金次郎さんの賞・罰

 さて金次郎さんは下総国の成田山の不動尊に願を掛けられました。その願いと決心に、運命が動いたことをみました。


 金次郎さんは先の『二宮翁夜話』でおっしゃっています。


「功の成・否に関わらず、生涯このところを動かないようにしよう、そう決心しました。たとえ事故がいできたり、背に火の燃えつくがようなことに立ちいたるとも決して動かない、と死をもって誓いました」


 動かない、成功するまではもう動かない(不動)、その気持ちが小田原から派遣されてきた人々や村人の心を和らげ、村の人たちに通じたのかもしれません。


 ここに事業は急速に良い方向へむかうようになります。それを『報徳記』にみてみましょう。


 ある時、物井村の荒蕪を開くこと数十町步がありました。この地の荒野に帰することは七・八十年で、大木が繁茂してあたかも山林のようでした。村人だけの力ではおよびませんでした。


 ここにおいて他の邦のものをもやとって荊棘(いばら等)をはらい、高い木を伐り、この地を開きました。数月にして完成しました。


 この時にあたって金次郎さんは、朝には役夫のいまだ出てこないうちに出で、役夫たちを待ってこれらを指揮し、夕には役夫の帰るのを待って、その後に陣屋に帰られました。役夫たちを使うことはあたかも手足の心にしたがうがようでした。


 このために役夫が五十人であれば百人の働きをなすことができ、百人であれば二百人の用をなすことができました。人はみなその功の迅速であることに感嘆しました。


 これは民にさきだって艱苦をつくしてそのものの知・愚を計り、知あるものは諸人の先となし、愚なるものをして分に応じて働かせ、力を尽くすものはこれを賞し、怠るものはこれを励ましたからでした。昔の名将が士卒に命令することも実にこのようであったであろうと、(このことは)人々の目を驚かせました。


 金次郎さんと共にこの場に出でて指揮する官吏が三・四輩おりました。時に役夫の一人が衆にぬきんでて力をつとめ、汗を流し、力をきわめていました。


 小田原の官吏たちはこのものをみて大いに感じました。


「このものの諸人にすぐれこのように力をつくすこと、なんと奇特であることではないか、きっと先生はこのものを賞し、必ずおおくの役夫の励みとなされだろう、早く賞せられよ」、と心にこのことを待っていたのですが、金次郎さんは両度、三度もこのもののところに至ってその働きをみるといえども一言の賞めことばもありませんでした。


 官吏たちはたいへんにこのことを疑いまどいました。


 しばらくあって、金次郎さんはまたここに来たって声をはげましておっしゃいました。


「おまえは私をあざむこうとしてこのような働きをしている、たいへんな不届きものというべきである。私がこのところに来れば力をきわめ汗を流して他にぬきんでるの働きをしている。私がこの場を去ったならばさだめし怠けているはずだ。


 人の力にはおのおのその限界がある。このように働いて、終日(一日中)力をつくしたならば、おまえが一日にしてたおれることは疑いない。もしこのようであって終日(一日中)に筋骨のつづくものであるならば、私は終日ここにあってこのことを試してみよう、おまえはよく為すことができるか」


 そう問われました。


 役夫はおおいに驚いて地に伏して答えませんでした。


 金次郎さんはおっしゃいました。


「おまえのような不直のものがあったならば、衆人がおこたりを生ずるもととなる。人を欺いてことを為そうとするものは私はそのものをれない、すみやかに去るのだ、二度と来ることがないように」


 そうおっしゃいました。


 村の名主・二人が進みでてそしてその罪を謝らさせました。役夫もおおいにそのあやまちを謝り、慈愛を請いました。


 金次郎さんはこのものを許されました。


 人はみなその見るところが明かであって、衆人のみるところと異なることを驚嘆しました。


 ところで(時に)役夫の一人で、年がすでに六十となり、日々この場に来て開墾するものがありました。終日(一日中)木の根を掘って止みませんでした。人が休んでも休まないで、人がこの役夫に、休まれよ、といったのですが、老人は答えて申しました。


「壮者(若いもの)は休んだといえども終日(一日)の働きがあまりある。わしはすでに年老い、力も衰えている。もし壮者と共に休んだならば何の用ができようか」


 そう申しました。


 小田原の官吏はこのものをみて、「かの老人が日々に木の根のみに心を用いているのは、開発の労を人と共にするのをいとうからである。毎日の働きは他の役夫の三分の一にもいたっていない、先生は何のためにこのような無益の老人を退けないのか、明知の一失である」、といってひそかにこのことをあざけっていました。


 のち数日にして開墾が成就しました。村人の労を慰撫してから、他の邦からの役夫を帰村させました。


 その時にこの老人夫を陣屋に呼んで、金次郎さんみずからがこれに質問しておっしゃいました。


「あなたの生国はどこであるか」


 老人は答えて申しあげました。


「それがしは常陸国・笠間領・某村の農民でございます、家は貧しゅうございますけれども、我が子がすでに長じておりまして、耕田のことはやつに任せて少しは貧をおぎなわんがために、君(先生、金次郎さん)が開墾なされることを聞いてこの地にまいりました。


 君(先生、金次郎さん)はこの老人めをお捨てにならず、壮者(若いもの)とともに役を命ぜられ、また諸人とひとしく賃銀をくださいました。その恵みは感ずるにあまりがあります」


 そう申しあげました。


 金次郎さんはここにおいて、金十五両を与えておっしゃいました。


「あなたが衆人にぬきんでて丹精の働きをなしたるがために、いささかではあるが褒美としてこれを与えるものである」


 そうおっしゃいました。


 老人はおおいに驚いて金をおしいただき、謹しんでこの金子を戻し、色を変えて申しあげました。


「君(先生、金次郎さん)の恩恵は身にあまるといえども、それがしは何をもってこの恩賞にあたれるでしょうや。


 前にも申しあげましたように、老夫の力、役夫にあたるに足りません。そうであるのを等しく賃銀をくだされた。このことをも身にあまっているとしております。今、その実がないのに大金の褒賞をえることは、それがしには身を置くにところがございません。


 どうしてこの金子を本意といたしましょうや。それがしは決して恩賞に応じません」


 そう申しました。


 金次郎さんはおっしゃいました。


『報徳記』はさらに続けて金次郎さんの言葉を記しています。

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