第6話 吸血鬼な俺と、ドMな先輩との未来

 筧リンの家系は遡るのが億劫になるほど歴史があるらしい。


 人々が魔物や黄昏に恐れを抱いていた時代とは打って変わって、科学が支配する現代でその存在価値は無くなりつつあるが、日本各地に生き残っている吸血鬼等の存在を常に見張っている。


 祓魔師。


 時に畏敬の念を込めてそう呼ばれる威厳ある人たち。


 と、俺は思っていたのだが……。




「ふぐ、ふがっ」




 リンに連れられて鳥居をくぐり、神社の傍に建っている家屋の扉を開けた瞬間、俺の視界が『二つの大きなもの』に奪われる。


 咄嗟にそれらから離れようとするが、腰に手を回されて動けなくなってしまった。




「は、はひふぉ、ふるんふぇふか」




 何をするんですかという俺の質問も、情けない音となって肉の表面を撫でていく。




「見た目によらず可愛い反応だね」




 冷静で落ち着いた声色が俺の頭の中を反射する。




「そんなに好き? 私の胸」


「っ!」




 次の瞬間、俺は『その人』から飛び退く。


 胸の辺りがパツパツの巫女服を着たその人は、自分で自分の胸についている二つのものをタプタプと持ち上げると、不気味なくらい優しい表情で微笑んだ。




「リンとは全然違うでしょ」


「いや、えっと」


「もっと甘えても良かったのに」


「ちょっとお姉ちゃん! 何してるの!」




 リンはそう言うと、俺の前に両手を広げて立ち塞がる。


 ちょっと待て、今、リンが何か言ったような。




「えっ、お、お姉さん⁉」


「そう、私のお姉ちゃん。男を見境なく誘惑する悪魔みたいな女」




 散々な他己紹介に怒るでもなく、その人は鈴を鳴らしたようにくすぐったそうに笑う。




「そんな人聞きの悪い。私は筧スズ。この家の長女です。あなたは?」




 その細長い指を向けられると、喉の奥から無理やり言葉を引っ張り出されるようだ。




「よ、妖木正也です」


「そう、正也くん」




 スズさんはリンを無視して俺の顎に手を添えると品定めするような視線を向けてくる。




「リンはこういう人がタイプなのね」


「そ、そういうんじゃないから!」


「安心して。簡単には手を出さないから」


「お姉ちゃんいい加減にして! 今日はお願いがあって来たの!」


「お願い?」




 スズさんが首を傾げると、リンは俺の顔をビッと指さす。




「そう! こいつ、この男、見ればわかるでしょ?」




 リンがそう言うと、スズさんはじっと俺の顔を見て意味深に頷く。




「ああ、そうね。で、それがどうかしたの?」


「祓ってほしいの」


「え?」


「だから、こいつの中の吸血鬼を祓ってほしいの!」




 スズさんは文字通りキョトンとすると、プッと吹き出して笑った。




「なぁにそれ、何の冗談?」


「冗談とかじゃ、ないの」


「自分でやれば良いじゃない」




 スズさんがそう言うと、リンはぐっと俯く。




「あなた、仮にも筧の娘でしょ?」




 スズさんの冷ややかな笑みがリンを貫き、リンは唇を噛み締める。




「私だって、そうしたいけど」


「じゃあ何でやらないの?」


「そ、それは」




 これは何やらマズい空気だ。そう思ったときには身体が動いていた。




「スズさん、お願いします」




 俺は一歩前に出て、スズさんの目を出来るだけ真っ直ぐ見つめる。




「俺が言い出した我儘なんです。だから、リンを責めないでください」


「へえ、自分で?」


「そうです。俺は、もう人に迷惑かけて生きるのがうんざりで」




 脳裏に先輩の顔が浮かぶ。一日二日会ってないだけなのにひどく懐かしく感じてしまう。


 ドMな先輩のことだ。俺が吸血鬼じゃなくなったら幻滅するだろうか。でも、それでも良いんだ。お互いのためにも。




「ただ普通になりたい」




 俺は、こうするべきなんだ。




「だから、お願いします」




 スズさんは何も言わず頷くと、クルッと翻る。




「事情はわかったわ。あと、リン?」


「な、何?」


「久しぶりに本家に来たんだから、男連れは良いとして、泥の匂いを付けてくるのはどうかと思うわよ」




 リンはたちまち顔を真っ赤にさせると、素早く靴を脱いでズカズカと廊下の奥に消えていく。




「お、お風呂借りる!」


「はいはーい」




 スズさんはリンを見送ると、次に鋭いような優しいような目を俺に向けてくる。




「それじゃあ、付いてきて」


「は、はい」




 リンが元気に咲くチューリップだとするなら、スズさんはひっそりと咲く一輪草だ。


 遠くから見ている分にはその性質に気が付かないが、近づいて見てみるとその美しさと儚さに目を奪われる。


 この人の背中を見ていると、今にも消えて無くなってしまいそうな、そんな不安を覚える。




「本当に姉妹なんですか」




 スズさんの後ろを歩きながらそう聞くと、スズさんはふっと笑った。




「よく言われるわ。そんなに似てないかしら」


「ええ、雰囲気とか、全然」


「あの子、あれでも結構大人しくなった方なのよ」


「あれで⁉ 俺は毎日うんざりしてるんですけどね」


「あはは、それを聞いて安心したわ」


「え?」




 スズさんは歩きながら視線を左側にやると、庭に咲いているアジサイを遠くに見る。




「我が家の人間は同業者と結ばれる決まりがあるから」




 思わず眉間に皺が寄ってしまった。




「そんな、古臭い」


「でもね、そうしないと血がどんどん薄くなってしまうの」


「そんな、血の濃さなんて」


「関係ないとは言わせないわよ」




 そう言って振り返ったスズさんの目はひどく落ち着いて冷静なものだった。




「出来損ないの吸血鬼さん」


「っ!」


「まるで翼の生えていない鳥よね。自由に眷属を増やせない吸血鬼なんて。心当たりはあるんでしょう?」


「そ、それは」




 吸血鬼とは食事のため、そして眷属を増やすために人の血を吸う生き物だ。それが人との通常の交配を繰り返す内に、いつしか眷属を増やせない身体になってしまった。


 いっそこのまま人間と同じになってしまえば良い。そう思っていたのに、こう面と向かって言われてしまうと何だかやるせない。




「あなたのような人がいるから、うちにも出来損ないが生まれるのね」




 スズさんは寂しそうな表情でそう言うと、また歩き出す。




「出来損ない?」


「そうよ」


「誰のことですか」


「誰のことって、リンのことに決まってるじゃない」


「そんなことっ!」




 あるわけがない。そう言おうとしたのだが、肩を揺らして楽しそうに笑うその後ろ姿を見ると言葉が引っ込んでしまった。




「術も使えない。お経を唱えても効力無し。あなたのような吸血鬼一人祓えないクズ、本家から出て行って正解ね」


「そんなっ」


「言いすぎだと思う? でもね、これが正当な評価よ」




 この人何だよ急に。一体どうしたんだよ。




「あの子、子供の頃は私にべったりで本当に鬱陶しかったんだから。でも、中学生くらいの頃に悟ったのよね。自分には才能が無いって。そのときのあの子の表情、夢破れた人の顔、傑作だったわ。本当に。あはっ、はははっ」


「やめてください」




 立ち止まり、振り返ったスズさんのその目を睨むように見つめる。




「あいつは普段はあんな感じだけど、友達想いの良い奴なんです。高校の入学式の日も、自分を抑えられなくなって暴れた俺を鎮めてくれて。素直じゃないけど、良い奴なんです」


「……あら、あらあら」




 スズさんはいやらしいものでも見るような目付きに変わると、口元を隠してクックッと笑い出す。




「だって、リン。良かったじゃない」


「は?」




 スズさんが俺の背後の視線を送った先、そこには風呂に行ったはずのリンがいた。




「リン? 何で」


「お友達が心配でついてきちゃったのよね?」




 スズさんがそう聞くと、リンは俯きがちに小さく頷く。


 ということは、さっきの会話も聞いて……!




「謝ってください」


「はい?」


「さっき、リンのことをクズとか、才能無いとか言ったこと、謝ってください」


「何であなたにそんなこと言われなくちゃいけないの」


「何でって、それは」


「才能が無い人たちって群れてうざいのよね。巻き込まないでくれる?」




 何だと、こいつ。




「さ、行くわよ」




 ふざけんなよ。何だよ急に。




「ふ、ふふっ」




 スズさんは振り向きざまにリンを見ると、心底いやらしい笑みを浮かべた。


 俺もその視線につられて振り返る。


 そこには、リンが、




「リン」




 リンが、立っていた。


 ただ立っていた。何をするでもなく。真っ直ぐと前を見つめて。


 光を失ったその目がスズさんを捉える。するとリンは、自然な所作で制服のスカートの裾をギュッと、痛々しく握り締めた。


 ああ、ダメだ。




「まあ、才能の無い者同士これからも仲良くしてちょうだい。あ、恋人同士にはなっちゃダメよ。将来適当なところに嫁がせる予定だから」




 自分の好きな人を快楽のために傷つけられると、どうしても、殺したくなってしまう。




「スズさん」




 グツグツと全身の血が煮えたぎる。筋肉が一回り大きくなっていく。




「んっ?」


「たった今、予定を変更しました」




 振り向きざまに性悪女の胸倉を掴んで持ち上げる。突然の出来事に喉が圧迫されて情けない鳴き声が出るのも気にせず、服を巻き上げてさらに締め付ける。




「まずリンに謝ってもらいます」


「あなた、祓ってもらいたいんじゃ、ないの?」


「それはあなたがリンに謝った後にしてもらいます」


「へえ、良い度胸ね」




 不自然に口角が吊り上がった不気味な表情。次に腹の辺りが急激に熱くなる。




「っ!」




 熱さを感じるのとほぼ同時に三、四メートル吹っ飛ばされる。


 スズの右手に握られているのは数珠。その数珠から紫色のオーラが立ち上っているのが見える。




「祓魔師と戦うのは初めてかしら?」




 スズが俺を見下ろす。その表情は、朗らかな笑顔。




「チャンスを逃したわね。一度距離を取ったら、祓魔師にはもう二度と近づけないから」




 スズが数珠を握り込むと、身体の内側、心臓を直接握られるかのような苦痛に襲われる。




「あ、ふっ」




 息が、出来ない。




「っ、っ!」




 苦しい。助けて、くれ。




「正也!」




 背中に温かい感触。小さくて細い物体。聞き慣れた声で聞き慣れない言葉。




「お姉ちゃん! このままじゃ正也が!」


「何か問題ある? 彼が望んだことでしょう?」


「でも吸血鬼化したままじゃ、記憶とか、身体とか、色々なところが、取り返しのつかないことに」


「別に良いじゃない記憶が無くなっても。リン、わかる? 私は今興奮してるの。初めて魔物を思う存分壊せる。壊しても責任を問われない。寧ろ褒められるの。これが終わって、彼がどういう顔をするのか、見てみたくない?」


「お願いもうやめて! お姉ちゃん!」




 ああ、俺は今ここで死ぬのかもしれないな。


 悔いしか残らない、人生だった。




「ちょっと待ったぁあああ!」




 最後に聞こえてくるのが先輩の声だなんて、俺はやっぱりあの人のことが……。




「えっ?」




 顔を上げ、声の方を向いて絶句した。




「私の可愛い可愛い後輩が」




 ビュンと音がする。それは先輩が木刀で風を切った音だ。




「随分と世話になってるみたいじゃないか」




 ジャリ、ジャリと先輩がすり足で近づいてくる。




「嘘でしょ。結界を張ってたはず!」




 スズは先輩とは対照的に一歩後ずさる。


 こいつが結界を張れるなんて設定初めて聞いたが、そんなことこの人には関係ない。




「そんなの関係ない。何故なら私は!」




 先輩が木刀の切っ先をスズに向け、鋭く睨みつける。




「私は、生徒会長だからだぁあああ!」




 ああ、この人、わかってはいたけどマジで馬鹿なんだ。




「い、意味わかんないんだけど!」


「意味は理解しなくて結構。数式と同じようなものだ」


「だから! 何で一般人が結界を破ってこられるのよ!」




 スズのヒステリックな声にも動じず、先輩は鼻を鳴らしていつもの得意げな笑みを浮かべる。




「私は! 生徒会長だからだ!」


「ふざけるのも、いい加減に……!」




 スズが数珠に手を合わせる。しかし先輩はその隙に鋭く走り出し、素早く飛び掛かる。




「うっ⁉」




 スズの首元に木刀が突き立てられ、一瞬で勝負は決した。




「動くなよ。木刀でも結構痛いぞ」




 あれ、祓魔師には簡単に近づけないんじゃなかったっけ?




「よし逃げるぞ! 二人とも!」


「えっ、うわっ!」




 先輩が俺たちの方に走ってきたかと思うと、俺は唐突に宙に浮く。いや違う。先輩がその細い腕で俺たち二人を持ち上げたんだ。




「ちょっと待ちなさい! あんたたちー!」




 スズのあの雰囲気からは想像も出来ない叫び声が聞こえてくるが、先輩は一目散に神社を出る。


 土砂降りの雨の中、先輩に抱えられ、アスファルトに形成された水溜りが次々に視界に入ってくる。




「何で助けたんですか」




 徐々に心臓の辺りが楽になってくると思わずそんな疑問が口をついた。




「理由なんてどうでもいいだろう」




 先輩の呆れ気味の声が聞こえてくると、バス停の手前でその足が止まる。屋根付きの待合所に降ろされ、先輩はリンの頭を優しく撫でた。




「怖かっただろう。よく頑張ったな」


「ふええ、先輩、ありがとうございますっ」




 リンが先輩に抱きついているのを、俺は後ろで見ている。




「俺は、もう自分が嫌で、だからっ」


「だから、自分の身体を売るような真似をしたのか?」




 先輩の声と後ろ姿には、有無を言わせない迫力があった。




「私はそんなことをさせるために、君とリン君を二人にさせたわけじゃない」


「じゃあ何でだよ!」




 もう、頭の中がごちゃごちゃでわからない。




「あんただって知ってたんだろう⁉ 俺は、吸血鬼の俺のことが大嫌いで、あんたらに迷惑かけるのが嫌で、だから俺はっ」




「私は、君に痛めつけられるのが本当に好きなんだっ!」




 先輩の背中が小刻みに震えて、さっきよりも小さく見える。




「は?」


「どうしようもなく、好きなんだ」




 え、いや、知ってるけど。




「でも、ダメだってことはわかってる。だから私は一度君から距離を取って、君たち二人をくっつけさせようとしたんだ」


「じゃあ、俺のことを助けたのも、つまり」


「……もう血を吸われなくなったりしたら、嫌だなと思って」




 はあああ?




「あんた、さっき生徒会長がどうとか言ってたじゃねえか!」


「あれは、その場のノリで」


「普通後輩を助けるためとか……人として好きとか、適当に理由付けするだろ!」


「すまない。本当に。でも、私はもう、君に血を吸われないと生きていけないんだ!」




 うわあああ! 史上最低の告白だあああ!




「先輩? 何の話ですか?」




 ただならぬ雰囲気を察知したリンが涙を拭う。




「リン、送ってく」


「えっ?」




 俺は、涙で目が腫れているリンの細い腕を握る。




「えっ、正也君! ちょっと! ちょっと待って!」


「何すか」




 振り返ると、先輩は物欲しそうに涙で目を潤ませていた。




「あのっ、何かご褒美とか無いのか? 私、これでも結構頑張ったんだが」


「ああ、ご褒美ね」




 最高なことを思いついた俺は、先輩に優しく微笑む。




「ありがとう」




 そして、ニッと口角を吊り上げた。




「それ以外は無し」




 目を丸くさせている先輩の表情を雨上がりの日差しが照らしていく。




「それじゃ、また明日」




 軽く手を上げて待合所から出ると、背後から悲痛な声が聞こえてくる。




「そんなっ、あんまりだよ正也君っ! 正也君!」


「何これ、どういう状況?」




 リンが俺を見上げてくるが、俺は説明するのがめんどくさくて顔を逸らした。




「俺らと一緒にいるとお前の姉貴の悪いオーラが移っちまうかもしんねえから、悪いけど置いてく」


「そっか、先輩に何かあったら申し訳ないし、悪いけど仕方ないね」




 リンはそう言うと、俺の手を振りほどく。




「どさくさに紛れて触らないで!」


「はいはい、すみませんお嬢様」




 鈴の音を鳴らしたような笑い声。




「お前、あいつに言われたこと気にすんなよ」


「えっ?」


「俺らはお前のことちゃんと見てるから」




 顔を逸らしながらそう言うと、リンが小さく笑う声が聞こえる。




「ありがとう」


「おう」


「というか本当に良いの? その身体のままで」


「ああ、良いんだよ」




 右の手の平に視線を落とし、握ったり開いたりしてみる。




「こんな俺でも、誰かに必要としてもらえてるのがわかったから」


「え?」


「正也君っ! 君は本当に逸材だよっ!」




 背後から不穏な声が聞こえてくるが、それは完全に無視だ。


 吸血鬼な俺とドMでどうしようもない先輩の物語はまだ続いていくらしい。




「あ、靴置きっぱなしだ」


「ま、この際どうでも良いだろ」


「そうね、どうでも!」




 窮屈な靴下を脱いだ俺たちは、水溜りの上をバシャバシャと踏みながら歩いていったのだった。


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