第256話 クリスマス会の練習

クリスチャンでもないのに、そんなことをする必要などない。


とある男性児童指導員、後の園長は、この時期必ず、そう主張した。

しかし、クリスマス会というものが中止になったことはなかった。

少なくとも、かの作家氏が自由の森にとらわれていた頃は。


さて、クリスマス会をやるとなると、それぞれ出し物をすることに。

職員や児童のいくつかのグループが、その出し物を行う。


歌を歌う。

劇をする。

なぜか、決闘? をしたことも。それも舞台で。


かくして、茶番劇にもならぬ出し物をさせるための時間が発生。

そっとしておいて欲しかった彼は、今も怒りが収まっていない。

彼は、言う。


2000年も前の中東の一神教のセクトのおっさんの誕生日?

何がうれしくて祝う必要などあるか、実に馬鹿馬鹿しい。

騒ぐべくして騒ぐを地で行く行為をやらかさせているだけや。


群れさせる行事に血道をあげていたベテラン保母は、張り切っていた。

この年末年始こそ、みんなで仲良く楽しい行事を、と。

その手の行事は、彼女の定年退職とともに、少しずつ減っていった。

全児童職員参加のクリスマス会も、その一つ。


今や、無駄に全児童を集める行事を、自由の森では行っていない模様。


ベテラン保母の社会観など、今や作家の彼には何の役にも立っていない。

総括と称して、彼のペンは、この手の群れあい行事を必死で叩いている。

それは、彼に立ちはだかったベテラン保母を葬り弔うことなのであろう。


・・・・・・・ ・・・・・ ・

へびのあし


いつぞやのプリキュアの人魚の国では、

人間と交わった記憶を人魚から抜くという。

当時の記憶を抹殺してくれと、彼は人魚の女王に頼んだそうな。

女王さん、アホなこと考えなさんなと、たしなめた模様。

それがあるから、あんたは作家ができているのでしょうがと、一言。

記憶抜いたら、ただのアル中にしかならんで、とまで言われたとか。

これ、プリキュア御意見番の設定のひとつです。


 

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