純愛とは、利害の一致の上に成り立つものにあらず
「……変ね」
私のつぶやきに、ラナが振り向きます。
「何が変でいらっしゃるんですか? 奥様」
きょとんとした顔で首を傾げるラナに、私は真面目な顔で問いかけました。
ここ最近、どうにも気になっていたことを。
「最近以前にも増して、ずいぶんお客様が多い気がするの。しかもなぜか皆さん、今になって挙式の時のことを聞いてくるのよ。なぜかしら?」
側付きのメイドのラナが淹れてくれたお茶を口に運びながら、ソファに身を沈めれば。
「あぁ、それは多分あの噂のせいだと思います」
「噂? どんな?」
「奥様と旦那様の純愛の噂です」
たっぷりの間をおいて、心の底からの「……は?」が出ました。
純愛?
純愛って、あれですよね? 純粋な愛情、っていう意味の純愛、ですよね?
混乱のあまりわけのわからないことを考えながら、ラナに何の話かとたずねれば。
「今巷では宰相夫婦の結婚こそが理想の純愛だって、もちきりなんですよ!」
「……え? ナニソレ」
驚き過ぎて、思わずカタコトになってしまいました。
「例の木彫りですよ。氷の宰相が最愛の妻の贈り物で、跡形もなく氷解したって目下の噂ですもんね。今じゃ用もないのに奥様の作った馬を見ようと、執務室に皆が訪ねてくるらしいですよ? それを旦那様も嬉々として見せてるって」
先日贈った愛馬セリアンをモデルにした木彫り作品は、無事に喜んで受け取っていただけたとの報告は受けております。ええ。
すごくすごく気に入ってくださったようで、なぜか王宮内にある執務室に毎日持参してくださっているとか。あれはあくまでペーパーウェイト兼置物なのであって、毎日持ち運ぶようなアイテムではないんですけどね。
しかも贈った翌日は、仕事の間中ずっと小脇に抱えて持ち歩いていたと聞いた時には、卒倒したくなりました。
「気に入ってくださったのは嬉しいんだけど、毎日王宮から持ち帰る必要はないと思うのよ……。それかいっそ、お屋敷にずっと置いておくとか……」
だって、ペンとか本じゃないんですもの。あんなそれなりにどっしりとした重量感のあるものを毎日持ち歩く必要が一体どこに?
そんな理解不能な行動をとっていたら、そりゃあ注目を集めても仕方ないとも思うのですが。
「でも、木彫りの馬と純愛に一体なんの関係が?」
まぁ妻からの贈り物を嬉々として持ち歩いているということ自体、ある意味純愛と言えなくもないでしょうが。でも皆さんされている、ごくごく普通のことですし。もちろんそれが木彫りの馬でなければ、ですけど。
「それはほら、氷の宰相をあんなにデレデレと氷解させるほどの愛妻はどんなお相手なんだって、皆さん興味津々なんですよ。奥様のお顔すら、まだ知らない方が多いですしね。絶世の美女に違いないってもちきりですよ」
「あぁ、もう……。なんてこと……」
確かに、結婚式の間中ベールは下ろしたままでした。しかも大分分厚い生地だったおかげで、まったく透けてもいませんでしたし。
もっともその理由は、私の恐怖心をごまかすためにジルベルト様の顔が一切見えないようシャットアウトしただけなんですけどね。
「それに、です」
ラナの顔に、にやりとした笑みが浮かびました。
「挙式の時、ベールアップも口づけもなかったじゃないですか? あの理由が、『若妻の人生初めての口づけを大切にしたい』『一瞬たりともかわいい妻の顔を他の男に見せたくない』せいだって話題なんですよぉ。溺愛かつ純愛だって」
「……は?」
なぜ、いつの間にそんな嘘がひとり歩きを?
そんなこと、あるはずもないのに。
だって私とジルベルト様はいまだに互いの爪の先にすら触れたこともなければ、もし触れようものならお互いに卒倒するに違いないのですが。
「しかもですよ? 旦那様が腕を怪我していらっしゃったのも、奥様を身を呈してかばってできたものだっていう噂まで流れているんです。驚きですよね!」
「ええええええ……」
なんということでしょう。
まさかこのお屋敷でのんびりまったりお飾り妻を楽しんでいる間に、こんなおかしな噂が社交界で広がっていたなんて。
「それほどまでに大切に愛されている奥様に、皆さんあやかりたいんだそうです。私も運命の相手にそんなふうに愛されたいって。なんなら、お参りみたいなもんじゃないですか?」
「お、お参りって……」
ラナはおかしそうにクスクス笑っているけれど、笑いごとではありません。
私に会ったところで、何のご利益もないどころか男性から縁遠くなるに決まっています。なんたって、私は男性恐怖症なんですから。
背中に、つうっと嫌な汗が流れるのが分かります。
「ジルベルト様はこの噂をご存知なのかしら? こんな噂が広まっては、お仕事の迷惑に……」
もし社交界でこんな噂が広まっているとしたら、ジルベルト様のお耳にも届いているかもしれません。お仕事がやりづらくなったりはしていないでしょうか。
少なくとも私は、社交的に非常にやりづらいのですが。
だって、嘘をついているみたいで心苦しいじゃないですか。いや、実際に嘘をついているんですけど。
けれどラナは、そんな懸念を軽く笑い飛ばしました。
「まさか! むしろ喜んでいらっしゃるんじゃないですか? だってお二人がそれだけ思い合ってるって噂が流れば、もう他の女性につきまとわれる心配はなくなりますもん。わざわざ当て馬になりたい人はいませんからねぇ」
「当て馬……」
馬の木彫りからはじまった噂だけに、当て馬。
「なんだか変なことになってきちゃったなぁ……。純愛と利害なんて、まるで正反対じゃないの」
困惑と、後ろめたさと。
そしてほんの少し嬉しいような気恥ずかしいような言い表しようのない複雑な気持ちに、小さくため息を吐き出したのでした。
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