吸血鬼な俺と、俺に血を提供してくるドMで真面目な先輩の話
渋谷楽
第1話 吸血鬼な俺と、先輩の性癖
「静かに」
先輩の柔らかくて細い指が、ベッドに横たわっている俺の唇に当たる。
「おはよ」
先輩の悪戯っぽい笑顔が、窓から入ってくる月光に照らされる。しばらくその顔に見惚れていると、股間の辺りが先輩の柔らかい感触に包まれていくのを感じる。
「まだ、夜ですよ。櫻先輩」
「もちろんわかっているとも。だから、わざわざ君の部屋の窓から侵入したんだ」
「貴重な魔力を使ってですか?」
俺が自嘲気味にそう聞くと、先輩は至って真面目に頷く。
「そう。本来なら君を消すための魔力を使って、ね? だから、今日も頼むよ」
先輩はただでさえ薄い肌着をはだけさせ、その細い首を夜の中に晒す。
俺の他には誰も見ていない、深い、深い夜の中に。
「私の可愛い吸血鬼さん?」
心臓の辺りから湧き出る熱い血に突き動かされるまま、俺は先輩の首に鋭い歯を突き立てる。
「あっ、あぁんっ!」
先輩の甘い嬌声を聞きながら、喉に流れ込む血を味わう。
そう、これから始まるのは、吸血鬼な俺と俺のご主人様である先輩との血生臭いラブストーリー……。
著:神野櫻
「っていうのを書いてみたんだがどうだ⁉ 正也君!」
放課後の文芸部室に先輩の嬉しそうな声が響く。
何だこの怪文書は。というのが率直な感想だった。
「はあ、なかなか個性的な話ですね」
俺がそう言うと、先輩はずいっと顔を寄せてくる。
「そうじゃなくて! もっとこう、登場人物に対して思うところはないか⁉」
「櫻先輩らしき人と、俺らしき人のことですか?」
「はあ、違う違う。この二人は全く私たちそのものなんだよ。魔物退治が仕事の私と、吸血鬼の君。そう書いているのに、何故わからないかなぁ」
この人、何でこんな怪文書書いといてそんなに堂々としていられるんだ。政治家でも目指した方が良いんじゃないのか?
「じゃあ言わせてもらいますけど、リアリティが無いですんよ。彼らには」
「りあ、りてぃ?」
「そうですリアリティです。この取って付けたような魔力も気に入りませんし、大体何でこの俺らしき人は窓から侵入されて叩き起こされてるのにこんなに冷静なんですか。ぶん殴りますよ俺だったら」
「ええっ⁉ こんな美人で可愛い先輩に股間をぐりぐりっ……! ってされてるのに、ぶん殴るのか⁉」
「そうです躊躇なくぶん殴りますよ。こう、パァーンッと」
俺は先輩の顔の前で手の平を叩き、鋭い破裂音を出す。
「わっ……!」
しかし、先輩は驚いて飛び退くでもなく、今しがた閉じた俺の両手をじっと見つめている。
「……先輩?」
「はっ! いや何でもない。そうかそうか、パァーンッとな。なるほど」
先輩はバッと振り向き、俺に顔が見えないように何やらブツブツと呟いている。官能小説好きの先輩のことだ、次の作品に活かそうとか考えているのだろう。
「全く、それに、何で俺が吸血鬼なんですか」
俺はそう言いながら、部室に入ってくる西日を遮るためにカーテンを閉める。
「そういうところじゃないか」
「はい?」
振り返ると、先輩はジトッとした目付きをしながら俺を指さしていた。
「君は日差しを極端に嫌がるせいか、肌が白くて食が細い。食に興味が無いインドア派かと思えば、夜に活動的になったりするし、トマトジュースには目が無い。どうせ、今日も買ってきたんだろう?」
そう聞かれ、俺は机に掛けている鞄に目をやる。
「ま、吸血鬼なんて御伽噺の中だけの存在だとは心得ているが、もう少し人の目を気にした方が良いかもな」
先輩は腰に手を当てて呆れ顔を浮かべる。一方の俺は、先輩に返事をしないまま俺の鞄をじっと見つめてしまう。
先輩のリアリティの無い小説。その中にはたった一つだけ真実が混ざっていた。
それは、俺がいわゆる『吸血鬼』の末裔だということ。
鞄の中に入っている飲み物はトマトジュースではなく、『動物の血』だということ。
「……ていうか先輩、生徒会の仕事は良いんですか?」
「へっ?」
先輩の気を逸らすために話題を振ると、先輩は素っ頓狂な声を出す。
「へっ? じゃないでしょ。現生徒会長がこんなところで油売ってて良いのかって聞いてるんです」
「ああ、そのことなら大丈夫! 私、神野櫻には人望が有り余っているからな! 皆私の指示を聞いてしっかり働いてくれている!」
胸に勇敢な手を当て、腰には華奢な指を添える。なるほど確かに、見てくれだけは立派な生徒会長だ。
「へえ、こんなどうしようもない人に人望ねえ」
「ど、どうしようもないとはなんだ! これでも外行きはしっかりしているのだぞ!」
「どうだか」
「全く君って奴は……!」
先輩とイチャコラしていると、文芸部室のドアを三回ノックされる。
「はーい」
俺が返事をすると、ドアのすりガラスの向こうにツインテールの影が見える。
「あのっ、神野会長はいらっしゃいますでしょうかっ」
「ああ君か、今行く」
先輩はその長い黒髪を耳にかけると、キリッとした目付きで歩き出す。
「あのっ、部活動中失礼しますっ。この書類のこの部分について質問なのですが……」
「ああ、ここか。君はまだ慣れていないからな。仕方ない。ここは去年のものを参考にすれば……」
実際、外面は良いんだよな。この人。
県内随一の進学校と言われているこの高校で、成績はいつも一番か二番。教師や生徒との関係も良好で、それに加えてキリッとした目元と前髪を揃えた長い黒髪。三年生を押しのけて生徒会長に選出された先輩の人望は、校内の誰もが認めるところだ。
「そんな人が何で俺なんかと二人で文芸部……?」
机に頭を置きながらそんなことを呟くと、ツインテールのちんちくりんの女と目が合う。そいつは俺のことをキッと睨むと、すぐに朗らかな表情に戻って先輩との会話を続ける。
俺は先輩と違って嫌われ者なのにな……。
「どうした? 呆けた顔をして」
どうやら話が終わったらしい先輩に顔を覗き込まれる。
「別に、ほんとに外面だけは良いんだよなあって思ってただけです」
「そ、それは、喜んでいい、のか?」
難しい顔をして頭を捻っている先輩を見上げ、俺は卑屈な笑みを浮かべる。
「……先輩」
「ん?」
「俺、今日は帰ります」
「へっ?」
俺はバッグを持ち、足早に部室のドアに手を掛ける。
「ちょ、ちょっと待て! 私、何か気に障るようなことをしちゃったか? 私そういうことに疎くて……」
「別にそんなんじゃないっすよ。気にしないでください」
俺が振り返ってそう言うと、先輩は若干の苦笑いを浮かべる。
「あっ! もしかして、私が君と同年代の子と話してるのを見て、嫉妬しちゃったとか⁉」
「……そうです」
「えっ?」
ほんと、卑屈な性格の自分が嫌になる。
「俺なんかといたら先輩の経歴に傷がつきますよ。それじゃ」
「ちょ、正也君!」
ドアを開けたのとほぼ同時に先輩に腕を掴まれる。
そのとき。
「うっ……!」
突然激しい眩暈に襲われ、思わずドアに寄りかかる。
俺の全体重がかかったドアが、ガンッと乱暴な音を立てて開く。
「正也君! 体調が悪かったのか、ごめんな。気が付かなくて」
先輩の大きな胸が俺の脇に当たる。
しまった。動揺して、血を飲むのを忘れてたっ……!
「先輩っ、俺の、カバン」
「安心しろ。ちゃんと保健室まで持っていくからな」
「そうじゃ、なくて」
吸血鬼の宿命、それは定期的に血を飲まないと干からびてしまうということ。
そして、血に飢えた吸血鬼は……。
「ほら、着いたぞ。横になれるか?」
「先輩」
「ん? お礼なら後で良いぞ」
「……ごめんっ」
俺は『心臓の辺りから湧き出る熱い血に突き動かされるまま』、先輩をベッドに押し倒す。
「きゃっ!」
ベッドの柔らかい感触。夕日がカーテンに遮られて、薄暗い中に先輩の顔が見える。
やっぱりあの小説ってリアリティ無いよな。
本当は、こうなるんだから。
「俺、いわゆる吸血鬼ってやつなんすよ」
「きゅう、けつき……」
「そう、御伽噺とかに出てくる。俺はその一族の末裔」
「そんな、嘘だ」
俺は異様に伸びた八重歯を露わにする。先輩がヒュッと音を立てて息を飲みこむ。
「これを機に、俺のこと嫌いになって、俺から離れてください」
「……それは、無理だ」
あまりの恐怖に震えているらしい先輩は、それでも気丈に笑ってみせる。
「前から思ってたけど、先輩ってもしかして俺のこと……」
「いや、それはない」
「へっ?」
先輩は俺の顔に手の平を添えて、顔を赤らめて微笑む。
今気づいた。先輩は恐怖で震えていたんじゃない。
先輩は『悦び』に打ち震えていたんだ。
「妖気正也君。私は、入学式で一目見たときから君のことをずっと目で追いかけていた。その冷めた目付き。引きつった笑顔。口を開けばちくりと刺す言葉の応酬。私は教育に厳しい家に生まれて、ずっと優等生を演じてきた。だから最初は、一見正反対に見える君に惹かれたのだと思っていた。しかし、君に面と向かって悪口を言われる内に、気が付いてしまったんだ」
じゅるり、という音は、恍惚の表情を浮かべる先輩が出した音だ。首に回された腕に引かれて、わけがわからないまま先輩の顔が目の前になる。
「私は、君に虐められるのがどうしようもなく好きなんだ」
そしてそのまま俺の耳に唇を寄せて、
「だから、血でも何でも吸って、もっと痛めつけてくれ。ご主人様?」
プツンッ、と音を立てて何かが切れる音がした。
「気安く話しかけんな。豚女」
先輩の首根っこを掴んで、ベッドに押し付ける。
「ご、ごめんなさい。正也君」
「正也様、だろ?」
首を絞める手に力を込めると、ぐぎゅ、という声が喉から漏れる。
「正也、様……」
先輩は俺に甘えるような視線を送りながら、首から肩にかけての妖艶なカーブを露わにする。
「……良い子だ」
そう言って、凶器のように鋭い牙を肉に侵入させていく。
先輩の血を甘いと感じてしまうのは、俺の気のせいなのか。それとも、先輩の声のせいでそう感じてしまうのか。
久しぶりの人の血の味に打ちひしがれていると、徐々に心が穏やかになっていく。
「俺は、なんてことを……」
永遠かとも思える快楽の先にあったのは、底の見えない絶望だった。俺はベッドに腰かけ、頭を抱える。先輩はベッドに横たわり、制服をはだけさせたまま呼吸を整えている。
「先輩、俺、本当に、ごめんなさいっ」
「……何故謝るんだ?」
先輩の両手が俺の腰に添えられる。二つの大きな柔らかいものが背中に当たる。
「俺、入学してすぐのときにもこういう状態になって、他の人に暴力振るって……何も、変わってない」
「でも、本能なんだから仕方がないだろ?」
「それでも俺、もう誰かを傷つけたくない……俺、もう学校来ません」
「正也君!」
立ち上がると、先輩の手が咄嗟に俺の制服を掴む。
優しい先輩のことだ。きっと、俺のことを心配して温かい言葉を……。
「大丈夫。これからは、私を傷つけてくれ」
そう言ってうっとりとした表情を浮かべた先輩は、自分の顔の前に両手を持ってきて、それらを素早く閉じた。
「こう、パァーンッとするのも良いし、ね?」
俺は、そう言って笑う先輩をくっと見下ろす。
「……ほんと、幻滅しましたよ。先輩」
「ああ、その目! その目だよ正也君! ニーズを良くわかってるじゃないか!」
「ああもう触るな! 気持ち悪い!」
触手みたいにうねうねと蠢く先輩の手を振りほどきながら、何故だか俺は、この空気に居心地の良さを感じていた。
そう、これが、吸血鬼な俺とドMな先輩との日常の始まりだったんだ。
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