前略、飛んで火に入る春の社員

「胃があああああああ…」


「灯織くん大丈夫? 私の歌みたが投稿されたときみたいになってるけど」


昼休み。休憩室のヨギドーに埋もれ呻いていると、鞍馬さんが上から声をかけてきた。


「自分の声が…どう評価されてるかがすっごい不安なんです…胃がああ…」


「灯織さん、そんなに気負わなくていい。評判は上々だから」


一緒にいたらしい藍原さんがそう言って励ましてくれる。


「そうなんですか?」


「そうだよ。灯織くんが声で登場してからというもの、女性リスナーの数が増えたんだって」


「うーん? でもホロエコのファン層って男性ですよね? 男性のファン増やしたほうが良いんじゃないですか?」


「そうでもないと思う。今後収益を増やしたりグッズの売上にこだわるんだったら女性の客層の開拓もしていかないといけないし」


「いつかホロエコ傘下で男性Vのみのユニットとかできそうだね」


「その時は俺が男性タレントさんのマネージャーですかね」


「ううん。灯織さんは私の担当」


「私も灯織くんに担当してもらいたいかな。スケジュールもいい感じに管理してくれるし、私の意見もしっかり聞いてくれるしね」


「ありがとうございます。これからもよろしくお願いしますね」


タレントの信頼ほどもらって嬉しいものはない。俺の仕事のモチベーションが最大値まで回復した!


「灯織くん、いるかい?」


その時、休憩室の扉が開いて我が社の代表、池谷さんが入ってきた。


「あ、イケジュン」


「ここにいるよー」


「お、埋もれてるね。私もみんなが帰ったあとによくやっているよ」


「そうなんですか?」


「ああ、ぼーっとしてるとすぐ寝てしまいそうになるけどね。それで君と少し話したいんだけど、今時間あるかい?」


「もちろんです」


自分の職場のトップが話したいと言ってきて断る人は少ないだろう。


「イケジュン、灯織くんがなにかした?」


「いやいや、そんな叱るために話すんじゃないよ。この前の動画のことで少し、ね」


「池谷さん、その言い方だと何かやっちゃったように聞こえます」


「おっと、そうかい? ま、とりあえず話そうか」


そう言って池谷さんが俺が埋もれているヨギドーの1つを取って、横に置きそこに寝転がった。


「じゃあわたしたちはもう帰るから。またね灯織くん」


「ばいばい灯織マネージャー」


タレントの二人は特にもう予定がないので帰ってしまうようだ。胃が痛くなってきたぞ。


「まずは…ありがとう。海原さんの炎上に対して彼女にアドバイスを送ったそうだね」


「そんなに大したことじゃないですよ。ただ初配信を見て思ったことを言っただけです」


「さっき彼女に会ったんだ。数日前とは見違えるくらい生き生きしていたよ。まちがいなく君のおかげだ。ありがとう」


「タレントの力になれたのなら、これ以上光栄なことはありませんね」


「さて、ここからが本題なんだが」


「はい」


雰囲気が変わったので俺はムクリと起き上がって社長の言葉を待つ。


「正式に、君に公式スタッフの3人目としてデビューしてほしいんだ」


「お断りします」


社長の要望を二つ返事でお断りする。


「遠慮がないなぁ。そんなすぐ決められるとこっちとしては結構悲しくなるよ」


「俺はあくまでマネージャーですよ。タレントみたいな魅力もないのに表に出ても意味がないでしょう」


あと普通にホロエコ箱推しなんで、公式番組とかでタレントさんに会ったりしたら倒れるかもしれない。


「そんなことはないよ。少し調べたけど、君の職歴とか経験は普通に生きていたら得られないものばっかりじゃないか」


「まさか」


「じゃあ質問するけど、前の職場で月に何回家に帰れた?」


「2回くらい、ですかね?」


「そう! それさ! ウチには高校卒業後や大学在学中とかの学生の子たちがタレントとしてやっている。温水さんは設立当時に新卒採用したし、窓辺さんも同じだ」


「つまり、前職を持つタレントがいないから俺にも出来るってことですか?」


「そういうこと。知っての通り公式スタッフは公式チャンネルとは別に公式スタッフが配信をしたりする専用のチャンネルがあるから、そこで――」


「何かやる雰囲気になってますけどやりませんよ? 絶対やりませんから」


「どうしてそこまで頑ななんだい? これは君にしかできないことなんだ。男性V の少ないこの黎明期において、一人でも多くの才ある男性Vがでないとこの界隈はすぐに廃れてしまうだろう。君は選ばれたんだ、このVTuberという未開の地を開拓できるのは君しかいない!」


「すげー大げさな担ぎ上げを行う宗教勧誘みたいですね」


「因みに海原さんと温水さんの連名で推薦ももらっているよ」


「既に引くに引けない状況になってませんか?」


「イエスかハイで答えてくれ。公式スタッフとして、配信をしてくれないかい?」


「選択権ないじゃないですか! ていうかマネージャーの仕事は? どうなるんです」


「もちろん君の希望は尊重するさ。基本的に公式の配信は今まで通り温水さんと窓辺さんが。どうしても手が足りないときやタレントが君を指名したりしたときは出演してもらう。それ以外はいつもの通常業務という感じでどうだい?」


「…給与は?」


「もちろん上乗せさ。2つの業務を掛け持ちしてくれているんだからね」


まあ、相応の対価が支払われるなら…うん、やらなくもないけど…


ここでいくら断っても社長は絶対に引かないだろう。


「…はあ、出番が来ないことを祈ります」


「ありがとう! じゃあ早速絵師さんとか手配するからね! 今度発表動画録るからまた連絡するよう伝えておくよ」


「…はい…」


終わった……飛んで火に入る夏の虫…いやまだ春だな。確実に炎上する…


「実を言うとね、君を選んだのは炎上に耐性があるからってのもあるんだ。普通の社員じゃネットの洗礼を受けて会社辞めちゃうかもしれないから」


「…まあ、ネット民に何言われようと耐えられる自信はありますけど…」


学生時代に言われ慣れてきたからな。今更無機質な文字の羅列で罵られようが動じない。


「他のスタッフさんとかのケアはちゃんとしてくださいよ」


「当たり前だよ。それが上に立つものとしての責務だ」


そう言って池谷さんは立ち上がり、部屋を出ていった。


こうして俺は――誠に不本意ながら――どうやら公式スタッフになってしまう流れになった。

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