お飾りの妻にできること
「バルツ、このこと私から報告したほうがいいかしら?」
私の言葉に、バルツは首を振ります。
「いえ、私からご報告いたします。外での社交についての取りまとめは、私の仕事ですので」
「……そう。そうね。ではあなたに任せるわ。……でも、せめて私がジルベルト様と同じくらいには社交できたら良かったのに」
そうすれば、お忙しいジルベルト様の手をわずらわさずに済んだのに。
いくらお飾りとはいえ、こんなに良くしていただいていながら妻として情けない限りです。
そもそもジルベルト様とさえ、至近距離で向かい合うことができない私に社交などできるわけもなく。
所詮この結婚は、恐怖症をお互いに隠し通すためのもの。
もし私が無理に社交の場に出て失態でもして男性恐怖症であることがバレてしまったら、当然この結婚が偽りであることも白日の下に晒されてしまいます。
そうなれば、きっと。
「この結婚は、終わってしまう……」
思わず小さなつぶやきが口からこぼれ落ちました。
それは想像していた以上に心細く、どこか心が痛んで。
私はいつも通りの平静を装いながらも、心がずしん、と打ち沈むのを感じていたのでした。
◇◇◇◇
翌日、庭で犬のオーレリーの体を洗っていた私は。
泡だらけの手を止め、小さくため息を吐き出しました。
オーレリーが、怪訝そうな顔で首を傾げます。
「私が男性恐怖症なんかじゃなかったら、もっとお役に立てたのにね。オーレリー?」
オーレリーの泡だらけの顔をなでると、ぶるぶるぶるっと勢いよく泡を巻き散らかされ悲鳴を上げます。
「もうっ! だめよ、オーレリーったら。まだ大人しくしててちょうだい。あとちょっとだけいい子にしていて」
また泡だらけにされては大変と、慌ててバケツに汲んでおいた水で泡を洗い流します。
「でも、そうよね。恐怖症じゃなかったら、そもそもジルベルト様と契約結婚なんてしてなかったわ」
オーレリーのきょとんとした顔を見ていると、今さらどんなに頑張っても克服できなかった以上、思い悩んでも仕方ない気もします。
こうして結婚したことも、ひとつの縁。
こんなに良くしてくださっている半分も、きちんと返せていない気もするけれど。
「オーレリー、わかってるわ。なんでもかんでもできるなんて、そんなの無理よね。できることを頑張るしかないってわかってる。わかってるんだけど……つい、ね」
どうしてか、ジルベルト様に迷惑をかけてしまうことにとても心苦しくなってしまいます。もっと役に立ちたいのに、という思いで胸がぎゅっとなるのです。
それでも、天真爛漫という言葉がぴったりな愛嬌たっぷりのオーレリーの様子を見ていると、心が軽くなる気がして。
「さ、洗い流すわよ。オーレリー。いい子にしていて」
ざばぁっ、と勢いよく泡をきれいに洗い流し、ふかふかのタオルで体を拭い終わると。
ワフンッ!! ワオンッ、ワフッ!
オーレリーは、まるでボールのように元気よく駆け出していきました。
今日は汗ばむくらいの陽気ですから、毛も早く乾くでしょう。
「オーレリー! お願いだから土の上で寝っ転がるのだけはやめてね。せっかくきれいに洗ったばかりなんだから」
懇願するこちらの声など、きっと聞いていません。
でもまぁ、それがオーレリーです。かわいい子です、ええ。
楽しそうに芝生の上をはしゃぎ回るオーレリーを、いつものようにセリアンが呆れたように見て首を振ります。
オーレリーは、あまりに人が好き過ぎて番犬としてちっとも役に立たないからと捨てられたのを引き取った子です。
実際に泥棒にまでしっぽを振りかねない人懐っこさで、番犬としては少々頼りなくはありますが。
でも今では、大切な家族であり頼もしいボディガードです。
だって私が落ち込んでいたり少しでも危険が及びそうになったりすると、セリアンとともにいつも全力で元気づけ、守ろうとしてくれるのですから。
ふと芝生の上でお腹を見せてゴロン、と寝転がっていたオーレリーが、ものすごい勢いでこちらに走り寄ってきます。
「うわっ! な、何? ふふっ! いやだ、オーレリーったら。顔をそんなになめちゃだめよ! ふふっ」
きっと、落ち込んでいる私を心配してくれているのでしょう。
押し倒す勢いで顔中なめ回されて、すっかりよだれまみれです。
「ありがとう! オーレリー! もう大丈夫よ。わかったわ。もう元気だから、大丈夫」
そうなだめたら、ようやく解放してくれました。
そのおかげか、よだれまみれの顔をきれいに洗い流した頃には、すっかり気持ちも上向きになっていました。
「ふふっ。オーレリーのおかげで、少し元気が出たわ。思い悩んだところで、どうしようもないものね」
立ち上がり今度はセリアンのそばにいくと、セリアンまで鼻先をこちらに優しく擦り寄せてきます。
「あなたも元気づけてくれるの? ふふっ。ありがとう。セリアン」
オーレリーとセリアンに励まされ、ようやくいつもの落ち着きを取り戻したんだ私は。
「ありがとうね。オーレリーもセリアンも。今さら恐怖症を嘆いたって仕方ないわよね。できることを精一杯頑張るわ」
まるで今日の澄み渡った空を見上げ、晴れやかな気持ちになった私がそう声をかければ。
それに応えるように、オーレリーがワンッと元気な鳴き声をあげ、セリアンも機嫌よさそうにぶるるっと小さく鼻を鳴らしたのでした。
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