森を隠す

月井 忠

第1話

 鬱蒼としたジャングルを抜けると、巨大な壁のような断崖絶壁が現れた。

 ここまでの道のりを思うと、この光景はひとしおだ。


 先住民ガイドであるホノルデの後に続き、ジャングルの奥地に足を踏み入れ一週間。

 雲霧林は湿気の塊で、雨に濡れ、泥に揉まれながら、ぬかるんだ氾濫原を横切った。


 他の調査隊メンバーの顔にも疲れが見え始めていた。

 その顔は、テーブルマウンテンの足元にある、この絶景を見て喜びの表情に変わっている。


 岸壁の左側を見ると頂上から滝が流れ、地上に落ちることなく霧となって空中に消えていた。

 途中には七色の虹がかかっている。


 見とれながらもザックを下ろし、クライミングの準備に取り掛かる。


「それじゃ行きますか? モリスさん」

 ベテラン登山家のベネッツが笑いかけてくる。


「ああ」


 ここからは保全生物学者の私とガイドのホノルデ、そしてベネッツで別行動を取る。

 残ったメンバーはここにテントを張り、付近の標本採集に向かう。


 我々は。


 崖を見上げた。


 ベネッツがルートを作り、その後を私とホノルデで追い、岸壁の割れ目に潜む生物を採集しながら頂上を目指す。

 私にとってはこれが最後の調査になるだろう。


 クライミングの技術を習得し、ここまでやってきたが老いには敵わない。

 ハーネスの準備をして、ベネッツを先行させた。




 崖の途中で宙吊りのまま夜を明かし、なんとか頂上までたどり着く。

 割れ目で採集した生物は、既知の生物ばかりで新種は含まれていない。


 ここからが本番だった。


 衛星画像から、このテーブルマウンテンの頂上に、深い縦穴が開いていることは確認済みだ。

 我々はその穴に下り、独自の進化を遂げたであろう固有種の宝庫へと踏み入る。


 新種の発見成果は、生物学だけに収まらない。

 研究によって新種の抗生物質や、鎮痛剤が作られることもある。


「準備はいいですか」

 ベネッツが笑う。


「はい。先生もいいですよね?」

 ホノルデも笑う。


「もちろんだ」


 崖を登ってきたときと同じように、まずはベネッツが先行し、我々が後に続く。


 ヘッドライトに照らされた岸壁には苔がびっしりと生え、足をかけると、つるりと滑る。

 羽虫が飛び交い、どこからともなく水滴が落ちてくる。


 穴の深さはざっと200メートルといったところか。

 見上げると、入ってきた穴が小さく見える。


「やはり、私にはキツイな」

 やっとのことで穴の底までたどり着くと音を上げる。


「まだまだ現役じゃないですか。これからも頼みますよ」

 ベネッツには引退のことを伝えているのだが、気にしていないようだ。


「そうですよ。僕もお手伝いします」

 ホノルデには、いつも調査を付き合ってもらっている。


 フィールド調査は続けるが、今回のようなクライミングは無理だろう。


「君らは元気だな」

 言いながらも周囲を観察する。


 穴の底にはところどころ水たまりがあって、泳ぐカエルの姿があった。

 早速、ザックからホルマリンの入ったガラス瓶をいくつか取り出し、地面に置いて這いつくばる。


「あ!」

 ホノルデが声を上げた。


「せ、先生!」

 顔を上げると、ホノルデが横穴の奥にいた。


 ベネッツと顔を見合わせた後、二人で向かう。


「え!?」

 そこには、石段があった。


 下の段が一番大きく、上に行くほど小さくなる。

 ちょうど三段だけのピラミッドという感じだった。


 高さは人の背丈ほどある。

 少々いびつではあるが四角く整えられた石で組まれ、明らかに人工的に切り出されたものと思われた。


 我々は、それぞれ黙ったまま周囲を回る。


 暗闇の中、ヘッドライトに照らされる姿は異様だった。


「これ、遺構ですよね」

 いつの間にか、隣にはホノルデがいた。


「だと思う」

 曖昧に答える。


 私は生物学者だ。

 こういった物には詳しくない。


 それに、この周辺で遺構や遺跡が見つかったという話は聞いたことがない。


 心躍る気持ちの一方、懸念も浮かぶ。


 固有種の楽園は破壊されるだろう。

 遺構を観光資源とするなら、辺りは開発され、少なからず観光客がやってくる。


 この縦穴に住む生物は住処を奪われる。


「残念だな」

「どうしてですか?」

 ホノルデが聞く。


 私は環境保全の観点で説明した。


「そうでしょうか? 僕はこの遺構を誇りに思います」


 彼の目は輝いていた。

 そうか、彼にとっては先祖の遺した過去の手がかりでもある。


 私は自らを恥じた。


「それに、森を守れるかも知れません」

「どういうことだい?」


「私の村でも、鉱床探しが流行っていまして」

 彼の表情は曇る。


 私も耳にしていた。


 森を拓き穴を掘って、高圧の水を流し込む。

 出てきた泥水に水銀を混ぜ金を精製する。


 衛生から見るとジャングルには切り傷がついていた。


 この遺構を観光資源として保全するなら、森が守られるかもしれない。


 ベネッツは自分の携帯でパシャパシャと石段を撮っている。


 結局は人の都合なのだ。


 違法採掘も、遺跡調査も、そして私のような標本採集も。


 この森を人類の目から覆い隠すことはできないものか。

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