砂漠の商人 ~安藤は思案する~

宿木 柊花

第1話

 流しの天才美容整形外科医安藤アンドゥは簡易なゲストハウスに寝転んでいる。


 目は一点を見つめ、指先は口の中。低い鼻も薄い胸板も動いているようには見えない。膨らみも凹みもしていない腹はもちろん割れてもいなかった。

 どこも微動だにせず、もうすぐ一時間が経とうとしている。



 一時間前、安藤は決して安くはない宿としてここへ案内されてきた。

 案内してきた彼は本当に案内だけして帰ってしまった。説明も何もない。


 とりあえず入ってみると広さは十分に確保されていて大きなベッドまである。

 床は砂にラグが敷かれ、壁は大きな葉を編み込み、天井はこれまた大きな葉が積み重ねられ隙間から青空が覗いている。

 窓はないけど風がよく通る。


 第一印象はボール。

 植物を集めて丸く成形したボール。家にはとてもじゃないが見えない。

 記憶が確かなら、こういう形の巣を作る鳥がいたはずだ。

『こんなもので壊れないのかね』

 ちょいと壁へ触れたら指先が切れた。

 とっさに口に含むと鉄の味が広がった。結構深いかもしれない。

 いつの間にか熱を溜めこんでいた脳が一気に冷える。


 これでも倒壊しないほど天災が少ないのか、はたまた、建てたそばから倒壊するほど頻度が高いのか。


 思考を変えてみるけれど、安藤の脳の一部では緊急会議が開かれていた。

『この壁の植物に毒はあるのか』ということ。

 思考は記憶を掘り起こすのに苦戦していた。



 そして現在に至る。

 これも何かの縁、安藤は町や村へ流れつくと数日は滞在すると決めていた。


 今回の国は人も動物も枯れ木のように痩せ細り、とても景気が良いようには見えない。

 今日の飯もままならないような場所に美容整形は必要とされないのは当然のこと。

 外は砂ばかり。

 昼は灼熱、夜は極寒。

「長居する場所じゃあないわな」

 植物でできた家は太陽のみなぎる元気を抑えるには貧弱すぎて、少しうたた寝しただけで牛のように日焼けした皮膚を見て後悔する。

 奮発してでも石造りかコンクリートを選ぶべきだった。後悔先に立たずとはよく言ったものだ。



 そんな安藤の元へ丸々太った景気の良さげな男性が現れた。

 チャイムもないので本当に突然隣にヌッと立っていた。

「誰だね」

「ワタシ商人……アルコ、」

 安藤は腕時計を数回タップする。


『同時通訳をはじめます』

 合成された女性の声が脳内に響く。何年ぶりだろうかノスタルジーに胸が震える。

「OK」

 これで脳内のチップが同時通訳してくれる。

 耳で聞いた言葉をチップが翻訳し、返す言葉をチップを通して変化させて口から現地語を発声する。

 本来ならお互いのチップ同士で繋がる為、こんな原始的なことは行わない。

 異なる母国語同士でも意味は通じる。


 それが多くの国での常識だ。


「続けて。現地語で大丈夫だ」

 固まっていた男性に安藤は笑いかける。

 名乗りから入るとは常識がある部類の商人だろう。

 と、すると依頼の可能性が高い。

 第一印象は良くしておくのが得策だろう。

「あなた様は整形外科医と聞きました。魔法のようにどんなモノでも美しくできるというのは本当ですか? 例えば……」

 男は二つの山を宙に描くジェスチャーをする。

「プルプルして間に挟まると抱きついてしまうアレです」

「豊胸手術の依頼ですか?」

「ホーキョ……? 可能ですか?」

「不可能はありません」

 安藤の頭にはプルンプルンしたそれで埋め尽くされた。形や大きさなど、こだわり始めたら多岐にわたるアレ。

 だが、この男性がするわけではあるまい。

「奥さまか誰かの施術ですかね?」

「連れてきますね」

 枯れ葉を編んだカーテンの向こう側へ消えていった男性を見送る。

 安藤の頭の中では日焼け美女が微笑んでいる。この美女を俺の手で美の至高へ押し上げる。

 安藤の口はだらしなく開き、突風で巻き上げられた砂が見事にヒットした。


「良かったな。この子だ」

 ブロンドのショートカットがよく似合う小麦色の肌。細く締まった長い脚。長い睫毛まつげでぐるりと囲われた黒目がちな大きな瞳は宝石のように潤み、まっすぐに安藤を捉えている。

 長い首をとてもセクシーに揺らしながら、男性の隣へ静かに歩みよってくる。

 伏し目がちなそれはより一層その美しさを引き出した。


 そっと覗き込むとに山が二つ。


 ラクダ。

 フタコブラクダ。

 つけ襟とネクタイで正装していた。

 ということは……。


 オス! 雄! ♂!


 覗き込むと、

 しっかり付いてる!


「ガッカリだよ!」

『翻訳する言葉が見当たりません』

 合成音声がすかさず言う。

「しなくていい」

『そうですか』

 やや嬉しそうな合成音声がムカつく。


「あの~施術してくれると仰いましたよね? この瘤を立派にして欲しいのです。先生もご存知だと思いますが、この度我が国にあの慈善国家ランティーボの王族が視察に来られるのです」

「それはそれは。ではお断りします」

「なぜ!」

 怒りを鎮める営業スマイルで断ったにもかかわらず、男性の顔はみるみる赤く染まっていく。

 男性は安藤の白衣を破く勢いで掴む。実際肩あたりからビリッと音がした。

「あのランティーボの王族が相手なら尚更やめた方が良いでしょう 」

「なんたる無礼。ぬか喜びさせて楽しんでいたのか」

 ボタンがいくつか飛んでいく。

 グラグラと揺すられて安藤の脳みそはスムージーのようにドロドロ。

 理性もなにも砕けてしまった。

「ぬか喜びさせたのはお前だろうが! 何大きな山作ってくれてんだ! 山違いだわ! 期待はずれだわ! せっかく忠告してやったのに」

「闇医者のやぶ医者なんだろ? 本当はできないくせに医者名乗るな」


 安藤は砂を飛ばし、男性は唾を飛ばして怒鳴り合う。

 売り言葉に買い言葉。


 気付けば安藤は高価な酒と札束を手に埋まっていた。

 正確に言えば下半身だけが安藤の泊まっているゲストハウスの床に埋まっている。上半身は地上に出ているため自由だが、今一つ状況が掴めない。

 目の前にはフタコブラクダが立っている。下から見たときの迫力は下半身が埋められていることに感謝するレベルだった。

 太った男に連れられてラクダが安藤をまたいで去っていく。


 残された安藤の腰回りが地熱とは違う温かさに包まれていた。

 泥汚れをどう洗濯しようか考えている顔面に札束が叩き付けられる。

 乾燥しきった札束は平手打ちのような見事な音を響かせた。

「三日後楽しみにしてるからな!」

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