癇癪のひどさ ー断ち切れない悪循環ー


《0歳》

言葉の遅れについてを抜きにすると、

0歳の頃から息子の成長にはもともと不安があった。


例えば、あまり泣かないこと。


朝の支度で慌ただしくしている時に泣くことはよくあった。


でもそれは一人ぼっちにされているからだと思う。


泣く理由はそういう場面の時が多く、

お腹が空いてミルクが欲しい時やおむつが濡れて気持ち悪い時などは泣かなかった。


0歳の時はB園に通っていたので、面談の時に先生から不思議がられた。


「息子君は”お腹が空いた”って泣いて教えてくれないんですか?泣かせないといけないので、泣くまで待った方が良いんじゃないですか?」


私だって最初は待っていた。


でも待っていたら明らかに間隔が空きすぎるから仕方なかった。


でも、産後入院中に産婦人科から授乳間隔について厳しく指導があったから私も気にしすぎていたのかもしれない。


ただ、1歳頃になると言葉も出てくるので、お腹が空くと「マンマ」と教えてくれるようになっていた。





《1歳》

言葉が出てくると同時に困ったのは、癇癪。


1歳の頃から既に激しかった。


あまり泣かないと言っていた我が子は、叫び泣きが日常茶飯事に。


顔に水がかかると、虐待されているかのように泣き叫ぶ。


とある施設などで幼児向けの催し物をしていたため、入ろうとしただけで泣き叫ぶ。


友人は義母の家に行っても泣き叫ぶから、結局帰ることになったり。


保育園でも私とバイバイできなくて泣き叫ぶから保育士さんに引き剝がされる毎日。

(先生たちは「いつかは絶対バイバイできるようになるから気にしなくても大丈夫!」って言ってくれたけど、結局泣かずにバイバイできるようになったのは年長になってからだった。)


発表会や運動会などでも泣き叫ぶ。


そして一番困ったのは、”何もないのに急に泣き出す”こと。

これは年齢が上がると少しずつ減っていったが、年長になっても度々あった。

きっと何かしらの理由が本人にはあったのだろうけど、私達には理由が本当に全く分からなかった。


そして泣き叫ぶ時はすぐには泣き止まない。


3時間続いたことだって度々あった。


別に放置していたわけではない。


これだけ泣き叫ぶ声が響き渡ると、近所には虐待を疑われていたかもしれない・・・。




この通り、息子は気持ちの切り替えが非常に難しく、時間がかかるなんてもんじゃなかった。


気に入らないことがあると奇声だってあげる。


地面にだって寝転ぶ。


スーパーでも道端でも・・・横断歩道でも。


そしてその声の大きさときたら・・・

泣き叫ぶ声も奇声も、歌手を目指すと良いのではないかと思うくらい途轍もない声量。


暴れるから抱っこもできない。


もともと普段から抱っこは嫌って反り返る。




そんな私達に対して

周囲は優しい人だけではなく、冷たい言葉をかけてくる人も多かった。


自意識過剰かもしれないが、例え何も言われなくても視線が痛かった。


ーーー泣きたいのは私の方だ。


長時間の闘いで苛立ちを抑え込むという、自分自身の精神との闘いまで同時に始まる。


大勢の前で怒鳴りまくるような性格ではない・・・と自分では思ってるので、必死に息子に声かけをするが、もちろん声が届いている手応えは全く感じない。


それを分かっていても、私は何かしらのアクションを起こさないといけない。


どんなに苛立っても落ち着いて・・・冷静さを失うわけにはいかない。


だって、

息子に声が届くように声を張り上げて注意すると『乱暴な母親だ。普段虐待してるのでは?』みたいなことを言われたことがあるから。

そして逆に落ち着くまで待っていると『放置するような母親だから、こんな子供になるんだ。育て方が悪いんだ。』みたいなことを言われるし。


冷たい言葉を浴びせてくるのは、大概年配かお年寄り。

よっぽど上手な子育てをしてきたんでしょうね。


逆に若い方たちは、気の毒そうな視線を向けてきたり

息子に『泣くな泣くな!!』『がんばれ!』と明るく声をかけてくれる人が多かった。


そして息子の癇癪にはこれといった解決方法がなくて、何かで釣ろうとしても全く効果なし。


どうしようもなくて、何度も私の母や弟に迎えを頼んだことがある。





ただ、お年寄りの方でも優しく接してくれる人もいた。


すごく温かい言葉をかけてもらったことがある。


病院で息子が大暴れしている時に、待ち合いにいたおばあさん。


周囲に謝ることが癖になっていた私の元へ来て

「子供が泣くことは当たり前よ。寧ろ泣かない方が心配。感情が出せないということだから。」


引き続き暴れまわる息子から、つい目を離して涙してしまった。




それでも息子の癇癪には手を焼いてしまい、

育児と家事に加えて正社員でのフルタイム勤務に疲れ果ててしまった。


元気が取り柄である私も一度だけ体調を崩して内科に行くと、

体調不良以外のことは特に話していないのに幼い息子を見ただけで

「無理しすぎだ、仕事は当分控えた方が良い。」と言われたこともあった。





《2歳》

B園を辞めて、C園に通い始める前のこと。


息子が2歳になる前に引っ越して、近所に支援センターがあることを知った。


次男を出産した後で仕事を休んでいた時期、助けを求めるかのように通った。


子供も遊べて親も相談ができるって、すごくない?


私は子供が玩具で遊んでいる間、訴えるかのように相談した。


話は沢山聞いてくれた。


きっと”話してスッキリする人”にはすごく良いと思う。


でも先の見えない私は、”話し相手”ではなく”相談相手”が欲しかった。


相談した結果、先生からは

「大丈夫よ、もっと大変な子もいっぱいいるから。」

ということを繰り返し言われたり、他の子どもの大変な例をあげられたりして解決には至らなかった。


最初は少し期待外れに思えて落胆したが、

それでも支援センターで子供を遊ばせている間はすごく気持ちが楽だった。


隔離された室内、高さのある遊具もなく公園のように常に気を張る必要もない。


それに、たまに来る他の保護者の話も興味深かった。


C園に入園する直前まで支援センターに通ったが、その期間は約2ヶ月。


もっと早くから通いたかったと思うくらい名残惜しかった。




そしてC園(2歳クラス)では

秋ごろに一度、言葉の遅れについて指摘されていて

年度末に近付くと、再び担任から話したいと言われた。


私からすると、またテレビがどうとか言われるんだろうなとしか思えなくて、自然と足取りが重くなる。


すると担任は

「息子君はすごくマイペースだから集団に入れなかったり、コミュニケーションが上手くとれなかったりしてるけど、そういうことを練習する学校みたいなところがあるから、息子君が行ってみたらすごく伸びると思うな~。」

と言った。


相当私に気を使った言い回しをしてくれていることが分かる。


言葉の裏側は十分に理解した上で、私は訊ねた。

「そういうことを練習する学校って何ですか?」


本当に知識がないので純粋な質問。


「言葉の学校・・・療育とかありますよ。」


「・・・ちょっと今は考えられないです。」


やっぱり私はこの時も、発達の遅れを気にしつつ受け入れることが・・・認めることができなかったんだ。


しかし担任は私の返事を予想していたかのように、次の話が進んだ。


「そうですよね、お仕事も休まないといけなくなるから簡単には決めれないですよね。

それと お母さん、保育園では息子君の癇癪も気になってるんです。

私達もどう対応して良いのか分からない状態で・・・ちょっとお手間を取らせてしまうのですが、保健センターに電話で相談して対応方法を聞いてもらえませんか?

そして私達にもその対応方法を教えて欲しいんです。息子君のためにも、ね?」


担任は、”勉強させて下さい”と言わんばかりに上手に私を誘導してくれたと思う。


私にとっても、相談が出来るのは助かる。


そう頼まれると私も「あ・・・電話くらいならしますよ。」と答えてとんとん拍子に話が進んだ。

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