男性恐怖症の私に縁談?

 

 

 使者が恭しく差し出したのは、一通の厳重に封蝋がされた最上質な紙の封書。


 その封蝋印はまさしく国王自らが書いたものであることを示していて、タッカード家はそれはもう上に下にの大騒ぎになりました。


「つきましては、本日午後王宮にて陛下が極内密にお話をなさりたいとの仰せです」

「し……しかし、なぜ娘が宰相様のお相手に? しかもなぜ陛下直々に……?」


 もはやお父様の顔色は真っ青を通り越して、真っ白です。もちろん、私も。


 ジルベルト宰相と言えば、二十六才という若さながら突出したその能力で国の要職に着いた、巷では氷の宰相などと呼ばれている方。


 なぜ氷なのかと言えば、冬の凍てついた湖面を思わせる美しすぎる外見と、どんな美しい女性にもまったくなびかない冷徹にもうつる身持ちのかたさゆえらしいです。


 そんな方となぜ私が、結婚を?


 もちろん、男性恐怖症という私の秘密を陛下が知るわけもありませんが、なんといってもお相手はあの氷の宰相様なのです。他に、いくらだって良縁は望めるはず。

 なのになぜ私に。


「私の口からは何も申し上げることはございません。ただしこのお話は、くれぐれも他言無用とお心得ください。国家の安寧に関わる重大な事案ですから」

「国家の安寧に関わる……重大な、事案?」


 はて? 国家の安寧に関わる重大な事案とは。



 事態をまったく飲み込めない私たちを残し、使者は去っていきました。


 そうして私とお父様は、為すすべもなく困惑する頭を抱えたまま王宮へとはせ参じたのでした。


 



 ◇◇◇◇



「そなたの娘もそろそろ行く末を決める年とはいえ、男性に容易に近づくこともままならないとなれば、さぞ父として心痛だろう? 男性恐怖症とは、難儀だな」


 それが、陛下の第一声でした。


 その言葉に、お父様の喉がごきゅっ、と大きく鳴ったのが分かりました。

 もちろん私も、思いもしなかった言葉に見事に凍りついたのは言うまでもありません。


 驚きの余り深く下げていた頭を弾かれたように上げてしまったどころか、口から「……は?」という声がこぼれ落ちていました。


「え、あの……なぜそれを……。娘の恐怖症のことを、なぜ……」


 お父様の声が、震えています。


 私が男性恐怖症であることは、家族と我がタッカード家が昔からお世話になっている医師、忠実な屋敷の使用人たちしか知りません。

 もし知れたら好奇の目にさらされるのは間違いないでしょうし、心無い噂を振りまく者もいますから。


 なのになぜそれを、国王陛下がご存知なのでしょう。


 にしたって声が震えすぎです、お父様。

 お気持ちはわかりますけれど、少し落ち着いてくださいませ。


 とはいえ隣でそうまでうろたえられると、かえって私がしっかりしなければと肝が据わる気もします。

 まあ当然のことながら私だって、陛下との距離が充分すぎるほどあればこそこんなふうに逃げ出しもせず、落ち着いていられるのではありますが。


「ああ、ちょっと訳あって調べさせてもらったのだ。……ミュリルといったな。そなたは子供と老人、近しい家族以外の男性には一切接触できないと聞いたが、それに相違ないか? それゆえに結婚もあきらめている、とか」


 陛下の静かな、けれど威厳をたたえた視線が私をとらえます。


 国王陛下といえども男性であることに変わりはありません。しかも施政者としての圧を感じさせる視線を真っ直ぐに注がれて、さすがにぶるり、と足が震えます。

 けれどここで逃げ出してしまったり、気を失うわけにはいきません。


 ぐっとお腹に力を入れ踏みとどまり、なんとか平静を保ち口を開きます。


「……はい。おっしゃる通りでございます。ある程度の距離を保てばこのようにお話することもできますが、近い状態では逃げ出すか失神いたしますゆえ、結婚は叶わぬ身でございます」

「ふむ。調べ通りだな。なるほど」


 おそらく陛下はタッカード家の内情について、何もかもご存知なのでしょう。

 

「まだ七才の女の子をさらって傷つけようとするなんて、さぞ恐ろしかったでしょうね。恐怖症になるのも無理はないわ。そのために恋もできないなんて、こんなにかわいらしい方なのに……」


 王妃様の鈴を転がしたような可憐な声に、一瞬緊張が和らぎます。


 ご成婚されてまだ二年と半年くらいとあってまだまだお若く、少女といってもいいかわいらしさと初々しさがうかがえます。

 そんな王妃様にご心配いただけるなんて、光栄です。


「でもそうはいっても、女性が結婚という後ろ盾なく生きていくのは難しい世の中だ。男性と一切関わらず暮らすには、苦労もあろう」

「そうね。何かと女性一人では危険もあるし、不安よね。やはり守ってくださる方がそばにいた方が、安心して生きていけるというものだわ」


 そろそろ本題に入る頃合い、とでもいうように陛下と王妃様がうなずきあいにっこりと微笑みます。


 ということは。

 いよいよあのお話がはじまるのでしょう。使者が持ってきた、例のお話が。


 

 そして、陛下の口から飛び出したのはやはり。


「そこでだな。そんなそなたにぴったりな縁談があるのだ。いや、ある意味仕事の斡旋と言ってもいい。ちょっとわけありだがな」


 男性恐怖症の私との縁談なんて、どんなことよりわけありだと思うのですが。


 とはいえ、陛下に異を唱えるわけにもいきません。

 陛下の次の言葉を澄ました顔で待ちます。


「さあ、ジルベルト。入ってこい」


 陛下の一声とともに庭園に一人の長身の男性が姿を現しました。


 

 その姿に、私はごくりと息をのみ身をこわばらせました。


 この方が、あの――。


「はじめてお目にかかります。ジルベルト・ヒューイッドと申します。この度は私のためにかような話に巻き込んでしまい、誠に申し訳ありません。心より謝罪いたします」


 それが、氷の宰相と呼ばれるこの国の若き宰相、ジルベルト様との初めての対面でした。





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