返ってきたテストの結果と、彼女と交わした約束について


 ―――そして二週間後。季節は五月から六月に移り変わり、天気も雨が降ることが多くなってきた頃。


 この日、僕は運命の日を迎えていた。そう、今日は待ちに待ったテストの結果が返ってくるのである。それは即ち、僕と如月さんの勝負(のようなもの)の決着を付ける重要な局面でもあるのだ。


 大丈夫……やれるだけのことはやった。自分に言い聞かせるように心の中で呟く。如月さんのあの発言があってからテスト前日に至るまで、僕はずっと勉強漬けの毎日を送ってきたのだ。苦手な数学の問題集を何度も解いたり、英語や国語といった主要科目だけでなく、暗記系科目まで網羅して頭に叩き込んだつもりだ。


 それこそ、母親から何か変な物でも広い食いしたのではないかと心配されたり、別の誰かとの入れ替わりを疑われたりするくらいだった。嬉々として宇宙人との入れ替わりを期待していたあの母親の目を、僕は一生忘れないだろう。それでも何とかここまでやって来た。後は結果を待つだけである。


 今までに無いくらい頑張ったからこそ自信はあるのだけど、それでも不安は完全に拭えないわけではなかった。万が一ということもあるかもしれないと思うと、どうしても緊張してしまうのだ。


「はぁ……」


 僕は大きく溜め息を漏らす。もしこれで駄目だったら、どうしよう……? そう考えると、余計に気が重くなるのだった。だけど、テストはもう終えてしまっている以上、結果は変わらない。後はもう激流に身を任せるしかないのだ。


 そんな事を考えているうちに、とうとうその時はやってきた。僕の命運を決定付けるテスト返却の時間が幕を開けた―――




 *******




 狭い教室の中をみんなの一喜一憂する歓喜の声と悲鳴にも近い叫び声が飛び交う中、僕は返ってきた答案用紙を見て硬直していた。


「よう、立花。お前、どうだったんだ?」


 後ろから肩を叩かれて振り返ると、そこには卯月が立っていた。彼は他の生徒ほどに喜びも悔いも感じていないようで、普段と変わらない様子だった。むしろ、この結果に興味が無いようにも見える。


「うん、まぁ……こんな感じ、かな」


 そう言って僕は見せた方が早いと思い、返ってきた答案用紙を卯月に手渡した。


「どれどれ……」


 卯月はそれを受け取ると、じっくりと見始めた。そして少ししてから答案用紙に視線を落としていた彼の口角が上がったように見えた。


「平均点……よりかは、上の点数だな。あれだけ嘆いていた割には上出来じゃねぇか」


「そ、そうかな?」


 そう。返ってきたテストの結果は上々。僕にしては良い点数を取れていたのだ。これなら補習も無いし、何より如月さんと約束したご褒美の件も条件を満たしているだろう。


 ちなみに言うと、如月さんから教えて貰った数学は今までで一番の点数を取ることが出来、他の科目では選択科目である日本史で満点を取った。これにより、全体成績でも以前の中の下辺りから中の上くらいまでは引き上げられたと思う。もちろん、これも如月さんのおかげだと言っても過言ではないだろう。


「そういえば、卯月の方はどんな感じだったの?」


「俺か? 別に大したことはねえぞ。ほらよ」


 そう言うと、卯月は僕に自分の答案用紙を渡してくれた。それを受け取って確認すると、そこには大したことの無い結果が……と思ったが、実際はそんな事は無かった。


 なんと、全教科九割を超えているではないか。それもかなり高い点数だ。これで大したことが無いとか、何を寝ぼけたことを言っているのだろうか。


「す、凄いね……これ」


「そうか?」


「そうだよ! これって、ほぼ満点に近いじゃん! 全然、大したことあるじゃん!」


「そんなことねえよ。こんなテスト、普段の授業と復習さえしっかりとやっておけば誰でも出来るだろ」


「いやいや、普通は出来ないからね!? そもそも勉強が出来るってだけで、普通じゃないんだよ!?」


「そうか?」


「そうだよ!」


 いや、何を言っているんだろうか、この男は。そんな簡単なことのように言ってのけるなんて、最早嫌味にしか聞こえない。僕なんて、一生懸命頑張ってやっと人並みの成績が取れるようになったというのに……。


 僕がそんな思いでジト目で卯月を見ていると、当の本人はどこ吹く風といった感じで涼しい顔をしていた。そしてそのまま話を続ける。


「まあ、あれだ。良かったな、赤点取らなくてよ」


「……うん。それだけは、本当に良かったよ」


 本当にその通りだと思った。もしこれで赤点なんか取っていたら目も当てられないところだったし、何よりも如月さんとの約束を果たす為にも全力で取り組んだのだから、その結果が出ることは素直に嬉しいことだった。


 そして僕がそんなことを思っていると、思わぬ人物から声を掛けられた。それは―――


「蓮くん」


「あっ、如月さん……」


 そう、如月さんだ。まさか彼女の方から話し掛けてくるとは思わなかったので驚いたが、同時に嬉しくもあった。最近は彼女から話し掛けてくれることも増えてきていて、少しずつではあるが距離が縮まっているような気がしていたのだ。それが嬉しかったのである。


「その……どう、だった?」


「えっ?」


「……テストの結果。どうだったか、聞いてる」


「あ、ああ! えっと、如月さんのおかげで、何とか良い点数を取ることが出来たよ。本当に、ありがとう」


 僕は慌てて返事をすると、頭を下げてお礼を言った。


「そう……なら、良かった」


 如月さんはいつもと変わらぬ無表情でそう言った。淡々と語るその表情からは相変わらず感情が読み取れないが、何となくホッとしているようにも見えた。もしかしたら、彼女も心配してくれていたのかもしれない。そう思うと、少しだけ心が温かくなったような気がした。


「あっ、そうだ。如月さんはどうだったの?」


「……私?」


「うん、どれくらいの点数だったのかなって気になってさ」


「別に、普通だけど……」


 彼女は表情を変えることなくそう答えた。その様子を見る限り、どうやら嘘を吐いている様子は無いようだ。しかし、だからと言って油断はできない。何故なら、さっき卯月が大したことが無いとか言って高得点を見せてきたのだから、同じことが起こらないとも限らないからだ。


「……知りたいの?」


「えっと……うん。気には、なるかな」


「……分かった」


 如月さんはそう言うと、自分の席に戻っていった。そして自分の答案用紙を持って僕らの傍までやって来ると、それを見せてくれた。


「はい、これ」


「うん、えーっと……えっ?」


 僕はそれを見て思わず固まってしまった。そこにはなんと、先程に見た卯月の結果よりもさらに上の点数が書かれていたのだ。しかも、僕に教えてくれた数学に至っては満点を叩き出している。


「ちょっ、何これ……」


 僕はあまりの衝撃に言葉を失っていた。だって、如月さんは普通だって言ってたのに、全然普通じゃなかったから。どこの世界に、満点に近い点数を普通と言う人がいるだろうか。これはどう考えてもおかしいだろう。


「ほう……なるほどな」


 卯月もその答案用紙を見て驚いていた。無理もないことだろう。僕だって、驚いているんだから。


「これで満足?」


「う、うん……ありがと」


 僕は未だに動揺を隠しきれないまま、如月さんへ答案用紙を返した。すると、如月さんがジッと僕を見つめていた。


「……? どうしたの?」


「……約束」


「へ?」


「だから、約束。蓮くん、良い点が取れたから」


 如月さんはそう言うなり、そっぽを向いてしまった。僕は遅々とした頭の回転速度でその言葉を噛み砕き、そしてようやく理解した。


「え、それってもしかして……」


「ご褒美」


「は?」


 如月さんの言葉に反応してか、卯月が物凄い怪訝そうな表情を浮かべていた。


「何がいいか決まったら、教えてね」


 そして如月さんはそう言うと、自分の席に戻っていってしまった。僕はそんな彼女の背中を眺めながら、自然と顔がにやけてしまうのを必死に抑えていた。


 そうした状況の中で、僕は内心でガッツポーズを決めながら、喜びに打ち震えていた。しかし、いつまでも浮かれているわけにはいかない。まずは、このご褒美の内容を決める必要があるからだ。


 さて、どうしたものか……と考えていると、卯月が僕の肩をトントンと叩いてきた。


「おい、立花」


「な、なに?」


「今の話、どういうことだ?」


 卯月は険しい表情で僕を見ていた。まるで睨んでいるような鋭い視線だった。


「えっ、いや、その……」


「ご褒美って、なんだ? お前まさか、あいつに変なことでも吹き込んだんじゃあ……」


「そ、そんなことは……」


「後で詳しく、話を聞かせて貰おうか」


「ひっ……!」


 卯月の威圧感に負けて、僕は情けない声を上げてしまった。それからしばらくの間、彼に睨まれ続けたせいで生きた心地がしなかったのだった。


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