そんなこんなで!④〜ホワイトデー事変〜

宇部 松清

第1話 村井南雲視点

そんちゃんの馬鹿! もう知らない!」

「えっ、お、おい、那由多なゆた……っ!?」

 

 ずだだだだだ、と走り去る、小さな背中。


 三月十四日、ホワイトデーの放課後である。


 グラウンドが使用不可のため、サッカー部は休みだ。那由多からもらったバレンタインのお返しをするために空き教室に呼び出して、喜んでくれるだろうと胸を躍らせて渡し、彼がその中身を確認した数秒後のことだった。


 俺の足なら間違いなく追いつけるはずだった。

 ものの数秒で捕まえて、抱き上げて、きちんと説明をして、誤解を解いて、目一杯キスをして、またいつも通りの俺達に戻れるはずだったのだ。


 もちろん、呆けた分の遅れを取り戻すべく、俺は駆け出した。まだ視界には、俺の可愛いハムスターがいた。手を伸ばせば――それはもちろん比喩的表現になるが――届くところにいた。


 のだが。


「お、村井。ちょうど良いところに」


 空き教室から出たところでサッカー部顧問に見つかった。


北原きたはら先生、何ですか。いま俺は火急の用が――」

「奇遇だな。こっちも火急なんだ。もう燃え広がってるから、こっちを優先してくれ」

「そんな!」


 文字通り、首根っこを掴まれ、那由多とは反対方向へとずるずると引きずられる。


 ああ、俺の大事な大事な恋人が遠ざかっていく。いつも元気で何かと強気だけれども、実は傷つきやすくて泣き虫の、俺の可愛いハムスターが。


 早く誤解を解かないと、きっと隅っこで丸まって泣いてしまうに決まっている。そんな幼気いたいけで可愛い姿を他のやつらに見られたりでもしたらどうする。庇護欲を掻き立てられてお持ち帰りでもされてしまうのではなかろうか。


「っせ、先生! マジで! ちょ! もうほんとに! ほんとマジで!」

「どうした村井。語彙力が0だぞ」

「語彙なんざ知らん! マジで行かないと! 大変なことに!」

「何が大変なんだ」

「俺のハムスターが!」

「お前ハムスターなんて飼ってたのか。それは親御さんに任せなさい」

「そうじゃなくて!」


 

 その後、どうにか事情を話して解放されたのだが、電話をかけても繋がらず、メッセージを送っても既読がつかない。心当たりを探したが、どこにもいない。そういや那由多の家も知らない。八方塞がりである。ただ、玄関に靴はある。まだ校内にはいる。


 那由多は一度へそを曲げるとなかなか手強いのだ。あの手この手で宥めすかして、全身全霊で愛を伝えて、それでやっと、「そんなに言うなら許してあげる」と眉を下げたまま甘えてくるのである。そんな手のかかるところもたまらなく可愛いから俺としては問題はないのだが、那由多が悲しむ時間は少ないに越したことはない。


「那由多ぁぁぁぁ! どこだぁぁぁぁぁ!」


 叫びながら廊下を走っていると、「おい、廊下走んなよ村井」と声をかけられた。今度は誰だ、と声の主の方を見ると――。

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