらに伸ばしながら、近づくその影に。


「ひっ……!!」


 喉の奥から、思わず小さな叫び声がもれます。


 巨体を揺らしながら、じっとこちらをにらみつけゆっくりゆっくりと近づいてくるその様は、まるで怪物のようにも見え。


「……いや……。こないで……」


 ぎらりと光る怒りに満ちたその目に射すくめられ、じりじりと後ずさり。

 やはり恐怖は消えてなくなるわけではありませんでした。


「殺されてえのかぁっ!! この女ぁっ!」


 闇にびりびりと響くようなその怒声に、足がすくみ動けなくなった私は。


 思わずぎゅっと目をつむったその前に、見えたもの。

 月の光に反射してキラリと光ったものは何でしょう。


 ああ、もうダメかもしれない。

 やっぱり私は男性への恐怖からは、この先も逃れられないのかもしれない。


「……ジルベルト様」


 再び恐怖にとらわれそうになった心に浮かんだのは、その名前でした。


 ああ、こんなことならせめてもう少しジルベルト様とお話がしたかった。

 こんな恐怖の中で人生を終えるくらいなら、恐怖症と無理やりにでも戦うほうがマシでした。


 だってもしほんの少しでも恐怖を克服できていたら、ジルベルト様と仲良く並んで歩くことだってできたかもしれないのです。

 いってらっしゃいの挨拶だって、おかえりなさいとお帰りを出迎えることだって。


 そして何より、私にこんなあたたかな気持ちを教えてくれてありがとうと、直に伝えることだってできたのかもしれないのです。


 男性恐怖症となってしまった私はきっと一生無縁のまま終えるのだろうと思っていた、恋というあたたかなものをジルベルト様は教えてくれたのです。


 その感謝も伝えられないまま、思いのひとかけらさえ伝えることができないまま。

 こんな寂しい場所で、恐怖にまみれて人生を終えることになるなんて。 



 そう、あきらめかけたその時でした。

 

「ミュリルッ!! こっちだ!!」


 その声に、私ははっと顔を上げました。


「……ジル……ベルト……様?」


 それは、今まさに心に思い描いていたジルベルト様の声でした。


 今度こそ、幻聴かもしれない。

 でも――。


「ジルベルト様っ!! 私はここですっ。私を助けてくださいっ」


 助けて。

 

 気付けば、その言葉がぽろりと口からこぼれ落ちていました。

 七才の頃、誘拐されたあの時には言えなかった、その一言が――。


「ミュリルッ!!」

「ヒヒイイイインッ!!」

「ワオオオオオンッ!!」 


 そして暗闇の中、月の光を浴びて。


 セリアンとオーレリー、そしてジルベルト様が姿を現したのでした。








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