3章

王女様、来襲

 


 部屋に駆け込んできたラナの大きな声に、私は危うく手に持っていた本を落としそうになりました。


「大変ですっ、奥様! いらっしゃいましたっ!」

「いらっしゃったって、一体誰が? 今日は来客はないはずじゃ……」


 ラナの動揺した様子に驚いて、一体何事かと聞いてみれば。


「王女様です!」

「え?」

「お隣の国のアリシア王女殿下です! アリシア王女殿下が、来襲しました!」

「ええ?」


 王女が来襲?

 ちょっと意味がわかりません。


「落ち着いて? ラナ。もう一度ゆっくりお願い」

「……恋敵です! 恋敵の来襲ですっ。負けられない戦いが今ここにっ!」

「恋敵?」


 恋敵とはどういう意味かと言いかけて、ふと思い出しました。

 そう言えばそもそもこの結婚は、アリシア王女殿下のジルベルト様への求婚がはじまりだったはず。


 と考えれば、確かに一応私はアリシア王女殿下にとっては恋敵、ということになるのかもしれません。少なくともあちらにとっては、ですが。


 そのアリシア王女殿下がここへいらしたということは、もしやその目的は……。


 これは少々面倒なことになったのかもしれないと怯えつつ、慌ただしく身なりを整え王女様のもとへと向かったのでした。





「……えっと、本物、よね?」

 

 応接室の前に立つバルツに思わず問いかければ。


 いつになく固い表情を浮かべたバルツが、動揺を隠しきれない様子でカクカクと小刻みにうなずきます。


 そりゃそうですよね。なんたって相手は王女殿下ですもの。動揺するのは当然です。


「今しがた旦那様のもとに使いを出しましたので、すぐに旦那様から指示がくるとは思うのですが……。当面は奥様にご対応いただくよりないかと」

「……わかったわ。時間稼ぎをするから、ジルベルト様から指示があったらすぐに伝えてね」


 こうなっては、腹をくくるより仕方ありません。


「じゃあ、いってくるわね……!」


 ごくりと喉を鳴らして応接室へと足を一歩踏み入れた次の瞬間、鋭い声が飛んできたのでした。


「会いたかったわ! ミュリル・タッカード!」


 いきなりの先制攻撃、いえ口撃にピクリ、と頬がひきつります。

 久々に旧姓で呼ばれ、瞬時にアリシア王女殿下の目的を悟ります。


 ……殴り込み、ですよね。


 目の前がクラクラしつつも、なんとか叩き込まれた行儀作法を引っ張り出して頭を下げます。

 何事も出だしが肝心ですから。


「お初にお目にかかります。ジルベルト・ヒューイッドの妻、ミュリルと申します。アリシア王女殿下におかれましては、ご機嫌麗しゅう。お会いできて誠に光栄に存じます」

「……つ、妻っ! ……ふ、ふん!」


 気のせいか、一瞬怯んだような。

 別に挑発したわけではなく、名乗っただけなんですが。


 相手に気づかれぬよう、そっとアリシア王女殿下を観察します。

 そしてつい、感嘆の息をもらしそうになりました。


 気の強そうな大きなぱっちりとした目。豊かに波打った栗色の艷やかな髪。

 アリシア王女殿下は、そのお噂通り、紛うことなく美少女中の美少女でした。


 その揺るぎないまっすぐな強い眼差しと、まだ若いながらも威厳を感じさせるその佇まいも素敵です。

 ぜひ、木彫りのモデルになっていただきたいです。


 しかも。

 その雰囲気が、何かを彷彿とさせるのです。ごく身近な親しみのある何かに、よく似ているような気がするのですが……。




 そんなことを考えていたら、すぐ目の前にアリシア王女の顔面が迫っていました。


「ジルベルト様のお相手がどんな方なのか見てやろうと、きてみたら……」

 

 じろり、と一瞥され。


 まぁ、言いたいことはわかります。思い切り、噂がひとり歩きしまくってますからね。


「……ちょっとあなた! どうやってジルベルト様をたらしこんだの?」

「た、たらし……?」


 たらしこむどころか、利害と紙切れ一枚でつながっているだけの関係ですが。 


「ジルベルト様が結婚するのは私のはずだったのよ。なのに、突然横からかっさらうみたいにジルベルト様を奪っていくなんて……。おかげで私の計画が全部台無しよ!」

「……計画?」


 その瞬間、王女殿下がはっとした様子で口元を手で覆い隠し黙り込みました。


 ん? 計画、とは? 

 

 ついそう問いかけた私に、アリシア王女殿下は慌てた素振りで咳払いをすると。


「と、とにかくあなたがなぜジルベルト様のお眼鏡にかなったのか、私に教えなさい。身分も見た目も私の方が上、幼い頃から厳しくありとあらゆる一流の教育を叩き込まれてきた分、中身だって私のほうが優れていると思うの」


 えーと、なんというか実に正直な方のようです。反論の余地はないですし、する気もありませんが。


「そう申されましても……。こういうものは、縁でございますので」


 縁といえば縁と言えなくもない、ですよね?

 恐怖症を持つ者同士の、奇縁ですけど。


「私、どうしてもジルベルト様に選んでいただきたかったのに……」


 ええ、それはそうでしょうとも。恋をしていたんですものね、ジルベルト様に。


「……そうすれば。……そうすれば私はあの国を」

「……国?」


 なぜここで国なんていう単語が出てくるのか、不思議に思いはた、と殿下に目を向ければ。


 うつむいた殿下の肩が、小刻みにぷるぷると震えています。


「……そうすれば、あの国を出られたのにっ! 私、ジルベルト様と結婚して、どうしてもあの国を出たかったのよ? だって、国を出るには結婚するしか方法がないんだものっ!」

「……はい?」


 国を出たい?

 話が見えずに、きょとんとすれば。


「どうして選ばれたのはあなたなの? どうして私は誰にも認めてもらえず、ジルベルト様にも選んでもらえないの……?」


 アリシア王女殿下のほっそりとした肩がふるり、と震え、キラキラとした大きな目がじわりと潤んだかと思うとみるみる雫がたまり。


「……あんな国……、大嫌い。たかが馬に乗れないくらいで、あんなに馬鹿にされるような国なんて……」


 ……ん? 馬、ですか? 

 今、馬っていいました?


 困惑する私を横目に、アリシア王女殿下はわっとその場に突っ伏すと。


「もう王女なんて辞めてしまいたいっ! あんな国に生まれ落ちたばっかりに、どうしてこんなことに……!」


 今までこらえていたものが噴き出したかのように、アリシア王女殿下はいきなり子どものように泣き出したのでした。




 

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