雨の降る世界で

さなこばと

雨の降る世界で

 わたしの好きな音。

 雨音。

 どしゃ降りの轟音も、吹き荒れる雨嵐も、はたまた霧のような静かな雨も、聞いていると心が落ち着く。降り方によって特徴は様々だ。薄暗い部屋の隅で丸くなり、窓に頬を寄せ、目を閉じて耳をすますことが、とても心地よい。ああ、また雨あしが強まったとか、眠りを誘うこもりうたみたいだとか、思う。

 雨。それは、生命の誕生を待ちわびていた地球の息吹だ。わたしは胎児のように丸まり体を小さくして、そっと待っている。何もない無限のような内なる広野に雨が降り、息の吹き込まれる瞬間を、わたしは待っている。

 考えてみればかれこれ何年も、わたしはひっそりと息を殺したまま、闇で覆われた世界にいる。いつであっても目を閉じているせいだろうか。もしかしたら、大きな洗濯機を収納できるくらいの空き箱に放り込まれて、置き去りにされているのかもしれない。存在を忘れられている? 誰から、どこから、なんのために? 窓の向こうで地面を叩く雨音、屋根に落ちる雨音たちだけが、ちっぽけなわたしの、命の時を刻んでいる。

 みんなはこぞって嫌う。もちろん、雨のことだ。とにかく濡れるのが嫌だ。濡れた後が大変。持ち物は水気を吸うし、傘はなにかと面倒な手荷物だし、いいことない。聞けば命は代えがたくて、なによりも尊いらしい。雨の日には事故や災害の発生確率が増えるはずから、それはもう雨嫌いにもなる。雨のせいで大切な人を失った人も少なくないだろうと思う。

そうした不幸よりも、広い世界のあちこちで、雨が恵みを運んでいることも、勉強して知っている。でも、わたしの身近に、どんよりとした雨空を見て歓喜する人は、いないみたい。

 雨は、わたしにとって、なによりも必要なものだ。この世で生きるために。毎日をすまし顔で過ごすために。晴れの日が続くと、わたしは両手を組んで祈るようにして、静かに耳をたてて、雨を待つ。窓の外で降り出す雨の音が、まるで、わたしに迫る危機を察知した何者かが、救いの手を差しのべようと急いで駆けつけてくる足音に聞こえる。じっと目を閉じていると、道路に楕円を作って広がる水たまりを勢いよく踏んで、跳ねた水が靴やズボンの裾を濡らすのに、些事などまったく気にならないといったふうで、わたしの元へ向けて駆け抜ける足が見える。いってみればただの幻想だから恥ずかしいことだ。わたしは体を丸く縮こませる。顔がほてるのをごまかすように、開けてもいない目を手の甲で何度もこする。

 わたしの未来は、ないも同然だ。暗闇に慣れて、そこにいると落ち着いて、変化が起こらないので急な恐れもあまり感じない。狭い部屋の暗がりの窓際で、雨音が際限なく多種多様に響く。雨に比べてわたしは没個性だ。今後において選びとれる可能性の道も、この手に掴めるものも、現時点でできることも、わたしの弱々しい指で数えられるほどしかないのでは、と思う。戸惑いは突然やってくる。冷や汗がとまらぬ日は、水をかぶったように服が濡れる。

 わたしは、雨音が好きだ。

 すごく好きだ。

 耳をすませると聞こえてくる雨音は、いつか、だめなわたしを優しく抱きしめてくれる福音になる。そうなるといい。今はただ、何か大切なものを一心に守るようにして体を丸くしている。ぼんやりとした闇の中、雨の降る世界で、わたしは小さくなって待ち続ける。

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雨の降る世界で さなこばと @kobato37

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