第6話 溢れる想い

 蘭姫の突然の訪問があったその日の夜。

 本来なら桜河は今夜屋敷に帰ってくるはずだったが執務が長引き、帰宅は明日になると連絡がきた。

 その為夕食は撫子一人でとっている。

 普段なら美味しい料理に舌鼓を打っているのだが今日は箸が止まっている。

 撫子の頭の中には蘭姫に言われた言葉が頭に残っていた。

 『桜河が好きなのか』

 『花嫁としての覚悟があるのか』

 蘭姫がそう思うのも無理はない。

 龍神の花嫁が平凡な娘なのだから。

 桜河と釣り合わないことも分かっていた。

 自分から見ても桜河と蘭姫が並んでいた方が見蕩れてしまうほどお似合いだ。

 何も考えていなかった自分の甘さが嫌になる。

 食事が進んでいない撫子の顔を百合乃が心配そうに覗き込む。

 「撫子様、お口に合いませんでしたか?」

 つい考え込んでいてしまっていて百合乃の問いかけに食事中だったことを思い出す。

 「い、いえ!とても美味しいです!」

 笑みを作り慌てて食べ始める撫子を案じるように百合乃は見つめていた。


 お風呂を済ませ自室に戻った撫子はソファにもたれるように座った。

 百合乃に心配されるほど顔に出ていたのかと手で自分の頬を触る。

 これでは帰ってくる桜河にどんな顔をして会えば良いのか分からない。

 優しい桜河のことだ。

 きっと心配もされるだろうし事情を話したとしたら蘭姫に対して怒るかもしれない。

 それでもし花の神の一族と対立などが起きたら罪悪感で押し潰されそうだ。

 気持ちの整理がつかず溜息を吐いたとき廊下から声がかかる。

 「撫子様、入っても宜しいですか?」

 百合乃の声にもたれていた背中を起こす。

 「はい」

 撫子が返事をすると百合乃が飲み物をお盆に乗せて部屋に入ってきた。

 「こちらをどうぞ」

 テーブルにホットミルクが入ったマグカップが置かれる。

 ミルクの優しい香りが鼻腔をくすぐる。

 「ありがとうございます」

 百合乃は微笑むと膝を床につけたままソファに座る撫子を見る。

 「撫子様、今日蘭姫様に何か言われたのではないのですか?」

  「……!」

 屋敷に来た頃少しだけ聞いたことがある。

 百合乃のような神に仕える一族は主は勿論のことその花嫁にも忠誠を誓うのだと。

 二人の幸せが使用人達の幸せで害悪となる全てのものから守りより良い生活を送れるようにするのが使命。

 百合乃は撫子と共に過ごすうちに撫子自身が真面目で優しい性格であることから悩みなどは他人に話さず抱え込んでしまうのだと分かっていた。

 しかも今日は寄り添ってくれる桜河がいない。

 せめて少しでも自分に悩みを話して楽になってほしいと百合乃は願っていた。

 撫子はこのままはぐらかしても自分を大切に思ってくれている百合乃を心配させてしまうと思い意を決して蘭姫とのやり取りを話すのだった。


 「……ということをあって」

 全てを話すと百合乃はお盆を抱えながら体を小刻みに震わす。

 「撫子様に何ということを……!」

 あの穏やかな百合乃が怒りに満ちた表情と声をしており初めて見る姿に驚いてしまう。

 「で、でも蘭姫様が仰っていることは正しくて……」

 落ち着かせようとすぐに自分の気持ちを話すが自分が忠誠を誓う相手が侮辱されたことにまだ怒りが収まらないようだった。

 「撫子様は十分素敵な女性です!自分が桜河様と結婚したいからという身勝手な理由で撫子様を傷つけるなんて……!」

 怒っている百合乃を見て驚いたがそれ以上にこんなにも自分を思ってくれていたのだと嬉しくなった。

 誰かが自分の為に怒るなんて今まで無かったから。

 鈴代家でも異母達にどんな酷い言葉をかけられても助けてくれる使用人はいなかった。

 最初は助けてほしいと心の中で願ったが時間が経つうちにもう諦めた。

 自分には誰かに愛されるような守られるような資格がないのだと気づいたから。

 しかし桜河と出会って百合乃を始めとした使用人達に出会ってそんなことはないのだと分かった。

 声に出して助けを求めて頼って甘えても良いのだと。

 百合乃に胸に抱えている靄となっている悩みを話したいと、気づくと口を開いていた。

 「私、ずっと考えていたんです。もし水鏡に私ではなく他の女性が映っていたら。もし誰も映らなくて蘭姫との結婚が決まったらと……。何ももっていない私が崇高なる龍神様の足枷になると思って…」

 義姉の真紀のように愛嬌があるわけでもなく地味で教養もない。

 この屋敷に来る前は使用人として働いていた為特に問題は無かったが今は違う。

 自分のせいで他人を巻き込んでの花嫁問題を起こしているのだ。

 蘭姫が良く思っていないのであれば同じ考えの人物も当然いるはず。

 もしかしたら桜河や使用人達まで悪く言われるかもしれない。

 優しい人達が傷つくのは見たくない。

 それならばこの生活を手放した方が良いのではと思う。

 俯く撫子の手にそっと百合乃の手が置かれる。

 ふと顔を上げると澄んだ瞳が撫子を見つめていた。

 「そのようなことは考えないで下さい。桜河様と出会った、その事実だけ大切にすれば良いのです」

 百合乃の言葉が重く沈みかかった気持ちを軽くさせる。

 今目の前にある事実と幸せを素直に受け入れても良いのだと教えられているようで秘めていた感情が溢れ出す。

 「私、龍神様の傍に居たいです……」

 ポロポロと涙を零す撫子をそっと抱き締める。

 「そう願う感情が恋なのですよ」

 今はっきり分かった。

 自分は桜河に惹かれているのだと。

 あの温かさが暗闇にいた自分を導いてくれた。

 少し前までは自分の居場所すら無かった。

 欲しいと夢見たこともあった。

 しかし桜河と出会ってただの居場所ではなく桜河の隣にいたいと今は思う。

 「龍神様に早く会いたい……」

 早く会ってこの溢れる想いを伝えたい。

 想いを伝えたら桜河はどんな表情をするだろうか。

 普段から進んで思いや考えを言わない自分が大胆なことを伝えたら驚くだろうか。

 こんなにも明日が待ち遠しくなったのは初めてで胸が高まる。

 「百合乃さん、大切なことを教えて下さってありがとうございます。使用人の方達は皆さん優しいですがお世話係が百合乃さんで良かったです」

 涙を拭いながら微笑み、礼を言う撫子が百合乃からは地上に舞い降りた天使に見えた。

 こんなに愛らしい花嫁を自分がお世話出来るなんて今までの努力が報われたような気がする。

 感激で次は百合乃が泣き始めた。

 「撫子様~!」

 嬉し泣きをする百合乃に撫子は慌てて近くに置いてあったハンカチを取り、優しく拭ってあげるのだった。

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